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    yukuri

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    yukuri

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    🐑👟
    四季と共に少しずつ変化していく二人のお話です。

    #Shugur

    折々恋記 燦々と照らす太陽、暑さを助長する蝉の声。爽やかな喧騒が校舎中に響き渡る。
     今にも枯れそうな声で呼び込みをする男子生徒、普段よりスカートを短く折りばっちりメイクの女子生徒、普段はあまり絡まないような生徒たちも廊下ですれ違う度声を上げて挨拶を交わしている。
     文化祭二日目ともなれば賑わうのは当然だ。
     廊下が揺れるほどざわつく人ごみを抜けて外に出る。自分の組のシフトを終えたファルガーは、腹ごなしに軽食を手に入れようと中庭へ出た。色鮮やかな旗と屋台が立ち並んでいる。何にしようか、と数分悩み、結局元から目をつけていた、たこ焼き売り場へ歩き出した。
     朝から昼過ぎまで働き疲れていたのか、たこ焼きに気が行き過ぎていたのか、前から走ってくる生徒に気が付かず肩がぶつかった。
    「あ!」
    「すみませ…」
     謝ろうとして息を呑む。印象的な顔立ちと柔らかく透き通った声が、ファルガーの心を揺らした。
    「ううん、こちらこそごめんね!」
     颯爽と駆けていく後ろ姿が人ごみに紛れてしまうまで見つめた。
     たこ焼きも何も買わずに、そのままクラスへ戻る。こんなにも誰かの名前が知りたいと焦がれることは初めてで、自分の中に生まれた新鮮な感情に戸惑った。一瞬、見えたネクタイと上靴の色・外見の特徴を頼りに友人に話を聞いて校舎を回った。
     そして、見つけた。体育館にいた先輩は、軽音部の発表を鑑賞していた。バンドのボーカリストの華奢な体からは想像できないほど力強いシャウトで始まり、最後はオリジナルのポップな曲で盛り上がった。
     全て良い演奏だったと思う。映像の記憶のほとんどは先輩の横顔だった。
     演奏が終わり、先輩は舞台裏へと駆けて行った。バンドメンバーに友達がいるのだろうか。
     不自然であることは理解しながら、この機会を逃してはならないと、先輩が出てくるのを出口で待った。
     しばらくして、笑顔で出てきた先輩に、勇気を振り絞って声を掛ける。
    「あの、」
    「ん?」
     話しかけたはいいものの、なんと続ければいいのだろう。頭が真っ白になった。
    「え、えっと…」
    「ああ!さっきの!」
    「え?」
    「ぶつかっちゃった子だよね。さっきはごめんね」
     記憶力に舌を巻く。と同時に、覚えられていたことが嬉しくて、先程まで声を掛けて良いかと迷っていた意気地のない自分は宙へと舞い上がった。
    「いえ、それは俺の不注意でもあったので…」
    「肩怪我してない?こう見えて結構筋肉あるって言われるから」
     ははは、と無邪気に笑う先輩に、心臓の音はどんどん速くなっていく。
    「一年二組のファルガー・オーヴィドです。先輩の名前を教えていただけませんか…?」
     やはり唐突すぎるだろうか。言っている途中に自信がなくなり、語尾は囁くような音量の小声になってしまった。
     謝ってまた出直すか、ぐるぐる渦巻く脳内に、また心地よい笑い声が届いた。
    「二年三組、闇ノシュウです。変な出会いになっちゃったけど、もしよかったら仲良くしてね」
     差し出された細い指に握手で答える。冷たくてひんやりとした先輩の手。どきりと飛び出そうになる心の音に気がついて、同時に恋に落ちたと自覚する。
    「…よろしくお願いします」
     この暑さと動悸は、夏のせいだけではなさそうだ。

     校舎の外、夏の終わりが遥か遠いもののように思わせる日照りの元で、命を削って鳴く蝉の声がジリジリと鳴り響く。



     涼やかな秋の風、高校二度目の文化祭が終了し、校内が寂しくなるこの雰囲気にも慣れてきた。
     ぴゅうと音を立ててもう一度吹いた風に先輩は肩を震わせた。自分のカーディガンを羽織ってほしいと差し出す。
    「借りちゃっていいの?ありがとう」
     口角を吊り上げて上品に微笑む先輩の周りにふわりと花が咲く。この人の笑顔は本当に可愛らしい。
     一年前の文化祭、先輩と出会ってから、廊下で会う度に挨拶をする仲になり、休み時間にクラスを行き来する仲になり、たまに昼食を食べる仲になった。
     今日も屋上で二人、ファルガーとシュウは昼飯を広げていた。特に約束はしなくとも、シュウの委員当番がない毎週火曜日と金曜日、昼ご飯を一緒に食べることが恒例になった。
    「ファルガーは今日何にしたの?」
    「焼きそばパンとメロンパンです」
     校内の購買では、色とりどりの惣菜パンが売られている。その種類は豊富で、一年掛けても制覇できないのではないかと噂されている。中には、コンビニなどでは見かけることのないユニークな商品もある。珍しい名前のパンに手を出すことはあまりないファルガーとは対照的に、シュウは特徴的な名前の商品を進んで試した。
    「先輩は何にしたんですか?」
    「今日はね、ハムカツサンドとバナナミルクパン」
    「今日は、まだ普通な方ですね」
    「普通な方ってなに?いつも普通の食事だよ?」
     笑うシュウにポンと肩を叩いて突っ込まれる。触れた部分が熱を持ったことには気がつかないふりをして会話を続ける。
    「このジュース飲んだことある?」
    「…….納豆サイダー?……美味しいんですか、それ」
     信じ難い名前に、思わず眉間に皺が寄る。
    「僕も飲んだことはないんだけど、気になったから買ってみた」
    「気になってちゃんと買うところが、さすが先輩ですよね」
    「あー、それ褒めてないでしょ」
    「褒め言葉ですよ。先輩のそういう冒険家なところ、尊敬してます」
    「えへへ、そう?」
     デレデレした態度にならないようにといつもそっけない声色になってしまうから、言葉ではせめて本当の気持ちを伝えようと努める。言葉も態度もあまり素直になりすぎてはすぐに好きだとバレてしまうだろうし、このくらいのバランスが、『懐いている後輩』として自然なはずだ。
     先輩との距離が、時間をかけて少しずつ縮まる度に考える。先輩の心の中に、どれくらい自分の居場所があるだろうか。この関係に名前をつけるなら、良くて仲の良い先輩後輩、悪ければ同じ学校に通う顔見知り。前者だといいなと切に願ってしまうのは、恋に落ちたあの日から気持ちは変わるどころか育つばかりだからだ。
    「お、結構いける」
     納豆サイダーなるものを怖がる様子もなくごくり大きな一口で飲みこんだ先輩は、意外な味に目を輝かせた。
    「ファルガーも飲んでみる?」
    「じゃあ、一口だけ」
     爽やかな口当たりのサイダーに大豆がほのかに香って確かに悪くはない味だった。納豆の独特な中毒みが後に残るのも、なんだか癖になる感じがする。もっと衝撃的な味を想像していたので、ある意味拍子抜けしてしまった。
    「今度クラスメイトにも買っていってあげよう」
     そう呟いて、先輩はまたサイダーのボトルに口をつけた。
     間接キスだなんて、気にしているのもきっと自分だけだ。どうしようもなく切ない気持ちになってしまう心を無視して、先輩の横顔を見つめた。

     ひゅるり落ち葉を舞わせる秋風は、先輩の髪を悪戯に巻き込んで通り過ぎていく。



     灰色の雲が澱む空の下、手袋を外したシュウは、駅のホームでメッセージアプリを開いた。
    『今日も図書館にいる?』
    『はい。閉館まで勉強する予定です』
     "頑張って"とペンギンがくるくる回るスタンプを送信する。
     以前、このペンギンシリーズのスタンプを送り、「このスタンプ先輩っぽくて好きです」と言われてから、気を良くしてファルガー専用のスタンプになりつつある。
     高校三年生の冬休み、ファルガーは受験勉強真っ只中だった。
     一足先に大学に進学したシュウは、ファルガーの勉強に身が入るのに反比例して会って話せる頻度が少なくなったことを寂しく思っていた。
     昨年自分が体験した冬よりも長く感じてしまうのはなぜだろう。コートを纏う人の渦の中、電車に揺られて考える。
     ふと、ファルガーと出会ってからの日々が思い出された。ファルガーと仲良くなり、学校の中でも外でも、同学年の友人よりファルガーと時間を過ごすことの方が自然と多くなった。
     高校時代は昼食を一緒に食べたり、帰りに寄り道をして帰ったりした。一つ一つの記憶が鮮明に思い出される。記憶力はいい方だと自負しているが、特にファルガーとの思い出はどの瞬間も簡単に記憶の棚から引き出せた。
     シュウが高校を卒業してからも、夏あたりまではよく遊んだ。ファルガーが受験勉強に身を入れる前、高校最後の遊びにと、夏祭りに出掛けた。最後ならばと気合を入れて着て行った浴衣を笑顔で褒めてくれたのが嬉しかった。射的で二人して大きなぬいぐるみをゲットしたことも、かき氷のシロップで変色した舌を見せ合い笑い合ったことも、人混みから離れた公園で花火を前に二人で話した時間も全て心に刻まれる特別な思い出になった。
     無意識に、ファルガーとのトーク画面が開かれ、ため息が零れた。
    「はぁ…」
     なんだか今日は心が沈んでいる。このところ悪天候が続いているからか、それとも今日のニュースで星座占いの順位が悪かったからか。思い浮かんだピースはどれもしっくりこない。当てはまらないパズルのピースだけを持て余し、シュウは頭をもたげた。
     楽しかった思い出を考えていたはずが、心はいつの間にか灰色の空に食われて滲む。
     最寄駅につき、日課である参拝をしに神社へと赴いた。普段は自分の目標や達成したことを報告するだけなのだが、ファルガーの受験勉強が佳境を迎えている今、彼のことを願わずにはいられなかった。
     社務所でお守りを購入し、今度会った時に渡そうと決めて鞄にしまう。
     空を見上げると、はらり、掌に雪が落ちてきた。小さい氷の粒は手の体温ですぐに溶けてしまう。ひんやり手に馴染んでいく結晶が、しゅわりと心に溶け込んだ。
    「好き、なんだ」
     すとんと心に落ちてきた答えは、靄がかかった気持ちを晴らした。
     一緒にいて楽しい。もっと話したい。会いたい。仲の良い友人に対するごく普通の欲求だと認識していた感情は、自分でも気がつかないうちに名前を変え、薄いピンクに色付た。
    「早く会いたいなぁ」
     正しく名付けられた新たな感情が、言葉になって空へと浮かび上がる。

     白い息が向かう先は、グレーの雲。彼の髪と瞳の色を思い出し、少し先の未来に二人の居場所があることを神様にも内緒で密かに祈った。



     穏やかな春の日。桜の吹雪が舞う先に、ファルガーを見つけた。
    「入学おめでとう!」
    「シュウ先輩、ありがとうございます」
    「はい、これお祝い」
    「!?いいんですか……?」
    「もちろん。受験勉強お疲れ様と誕生日のお祝いも兼ねてるから」
     渡した紙袋に入っているのは、ファルガーが以前から欲しがっていたアニメのDVDセット。
     ファルガーから志望校に合格したとの連絡が来てから、お祝いに何を贈ろうか、わくわくしながら考えた。
     ファルガーのことが好きだと自覚してから会うのは初めてで緊張していたが、変わらずリラックスして話すことができて安心した。落ち着いた雰囲気のファルガーのおかげでそうなれるのだと彼の素敵なところを改めて認識する。今まで無意識のうちに心地よいと感じていた部分は、一度名前をつけて整理しまえば後は簡単で、ふんわり感じていた魅力は好きな人の好きなところとして溢れてくる。
     今日は久しぶりに会えたのだ。次に会う約束くらいはして帰りたい。入学式当日は疲れもあるだろうし、今日このままどこかへなんて我儘は言わないから。
    「ファルガー、今度…」
    「すみません!さっきはありがとうございました」
     重なったのは後ろからやってきた男子生徒の声。大人しそうな外見に、くりりとした目。可愛らしい身長のその子は、好意の眼差しでファルガーの顔を見上げた。
     どうやら、入学式直前、道に迷い困っていたところをファルガーが助けたらしい。ファルガーらしいなと誇らしく思うと同時に、出鼻を挫かれ二人の間に入る一歩が躊躇われた。
     大学、新生活、新たなコミュニティに新しい友達。ファルガーは今までより広い場所に身を置くのだ。当然のこと、喜ぶべきことなのは理解している。それでも、遠くへ行ってしまったように感じてしまうのは、ファルガーのことが好きだから。好き、という感情はこんな少しのことですら一喜一憂の材料にしてしまうのか。難儀な心に成す術もなく降参する。
     ファルガーに一瞥してから、学校の話で盛り上がる二人を残して帰路へ着いた。

     帰る途中、大学の友人から飲み会のお誘いが来た。最近、同学年の友人がちらほらと成人になり、飲み会の誘いが頻繁にくるようになった。シュウは誕生日はまだ来ていない為、自分が飲むことはできないが、大勢で盛り上がることは好きなので、ジュースを片手に時折参加するのだ。
     ファルガーもこれから先、飲み会に顔を出したりするのだろうか。大学が違うのだから、同じ飲み会に参加することはきっとないだろう。友人とお酒を飲んで話をして笑い合って、その中で意気投合する人とも出会って仲良くなって、恋人ができたりするのだろうか。先程の、男の子との一連を思い出し、ちくりと胸が痛む。
     どんな場面からも拾ってきてしまう片想いの辛酸を飲み込み、手元に意識を戻した。今日はこの後の予定もなければ、明日の朝から授業があるわけでもない。一人で家にいてもこのモヤモヤはどうにかできる訳ではないのだし、と参加の旨を返信した。

    「シュウ、大丈夫か?」
    「だいじょうぶ」
    「いや、相当きてるぞこれ」
    「僕まだ飲めないもん、ジュースしか飲んでないし」
    「ジュースって、これアルコールじゃん!間違えて運ばれてきたの飲んだんだな」
    「ん?」
    「いいから、今日はもう帰れ。タクシー乗って住所言えるか?」
    「……ふーちゃん」
    「え?」
    「…ふーちゃんと帰る」
    「いや誰だよふーちゃん」
    「…ふぁるがーおーゔぃど」
    「じゃあ迎え来てもらいなよ、誰かと帰ってくれる方が俺も安心だし」
    「……うん」
     シュウはおぼつかない手つきで携帯のメッセージアプリを開いた。新着メッセージの通知がファルガーとの会話履歴に付いていた。
    『先程はすみませんでした。先輩、何か言おうとしてませんでしたか?』
     送信時間は、シュウが友人の誘いに返信してから数分後。指定された飲み屋へ向かう最中は全く気が付かなかった。
     送られたメッセージには触れず、飲み屋の住所とスタンプを送った。例のペンギンが「きてきて!」と手招きしているもの。スタンプを購入した時、これはさすがに使う用途がないだろうと思っていたが、文字を打つにはふわふわしすぎている脳は、今が最適な使い時だと判断した。

     しばらくして、ファルガーが店に到着し、シュウの元へやってきた。紅潮した頬に触れ、体調を確かめる。ひんやりした指が心地よい。心配しているのだろう、シュウの顔を覗き込んだファルガーの眉はハの字に下がっている。
    「…ふーちゃん」
    「ふーちゃん?」
     見たことのないシュウの姿と見覚えのないあだ名に戸惑っている。ファルガーの初めて知る新しい表情で、なんだか得した気分になった。
     ファルガーは、帰りましょうとシュウの荷物をまとめて手を引きながら店を出る。一歩前を歩くファルガーの速さに足が追いつかず、躓いてファルガーの背に顔から飛び込んだ。
    「すみません。速く歩きすぎました」
    「ううん、ごめん」
     咄嗟に離れていくファルガーの袖を掴む。
    「どうかしましたか?」
     どこにも行かないで、なんて自分勝手な言葉を言いたいわけでも、自分だけを見ていて、と言葉で縛りたいわけでもない。
     聞いて欲しいのは、ファルガーに伝えたいことは、自分が想っているということ。それだけだ。
    「好き」
    「……え?」
    「…ファルガーの恋人になりたい」
     袖を掴んだ指先にじんわりと汗が滲んでいく。恐る恐る上げた視線の先には、お酒を飲んだ自分より、真っ赤な顔のファルガーがいた。
    「………俺でよければ」
     口を手で覆って驚くファルガーの震えた小声が耳に届いた。
     そのままファルガーに抱きついて、奇跡みたいな瞬間を二人の間に閉じ込める。

     夜の街に咲いた二つの笑顔は、まるで舞う夜桜の花びらに祝福をされているようだった。

    ***

     麦茶に浮かぶ氷がからりと音を立てて溶ける。狭いワンルームのアパートに響くのは外から響く蝉の声、それに対抗しようと精一杯首を振り回す扇風機の音。
     ファルガーは、卒論に取り組もうと広げた資料の上に頭を預けた。連日うだるような暑さでやる気が起きない。ニュースキャスターも一日おきに最高気温の更新を告げている。真っ新な画面を映すノートパソコンを閉じ、通知のこない携帯を見つめた。
     高校からの付き合いで、三年前から恋人としてお付き合いをしている先輩に、次はいつ会えそうかと質問を投げかけてから一週間。返事どころか、いまだに既読も付いていない。
     大学を卒業して大手の企業に就職したシュウは、ここ数ヶ月間、新入社員として多忙を極めていた。最後に会ったのは1ヶ月半前、最後に電話で話をしたのは2週間前だった。
     特別なことがない限り、連絡はマメな方であるシュウが、今どれだけ大変な状態かは火を見るより明らかで、その状況を理解しているつもりだし、待てが出来る恋人居たいとも思っている。はじめは、付き合いたてのカップルではないのだから毎日顔を見なくても大丈夫などと強がってやり過ごすことが出来ていた。しかし、日に日に増えていく、会いたい、声を聞きたい、隣にいて欲しい、という小さな欲望は積もり積もって、虚勢の鎧は剥がれていく。残ったのは、変わらず灯るシュウへの想いと、一年遅く生まれたやるせない気持ちだけだ。
     付き合ってから三年間、お互いが学生であるのをいいことに、二人で過ごす日々を時間の許す限り享受した。博物館や展示会、こじんまりとしたアクアリウムから人気のアーティストのコンサート。色々な場所に赴いた。天体観測に出掛けてテントの中で寄り添いあった夜も、揃って寝坊をし一限をサボって二人でフレンチトーストを焼いた朝も、全部大切な思い出になった。携帯の写真ライブラリをスクロールして振り返る。写真たちはシュウと過ごした瞬間を切り抜き、いつ見ても褪せない輝き放っている。
     遡り続けると、自分の寝顔写真が数枚並んでいることに気がつく。記録されている撮影日は、ファルガーが一人暮らしを始めた頃。借りたアパートは、二人の大学の中間地点に位置している。シュウはまだ実家を出ていないため、二人が気兼ねなく寝泊まり出来るのはファルガーのアパートだった。広くもないワンルームのこの部屋で、寄り添いあって過ごした。写真は、ファルガーが昼寝をしている時にでもシュウがこっそり撮ったのだろう。一枚一枚見ていくと、シュウのピースが写り込んでいるものやファルガーの頬を摘んでいるもの、横に寝転んだシュウが満面の笑みで写っているものがあった。
     意外にも悪戯好きな恋人は、こっそり撮ってそのまま、この写真の存在を伝えずに忘れていたのだろう。画面越しに見るシュウの笑顔に癒される。愛おしく思うほど、会えない現状に胸が痛んだ。
     「大切な人と一緒にいたい」という願いが許されなくなることが大人になるということならば、一生大人になんてなれなくていい。そう思ってしまう自分はまだ子供なのだろうなと自嘲の乾いた笑みがこぼれた。
     一緒にいたいと願うばかりで、その術をまだ持たない子供。自分より先に社会へ出た恋人との歳の差を嫌でも痛感してしまう。
     すっかり氷の溶け切ってしまった薄い麦茶を流し込む。口当たりのいい麦茶でも流し込めないやるせのなさを口に残したまま、目を閉じた。思考がぼやけ、だんだんと意識の糸が解けていく。

     夏の日差しと蝉の音を背景に、昼寝をする子供の背中は、ただただ時間が早く過ぎることだけを待ち望んでいた。



     残暑の湿気が篭る中、辛うじて秋風が吹き始めた道を辿って家に着く。
     ノブを捻ったファルガーを迎えたのは、既に部屋着に着替えて寛ぐシュウだ。
    「おかえりー」
    「ただいま。シュウの方が早かったんだな」
    「うん、今日は特に。二年目になって少し落ち着いてきたのもあるし」
     新卒で就職し、社会人一年目になったファルガーと社会人二年目のシュウ。決まって会うのはファルガーの住まう狭いアパートだ。
     合鍵を使って入ったシュウは、引き出しに常備してある自分のスウェットを着て慣れた様子。自分のテリトリーである部屋に恋人の色が落とされて馴染んでいく様子は、なんだか擽ったいものがある。同じ匂いのシャンプーを香らせるシュウの笑顔を見れば、疲弊した体は自然と癒されていく。
    「ご飯作ったよ、食べる?」
    「食べたい。ありがとう」
    「ふふ」
    「ん?」
    「いや、タメ口嬉しいなぁって」
    「引きずるな、こっちが恥ずかしくなる」
     シュウに対して敬語が外れたのは、ファルガーが大学を卒業してからだ。これまでもなんとなく砕けた口調はあったものの、昔の癖が抜けずに名前が呼び捨てに定着するまでは時間が掛かった。
     ファルガーが社会人になってから半年弱、新入社員の忙しさを舐めていた。モラトリアムを貪っていた大学時代と比べ、生活リズムは大きく変わった。会社と職種は異なるものの、一年前にシュウが経験していた社会人一年生を身をもって経験し、改めてシュウのことを尊敬した。シュウが大変な思いをしていた時、自分はまだ大学生で、ただ待っていることしか出来なかった。
     いざ自分の番になった今、ファルガーの側にはシュウがいる。仕事に少し余裕が出てきたシュウは、ファルガーの家に通い、料理や掃除を手伝ってくれている。
     献身的なサポートはもちろんだが、家に帰ったら恋人がいるという事実が何よりの支えになるのだ。
     社会人になり、少しは近づけたかと思ったが、自分より大人な彼の姿を見ると、数歩の差は遥かなものに感じてしまう。

     夕食を済ませてシャワーを浴び、時計が頂点を越える頃、最小音に下げたスポーツニュースを二人でなんとなく眺める。
    「はは、かわいい」
     野球チームのマスコットが球場で踊る様子を見て、ファルガーの肩に寄りかかるシュウが嬉しそうに呟いた。
     笑った時に下がる眉、笑い方は上品なのにくだらないことにツボる無邪気さ、沢山笑った後に潤む目、どこを見ても愛おしい。
     なんでもないような瞬間に、いちばん大切なものを自覚する。ホームランや金メダルのような、劇的な何かが起こらなくても、揺るぎない幸せはここにある。
     最低限の幸せと、大切な人が笑って過ごせる日常を守れる人になりたい。
     自分に合わないキザな台詞は、口から出ることはなかった。代わりに、シュウの左手を掬って指を絡める。手のひらから伝わる温もりが、数時間前まで仕事で張り詰めていた緊張をほぐしていく。

     秋風が揺れる窓の外。高い湿度の鬱陶しさは二人のもとへは届かない。天気を知らせるキャスターの声が薄く響く部屋、使い古された扇風機の静かに回るファンだけが、こつんとくっつく二人の肩を揺らした。
     


     赤と緑に染まる街中。イルミネーションが照らす人々は、そわそわと躍った表情を浮かべている。
     恋人の家へ向かうシュウは、購入したばかりのケーキの箱が傾かないように気をつけながら慎重に歩く。澄んだ空気に溶けていく白い息、マフラーに隠れた口から笑みがこぼれた。こげ茶色に赤紫のラインが入っているデザインのマフラー。去年のクリスマスにファルガーから貰ったものだ。その時は、ファルガーが入社して初めての年末だったこともあり、昼間に会ってカフェでプレゼントを交換しただけで、二人でイベントを楽しむことができなかった。その前の年はシュウの方が忙しく、会えたのは年末になってからだった。
     恋人としてゆっくり過ごすことができるクリスマスイブは実に大学生ぶり。ファルガーはどこか豪華なホテルでディナーでも食べようかと提案してくれたが、シュウは家で二人の方がいいとお願いした。翌日の予定も気にせずに、好きなだけ食べてぐうたらできるのは本当に久しぶりなのだ。予定を決めた頃からずっと楽しみにしていた今日この日。
     鞄の中には、ファルガーへのプレゼント。手に持った白い箱の中には、三種類のミニケーキ。

    「シュウ、お疲れ様」
    「おつかれ、ふーちゃん」
    「…飲んできてはないよな?」
    「ははは、素面だよ」
     シュウがファルガーのことを「ふーちゃん」と呼ぶのは、大抵酔った時か寝起きの甘えたな時間。わくわくした浮つく気持ちが、ふーちゃん、と呼び方を変えて空に飛び出した。
     デパートで買ってきた七面鳥とネットで調べて二人で作ったラザニアを中心に、料理をテーブルいっぱいに広げる。お酒を開けて、グラスに注いで、見つめ合ってグラスを合わせる。いつもは惰性でつけたままのテレビを消して音楽をつければ、見慣れたはずのワンルームもクリスマスディナーを楽しむ雰囲気に様変わりした。

    「ごちそうさまでした」
    「ラザニアも上手くいってよかったな」
    「ね。美味しかった」
     食事を終えてケーキを選ぶ。お互い一つずつ好きなものを選び、残った一つは二人でつつく用に三種類を買ってきた。シュウが気になる味を買ってきた為、結局全部をシェアすることになるのだが、タイミングを合わせて二人で指を差すのがやりたかった。
     頃合いだろうとプレゼントを鞄から取り出す。シュウは、ファルガーへタブレットを購入した。電子書籍をダウンロードすることができる品物だ。就職をしてから、忙しくて読書をする時間が取れないと言っていた彼に、通勤時間を活用できるタブレットをあげたいと思っていた。
     丁寧に包装を解き、中身を見たファルガーは嬉しそうに瞳の奥を溶かした。
    「ありがとう」
    「どういたしまして」
     プレゼントは、購入して相手に渡す時点で、大抵自分の思いは達成されているのだが、やはり喜んだ表情を見られるのは嬉しい。
    「俺からはこれとこれ」
     ファルガーは、お返しにシュウへ二つの袋を手渡した。
     ポップな色リボンが結ばれた方の包装を解いくと、中にはゆるいタッチのオリジナルキャラクターがデザインされたトートバッグ。
    「これ、欲しかったやつ!」
    「この間店に行った時、食い入るように見てたから」
    「へへ、よく見てたね」
     少し前、二人で映画を見に行った日。上映まで時間を潰そうと、キャラクターデザイングッズのお店に立ち寄った。もとより、ユニークなデザインや独特なセンスのものを好む傾向にあるシュウが、中でも目を輝かせて見ていたのがこのトートバッグだった。
     そしてもう一つ。こちらは手のひらサイズの長方形。打って変わってシックな色の包装紙を外していく。箱に入っていたのは、革生地のキーケース。お洒落に詳しくないので正確には分からないが、品よく刻印されたロゴはどこかのブランドなのだろう。
    「ありがとう。大切に使うよ」
    「実は、少し前から言いたかったんだが」
    「?」
    「……一緒に住まないか?」
     髪を揺らして見上げてくるファルガーの瞳には期待と不安の色が入り混じる。
     どれくらい前から考えてくれていたのだろう。一つ年下の可愛い恋人は、学生の頃から変わらない。付き合う前も付き合ってからも、彼の根底にある気遣いや謙虚な姿勢に愛おしさを感じる。
    「うん。一緒に住みたい」
     小さな子供のように顔を伺ってくる彼の不安を、余すことなく掬い取るように手を取った。
     ケーキの残りを食べながら、年明けの予定を立てる。引っ越しの前にお互いの家族と顔を合わせるのもいいかもしれない。物件探し、顔合わせ、引越し準備はやることが沢山だ。

     冬の乾いた空にぴかぴかと星々が光る窓の外。賑わいを増していく街の温もりを二人で分けあった。



     ぬるくなった緑茶をグラスに注いで一口。じんわり額に滲み出る、汗をタオルで拭き取った。風を入れようと開けた窓からふわり桜が部屋に入り込んでくる。
     風が髪を揺らして心地よい。靡く毛先を弄っていると、寝室の荷解きを終えたファルガーがやってきた。
    「お茶飲む?」
    「ありがとう」
    「結構疲れたね」
    「覚悟はしていたが、二人だけでやるのはなかなか骨が折れるな」
    「はは、忘れられない思い出になったね」
    「間違いない」
     昨年のクリスマスに一緒に住む約束を交わしてから、数ヶ月。春の訪れとともに二人で新居地へ引っ越した。引っ越し業者を呼ぶかどうかの話になった際、大きな家具は新しく購入するのだし、荷物は自分達でレンタカーを借りて運ぼうということになった。せっかくだからと二人だけで引っ越しを試みた。
     実際に骨の折れる作業ではあったが、一仕事終えた後の爽快感は他のものでは得られないもののような、特別な気がした。
     朝から始めて夕方に差し掛かった今、荷物の搬送、寝室と浴室の荷解きまでが終わった。リビングや他の部屋にはまだいくつか段ボールが積み上がっているが、それはまたこれから二人でゆっくりやっていけばいい。
    「このアルバムが寝室の荷物の方に混ざってたぞ」
    「それ、最後の最後に詰め込んだやつだ」
    「写真のアルバムか?中までは見てないんだが」
    「そう。これ一緒に見ようと思って」
     ファルガーが持ってきたのは、シュウが作った写真アルバム。
     シュウは引っ越す際に自分の荷物を見直し、写真や物が多すぎることに気がついた。お気に入りの写真をまとめ、実家にしまって置く思い出の品を写真に印刷してアルバムに貼り付けた。
     一枚一枚捲っていくと、その半分以上がファルガーに関連するもので埋まっている。
     高校生の時に二人で行ったライブのチケット、シュウが高校最後の文化祭でクラスメイトと一緒に着ぐるみを着た写真、大学の合同サークルで行ったキャンプの写真、家で飲んでいたシュウが泥酔し巫山戯て何枚もファルガーのドアップを切り撮ったインスタント写真。一番最近のページには、年末年始に行った温泉旅行の写真がいくつか。一つ一つ指で辿るたび、口が綻ぶ。雑貨屋で厚みのあるアルバムを選んだので、手をつけていない白紙のページがまだ沢山残っている。

     これから先も続いていく、穏やかで大切な日々の出来事。ファルガーと過ごす瞬間は、どれも心に光って残る。
     繰り返される日常も、移り変わっていく季節の色も、全部特別な今を纏って過ぎていく。心躍る時も沈む時も、君のとなりで生きていたい。
     これからの二人の未来は未知で未定。近くの人が幸せならば、それでいい。
    「今日の夕飯はどうしよっか」
     呟いたシュウにファルガーはやわらかな眼差しを向けた。

     広いリビングでくっつき寄り添う二人の姿を、春の夕日がただ穏やかに見つめていた。
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    Replies from the creator

    yukuri

    DONE🦁🖋
    ボスになりたての🦁くんが🖋くんと一緒に「大切なもの」を探すお話です。
    ※捏造注意(🦁くんのお父さんが登場します)
    題名は、愛について。「うーーん」
    「どうしたの。さっきから深く考えてるみたいだけど」
     木陰に入り混じる春の光がアイクの髪に反射した。二人して腰掛ける木の根元には、涼しい風がそよいでいる。
    「ボスとしての自覚が足りないって父さんに言われて」
    「仕事で何か失敗でも?」
    「特に何かあったとかではないんだけど。それがいけない?みたいな」
     ピンと来ていない様子のアイクに説明を付け加えた。
     ルカがマフィアのボスに就任してから数ヶ月が経った。父から受け継いだファミリーのメンバー達とは小さい頃から仲良くしていたし、ボスになったからといって彼らとの関係に特別何かが変化することもない。もちろん、ファミリーを背負うものとして自分の行動に伴う責任が何倍にも重くなったことは理解しているつもりである。しかし実の父親、先代ボスの指摘によると「お前はまだボスとしての自覚が足りていない」らしい。「平和な毎日に胡座を描いていてはいつか足元を掬われる」と。説明を求めると、さらに混乱を招く言葉が返って来た。
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    ふちゃにただ黒無垢を着せたかっただけなのでパッションだけで書いた散文
    Lotus今日、ふーふーちゃんが結婚する。
    控え室のドアを二回ノックすると、向こう側から入っていいぞと声が返ってくる。いつもと変わらない大好きな声。ドアを開けるとそこには着付け前のふーふーちゃんが椅子に座っていて、真っ白な襦袢を着たその姿に言葉に詰まってしまったのを誤魔化すために微笑んだのだけど、上手く表情を作れていたかはわからない。
    オレはふーふーちゃんのメイクを任されている。オレじゃなくても他にメイクが上手いメンバーもいるし、なんならヘアメイクだって付けれるはずなのに、ふーふーちゃんは「浮奇にしてほしい」と言ってきた。嬉しくて、でも少しだけ残酷だなって思ったのは内緒だ。
    ふーふーちゃんの肌は人形みたいに真っ白だから、余計なものは必要ない。化粧水と乳液をぱぱっとつけてあげて、下地を塗ってから薄くファンデーションを伸ばしてあげるだけで充分だ。オレなんかいっぱいスキンケアしてるのに、本当に羨ましいったらない。ぱたぱたとパフでお粉を叩いたら、次はアイシャドウ。どの色にしようか迷って、やっぱり赤かなと手に取る。赤はふーふーちゃんと、あいつの色だ。
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