七風リレー小説(2) 天気予報はその後も大きく崩れることはなく、デート当日も穏やかな春の日差しが降り注いでいた。春の香りがするはばたき市を移動しながら、七ツ森は「どくろクマの新作が出てるらしい」「今期限定のスイーツも食べよう」とショップの情報収集も欠かさない。スマホ片手に楽しそうに話す恋人とバスに揺られながら、風真はゆっくりと目を閉じた。
「カザマ?」
「ん、ちょっとな」
「ナニ。昨日眠れなかった?」
「遊園地が楽しみすぎて?」
軽口に笑って返すと、七ツ森は他の乗客に見えないようそっと風真の肩を抱き寄せた。
楽しみすぎて寝られなかったわけではないが、ずっと考えていることがあった。
「……なぁ、七ツ森。最初、どのアトラクションに行きたい?」
「え、うーん。カザマは?」
「乗りたいやつあるんだ。七ツ森が良ければ、だけど」
「イイよ。言ってみ」
そっと囁く声は優しかった。相変わらずだな、なんて思う。
風真は、一昨日の夜から考えていた七ツ森との遊園地デートに思いを馳せる。七ツ森と乗るなら――そう考えた時に、ふとこれが浮かんだのだ。
「観覧車」
〇
ゲートを通り抜けて入場すると、春休みということもあって園内は恋人や家族連れで賑わっていた。ショップに立ち寄り、チュロスとドリンクを購入する。「どくろクマデザインの限定サングラス、あった」と七ツ森が嬉しそうに二つ持ってきたので、そのままレジへと向かった。たまにはいいだろう。今日の記念というやつだ。
二人は揚げたてのチュロスを食べ歩きしながらガイドマップを開く。
「チョット言いにくそうにしてたから、バンジージャンプとかジェットコースターって言われるかと思った。観覧車でイイの? もしかして、俺に気遣ってます?」
「そんなんじゃないよ。俺が乗りたかったんだ」
七ツ森は基本的にセットが崩れるものを好まないが、アトラクション自体が苦手なわけではない。こう見えてけっこうノリがいい一面も持っているから友人や恋人が誘えば普通に付き合いもする。最初は渋っていたとしても「セットは直せばイイし」などと言って結果着いてくるというのが、仲間内でのお決まりのパターンでもあった。
「そんじゃ、早速行こ。今の時間なら空いてるだろうし」
七ツ森はガイドマップを仕舞い、自然な様子で風真の手を握る。思わず風真が周りに視線を向けるも、七ツ森はお構いなしに歩き出した。付き合い始めた時に言われた「誰に知られてもいい」の言葉に嘘偽りはなかったようで、どちらかと言えば元来グローバルな考えを持っていた風真さえも驚かせたものだ。
そんなに心配しなくても、今はNanaの姿じゃないんだからバレたりしないのに――と、七ツ森は思う。むしろ、今は風真の方が気をつけるべきだ。
しかしその考えすらも杞憂に終わる。風真本人にそこまで自覚はないが、はばたき市の若様人気は伊達ではない。
「あ、その、最初じゃなくてもいいんだ。行きたいところがあるなら、そのあとでも全然――」
「カザマが乗りたいなら、俺も乗りたいし」
隣を見ると、七ツ森は笑っていた。七ツ森だって今日この日をとても楽しみにしていた。
二人が付き合い初めてちょうど一年、このタイミングで風真の方からデートに誘ってくれるとは思っていなかった。好きになったのも告白したのも七ツ森からだったが、友人関係だった頃にはなかった〝恋人としての姿〟を見せられる度に、愛されているのだと実感して、どうしようもなく嬉しくなる。両思いになったあとも毎日好きを更新していくようだった。
もともと感情表現に乏しい七ツ森だったが、それを隠さずに伝えると風真も嬉しそうだと気づいてから、素直に言葉や態度に出している。
手を繋ぐという行為ひとつとってもそうだ。七ツ森が手を引くと一瞬だけ周りを気にしたものの、やはり嬉しそうに頬を染めて、そっと握り返してくれる。幸せだった。これ以上の幸せがあるのかと言うほどに。
「……じゃあ、行くか」
「ン。天気イイし、いい写真撮れそう」
観覧車は予想どおり空いていて、運良く待ち時間なしで乗り込むことができた。
春先ということもあり少し風があるが、景色を楽しむには申し分ない。七ツ森はスマホカメラを起動し、恋人の横顔を隠し撮りする。
「撮るなら言えよ」
文句を言いつつ満更でもない様子の風真にごめんと謝り、すかさずそれらをアルバムに保存した。
それからはなんて事ない会話を楽しみながら景色を眺めた。
「カザマはさ、なんで観覧車に乗りたかったの」
会話の流れで何となく聞いてみたら、それまで楽しそうにしていた風真の表情が強ばった。その一瞬の変化を見逃さない。風真は「それは、そのー……」とどこか言いにくそうに言葉を濁し、外の景色に視線を移す。
まさかここまで言いにくい理由だったとは思わず、七ツ森はなぜ観覧車だったのか俄然興味が湧いた。
ここの観覧車といえば〝頂上でキスをすると両思いになれる〟というジンクスが有名だが、すでに両思いの恋人同士である二人に関係するかと言うと微妙かもしれない。
となると、静かな場所で二人きりになりたかったという理由も考えられる。
風真に視線を戻すと、なにやら真剣な面持ちで七ツ森を見つめていた。なにか切り出したいことがあるようで、妙にソワソワと落ち着かない様子にも見える。
「七ツ森」
「……ナニ? そんな、改まって言うコト……?」
「そうじゃないけど、そうかもな」
「え、どっち」
互いの膝がぶつかってしまいそうなほどに狭い場所で身動ぎをすると、その瞬間、ひときわ強く吹いた春風に揺れてゴンドラが大きく傾いた。同時にバランスを崩しそうになる。七ツ森は咄嗟に手を前に出した。
「わっ、危な……!」
風真の背後の座席に両手を着くと、軽く覆い被さるような体勢になった。相手の顔がすぐ近くにある。あと少し身を乗り出してしまえばキスできてしまうくらいに。
初めてではないのに妙にドキドキした。地上から遠く離れたゴンドラの中、俗世から切り離されたような二人きりの狭い空間に、非日常のようなものを感じるからだろうか。
七ツ森はそのまま離れずに風真の顔をじっと見つめる。抱きしめてもいないのに、抱きしめた時の鼓動が聞こえてくるようで、離れ難いと思ってしまう。
その時だった。
風真が七ツ森の頬に触れ身を乗り出したかと思うと、次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
「え……?」
ぬくもりはすぐに離れてしまった。不意打ちをくらい動けなかった七ツ森に、風真は気恥しそうに視線を逸らしながら頬を染めて。
「ここのジンクス、あるだろ。その……やってみたかったんだ、お前と……」
と、言った。
そして、二人を乗せたゴンドラがいつの間にか頂上に達していたのだと気づく。
「え、あ……ああ……」
まさか本当にあれを試したかったのだとは思わず反応が遅れる。しかし、目の前の恋人の可愛らしい反応と、触れ合った時のぬくもりを実感し、時間差でじわじわと七ツ森の胸に熱が生まれる。
そんな七ツ森の反応に不安を感じた風真は、そっと目の前の恋人を見上げた。
「……もしかして、付き合ってたらダメなのか?」
「!! ダメじゃない! いくらでもオッケーだから!」
「本当かよ」
七ツ森の言葉にほっとしたのか、風真は可愛らしくはにかんだ。可愛い。可愛すぎる。一年という節目に遊園地デートができるだけじゃなく、こんなにも嬉しいサプライズが待っていたなんて。
カザマ、と名前を呼んで、今度は七ツ森が風真の頬に触れた。いつもより少し高く感じる体温にドキドキと胸が高鳴る。自然と、もう一度触れたいと思った。そっと顔を寄せると、ハッとした風真がそれを両手で阻止する。
「――!」
ショックを受ける七ツ森に、風真は目を細めて笑った。どこか蠱惑的なその表情に魅了されてしまう。
「もう頂上じゃないからダメでーす」
「……マジかー」
「大マジ。ほら、次どこ行く? お前が行きたいって言ってたやつあっただろ」
ガイドマップを出せと急かしてくる風真は楽しそうだ。そんな顔をされたら、このお預けすらしょうがないと思ってしまう。とんだ小悪魔に惚れてしまったものだと実感し、七ツ森はスマホを取り出した。
「あ、お前また勝手に」
「カザマがカワイイのが悪い」
「どうせ撮るならお前も一緒に入れよ」
「……モチロン。今日の記念に、いっぱい撮りましょ」
そう、まだデートは始まったばかり。
付き合って一年の特別な日だから、当然めいっぱい楽しむつもりでいた。ガイドマップを広げる風真に微笑みかけ、七ツ森は次に行きたいアトラクションを告げたのだった。