名 荒れ狂う龍神が嫁を貰ったと知らせが来たときは、何かの間違いなのではないかと疑ってしまった。しかも、人間だというのだから驚きだ。絶対に嘘だ、信じられない。そう凛子がそう語るほど、龍神は人嫌いで有名だった。しかも、同じ崇められる神とは、思えないほど横暴なのだ。
『名』
「凛子?」
「…………」
「めでたいじゃん!」
「うーん、信じられない……」
白と黒のモノトーンな着物に見を包んだ凛子は、突如やってきた知らせに驚愕を隠せず、眷族である絵梨佳と共に龍神の住処までやってきていた。理由は一つ。祝言は嫁が恥ずかしがるから挙げないが、祝いの品を寄越せなどと言う、横暴な一言があったからだ。
「どんな人なんだろうね!」
「無理やりじゃないでしょうね……」
凛子とは真逆の淡い桃色に薄花色の着物の絵梨佳が、嬉しそうに話しかける。二人は早朝から出発し、大きな川の傍に佇む山へと二人は足を踏み入れた。此処へ到着する前から、ブツブツと呟く凛子他所に、絵梨佳は「心配性だな」などと見当違いな事を考えていた。
「綺麗になってる……」
古くからこの土地に住む人々によって整備された山道は、少し前まで雑草が生え、落ち葉が積み重なっていたはずだった。全く周りが見えていない凛子は気づいていないようで、階段を登っていく。後ろから後をついて行きながら、絵梨佳は綺麗になった山道をキョロキョロと見回す。よく見てみると、至る所に植物が植えてある。春になれば、綺麗な花が咲くだろう。もしかして、これは、例のお嫁さんがやったのではないだろうかと、思考が過る。ならば、きっと良い人なのではないだろうか。一体、どんな人なのだろう。同じ人、今はもう眷族となった為、絵梨佳は人ではないが、元、人としてはとても楽しみだ。不安そうな凛子を余所に、ルンルン気分で山道を登っていく。
「着いたわね」
「うん!楽しみ‼」
「もう、遊びに来てるわけじゃないのよ」
「大丈夫だよ!きっと良い人だって!」
「そういう心配じゃないんだけどね……」
大きくため息を吐いた凛子と絵梨佳は、日焼けし色落ちした鳥居を潜っていく。
「わぁー」
目の前に広がる情景に目を見開く。赤色、橙色、黄色。秋を告げる色が地面を彩っている。
「随分、変わったわね……」
そう呟く凛子が驚くのも無理はない。KKの神域は古い昔ながらの家屋が建ち、周りは大きな桜の木と池があり、年中花見が出来る美しい風景が存在していたのだ。しかし、今、見える景色には季節がある。桜ではなく、紅葉と銀杏。よく見ると栗も落ちている。霜月らしい風景だ。
「紅葉だ!銀杏も!」
「転ばないように気をつけなさいよ」
「はーい!」
「全く、仕方ないわね……」
ヒラヒラと舞い落ちる紅葉に思わず手が伸びた。絵梨佳は秋の絨毯の上を楽しそうに飛び跳ねている。鼻歌を口ずさみ、前へ前へとKKが居るであろう家屋へ向かっていく絵梨佳の後ろを凛子が、ゆっくりとついて行く。紅葉をかき分け進んでいくと、建物が見えてきた。
「あっ?凛子!」
「どうしたの?」
絵梨佳が声を上げる。視線の先には、青年が一人。フードがついた紺色の服にデニムを着た青年が、玄関前に立っていた。竹箒を両手で持ち、サッ、サッとリズミカルに落ち葉を掃いている。KKの御付きが青年の周りで掃除の手伝いをしているのが見え、もしかして彼なのかと凝視してしまう。
KKの御付きは、殆どが妖怪である。猫又に木霊、一反木綿に河童。KKは河童を贔屓気味なのか、多く、逆に一反木綿が少ない。一般人なら、度肝を抜かれる妖怪たちと仲良く談笑している姿を見るに、無理矢理連れてこられたわけではないようで、ほっと、力が抜けた気がして、凛子は少しムッとする。
(何を気にしているんだか、彼奴がどう思われても私には関係のない話だと言うのに……)
そんな事を考えるも気にしてしまうのは、長い付き合いだからであろう。わかっていても、癪に障る。腕を組み、ため息を吐く。
「凛子?」
「大丈夫よ、何でもない」
凛子の心情を察したのか、絵梨佳が不安そうな顔をしている。
「そう?」
「ええ、それより話しかけたいんでしょ?」
「うん!」
「ほら、向こうもこっちに気付いたわよ」
青年は凛子たちを気づくや否や、一瞬、不思議そうな顔をするも、微笑み二人に声をかけてくる。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「KKに御用ですか?」
KK。名を呼ばせているということは、やはり彼で間違いない。男性だとは思わなかった。神に性別は存在しない為、関係はない。しかし、意外であった。あの男は意外と古風なのだ。てっきり「御前様」などと呼ばせているとばかり思っていた。一体、どんな心境の変化があったのか。詳しく聞いてみたいところだが、本人は話してはくれないだろう。
「ええ、いるかしら?」
「はい!少し待ってください」
ガラス格子の玄関引戸を引き、大きな声で名を呼ぶ。
「お客様だよ!」
中を覗き込むように顔を突き出し、「早く起きて」と声をかけた辺り、まだ夢の中のようだ。
「すいません、まだ寝てて……」
「いいのよ、気にしないで」
青年は申し訳なさそうな表情で、凛子たちへと振り返った。彼に罪悪感が感じる。それもそのはず、実はまだ起床していないだろうと、狙ってやってきたのだ。案の定、KKは寝ている。
「だから言ったのに!」
「はい、はい」
「もーー」
「あの――」
青年の困り顔に、凛子から笑みが溢れる。
「ふふっ、ごめんなさい」
「いえ、えっと……」
青年の言葉が詰まる。そう言えば、名乗っていなかった。
「名乗ってなかったわね。凛子よ、彼奴とは古い付き合いなの」
「古い付き合い……」
「神様仲間ね」
「絵梨佳です!凛子の付き添いだよ!」
隣りに居た絵梨佳が、青年の竹箒を掴んだままの両手を掴む。キラキラと熱い眼差しを向けてくる彼女にたじろぎながらも、青年は嬉しそうに笑った。
「僕はいぐっ「おい、名を軽々しく口にするな」むぐ……」
背後から現れた人物に青年は口を塞がれる。KKだ。龍神である彼は頭から鹿のような細長い白い角を生やし、角の根元部分から顎にかけて模様がある。いつもの海松色の着物を身に着けていた。しかし、いつもと雰囲気が違うことに凛子は気づく。独特な煙管の匂いも薄くなっており、表情も柔らかい。
「あっ、KK」
「前から言ってるだろう。名は大事なモノだと……」
「ご、ごめん……」
「『あきと』だ」
口を塞いでいた手を放し、あきとの肩へと手を回す。KKは、飽くまでもそれ以上のことを教える気がないようで、ぶっきらぼうに彼の名を教えてきた。
「あきとさん、宜しくね!」
「で、何しに来たんだ」
「あら、祝の品を寄越せって言ったの誰かしら」
凛子が指を鳴らすと何処からか包装された箱や木箱が表れる。殆どが凛子の御付きと絵梨佳が選んだ物だ。
「品だけ寄越せよ」
「嫌よ」
「チッ、運んでおけ」
「あっ、僕も手伝うよ」
KKの一言にあきとの周りにいた御付きたちが、箱を手に家屋の中へと入っていく。はっ、とした顔で、二人の拘束を解くとあきとが木箱を手に取る。御付きの後ろにくっついていく。
「私も手伝うよー」
その様子を見た絵梨佳が慌てて木箱を持つと、パタパタと中へ入っていった。
「いい子ね」
「…………」
二人を見送った凛子が声をかける。
「ねぇ、名は大事よ。でも私ですら、駄目なのかしら?」
名。個々を指し、区別する為の呼び方。普通に生活しているだけならば、誰も気にしない。ただの呼び名である。しかし、彼ら神や人ならざるモノたちにとって、名は大事なモノ。名一つで簡単に縛れてしまう。
「…………」
「ふふふ、独占欲の塊ね」
「うるせえ……」
つまり、KKは昔からの付き合いの彼女ですから教えたくないのである。凛子は含み笑いを浮かべ揶揄うと、KKが気恥ずかしそうに呟いた。
「……変わってる」
「え?」
「室内も全然違う!」
あきとの背を追い、縁側を歩いていた絵梨佳がぼそりと呟く。彼女の視線の先には、開いた襖から部屋が見える。フローリングの床にソファが置かれていた。
「もしかして、前来た時と違うの?」
「うん!全然違う‼」
少し前まで、部屋の内装は障子に畳、掛け軸に座布団ぐらいしかない殺風景な部屋しかなかった。訪れた際に案内される客間ですら、置物は御付きが生けた花に、座布団ぐらいしかなかったのだ。
「そうなんだ。僕がここに住み始めた時は、既にこんな感じだったから」
「にゃ――」
にゅっ。真っ赤に頬を染めた絵梨佳から、二本の尻尾が生える。ユラユラと揺れる尻尾は、白と茶、黒の三色の綺麗な毛並だ。頭上には猫の耳が生え、人の耳が消えている。火照た顔は笑みが止まらないのか、ずっとニヤケ顔だ。
「…………(これは黙ってたほうがいいのかな?)」
「うにゃー、そうにゃんだ、そうにゃんだー、にゃはっ……」
KKの古き付き合い。あきとは、その言葉を思い出す。見た目は人の形をしているだけ、人ではないのだと。彼女は三毛猫なのだろうか。妖や神に人とは違うモノに詳しくないあきとは思考を巡らすも、答えは出てこず諦める。それよりも、持っている箱を落とさせないように口を閉じるべきだと気付き、足を進めた。
「KK、終わったよ」
「凛子!凛子!聞いてよ、聞いて」
開きっぱなしの玄関から顔を出したあきとが、KKに声をかける。すると、背後から絵梨佳が飛び出し、凛子に抱きついた。
「あら、何かあったの?」
「そう!聞いて!」
「ふふっ――」
「凛子?」
絵梨佳が凛子に頭を擦り付けながら、興奮気味に話しかけている。忙しなく動く耳と尻尾に、失笑してしまう。
「なんでもないわ。ほら、帰るわよ」
「えっまだ、話したいよ!」
「いいから」
「おう、早く帰れ」
「ちょっ、KK!」
耳に触れないように絵梨佳の頭を撫でると、口元に笑みを浮かべた凛子がKKたちの方へと視線を向ける。目が合ったKKは、遠慮なしに片手で追い払う仕草をしてくる。少し癪だが、あの龍神が不機嫌になるよりはマシと早々に切り上げるほうがいいようだ。隣のお嫁さんが、追い払う仕草を咎めている。
「あっ、そうそう」
「?」
思い出したかのように手を叩いた凛子が、あきとに近づく。
「――――――――」
「――っ」
あきとの耳元でボソリと何かを呟いた。KKには聞こえなかったようで、「近すぎだ、早く離れろ」と煩く声を荒げている。
「じゃあね、またくるわよ」
「また話そうね」
先が二つに割れた長い舌をチロリと出し、煽るようにあきとから離れると絵梨佳の腰を抱く。笑みを浮かべたままの二人の周りに霧掛かり、あっという間に姿が見えなくなった。
「いいの?」
「あ?」
「上がってもらったほうが良かったんじゃない?」
「いいんだよ、あれはただ揶揄いに来ただけだからな……」
「そうなの?」
お茶出しすらしていないと残念そうなあきとを他所に面倒くさいのが帰って清々したと清清しい顔をしている。
「そういえば、凛子のやつが言ってたな。随分、きれいになったって……」
「そうだね、今日も掃除したんだけど?」
「おーおー、お疲れ」
荒れ放題だった社をきれいにした本人を前に、雑な感謝しか示さない龍神にあきとはムッとした顔になる。労りの言葉ぐらいくれてもいいのでは、ないだろうか?そうだ。あれを試してみよう。何か閃いたあきとが笑うと、口を開く。
「ご褒美!」
「ご褒美?」
「ね、い、いいでしょ?……お、御前様」
試してみようと思いはしたものの、羞恥心に負け、頬を染めたあきとが俯きながらボソリと呟いた。
「………………」
「KK?」
返事がこない。顔を上げると、豆鉄砲を食らったような顔をしていた。不味いことを言ってしまったのか。声をかけるよりも先にKKに抱きかかえられてしまう。
「よし、ご褒美だな。たくさんやるよ!」
口角を上げ、笑っているはずのKKの顔が怖い。これは言ってはいけなかった。後悔先に立たずとは、このことだ。
「や、やっぱり、い、いなら……」
「遠慮せずに貰ってくれよ」
舌なめずるKKに涙目になりながら、明日休みで良かったと思ったのであった。
おわり
凛子が言った台詞は
「意外と古風な呼び方好きなのよ」
です!