Lotus今日、ふーふーちゃんが結婚する。
控え室のドアを二回ノックすると、向こう側から入っていいぞと声が返ってくる。いつもと変わらない大好きな声。ドアを開けるとそこには着付け前のふーふーちゃんが椅子に座っていて、真っ白な襦袢を着たその姿に言葉に詰まってしまったのを誤魔化すために微笑んだのだけど、上手く表情を作れていたかはわからない。
オレはふーふーちゃんのメイクを任されている。オレじゃなくても他にメイクが上手いメンバーもいるし、なんならヘアメイクだって付けれるはずなのに、ふーふーちゃんは「浮奇にしてほしい」と言ってきた。嬉しくて、でも少しだけ残酷だなって思ったのは内緒だ。
ふーふーちゃんの肌は人形みたいに真っ白だから、余計なものは必要ない。化粧水と乳液をぱぱっとつけてあげて、下地を塗ってから薄くファンデーションを伸ばしてあげるだけで充分だ。オレなんかいっぱいスキンケアしてるのに、本当に羨ましいったらない。ぱたぱたとパフでお粉を叩いたら、次はアイシャドウ。どの色にしようか迷って、やっぱり赤かなと手に取る。赤はふーふーちゃんと、あいつの色だ。
最初に指に薄い色を取って、まぶた全体に伸ばしていく。柔らかな皮膚の下、目を閉じたふーふーちゃんは慣れなさそうにしている。そりゃあ普通の男の人ならメイクなんてすることもないだろう。それをあいつのために、こうして黙ってされるがままになっている。
次は主役の鮮やかな紅。少しだけブラシに含ませて慎重にまぶたに乗せる。まぶたの真ん中らへんから目尻にかけてラインを引くように、あくまでも派手になりすぎないよう手を動かす。終わったら次は下まぶた。うっとりするくらいキラキラした、それでいて落ち着いた上品なゴールド。ハレの日にぴったりなコントラストは会心の出来だ。
最後はリップ。アイメイクがしっかりめだからリップは控えめの方がいいだろう。うむむと悩むオレにふーふーちゃんはくすりと笑ってどれでもいいぞと言うけれど、そうはいかない。ふーふーちゃんをこの世界で一番綺麗にするのはオレの役目なんだから。
本当は、オレと一緒になってほしかった。ふーふーちゃんの隣にいるのはずっとオレでいてほしかった。でもそれをちゃんと言えるだけの、伝えるだけの勇気はなくて。あの時、今のままでいいのだと自分に言い聞かせてしまったから。オレにはもう、こうして彼の門出を精一杯祝うくらいしか資格はない。
選んだリップはオレが一番好きなブランドのもの。その人の体温によって発色が変わるという珍しいものだ。ふーふーちゃんに声を掛けて、少し上を向いてもらう。薄くて小さな形の良い唇。はみ出さないように気をつけながら、上と下どっちも仕上げていく。
「できたよ、ふーふーちゃん」
伏せていたまぶたが上がり、ぱちぱちと瞬きする銀灰色の瞳。ありがとうと嬉しそうに笑う表情。オレの名前を呼ぶ声。全部よく知ってるはずなのに、まるで別人みたいだった。
ああ、綺麗だなあ。絶対に幸せになってね。たまにはオレとのお喋りやゲームにも、付き合ってほしいな。
今日、ふーちゃんが結婚する。
衣紋掛けに丁寧に掛けられた黒無垢は如何にも高価そうで、触れるにも少しだけ勇気がいる。浮奇が腕によりをかけてメイクしたのだろうふーちゃんはそれはもう美人さんで、それを素直に言ったら恥ずかしそう視線を泳がせていてたのが可愛くて思わず笑ってしまった。
僕はふーちゃんの着付けを任されている。そりゃあ着付けは出来るけれど僕じゃなくても着物を着た子は他にもいるし、それこそスタイリストだって付けれるだろうに、ふーちゃんは僕にしてほしいと言ってきた。嬉しくて、でも少しだけ因業だなあと思ったのは秘密だ。
椅子に座っていたふーちゃんを立たせて、長襦袢の上からさっそく掛下を着付けていく。正絹で出来たそれはとてもなめらかで質が良く、繊細な織りで仕立てられた刺繍の華美さにこれを用意したあのひとのふーちゃんに対する愛情が一目で見て取れる。
和服というものは如何にズレなく着付けられたかで仕上がりの綺麗さが変わる。背中、襟、腰にとくるりとふーちゃんの周りを回りながら布を当てて落ちないように腰紐を結ぶ。次はだて巻きをして、うん上手く出来た。これで掛下は終わり。
どっちがこの色に決めたの、と聞いた声は変じゃなかっただろうか。普通なら白が選ばれる無垢なのに、ふーちゃんに宛てがわれているのは黒いもので。ふたりで選んだんだよとはにかみながら返っていた応えに一瞬だけ呼吸が喉に詰まった。そこに込められた意味を、知らないわけがないもんね。
本当は君をこのまま攫ってしまいたい。君を誰の目にも晒されないところに連れて行きたい。でもこんな気持ちは毒でしかなくて。僕は君にとっては良い先輩で、憧れであるべきなのだから一生言うつもりはない。この距離で良いと、眼差しに暖かさを得て手を伸ばさなかったのは僕だ。だからもうこうして君の幸先を祈ることくらいしか、僕に出来ることはない。
せっせと帯を結び、最後に打ち掛けを着せる。飾りである懐剣を帯に差してあげながら、あのひとが悪さしたらこれでやるんだよっていたずらっぽく言ったら、ふーちゃんはいつものやかんみたいな笑い方でお腹を抱えていた。ねえ、そんなに笑うとせっかくのメイクが取れちゃうよ。ひいひいと肩で息をしてるふーちゃんを宥めながら同じ色をした綿帽子を被せたら出来上がり。
「できたよ、ふーちゃん」
こちらを振り向いた彼の、揺れる月の光のような髪。ありがとうと優しく緩む眦。僕の名前を呼ぶ声。全部よく知っているはずなのに、どこか知らない人みたいで。
ああ、綺麗だなあ。君の進む道に多くの幸があらんことを。出来ればいつもみたいに、また遊んでくれれば嬉しいな。
今日、俺はファルガーと結婚する。
普段着慣れない和服は落ち着かないが、それ以上にそわそわと心もとないのはいつも隣に居る彼がいないからで。もっと言うとこれから準備が終わったファルガーと顔を合わせるからでもある。お入りください、と扉の奥からスタッフの声が掛かる。こんなに緊張したのは永い時を生きてきて初めてかもしれない。いや、彼に告白した時と同じくらいか。ドアノブを握り、深呼吸をひとつ。意を決してゆっくりと開けた先、静かに佇む彼の姿に思わず息を呑んだ。
なんて顔してるんだと笑われても言葉が出なかった。友人ふたりの渾身の手によって仕立てられたファルガーは、まるで月夜に咲く花のようで。見蕩れていたと言っても過言ではない。今ですらこんなにも愛しているのに、何度でも恋に落ちてしまいそうになる。
結婚式をしたいと言ったのは、少しでも記憶に残したかったからだった。俺たちは男同士だし、そもそも種族から違う。過去から来たおれと、未来から来た彼の交わる道はきっとおそらく、何処を探したとしても此処しかない。明日には簡単に分かたれるかもしれないからこそ、これ以上ないくらいの最高に馬鹿みたいなことをしたかった。こうしたことが得意ではないだろうファルガーが是と言ってくれたのは、少しだけ意外だったが。
最初は顔を合わせれば喧嘩ばかりの仲だった。お互い負けず嫌いなのもあってああ言えばこう言うの典型で、舌戦を何度繰り返したか覚えていない。いつしか趣味が合うことに気づいて、仲間たちを交えながら罵り合いながらゲームをして、本来なら得ることがなかった兄弟のような距離感に心地良さを感じて。それがだんだんと愛に成ったのは、四百年前の自分でも予想だに出来なかったことだろう。
式を始める声が遠くから呼ばう。赤縄の契りを結び、おれたちは今日から無二の番となる。まぶたを伏せて淡く桜色に頬を染めたファルガーの手を取り、その左手の薬指に光る指輪に祈りを込めて唇を落とす。無垢なる君よ、願わくばともに星の果てまで。いとしい君よ、願わくばともに地獄の野辺まで。
「行くぞ、ファルガー」
此方を真っ直ぐに映す玲瓏の双眸。手を握り返す冷たくもあたたかな義肢。おれの名前を呼ぶ声。彼のすべてがおれのすべてだった。
ああ、華燭の幕が上がる。ふたりで歩みを進めれば聞こえる仲間たちの言祝ぐ声。いざや含まん、三三九度の盃を。