嘘か実か「何で。そんなものを」
「いいから、貸しなさいよ」
「……パジャマなんて、持ってないぞ」
「え、どうして」
「………パジャマなんて着なくても。それこそ…、Tシャツとかで、寝れるだろ」
「そう、分かったわ。じゃあ私がプレゼントするから」
「……はあ?」
「日頃たくさんお世話になっているし! お礼として渡させて、ね」
「いやいや、何で」
「そうしたら、貸してちょうだいね! 絶対よ」
という訳の分からない会話を経て。今渡されたのは、可愛らしく透明の袋にパッケージされている、ネル生地のパジャマ。
手にしたものの、唖然としてそれを見つめてしまう。深い緑色が基調のマドラスチェック柄で、前ボタンのシックながらもお洒落なもの。いや、こんなもの着て寝たら暑くてたまらないのでは、と見当違いの困惑も抱きながら志保を見ると。至ってご機嫌で、すぐ降谷の手からその袋を取り戻した。
「じゃあ、借りるわね」
「…いや、まてまて。別に構わないけれど、説明はちゃんとしてくれ」
間違いなくしっかりしているのだけれど、どこか抜けてるこの娘に。振り回されるのは最小限に抑えたい。
諸々の手続きを経て、現在保護観察中の志保は。阿笠邸に身を置き、都内の大学へと通っている。
降谷は形式上の保護観察官として、志保のことを担当し見守り続けてきた。その中で少しずつ打ち解け合い、降谷の中でもだんだん気を許す存在となっていた。対すれば対するほど、情もわき、甘やかしたくも、なる。
とはいえ現状把握は。もちろん必要だ。
すると志保は、少し言いにくそうにしながらも、きちんと答えてきた。
「……大学の友人達と、パジャマパーティーをすることになったの。それ自体はもちろん自分のパジャマでするのだけれど、話の流れで彼氏のパジャマを持ってきて、ってことになって」
「……ほう、彼氏。って、君いたっけ」
「いることに! なってるのよ、それこそ諸々話の流れで。そうじゃないといろんな会への誘いを断れないし、その、声かけてくる人への対応にも困って!」
「ふむ。君にしてはなかなか懸命な対処法だな。それで?」
「バ…、バカにしないでよね。そう、でもそれで。彼のパジャマを持ってくる流れになって…」
「どうしてそうなるんだ」
「私がそういうのを上手く誤魔化し続けられるはずが、ないでしょ! だから、必要に応じて架空の恋人を頭に描いて話していたのよ……、し、信憑性を持たせるために」
徐々に口ごもり、志保は俯いてしまう。その頬が赤く染まっているのを見て、降谷は目を瞬かせた。
「……え、僕を」
「…っ、そうよ悪いっ!? 今一番近くにいる人だから、手っ取り早かったのよ!」
何故か逆ギレしている志保をまじまじと見ながら、疑問点や質問点を整理しようと試みる。だが、思考回路は上手く機能しなかった。降谷の中でそれを妨げる、どこかくすぐったい感情がある。
それでも。口ではどうにか、冷静に問うた。
「…だから、それで何で。パジャマが必要になるんだ」
「よく、分かんないけど。私に彼氏がいるって、信じない男の人たちが多いから、それを持ってくれば上手く対処できる方法があるって、友達が」
「………」
さらに疑問と懸念が膨らみ、降谷は口を結んだ。志保が女子大生らしく交友関係を広げ、友達付き合いを深めていくのは、大歓迎だが。どうも本人に危なっかしいところがあるから、心配ではある。
友人関係は今まで話を聞いている限り問題なさそうだし、異性にも偽の恋人まで仮定して用心しているというのは、懸命ではある。よし、じゃあ。自分にできることは。
「そのパーティーとやらには。男は来ないんだよな」
「当たり前でしょ」
「女の子の友達にも。本当に彼氏がいると思われて、いいんだよな」
「う…うん」
「じゃあもっといい方法がある。そのパジャマ、今僕が着よう」
「……え?」
呆気にとられる志保に、パジャマの袋を志保の手から取りながら、降谷は言った。
「君もパジャマに着替えてきて」
突拍子もない提案でもあっただろうに。その言葉に、志保は顔を輝かせた。
「じ、実はね! このパジャマペアで売ってたのよ。女性用の方も可愛かったから、私自分用にも買ったの。それ、着てくるわね!」
今度こそ思考停止して、降谷は固まってしまった。志保はルンルンでリビングから出ていっている。
「………は?」
あの無邪気な様子からも、深読みしない方がいいような気もするが。でも。
自分の胸が騒いで熱が上がっていることを。無視することはできなかった。
阿笠博士に断りを入れたら、「はいはいどうぞどうぞ」とやけに軽く了承され、今二人でパジャマ姿で、リビングにいる。何をやっているんだとは思ったが、志保の安寧な大学生活を守るためだ。
ただ志保の姿を見て、それどころじゃないことになっているような気はした。とんでもなく、可愛い。いや、いつも可愛いは可愛いのだが。もう思考回路がショートしている気がする。
ペア、と志保は言っていたが。同じマドラスチェックでも色合いがかなり違い、深緑も入ってはいるものの、どちらかというと群青の色が濃いものだった。それに差し色として入っている芥子色が、なるほど、地味な色目でも女性らしさを醸し出している。
そしてとても、似合っていた。パジャマってこんなに柔らしく、愛らしく見えるものなのか。何となく日頃の武装を解いたような、そんな感覚に陥るのだろう。きっと、自分も。
慣れぬパジャマという代物だが、身につけると確かに着心地がいいものだ。志保を前にこんなリラックスしていたら、良くない気がする。彼女が、嬉しそうな、そして少し照れているかのように、こちらを見てくることも含めて。
必死に冷静さと理性をかき集めて。降谷は言った。
「要するに、匂わせたいんだろう。なら、これで十分だし最適だ」
降谷に言われスマホを手にしている志保に、ソファーに座るよう勧める。ちょこん、と座る志保の横に自分も座った。うん、近い。
「貸して」
志保のスマホを受け取り、腕を伸ばして角度を調節しながらもっと、近づく。ネル生地のパジャマが触れ合う。並んで見るとチェックの柄がまるで同じで、ペアというのが良く分かった。
「少しだけ。手を重ねよう」
ソファーに手を下ろすように伝え、パジャマの袖から出ている白くて細い指にかすかに触れるように、自身の大きく節ばった指を添える。褐色の手のひらが目立たないように、影を調節して。それでも男のものと分かるよう、形はしっかりと……
まさに作業的にそれを行っていた降谷だったが。ふと、スマホの方に視線を戻した時、画面に映る志保の表情に。息を飲んだ。
頬を染めて。伏し目がちの瞳に落ちる睫毛が震え。纏う嬉しさと緊張も伝わるようで。
降谷の胸も一気に高まったが、集中力を発揮し、画面に寄り添う手とパジャマだけが重なるようにして捉え、シャッターを切るとその場で確認し、志保に戻した。
触れていた指は離れ、志保の手は両手でスマホを持って、その映像を確かめている。小さく息をつく志保に、そっと言った。
「それを見せれば、大丈夫だから」
「うん……、ありがと」
二人の距離はまだ離れてはいなかった。降谷はゆっくりと顔を上げた。まだしばらくこうしていたいような。志保とこうして優しい時間を共有したいような。そんなことに気づかせてくれた彼女に、愛しさが込み上げる。
彼女はいくらでも。逃げることができたのに。自分からわざわざ近づいて、懐に入り込んできて。
…本当に。困った娘だ。
「このパジャマ。ありがたくいただいておくよ」
パッ、と志保が明るい表情を向けてきた。そして今さらながらその近さとお揃いのパジャマに照れている。嬉しさを隠しきれていない様子に、降谷も自分の頬が緩むのが分かった。もう、形無しだ。
ここが阿笠邸で良かったと思う。パジャマが放つガードの緩さには、気をつけないと。
とても、愛しくて。嬉しくて。こうしてまたパジャマを着て隣り合う、そんないつかくるかもしれない未来に。思いを馳せずには、いられなかった。