海遊記沿い3 三
何故此方は、あの作戦を是とできないでいる。
ホールケーキアイランド、とある研究所内。レイドスーツに搭載されたステルス機能を用い天井の梁に腰掛け、ふと考えていた。
こんなことすべきではない。注意を削ぐな。そう何度自分で釘を刺しても、その疑問はこの国の雨のように全身に纏わりついてくる。
いや。もう此方の出番は終わりなんだけれど。布石は全部置いた。極小の盗聴装置でオーブンの位置は追跡できていたから件の本は今真下にあるし、その情報は輸送船内でイチジへ送った。当初の予定ではカカオ島でひと暴れして戦力の分散を図るつもりだったが、丁度上等な来客があったのでシャーロット家の兵士に情報は流しておいた。カカオ島に侵入者あり、ジェルマ66の可能性あり——別に嘘はついていない。侵入者であることは確かだし、あくまで「可能性」としか言い張っていない。あれなら将星の一人くらいは出向いてくれるだろう。いや、流石にあれを誘導するなんて綱渡りは流石の此方でもやりたくない。
どうにも我々は合理的すぎるなァ。透明なため息を吐く。
***
「非戦闘員は全員シェルターでショック体勢! 兵士も急ぎ室内で同様!」
艦内通信を入れる。
砲弾を撃ち落とし、マスケットを地面に放る。後方には水飛沫が見えている。ビッグマムが迫っていた。ジェルマ王国はそこまで速度の出る船ではない。じき追いつかれることなんか明白だった。
粗末な撤退戦だなァ。どうしたってこれが一番生存率が高い。奥歯を噛んだ。
「貴様にしては決断が遅かったな」
ヨンジが言う。そうだ、その通りだ。此方にしては決断が遅かった。いや、アタシでは決断ができないから、総帥殿含めた王族の返事を待っていた。
「そりゃあ……アタシの権限にはないからねェ」
「ジェルマの指揮官が聞いて呆れるぜ」
逆隣に音もなく降り立ったニジが言う。此方の歯切れの悪い言葉が癪に触ったらしい。
「タイミングどうする、ニジ」
「コイツ次第」
「じゃあそっちでカウント入れて。合わせる」
言わずして共有できていた/直感で気付いていた作戦の要は、アタシだ。息を吐く。片方の割れたゴーグルを装着し、目を瞑り、開く。しゃがんで地面に両手をつける。
「私もニジもそう簡単に死なん」
「あのババアだ、本に綴じられんのが関の山だろ」
「ハハ、だろうな——取り戻しに来い、フェム」
頭上の会話の応酬を黙って聞いていた。アタシの髪を軽く撫でた大きな手が離れて、浮遊装置の音が一つ。
「なんなら義妹として来るか? イカれ指揮官」
角を小突いた軽口。浮遊装置の音が一つ。
「アタシこれでも集中してんだけど、なァ!」
ぐらり。
足元が揺れる。荒れた芝生にばたりと己のものらしい鼻血が垂れる。ヘッドフォンには二人の無機質なカウントが流れていた。
シンプルな作戦だ。海上で速度が出ないのは、水をかき分ける必要があるから。それなら浮かせてやれば良い——血統因子の操作によりベータ・フェム、センチネルセピアに与えられた能力は物体の浮遊。かつて世界を騒がせた大海賊と同じフワフワの実をベースとしたその能力ならば、国一つ浮かせられないワケがない。
「……はッ……!」
息が切れる。ぶちりと切れる音があちこちからする。
できないワケがない。が、今までやったことはない。当然だ、戦場じゃ使わない戦法だからだ。大きな物を一つより、細かな物を複数精密に動かせる方が有利に決まっている。まあ全部言い訳だし、死んだってやるんだけどさ。
「オールコレクト!」
叫ぶ。
あとはデンゲキブルーとウインチグリーンの役目だ。
海上僅か二十メートルに浮いた国を、二戦力が弾き飛ばす。あのスピードと破壊力、膂力があればビッグマムを振り切ってナワバリの外に出る程度は可能だ。これが作戦だった。最高出力であれば五.三秒でビッグマムのナワバリから抜けることができる。そうすればこの国は助かる。なまじ惨めな撤退戦もそれで終いだ。
本当に?
脳内にポップアップした疑問。ああもう五月蝿いな。無視したいのに消えちゃくれない。この作戦はそれで終わり、大成功だ。国が残るのが一番だ。それ以外は二の次で、即ち考える必要なんかない。犠牲はつきものだ。今までの戦で最高効率を求めてきたせいで忘れていたのかもしれないな。ニジの言う通り、鈍っていたのかもしれない。冷酷な指揮官が聞いて呆れる。
「ゼロ!」
ドッ。
真正面下部からの特大の衝撃。この出力ならいける。成功だ、とぐらつく頭を上げる。視界は四十五パーセントほど黒い。その中に——ああ嫌だ——ぱちりと視線がかち合った。何を考えている。笑うんじゃない。こんな作戦を是にしたなんて——
「ハ、」
遠くなる。
「此方もどうやら、出来損ないだなァ」
口角から溢れる血液を拭いもせず、辛くなっていく潮風をただ浴びていた。
***
「これは拙いなァ」
声に出した。誰に聞かれても良い。聞こえるように口に出した。見下ろした先ではシャーロット家のご子息どもが、粗雑な工具を手に応じ二人を観察している。
「だれ⁉︎」
「アナナ嬢、包丁じゃあ外骨格に傷は付かないよ」
にわかに騒ぎ出した室内を無視して言葉を続ける。
「揃いも揃って何? そんな粗末なモノで我らジェルマの皮膚を裂くつもり? 全く」
ため息。
やっと上を見上げたブラウニー殿に笑いかける。ステルスは既に解いていた。昆虫標本よろしく磔にされた王子二人はこちらを見上げ、口角を吊り上げる。
「ジェルマ、貴様いつの間に……!」
「いや待て、ブリュレ姉さんがカカオ島にいるってクラッカー兄さんを連れて行ったのは」
「戦は情報だよ、諸兄。まあ侵入者であることに間違いはないから感謝してほしいね。ジェルマ如きに割く時間があるのなら、君たちもあちらに行ったほうが良い。獅子がハイエナの真似をしているのだから」
ポケットから取り出した小型の火炎瓶を真下に放る。あの本の弱点なぞ知っている。紙は燃やせば灰になる。王子二人は解放すれば存分に戦えるだろうが——
ドガッ。
壁が瓦礫に変わる音。
「ヒュウ、お早いご到着」
イチジとレイジュがこちらを見上げる。イチジについては見上げながらブラウニーを蹴り飛ばしアナナを放り投げ……随分と、情に任せた攻撃でもってこの場を制圧するつもりらしい。あれもあれで弟二人が欠けたら堪えたのかな。
「随分粗末な記事だったな。指揮官のほうが余程天職に思えるが」
ぎらり。サングラス越しの視線がこちらを貫いた。
「これは失礼。電信は打ち慣れてなくてね」
にやりと笑い返す。轟轟と燃え盛る室内で、ただ愉快だと腹の底から笑いが込み上げていた。