romantic tunnel「…っ、最っ、悪」
吐き捨てられる言葉に、それはこっちのセリフだ、と思う。
泣きっ面に蜂とはこのことだろうか。
まあ、やってきた蜂が気象事象なら、誰を責めるわけにもいかないのだが。
急に激しい雨に降られて、今降谷と志保は、高架下の小さなトンネルに駆け込んでいた。
一歩でもそこから出たらずぶ濡れになりそうな状況だが。雨をしのぐにはもってこいの場所がすぐ見つかったと思えば。実は最悪どころか、ついているのかもしれない。
いやいや、と降谷は内心で首を振った。今の今まで口論を繰り広げていた相手と。何を好きこのんでこんな場所に閉じ込められなければならないのだ。しかも、ロマンチックのかけらもないような所に。ここが例えば街並みの中の華やかな一角とかなら。それこそいい雨宿りの場面だったかもしれないが。
……ロマンチック? なんでそんなのを求めているんだ。
彼女、相手に。
はた、と降谷は思考を止める。気が高ぶっているところに見舞われたハプニングに、多少冷静さを欠いていたが。悪態ばかりついていた、共にいる彼女の方を見た。
志保は、それなりに濡れていたが、不満を口にしつつも、テキパキと身繕いをしていた。ハンドタオルで髪や顔の水滴をぬぐい、衣服もパタパタと整えている。バッグの中身も無事のようだ。慌てている様子はない。
降谷は自身の雨粒は振り落とすように払いながら、考えた。もし彼女が体を冷やしていたら。迷いなくこのスーツのジャケットを掛けるのに。志保が身に纏っているのはカッチリとしたトレンチコート。水も弾くようで、その必要はなさそうだ。
そして、今降谷が持っているのはハンカチくらい。彼女が持っているよく水も吸いそうなハンドタオルの方が、十分機能的だ。優しく拭いてあげることも、できない。
そこまで考えて、また降谷は動きを止めた。だから。どうして彼女相手に。
そしてぼんやりと、近くで隙なく振る舞う、志保を見る。
…いや、どちらかというと。彼女じゃなければ、それは自然にできることなのだ。
ついさっきまでも。意地を張るように言い合いをしてしまった。内容は捜査や事件に対する見解という、仕事に関することだが。彼女が活発に、そして的確に意見を寄越してくるから。ぶつかりつつも、何故か降谷の方も遠慮なく、率直に返してしまう。胸に熱を灯しながら。
…そんなスマートじゃない真似。彼女以外ならあり得ないのに。
少し睫毛が水滴で潤んでいる志保の瞳が。降谷を捉えた。
ドクンッ、と。不意に胸が鳴る。
……あれっ。
「…何ボーッ、としてるのよ。風邪引くわよ」
「……そんなヤワじゃないよ。このくらい平気」
湿っている頭を雑に掻き上げ、払いながら返すと。志保の瞳が瞬いた後、つい、と逸らされた。
「……そうね。その頑固な頭は、風邪も跳ね返すわね」
「何だ、それ」
口論の続きのような棘のある言い方に、眉をつり上げるが、逸らした顔の前に手のひらを寄せ、はあっ、と息を吹き掛けている志保の仕草に、その眉はすぐ下がった。
……寒いのか。
それはそうだ。秋の時雨にあたって。体を濡らしていたら、いくら軽く拭いて整えても、身体に堪える。
冷えた手を、せめて包み込んで温めてあげられたら。
一歩足を踏み出そうとして。ビクッ、と降谷は身を揺らした。
思いがけず。かあっ、と顔に血が上る。胸はドクドク鳴る。そんなこと。できそうにない。…でも。どうして。
上ずる気持ちのまま。何か言わなければと、口を開く。
「……とんだ雨宿りの場所、だな」
「…そう? 雨に濡れないには適した場所じゃない。ちょっと、寒いけど」
冴えた声が返ってくる。こんな繊細で可憐なのに。たくましい、面も見せる。そういうところも、好きだ。
…え。好き、って。
コクッ、と空唾を飲んだ。一緒に。ためらいや戸惑いも飲み込む。
雨はしとしと降りになっていた。降谷の胸の高鳴りと共に、その音がこの空間を囲む。
ロマンチックとはほど遠い。土と草と雨に濡れた石壁の匂いに包まれて。
でも雨のきらめきと降り注ぐ雨雫が。凝り固まった降谷の思いを洗い流していくかのようだった。
本当に。雨が連れてきてくれた気づきのように。
「……風邪引かない身体に暖を取りにきてもいいよ」
志保がガバッ、とこちらに顔を向けた。唖然として口をパクパクさせているその顔は、真っ赤で。ふはっ、と降谷は表情を崩した。
…この雨は。彼女の鉄壁な装いも、洗い流してくれたのかもしれない。
「なっ……、何よっ、からかわないでよ!」
「今まで僕が君をからかったこと、あったか?」
「っ、えっ、近寄らないでよっ、」
「ははっ、ひどいな」
朗らかな笑みに。志保がさらに頬を染める。
今から僕らの関係が。どう変化していくのか、分からないけれど。
雨音と雨粒の反射が、まるで輝くようにこの場を照らす。
素敵な、雨宿りの、場所だった。