未定「転身が…保てない…!!」
大きな体躯が崩れて苦悶の声が上がる。霧散するエーテルから本来の姿が現れ、天脈層の舞台に膝をついた。駄目だ、ここで自分が倒れたならば一体なんのためにここまでした。あれ程重んじた命を奪っておいて、何のために。それなのに痛む身体は動かない。燃えるような悔しさが腹の奥から胸を焼く。自分が見た彼女の強さは、こんなものじゃなかった。そう、彼女は強い。だから自分は……負けてしまったのだと。
彼女にとって自身の一番着慣れた装備で、格好で、本来の姿で対峙する。ローブで覆い隠していた全てを彼に見せ、手にした弓を握りしめて、彼女は悔しさに震えていた。
口を開いて前に進もうとしたエメトセルクを制して視線を送る。そうして手にした武器を納刀して両の手をきつく握り締めた。
「待って、……先に話をさせて」
一体何を、と訝しげな顔をするエメトセルクよりも前に歩み、そしてそのまま彼女はヘルメスめがけて走り出した。勢いのままに、膝をついているヘルメスの胸倉を掴んで歪めた顔を突き合わせる。そうして彼女はヘルメスの額めがけて自身の頭蓋を勢いよく振り下ろしたのだった。
「がッ……!?!」
骨と骨がぶつかる鈍い音が、離れて佇むエメトセルク達にも届き、皆息を呑んで固まった。そのまま仰向けに倒れ込んだヘルメスの上に馬乗りになり、コレーは顔を顰めて彼のローブを握りしめている。あまりの痛みに一瞬意識が遠のきかけたヘルメスだったが、今にも泣き出しそうな、それでいて怒りに満ちた顔で自分を見つめる彼女と目が合うと、逸らせずに呆然とその顔を見つめていた。一緒にいた中では始終笑っていた彼女が、歯を食い縛り明確に自分に対して怒っているのだと理解が追い付いて、その顔をただ見つめることしかできない。
焼き尽くすような、激情を見ていた。
「なんで」
搾り出すように出た声は酷く寂しそうで。
「なんで一人で行ったの」
予想だにしていない言葉にヘルメスの息が止まる。自分の行動を咎めるのだと思った。本来ならばすぐにでもこれから起こる可能性のある終末へ対処するためにメーティオンを連れてアーモロートへ行かねばならない中、自分は全てを振り払い、創造生物達を死に追いやってここまで逃げたのだ。馬鹿な事をして、と咎めるのだと思った。けれども、
「私がいればもっと、時間を稼げたかもしれなかったのに」
彼女はヘルメスが一人でここまで来た事に怒っていた。
「お前、何を!」
「待って、エメトセルク」
その言葉にエメトセルクは声を荒げるがヒュトロダエウスが静止した。最後まで彼らの言葉を聞こうと。
「約束、したのに……あの夜のお礼に、私にも聞かせてくれるって」
ヘルメスのローブを掴む手が悔しさに白む。
「私にだって最後まで聞かせて欲しかった」
あの日、メーティオンに手を引かれ、暗く染められたエルピスの花を見せられた。そう、あの日の礼として彼女にメーティオンが持ち帰った報告を聞かせるのだと約束をした。だから彼女は一人で背を向けてメーティオンと共に飛び立った事に殊更腹を立てていたのだ。確かに時間は限られていた。この星に降りかかる終末を退けなければいけない。けれどもヘルメスを、メーティオンを蔑ろにするつもりなどこれっぽっちもなかった。ただ自分を信頼して、もう少し待って欲しいのだと言って欲しかった。おいて行かれたことが酷く、酷く寂しい。
ヘルメスが返す言葉を見つけられないままコレーを見つめていると彼女は掴んだ胸倉を引き寄せられて顔が近づけた。
「過去視、できるよね?」
突然何をと思った。確かにその場、ヒトを介してエーテルの残滓を辿り、過去の記憶を垣間見る事は超える力の有無は関係無く、古代の人々であれば誰でも可能だった。けれども、何故今ここでと彼は狼狽える。
「メーティオンの声を聞いて。共有意識や星々からじゃない、ずっと一緒にいた、メーティオン自身の声を」
強固なエーテルの肉体を持つ彼等だからこそ、その声は届かなかった。彼女にしか届かなかったメーティオンの願いを聞いてほしかった。それを届けなければいけないと思った。
コレーが目を閉じると、ヘルメスも戸惑いながら続いて目を閉じた。彼女のエーテルの流れを辿り、彼女の見て、聞いた景色が、音が、自身に流れ込んでくる。
胸が、射抜かれるように痛い。それは自分の痛みではないけれど、ヘルメスは苦しみを追体験する。全身が、頭が割れるように痛い。その苦しみの中でメーティオンの声が聞こえる。
「痛い…痛い…!!」
「熱い…熱い…わかんないの…」
「違う、こんなの」
「私の間違いだよ」
「お願い、みんなを護って」
数度瞬きをする。意識は再び、ヒュペルボレア造物院の天脈層に戻っていた。心臓が音を立てる。そして自分の言葉を待ち、佇んでいるメーティオンにヘルメスは目を向けた。
「メーティオン」
ヘルメスが呼んでも彼女は微笑む事もなく、何処か遠くを見つめていた。そうしてヘルメスの胸元を掴んでいたコレーの手が離れる。
「私にも、聞かせて。最後まで」
離した手を彼女はヘルメスに差し出した。身体のどこもかしこも痛んで上肢を起こすのさえ軋んだ。差し出された手を掴んでもいいのか分からず視線を彷徨わせてるとコレーはぐいとヘルメスの腕を掴み、立ち上がるように促した。
自分よりも小さな体躯で、それなのに彼女はずっと強い存在だった。焦がれるほどの強さで照らしてくる。先程までは互いに対立し、武器を向け合った。けれども今この時、二人は同じ場所に立っていた。
「……聞かせてくれないか。命の意味は、生きる歓びははあったのだろうか」
遠くを見つめていたメーティオンの瞳が揺れる。そうして、漸くヘルメスと目が合ったのだ。
メーティオンはその口から渡り歩いた星を語る。幾つもの滅びを迎えた星々。その中で受け取った痛み、苦しみ、憎しみ、絶望。ヴェーネスとヒュトロダエウスは目を伏せて、エメトセルクは眉根を寄せてメーティオンを見つめていた。
「誰もが声で、心で、歴史で訴えていました。一生懸命に生きたのだと」
あの美しい青は、深黒の炎に焼かれて喪われてしまった。絶望の色に染まりきった鳥は、ヘルメスの愛した色ではなくなっていた。
そして先ゆく星々の出した答えを内包して、全てに終わりを齎すことを告げたのだった。
終わりこそが唯一の救いなのだと。
自分が求めていた外への答え。きっと宙の果てには、自分が思いもよらない価値観の生き物たちがいるのかもしれないと、そう考えていた。けれどそれはどこか希望を孕んだ答えを求めていたのだと思う。しかしながら届いた答えは、終わってしまった星々からのものばかりで。この宙には、アーテリス以外の星々には、生きる希望を持つ生命など存在しなかったというのか。自分の求めていた、答えは。
けれどコレーは首を横に振る。
「それは、星々の、あなた達の答えであって……メーティオンの願いではない」
「私はメーティオンの願いを受け取ったから、その答えを受け入れることはできない。だからあなたをここで止める」
彼女は星々からの答えを聞いても、受け入れることはなかった。そしてその受け入れないという選択を即座に答える彼女にヘルメスは言葉を失っていた。自分がこんなにも戸惑い、得た答えを咀嚼するので精一杯なのに、彼女には確固たる想いが、願いがあるから、自身で答えを出してしまうのだと思い知る。どうして君は、そんなに。痛みを知りながら、悲しみを知りながら、どうして。
「みんなを護ってと言われた。その中に、ヘルメスもメーティオンも入っている。だからあなたを行かせない」
終わりを齎すのだと告げるメーティオンさえも守りたいのだと願っていた。託された想いを抱えて守り抜きたいのだと。
きっと、誰もがこれから起こりうる終末を止めたいと願っている。それは起こるべきではないものなのだと。それが正しい。そうだ、終末が起これば沢山の人々が傷付き、苦しみ、死ぬのだろう。それはあってはならない事なのだと誰もが思って、そして、それを防ぐことができたとして、それで?
それでこの世界はどうなる。
また変わらず、同じように、星のためにと口にして命を創り奪っていくのか?
この世界は変わらないまま、命を踏み躙って。
「ヘルメス」
小さな手がそっとヘルメスの指先に触れた。
「世界じゃない」
は、と彼女の顔を見ると強い焔のような瞳がヘルメスを見つめていた。ヘルメスはその眼を知っていた。彼女と同じ魂を有する人も同じ瞳をしていた。
「メーティオンがあのまま絶望に囚われて、痛みに苦しみ続けて、ヘルメスは……それでいいの?」
彼女はここまで来て尚、世界のためではない、目の前の使い魔を想っていた。ここで選択を間違ったならばこの世界には終わりがもたらされるというのに、彼女は自分のちっぽけな愛情を選ぶべきなのだと。星を、世界を良くするために生きるのだと生まれた時から当たり前の価値観として在ったそれを、彼女はあっさりと崩していく。煮えたぎるような世界への怒りよりも、人ではない、この世界からは取るに足らないとされる使い魔を選ばないのかと彼女は自分に問うているのだ。
「自分は、」
初めてメーティオンを作り出した日、初めてあの青い姿が目の前に現れた日、どれほど嬉しかっただろう。美しく飛び回る彼女を見て、どれほど胸が高鳴ったか。ずっとずっと二人で歩んできた。その答えが無かったことにされる訳にはいかなかった。けれどもあの子は願ったのだ。答えを得て、コレーに伝えた。そしてそれは自分にも届けられた。
「……嫌だ。ずっとメーティオンと共にここまで来たがそれは、メーティオンを苦しめるためじゃない」
「メーティオンは、自分の背を押してここまで一緒に来てくれた。メーティオンが、望んだのなら……」
どんなに彼女が苦しくとも答えを探すために二人で進むと決めた。けれどそれはメーティオンと二人で手にしなければ意味がなくて。
再び目の前に佇むメーティオンを見つめる。自分が至らないせいで幾度も辛い思いをさせてしまった大切な使い魔。先ゆく星々に意識を呑まれ、そこにはいつもの彼女の面影はない。最後に過去視で見たあの子は、泣いていた。そしてその声が誰かに届いて欲しいと願っていた。
「あの子を……助けたい」
星のためじゃない、大切な使い魔を助けたい。
そんな事を口走ってしまった。それなのに彼女はまるでその言葉が聞きたかったとでも言うように小さく笑うのだ。
「私も同じ」
何故かはわからない。この薄くてちっぽけな命は、確かに自分を助けてくれると、思わせてくる。
絶望の底に沈められても確かにこの手を掴んで掬い上げてしまうような、そんな、奇妙な信頼が、光が。
「漸く話が纏まったか」
後ろで黙って話を聞いていたエメトセルクが二人に声をかけた。やれやれと首を振り溜め息を吐く。その横ではヒュトロダエウスが微笑んでいた。
「……彼女、ずっとここへ来る途中もあなたとメーティオンを案じて名前を呼び続けていたんですよ」
「ヴェーネス!」
エメトセルクと同じく、黙って見守っていたヴェーネスがコレーの様子をヘルメスへと告げてしまう。恥ずかしそうに、咎めるようにコレーはヴェーネスの名を呼ぶがヴェーネスは気にする様子もなく小さく笑った。少しむくれた顔をしたけれど、再びヘルメスとメーティオンに向き合う。彼女がこのまま宙へと飛び立つ前に。
「ヘルメス」
コレーが名を呼んでヘルメスに視線を送る。彼は、同じ場所に立っていた。目が合い、頷いてくれる。
「……すまない、メーティオン」
メーティオンは宙へと飛び立とうと背を向けるがその体が翔ぶことはなかった。
杖を取り出したヘルメスが呟き杖先をメーティオンに向けると、メーティオンの意識はブツリと途切れ、倒れ込む体をコレーが急いで駆け寄り抱き止める。あんなに美しかった色が失われてしまったメーティオンに顔を歪めて、コレーは小さなメーティオンをそっと、抱きしめた。
「必ず、助けるから」
もう、この手から溢れ落としてたまるものか。