一時の休息をともに。ここを曲がったら目的地のすぐそば。
だったはず。
そう、そうだ。
「あれ?」
これはそう、完全に迷ったのだ。
先程から同じところをグルグル回っている気がして、信じたくなかったがトタンの崩れそうな煙草屋の角を曲がった時に疑惑は確信に変わった。
『ちょっと休むか、暁人。···ぷっ』
「笑うなよ···」
元々刑事として街を走り回っていたKKは、だいぶ前から暁人が道に迷っていることは分かっていたが、自身で解決させるために言わないでおこうと黙っていた。
でも、角を曲がった時の冷や汗が流れるだらしない相棒の顔を煙草屋のガラス越しに見ると、我慢していた感情を抑えきれずに吹き出すしか他無かった。
『わりぃわりぃ。さっき買ったお茶でも飲んで落ち着こうぜ』
路地裏の端に積まれた一升瓶の箱にドカっと座り、ガサリといくつかある袋を漁って中から緑茶とおにぎり、三色団子を取り出す。
「いただきます」
小さく一言呟くと、カラカラに乾いた喉に一気にお茶を流し込む。
引っ付きそうな食道を流れる感触にごくりごくりとテンポ良く鳴る喉仏。
そんなに喉が乾いていたのは先程マレビトの修学旅行集団を倒したからなのか、道に迷って焦ったせいなのか真意は闇の中だ。
「ふぅ···」
水分と共におにぎりを取り込んで少し落ち着いた胃袋に安堵するように嬉しいため息が漏れる。
右上のKKの顔は見えないが、きっと満足げに笑っているんだろう。手のひらのモヤがゆらりと一つ増えたのを感じ取った。
『あー、ビール飲みたい』
「···いきなりどうしたの?」
団子を口にした時に唐突に飛んできた独り言。
お茶を流した後に言う台詞ではない。だが身体を持たない魂のKKにとっては水も食べ物も感覚でしか味わえず、嗜む煙もお酒も暁人に度々止められていた。
「今日暑いからね。お酒飲みたくなるのも分かるよ」
『だろ?ビールだったら焼き鳥と枝豆、あと冷奴もいいな』
「唐揚げとか餃子も合うかも。あとはヤンニョムチキンだったりチーズタッカルビもビールと合わせたら美味しいんだよ。僕はハイボール派だけどね」
『んん??チーズたっ···なんだ?でもハイボールも美味いよな』
聞き慣れない料理が暁人の口から飛び出す中、はてなマークを頭に浮かべながら嬉しそうに相槌を打つ。
お互いの話は決して否定せず割り込みせず。気が合わないと思われた二人がまさかお酒の話で花を咲かせるなんて、会って数時間後には全く考えられなかった。
「最近は授業とかバイトで忙しかったからあんまり飲みに行けてなくて、家で一人で飲むことが多かったかも」
『おいおい、一人で飲んでるとボケるぞ。たまには外の空気も吸わないとな。といっても、思い出してみればオレも一人飲みが多かったな···』
たまにする遠い目。
会話の途中や眠る前にKKが見る先はずっと遠くて暗くて、どこかへ行ってしまいそうになる恐怖心。
ーーー沈黙を延ばしてはいけない。
直感的に思った暁人はさっきの袋の中身を確認し、一番下から何かを取り出した。
『お前、それ···』
言葉が詰まる。
無理もない。この戦いで避けていた娯楽や褒美とも呼べる代物。
ショートサイズの缶ビール。
「さっきコンビニ入ってお酒コーナーの前を通ったら、KKのそわそわが大きくなったんだ」
『うっ···、バレてたか』
「どれだけ一緒に戦ってきてるんだよ。一応僕は相棒だからね?」
『いっちょ前に偉くなったなぁ暁人クンは』
ハハッと笑うKKは腰に手を当て、ふわりと暁人の目の前に斜めの体勢で顔を覗き込み、手に持つビールがよく見える位置まで泳いでいく。
便利なのか不便なのかまだ分からないこの身体だが、自由に移動できる点においては身軽になるのでKK自身いいと思っており、横になったり斜めに首を傾けたり逆さまにくるりと回ったりと様々な動きを見せるKKに、動物を前にしたような愛らしさとその手や肌に触れたくても触れられないもどかしさをゴチャ混ぜにした複雑な感情が暁人の中で渦巻いていた。
プシュ。
細かい泡の弾ける音がプルタブが擦れる音と重なり、耳にするだけで喉の奥が潤いで満ち溢れるような感覚に陥る。
「じゃあ、お先にどうぞ」
栓を全て開け左手に缶を持ち変えると、暁人はモヤの掛かった自身の右手に勢いよくビールを注いだ。
『うわっ!?何してんだよおま···え···、』
嘘だと思った。
今まで感覚が無かった。
暁人が取り込む食べ物や飲み物の味も、雨の冷たさも、燃える炎の熱も。
でも、確かに流れた。
懐かしい爽快感と苦味。喉を駆け抜けるあの感覚。
手のひらに注がれた黄金の液体は暁人の身体を通じてKKの中へ流れ込む。本当に欲しかった味や香り、喉越しまで痛く分かるほど。
それは紛れもなく、慣れているビールの味だった。
「···どう?」
本当に伝わるかは半信半疑な暁人は横で静かに佇むKKに話しかける。一度目を閉じてビールの味を十分噛み締めると、KKはそっと瞳を開いた。
『あぁ、美味いよ···』
少し照れながら笑う横顔。嘘の無い正直な感想にホッと胸を撫で下ろし、暁人は残ったビールを自身の食道に流し込む。
久し振りに感じる大人な味。飲めなくはないがあえて自分からはあまり頼まず、どちらかというとハイボールやサワー系を好む。
まだまだお酒の舌が足りないと自身の経験値を残念に思いながら、残った缶の中身を少し時間をかけて空にした。
「御馳走さまでした」
『ごちそうさん。というかビール飲めるんだな、この状態で』
「不思議だね。僕も勢いでやったから飲めるか分からなかったや」
『お前なぁ···』
「でも美味しかったでしょ?久し振りのビール」
ど直球に核心を突かれ何も言えず、KKは少し離れた高さでごろりと横になる。いや、宙に浮いているので風船が揺れるように見えなくもない。
『···美味かった。やっぱりビールが落ち着くな。あとはプラスで煙草が』
「それは別だよ。買わないから」
まだ話している途中で遮りピシャリと止められた。やはりこの点は乗り越えるのには時間がかかりそうだ。
『へいへい。んじゃ、そろそろ行くか』
「うん、ゆっくり休めたからね」
空になったビール缶を潰して袋に詰め込むと、ゆっくりとその場から立ち上がる。
雨も遠くに消えて空気が澄み渡り、いつもより呼吸が深く出来るような風が吹いていた。
『今バイク乗ったら飲酒運転だな、オレ達』
「そんな事しないよ。犯罪者にはなりたくないし、多分僕絶対運転できない」
『フラフラしてる状態だからな。歩くのも難しい奴もいるから、酒を飲んで運転なんてそもそも無理なんだよ』
にやりとしながら正論を唱え、何も言えなくなった若人の周りをKKは楽しそうにくるりと戯けて回って見せた。
「まずはこの迷路から抜けようか」
『道案内するぜ、相棒』
「あぁ、お願いするよ」
そのほうが手っ取り早い。
本当はもっと先に言ってほしかったと隣で泳ぐ彼を軽く小突きながら、霧の街へとくり出して行った。
二人で夜の道を歩く。
伸びる影は嬉しく楽しく、些細な時間でも共に。
しばしの休息も心が休まる大切な時。
End