思い出すことは「青い鳥は、大空へとはばたいてゆきました。しあわせは、本当はとても身近なところにあったのです……おしまい」
アミュレットが読み終えると、彼女の両脇で絵本をのぞき込んでいた二人――エステアとフェクタは同時に顔を上げた。
「すてきなお話だったね、フェクタ」
「ああ。それに、うさぎも出てきた」
「あれ? うさぎさんなんていたっけ……」
「確か、『森の国』の場面で――」
読んできた方向とは逆にページを捲りながら話しだした二人の声を、アミュレットはどこか遠くのことのように聞いていた。
︱︱魔女は言いました。これから、あんたたちには青い鳥を探しに行ってもらわねばならんね。あんたたちが、青い鳥を探しに行けば……
彼女の脳裏で、さっき自分で読み上げたばかりの物語の一場面が再生される。
主人公の兄妹が最初に訪れる国。彼らは、そこで死んだ祖父母と出会う。
老人は言う。おまえたちと会うのは、秋のお祭り以来だね。
兄が反論する。ぼく、秋のお祭りには行かなかったよ。風邪をひいて寝ていたんだもの。
老人が応える。でも、わたしたちのことを思い出しただろう。思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、わたしたちは目が覚めて、おまえたちに会うことができる。
ずっと昔、子どものころに大好きで繰り返し読んだ絵本だったけれど、そんな場面があったことはすっかり記憶から抜け落ちていた。無理もない。そのころは、死者なんてずっと遠い存在だったのだから。
「青い鳥って、きっとすっごくきれいなんだろうなあ……わたしも、見てみたいな」
「青い鳥を探すときは、フェクタも同行する。鳥の捕まえ方をフラニーから聞いておいた方がいいだろうか」
フェクタの大真面目な様子に、エステアは慌てて言葉をつなげる。
「あ、でもね、青い鳥を見つけても、捕まえようなんて思ってないよ。だって、誰かにしあわせにしてもらわなくたって、わたしはフェクタがいてくれれば十分しあわせだもん」
「……そうか」
フェクタは短く答え、さっと下を向いてしまった。よく見てみると、その頬はほんの少しだけ紅く染まっている。彼女がそんな反応をしてみせたことが、アミュレットには少し意外で――ずいぶんいろんな感情を見せてくれるようになったな、と思う。
「……青い鳥は、きっとエステアに似ていると思う」
俯いたまま、フェクタはぼそりと呟いた。
「えっ、そうかなあ……確かに、髪の色とかは似てるかもしてないけど」
「そのマントも、エステアが走ると広がって、羽みたいになる」
そう言って、フェクタはエステアの背中に掛かっている薄くひらひらした布をつまんだ。
「それだけじゃない。きっと、フェクタにとってはエステアが――」
フェクタはしかし、そこではっとなにかに気がついたように口を噤んでしまった。エステアをじっと見つめる瞳がわずかに揺れている。
フェクタちゃん、どうしたの、と言いかけて、そこでアミュレットの口もはたと止まった。開いたままになっている絵本のページが目に留まる。
(物語の最後、青い鳥は……)
おそらく、フェクタもそれに思い当たったのだろう。
アミュレットがそのことに気付くのと、エステアの声がしたのが同時だった。
「でも、わたしはどこにも行かないよ。ずっとフェクタと一緒にいる」
マントをぎゅっと握りしめているフェクタの手に、エステアは自分の手をそっと重ねた。
「……本当に?」
「うん、本当。一緒だよ、ずっと」
こうして見ていると、二人は本当に、生まれてから片時も離れず成長してきた姉妹なのではないかと、アミュレットには思えてならなかった。エステアがフェクタにかける声とまなざしは、泣き止まない幼い妹をなだめ、言い聞かせる姉そのものだったから。
出会ったころは、あんなに不安そうな、いつも何かに怯えている目をしていたのに。フェクタと同じように、エステアも変わったのだ。
「ねっ、アミュレットさんも一緒ですよね」
不意に、エステアはアミュレットに顔を向けた。つられてフェクタも彼女を見上げる。アミュレットに向けられた四つの目はまるで、うんと寒い冬の日の、朝の空のように澄んでいて。
「うん、そうだね」
自分でも、なぜそうしたのかうまく言葉では説明できない。気づいたときには、アミュレットは両腕を広げ、二人をまとめて抱きしめていた。
「わっ、アミュレットさん……なら、わたしもっ」
すぐに自分も腕を回して抱き返してきたエステアに対し、フェクタはぎこちなく身を硬くしている。
「う、アミュレット、エステア、苦しい……」
「あ、ごめんね、つい……」
腕に込めた力を緩める。その拍子に、アミュレットの目からひとつ水滴が零れた。
「あ、アミュレットさん!? だいじょうぶ、ですか……?」
「どこか、痛むのか?」
エステアとフェクタはおろおろとアミュレットの顔をのぞき込む。当然だ。大の大人がいきなり目の前で泣き出したら、驚くに決まっている。けれど目から零れた滴は、ひとつ許したとたんにあとからあとから溢れてくる。
「ううん、違うの、なんでもないの」
――思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、わたしたちは目が覚めて、おまえたちに会うことができる。
頭の中で、台詞がこだまする。それに重なって、もうひとつの声が聞こえてくる。
――本当に? 思い出せば、私も会えるの?
それは、子どものころの自分の声にそっくりだった。
涙を拭い、顔を上げる。とびきり明るい声と表情を作って二人に笑いかける。
「ね、今夜は私の部屋でお泊まりしない? 今の部屋、二人部屋らしくって、一人で使うにはちょっと広いの。ベッドも大きいから、三人で入っても大丈夫だと思うんだ」
「ほんとですか……!? わたしは行きたいな。フェクタはどう?」
「フェクタも、行きたい」
「決まりだね。今夜はたくさんお話して、夜更かしもしちゃおっか」
とっておきのいたずらを思いついた子どものように、二人に目配せをしてみせる。二組の瞳は、同時にぱっと輝きを増した。
「それなら、ラビィから依頼されていた買い物を早く済ませてこなければ」
「そうだね……あ! それならお菓子も買っていこうよ。夜にアミュレットさんの部屋で食べるの」
「了解した。辛い菓子を探さなければ」
それじゃあ、またあとで、と外へ飛び出していく二人の背中を見送ったのち、アミュレットも立ち上がる。そうと決まれば、私ものんびりしている場合ではない。部屋を掃除して、出しっぱなしになっている仕事の書類を片付けて、ベッドもきちんと整えて、二人を迎える準備をしなければ。
二人と同じくらいわくわくしている自分に気がついて、アミュレットは苦笑した。年甲斐もない話だ。久しぶりにあの絵本を読んだからかもしれない。
「でも……うん、たまにはいいよね」
誰もいないのに、照れ隠しにそんなことを呟いてしまう。
想像してみる。三人で、ベッドに入ってからもいろんな話をして、最後には喋り疲れて眠ってしまうのを。眠りながら、ここにはいない大切な人たちを思い出す自分を。
夢で会えたら、きっとあの子たちを紹介して、言うのだ。
私、今すごくしあわせだよ、だから安心して待ってて、と。