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    TokageIppai

    @TokageIppai

    怪文書置き場です

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    TokageIppai

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    完成に何ヶ月かけてんのって感じですが前書いたお酒ネタを最後まで書いたやつです 推敲は未来の私がやるでしょう(なのでそのうちしれっと本文とかタイトルとか変えるかも)
    見ように寄っては際どいかもしれない

    おさけはおとなになってから それはいつもと変わらない夜、のはずだった。

    「ふぅ、面白かった……まさか連続パンの実消失事件の犯人が教頭先生で、禁忌の魔法を使って学園を丸ごとパンプディングの森に変えちゃう計画だったなんて」
     両手に持った本から顔を上げ、周りに誰もいないのをいいことに、エステアはひとりごちた。
     彼女が読んでいたのは、王都の子どもたちを中心に大流行している学園小説だった。魔力は低いが天才的な頭脳を持つ主人公が魔法学校に入学し、学園内で起こる難事件を次々に解決していくシリーズで、新刊が出る度に売り切れと重版を繰り返している。
     その人気ぶりは彼女の仲間たちの間でも例外ではなかった。もっとも旅の身では嵩張る本をそう多くは持てないから、新刊が出版されると何人かで共同してお金を出し合い、誰か一人が代表して買ってきて、それを皆で回し読むようにしている。今読んでいる第六巻は数週間前の発売日にイータが張り切って買ってきたもので、やっとエステアの順番が回ってきたのだ。物語自体に惹き込まれるのはもちろんだが、もう読んだ仲間と感想を話し合ったり、あるいはこれから読む誰かの反応を見守ったりするのが楽しみだった。
     ラウンジに置かれた時計がかちりと音を立てる。見ると、針はちょうど夜の十時を指していた。ずいぶん夢中になって読んでしまっていたらしい。
     ――そろそろ、わたしも寝なくちゃ。
     そう思って立ち上がったときだった。

    「あ~っ、エステアちゃんだ~」
     無造作にドアが開く音。それと同時に、やたらと明るく、間延びした声が飛び込んできた。
    「はい、わたしですけど……」
     思い返せば、この時点で既に違和感はあった。耳慣れているような気もするが、じゃあ誰なのかと聞かれると答えに困ってしまう、そんな声。それでも律儀に返事をしてしまったのは、「エステアちゃん」なんて呼ばれて気が緩んでしまったからかもしれない。
    「って……アミュレット、さん?」
    「うん。エステアちゃん、たっだいまー!」
     アミュレットと呼ばれたその人物は、スキップをするように部屋へと入ってくる。
     アミュレットのことなら、エステアはそれなりに知っている。付き合いが長いというだけでなく、お互いの転機や岐路に立ち会ってきた分、色々な面を見ているはずだ。だから――その様子には、少し面食らってしまった。
     まず、普段の彼女ならこんな浮ついた喋り方はしない。ドアを乱暴に開けたりもしない。そう、普段なら「ただいま」とにっこり微笑んでくれるはずで、もしかするとこんな時間まで起きていることを心配されるかもしれない。スキップなんてもってのほかだ。
     エステアの戸惑いを知ってか知らずか、アミュレットは軽い足取りでこちらに向かってくる。そして目の前まで来たかと思うと、
    「ちゅっ」
     エステアの右頬に唇を乗せた。
    「ふぇっ……!? え、あっ……?」
     すぐ後ろにあった椅子が倒れる音が響く。
     なにが起きたか分からない。頬に軽く押し当てられたそれが、あたたかくて少し湿っていて、やわらかかった、ということくらいしか。
    (今の、って)
     目を白黒させ、口をぱくぱく開けるものの声を発することはできないでいるエステアを、アミュレットは不思議そうに見ている。ゆるく開かれた唇は妙につやつやとしていて、目が離せない。
     と、
    「こら、何してんの。エステアが困ってるよ」
     ラウンジにもう一人、入ってきた人影があった。
    「ハンナさん」
    「なにって、ただいまのあいさつだけど」
     あんたいつも帰ってきたときキスなんてしてないでしょ、と声の主――ハンナは、呆れた顔をして見せた。
    「ごめんね、アミュったら今日は珍しく酔っちゃってさ」
    「ハンナひどぉい、私はいつも通りよ」
     ねー? と同意を求められたものの、エステアとしては正直言って頷けない。全面的にハンナの言うとおりだとは思うが、だからといって彼女のように冷静にあしらうこともできない。
     答えに窮していると、ハンナが「ほら、変な絡み方しないの」と助け船を出してくれた。何よぅ変な絡み方って、と口を尖らせるアミュレットは、何だか子どものようにも見える。大人のひとに対してそういう風に思うのは失礼なことなのかな、とも考えてしまうのだが。

     人心地ついたところで、ふとハンナの姿に違和感があることに気がついた。
    「そういえばハンナさん、いつもつけてるゴーグルは……」
     ハンナはきょとんとして、自分の額――普段なら、彼女のトレードマークであり鍛冶職人としての商売道具をつけている場所――に手を当てた。見る間に、その顔が蒼白になっていく。
    「やばっ、さっきの店に忘れてきた!」
     聞けば、明日の昼までに仕上げなければいけない修理の依頼があるのだという。二人が行ったのは夕方から営業する店だから、明日仕事に取りかかる前に行っても無人の可能性がある。となると、今急いで取りに戻った方が確実なのだとも。
    「エステア、悪いんだけどアミュの相手しててもらえる? しばらく話してれば満足するでしょ」
     一緒に飲んでいた責任感からかそう言い残して出ていくハンナを、エステアはわかりました、と見送ろうとして、
    「あの!」
     聞いておかなければならないことがあるのに気がついた。
    「こんなに酔ってるアミュレットさんって、はじめて見たんですけど……その、なにかあったんですか?」
     アミュレットに聞かれないよう、小声で尋ねる。ハンナは一瞬怪訝な顔をしたものの、すぐにエステアの言わんとしていることに合点がいったらしく、
    「いーや、そういうんじゃないよ。ただ、ここのところ忙しくて遊ぶのも久しぶりだったからさ、お互いちょっとはしゃいじゃったんだ」
     そう言うと、エステアの頭にぽんと手を置いた。「あーっ、ずるいわハンナ、私もやる!」とすぐさま背後から声があがる。その声に苦笑いしながら、「それじゃ、アミュをよろしく」と言い残して慌ただしくハンナは出ていってしまった。

     わしゃわしゃ、さらさら、するん。
     優しく触れられた髪の擦れる音が、耳をくすぐっている。
    「えへへへ」
    「どうしました?」
     アミュレットの指先は、ゆっくりと味わうように髪の間をするすると通っていく。頭皮に触れるか触れないかのその感触がなんとも落ち着かない。
    「エステアちゃんのかみのけ、ふわふわだねえ……」
    「それは……ありがとう、ございます……?」 
     ハンナが出てから二十分ほど、アミュレットはずっとこの調子だ。
    「あったかくて、やわらかくて……」
    「はぁ……」
    「それに……ほんとうにきれいな青色」
    「えっ、と……どうも……」
    「いいにおいもする……お日さまのにおいね」
    「!? そ、それは嗅がないでください!」
     顔を近づけて、すん、と鼻を鳴らされたものだから、反射的に仰け反って抗議する。そうされてもアミュレットの方は特に意にも介していない様子で、だってほんとうだもの、とにこにこしているが、エステアとしては気が気ではない。アミュレットが帰ってきてから、冷や汗ばかりかいている気がするのだ。
    「うぅ……あの、アミュレットさん」
    「なあに?」
     加えて、この声である。いつもの彼女より甘やかで、少しだけ舌足らずな、とろんとした声。見てはいけないものを見ているような、無性に後ろめたい気持ちになるのだが、そのくせこの声が自分だけに向けられているということに、どこか嬉しくなっているということも否定できなかった。
    「やっぱり今日はもう休んだ方が……」
    「えー、もう少しさわってたいの……」
    「えと……ほら、わたしの髪をさわるのは明日でも明後日でもできますし!」 
    「だめ……?」
     懇願するように、アミュレットはエステアのことをじっと見つめてきた。彼女のただでさえ大きい瞳は、潤んで余計にきらきらして見えるし、頬は見事なバラ色に染まっている。形のいい眉はしゅんと下がっていかにも物欲しげだ。
     この顔を向けられて断れる人なんているのだろうか、とエステアは思う。
    「う……も、もうちょっとなら……いいですけど……」
    「そーお? ふふ、嬉しい」
     返事を聞いた途端アミュレットは、ふにゃ、と崩れるように笑った。
     その表情に、心臓が一瞬止まる。釘付けにされたように、動けなくなる。
     エステアは常日頃から、アミュレットのことを笑顔の素敵なひとだと思っている。一輪の花が咲き誇るようなその明るい笑顔を見ると、どんなに落ち込んでいても不思議と気持ちが晴れてくる。そんな、心の芯から温めてくれるような笑顔で、アミュレットは幾度となく仲間や周囲の人間たちを救ってきた。そして言うまでもなくエステアも、その笑顔が大好きだ。
    (でも、今のは……そういうのとは、ちょっとちがう……なに、これ……)
     今目の前にいるアミュレットは、エステアのよく知っている彼女からは想像もつかないほどに、無邪気で無防備だった。いつもと違っているのに、なのか、いつもと違っているから、なのかは分からなかったが、とにかく胸の奥がきゅっとして、満ち足りているのに、なぜだかほんの少し寂しいような気持ちになる。
     当のアミュレットはといえば、相変わらず満足げにエステアの髪を撫でている。人の気も知らないで、と思わなくもないけれど、ふんわりと柔らかな手のひらに包まれる感触は、そんなに悪いものではないような気がしてくる。
    (ううん、むしろ……あったかくて、きもちいい)
     首から少し力を抜く。アミュレットの手のひらに頭を預けてみれば、あっという間にまぶたが重たくなってきた。いつもならもうベッドに入っている時間なのを身体が思い出したかのように、睡魔が押し寄せてくる。
    (だめ……ハンナさんからアミュレットさんのこと、たのまれたのに……)
     足掻いてはみるものの、とろとろと身体を満たしていく心地よさはあまりにも抗いがたい。
     そうして意識が微睡みに落ちる直前、不意にアミュレットが口を開いた。
    「そう言えば最近、マーガレット様たちと仲が良いみたいね」
    「……? はい、よくしてもらってますけど……」
     ぼんやりとした頭で、エステアは答える。
    「この前もどこかに出かけてたみたいだし」
    「この前、って言うと……サッカラのシャーベットを食べに行ったとき、でしょうか」
     「仲が良い」と言っていいのかというとよく分からない。が、確かにマーガレットやルイス、ジェラルドのきょうだいが、自分とフェクタのことを何かと気に掛けてくれているのは感じている。
    (三人とももっと食べないのって何回も聞くから、つい頼み過ぎちゃって……あとでお腹が痛くなって大変だったっけ)
     フェクタと揃ってお腹が痛いと言い出したときの、マーガレットたちのおろおろした様子を思い出して苦笑する。
     事情が事情だから気を遣われているのかもと思うが、一緒にシャーベットを頬張った時の楽しそうな表情に、嘘はなかった、と思う。
    「ふうん」
     聞きながらアミュレットは、くるくるとエステアの髪束を指先に巻き付けては離し、また巻き付けてを繰り返している。毛先が頬に当たる感触がむず痒い。
    「あの、それがどうかしましたか……?」
    「別に? マーガレット様たちも、エステアちゃんのことがかわいいんだなあって」
    「かわ……!?」
     部屋に響いた声に自分で驚いてしまい、咄嗟に口を塞ぐ。
    「どうして、そうなるんですか! 大体あの時はフェクタも一緒でしたし……」
    「ううん……かわいいってだけじゃない。やさしくて、びっくりするくらい強くて、一生懸命で。みんな、エステアちゃんのことが好きなんだわ」
     ゆったりとした口調で、エステアの抗弁などまるで聞こえていないかのようにアミュレットは続けた。
     普段から、アミュレットにはこういうところがある。エステア自身が思ってもみないような褒め言葉を、面と向かってさらりと口にするのだ。酔っていてもそれは変わらないと見える――いや、あるいは酔っているからこそ、拍車がかかっているのかもしれない。
     もちろん、褒められて悪い気はしない。が、この気恥ずかしさにはいまだに慣れないし、どうしても気後れしてしまって、素直にその言葉を受け止めきれないところがある。
    「す、好きだなんて……そんな……」
    「エステアちゃんのこと、みんな好きよ。みんな、ね」
     囁くように言って微笑んだアミュレットの目は、いつもと変わらず優しい。とてつもなく恥ずかしいのに、あまり真っ直ぐに見つめてくるものだから、こちらも目を逸らせない。
     不意にアミュレットの指が、ちょん、と耳の後ろに当たった。
    「んっ」
     漏れ出た声とともに、背中が粟立つ。不快というわけではなかったが、身体がリラックスしていた分反応が大げさになってしまった。
    「どうしたの?」
    「いっ、いえ……なんでも……」
     何とか平静を装ったものの、いよいよいたたまれなくなって俯く。またアミュレットの指が同じ場所に触れようものなら、今度こそ取り繕えなくなりそうだ。
    (これ以上、アミュレットさんと向かい合ってたら……心臓がいくつあっても足りない……)
     あんなに手強かった眠気は、いつのまにかすっかりどこかへ行ってしまっていた。
    「あの……やっぱり、もう寝ましょう? わたし、お部屋まで一緒に行きますから……」
     思い切ってそう切り出し、返事が返ってくる前に立ち上がる。咄嗟にアミュレットの手を振り払うような形になってしまったことに胸が少し痛むが、だからといってこれ以上穏便な方法を考えている余裕はない。
     だが。酔っ払いというものがいかに一筋縄にいかない生き物であるか、エステアは知らなかった。
    「だーめ」
     突然、視界がぐるりと反転する。アミュレットの顔が見えなくなった代わりに、背中に何かあたたかいものを感じた。
    「ひゃっ!?」
    「こっち」
     そのまま後ろに引き寄せられて数歩。そして再び視界が反転したかと思うと、どさり、という音と共に、エステアの身体はやわらかい何かに受けとめられていた。
    「う……?」
     さっきまでよりも数段低くなった目線と、クッションのふかふかとした感触。どうやら自分は、部屋の壁際にあるソファーに倒れ込んでしまっているらしい。
     身体を起こそうとするが、何かに阻まれて身動きがとれない。その上やけに背中が熱い。身をよじると、腕にかかった銀髪がさらさらと流れるのが目に入った。
    「えっ?」
     そこでようやく、エステアは状況を理解した。すなわち――すぐ背後にアミュレットがいて、ちょうど自分を抱きかかえるような格好でソファーに横たわっているということに。
    「ふふ、これでエステアちゃんのこと、ひとりじめできるね?」
     いつも彼女が漂わせている花の香りに、おそらく酒場のものであろう煙と、アルコールの匂いが混じっている。甘いとも苦いともつかない濃い香りに包まれて、頭がくらくらする。
    「ちょっと、だめですよ!」
    「どうして?」
    「だ、だって……重いですし、わたし、すごく汗かいてて……」
    「だいじょうぶ、重くも臭くもないわ」
     ぎゅうっ、とエステアを捕まえる腕の力が強くなる。やわらかなアミュレットの身体から、直に熱が伝わってくるのを感じた。
    「えへへっ、あったかい……」
     いつも通りの落ち着いた声で囁いたかと思えば、次の瞬間には子どものように屈託なく笑う。次にアミュレットがどんな行動に出るのか予想がつかなくて、どう接すればいいのか、どんな言葉をかければいいのかいいのかわからない。頬だけがただいたずらに熱くなっていく。
    「あっ、あの……アミュレット、さ……」
    「んー?」
    「ひわあ!」
     すりすりと頬を当てられて、首に熱い息を感じる。思わずあげてしまった声はあまりに間が抜けていて、ますます顔が熱くなる。
    (しらない……こんなアミュレットさん、しらない……)
     一緒に旅をするようになって数年。アミュレットのことは、それなりに知っていると自負していた。もちろん、帝国にいた頃から付き合いのあるハンナやユーリたちにはかなわないけれど、例えばここにいる子どもたちの中だったら、アミュレットと過ごした時間がいちばん長いのは自分のはずだ。だから、痛いほど強く抱きしめられたこともあるし、百合の花の香りならひと嗅ぎで当てられる自信もあるし、一緒に手をつないで歩いたことだって、たくさんある。
     けれど――腕にしっとりと密着する白い素肌。囁く息に混じる葡萄の香り。エステアの腹に覆いかぶさる手のひらの熱さ。それらがやけに強く、鮮やかに感じるのは、背後からじかに伝わってくるから、なのだろうか?
     エステアの髪に顔を埋めたまま、アミュレットは喋り出した。
    「子どものころにね……村に、おっきいわんちゃんがいたの……」
    「え……?」
     それは、さっきまでの会話とは何の関係もない、あまりにも唐突な話題で。思わず身をよじってアミュレットの方を見ようとするが、視界に入るのは天井ランプのオレンジがかった光を反射する銀髪ばかりだった。
    「名前は……なんだったかしら。顔が私の手のひらよりもずっと大きくって、身体じゅうふさふさで、真っ白なわんちゃんだった」
     たぶん、これは酔っ払った人間特有の気まぐれなのだろう。けれど「子どものころ」という言葉に、エステアはつい興味を惹かれてしまった。
    (……子どものころの、アミュレットさん)
    「最初はね、ちょっと怖かったんだ。鳴き声も大きくて
    ……わんちゃんがいる家の前を通るとき、必死でお母さんにしがみついてたんだって」
     話しながら、くつくつと可笑しそうな声が漏れてくる。
    「でも、すごく賢くて人懐こい子だったから、すぐに仲良くなれたの。いつも笑ってるみたいな顔してて、ふわふわで、あったかくって……」
     喉元にひたりと手が当てられた感触がした。かと思うと、その指はするするとエステアの輪郭をなぞっていく。顎の先までたどり着いたとき、たまらず身体がぴくんと震えた。
    「ちょ……っと、アミュレットさ……くすぐったい、です……っ」
    「私、そのわんちゃんのこと、大好きだった……ぎゅって抱きしめたらね、ぱたぱたって尻尾を振ってくれるの」
     それでも飽き足らないらしく、三本の指は下顎をしきりに撫でてくる。何度も何度も、確かめるような手つきで。慈しむようにというより、遊びが終わって帰るのを嫌がる子どものように。
    (あ……そっか。アミュレットさん、わたしのこと……)
     なんてことはない。アミュレットは今、目の前にいるエステアのことではなく、ずっと昔の――彼女にしか見えない思い出を、見ているのだ。
     お酒を飲むと大人はつい思い出話をしたくなるのだと、前にロヴィーサが嘯いているのを聞いたことがある。アミュレットにとってその犬は、かけがえのない、愛おしくて大切な思い出なのだろう。それは分かる。故郷をなくした彼女にとって、この時間がどんなに幸福かということも、分かっている。
     それでも。嫌だ、と思ってしまった。このままアミュレットが思い出に浸ったままでいることが。エステアの知らない遠い場所を見ていてなんかほしくない、と。
    (だって……今、アミュレットさんに抱きしめられているのはそのわんちゃんじゃなくて、わたし……なのに)
     だから、散々振り回されてきた意趣返しも込めて――柄にもなく、意地悪な言い方をしてしまった。
    「……わたしに、尻尾はないですよ?」
     沈黙が落ちる。エステアの顎に添えられた手が、ぴたりと止まる。
     次の瞬間、
    「ふふ……ふふふふっ、はは、あははっ」
     アミュレットは、肩を震わせて笑い出した。最初は抑え気味だったのが、すぐに我慢できなくなって、弾けるような笑い声に変わる。
    「な、なんですか……なにが、そんなにおかしいんですか」
    「だって、エステアちゃんに尻尾なんてついてたら、かわいすぎて困っちゃうじゃない?」
    「へあっ!?」
     それは、ついさっきも言われた言葉だった。言われたばかりなのに、アミュレットは自分のことなど見ていない、と思っていたから――つまりは、油断していたのだ。
    「……な、なんで……そんな……」
     自分は今日、何回おかしな悲鳴をあげればいいのだろう。みるみるうちに、また頭が熱くなっていく。
    「だってエステアちゃん、かわいいから」
    「だっ、だから……! そんなこと、ないですってば……!」
    「そんなことあるっ! 私はエステアちゃんのこと、いつもかわいいって思ってるんだから!」
    「あう……」
    「ほんとよ。やわらかくてふわふわの髪の毛も、丸くてすべすべのほっぺたも、吸い込まれそうなくらいきれいな色の目も、ちょっと遠慮しいだけどまっすぐでやさしい声も、笑ったときに照れくさそうに下がる眉毛も、いつもフェクタちゃんやまわりのみんなのために一生懸命なところも、ぜんぶ、かわいくて仕方ないの」
     ひと言ひと言を、言い聞かせるようにアミュレットは紡いでいく。いっそう強く抱きしめられて、どこにも逃げ場はない。
     これでは、また押し負けてしまう。今だってもう、顔は暖炉のそばにいるときのように火照っているというのに。
    「だいすき」
    「――っ!」
     心臓がひとつ、大きく跳ねる。そうして気がついたら、口が動いていた。
    「あの、言わせてもらいますけど! わたしだって今のアミュレットさんのこと、いつもよりふわふわしてて、その……すごく……かっ、かわいいなって、思ってますから!」
     言葉はつかえるし、声はうわずっていて、自分でも信じられないくらいの早口だった。言い終えた途端に息を吸ってしまい、思わずむせる。
     背後から、返事は帰ってこない。
     もしかして、自分は今ものすごく恥ずかしいことを言ったのではないか。また、さっきのように笑っているのだろうか。
     おそるおそる、尋ねる。
    「……アミュレット、さん?」
     ――すう、すう、すう。
     聞こえてきたのは、なんとものんびりとした、幸せそうな音で。
    「うそ、寝ちゃってる……?」
     当然、それにも返ってくる言葉はなく。
     同時に、なぜだか一気に身体の力が抜けてしまって――ソファから起き上がれないのはそのせいなのか、それともその手が相変わらずエステアを捕らえているからなのか、どちらなのかはもう、分からなかった。
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    TokageIppai

    DONE完成に何ヶ月かけてんのって感じですが前書いたお酒ネタを最後まで書いたやつです 推敲は未来の私がやるでしょう(なのでそのうちしれっと本文とかタイトルとか変えるかも)
    見ように寄っては際どいかもしれない
    おさけはおとなになってから それはいつもと変わらない夜、のはずだった。

    「ふぅ、面白かった……まさか連続パンの実消失事件の犯人が教頭先生で、禁忌の魔法を使って学園を丸ごとパンプディングの森に変えちゃう計画だったなんて」
     両手に持った本から顔を上げ、周りに誰もいないのをいいことに、エステアはひとりごちた。
     彼女が読んでいたのは、王都の子どもたちを中心に大流行している学園小説だった。魔力は低いが天才的な頭脳を持つ主人公が魔法学校に入学し、学園内で起こる難事件を次々に解決していくシリーズで、新刊が出る度に売り切れと重版を繰り返している。
     その人気ぶりは彼女の仲間たちの間でも例外ではなかった。もっとも旅の身では嵩張る本をそう多くは持てないから、新刊が出版されると何人かで共同してお金を出し合い、誰か一人が代表して買ってきて、それを皆で回し読むようにしている。今読んでいる第六巻は数週間前の発売日にイータが張り切って買ってきたもので、やっとエステアの順番が回ってきたのだ。物語自体に惹き込まれるのはもちろんだが、もう読んだ仲間と感想を話し合ったり、あるいはこれから読む誰かの反応を見守ったりするのが楽しみだった。
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    TokageIppai

    MAIKINGアルコールが入って珍しくへにょへにょになったアミュレットとエステアちゃんの話。キリのいいとこまでかけたのでためしに進捗をあげてみます。
    色々ゆるふわ。ちょっときわどいかもしれない。
    アミュエスのゆるい話(書きかけ) それはいつもと変わらない夜、のはずだった。

    「ふぅ、面白かった……まさか連続パンの実消失事件の犯人が教頭先生で、禁忌の魔法を使って学園を丸ごとパンプディングの森に変えちゃう計画だったなんて」
     両手に持った本から顔を上げ、周りに誰もいないのをいいことに、エステアはひとりごちた。
     彼女が読んでいたのは、王都の子どもたちを中心に大流行している学園小説だった。魔力は低いが天才的な頭脳を持つ主人公が魔法学校に入学し、学園内で起こる難事件を次々に解決していくシリーズで、新刊が出る度に売り切れと重版を繰り返している。
     その人気ぶりは彼女の仲間たちの間でも例外ではなかった。もっとも旅の身では嵩張る本をそう多くは持てないから、新刊が出版されると何人かで共同してお金を出し合い、誰か一人が代表して買ってきて、それを皆で回し読むようにしている。今読んでいる第六巻は数週間前の発売日にイータが張り切って買ってきたもので、やっとエステアの順番が回ってきたのだ。物語自体に惹き込まれるのはもちろんだが、もう読んだ仲間と感想を話し合ったり、あるいはこれから読む誰かの反応を見守ったりするのが楽しみだった。
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