いとしいとしというこころ「拙者、気づいてしまったでござる」
妙に格式ばったその響きに、紅郎はドアを開けようとした手を止めた。
ES内にあるミーティングルームに入ろうとした、そのときのことだった。
一時をすこし過ぎた頃合い、あたりにひとけはない。コワーキングスペースやら会議室やらがまとまってある階で、廊下の両側にはいくつもドアが並んでいた。窓はなく、昼だというのに蛍光灯のあかりがしらじらとしてまぶしい。
『紅月』の打ち合わせのため、紅郎はこの階をおとずれた。とはいえ定刻にはまだ十分ほど時間がある。先に部屋にはいっていようとしたのだけれども、どうやら先客がいるらしい。
邪魔になっても悪いかと踵を返そうとした、そのときふたたび重々しい声がした。
「一同こちらにご注目いただきたいでござる」
独特の言いまわしには聞きおぼえがある。たしか神崎と仲のいい、と、ついふりかえってしまい、ドアの隙間から守沢や深海といった面々を認めるにおよんで先客は流星隊だったのかと紅郎は気づく。
なにやら会議をしているところらしい、年少組と年長組がテーブルをはさんで向かい合う恰好となっていて、机上には資料や段ボール箱がところせましと積まれている。
仙石とかいったか、忍者をめざす少年がその箱からなにやらとりだす。ちいさな五色の人形、さらにそのうちのひとつを仙石は手にとった。
「これでござる」
仙石の顔のあたりにかかげられた黄色のそれを、かたわらに座っていた鉄虎がしげしげとながめる。
「ああ、流星隊の人形っスね」
これがどうかしたっスか、と小首をかしげる、さらにそのとなりでは高峯がなにをおもうのかむむと顔をしかめてみせた。
「なんかこう……バスケ部とかバレー部とかの高校生がマネージャーにつくってもらって練習バッグにつけてるフェルト人形っぽいのに妙に顔のつくりがリアルっていうか、そのわりに微妙に似てないし縫製にばらつきがあるから個体差があってなんともいえないっていうか、要するにあんまり売れてないよね、それ……」
「バスケ部の高校生だった隊長も翠くんもそんなのつけてるの見たことないっスけど、それはさておき翠くん意外とマーケティング分析ちゃんとしているっスね、さすがお商売をやってる家の子っス」
「分析っていうか」
「そう、それでござる!」
会話を強引にひきとり、仙石は高峯のおもてにずずいと人形をつきつける。その勢いに、あいだにはさまれた鉄虎がおおうと椅子ごとのけぞった。
「この人形はどうにも売上がかんばしくないでござる。せっかくかわいいのにもったいない。お人形さんが泣いているでござる。して拙者、その打開策をみつけてしまったかもしれないのでござる」
「打開策?」
「何スかそれ」
「だからこれからちょっと実験してみたいでござるよー。翠くん、いいでござるか?」
「俺?」
あからさまにいやそうな顔をしている高峯のまえに、もとより返事を聞く気のないらしい仙石が人形ごと身を乗りだす。もとより小柄なその体は、もはやほとんどが椅子よりテーブルのうえにのめりこんでいる。これお行儀的にどうなんスか、となにやら考えこむ鉄虎のまえで、仙石は人形ともどもぐっとファイティングポーズをとる。
「翠くん、いくでござるよ!」
「えっ、いやだ」
「まあまあ、そう言わず。……ごほん。『みどりくん、せっしゃ、りゅうせいいえろーでござる!』」
突然の裏声に鉄虎が目をまるくする。仙石は机のうえに膝までかけて、面前にきいろい人形をかかげてみせる。そうしておいて、まるで腹話術のように高峯にむかって話しかける。
「『みどりくん、せっしゃとぜひなかよくしてほしいでござる』」
と、突然高峯がうっとうめいたかとおもうや、がくりとテーブルの上につっぷした。ふだんは秀麗なそのおもてが、まるでなにかに耐えるかのように盛大にしかめられている。両腕で頭をかかえしばらくああだのううだのうめき続けたのち、高峯は地を這うほどの低い声でぼそりとつぶやいた。
「……どうしよう、流星イエローのゆるキャラから流星イエローの声がする……」
かたわらの鉄虎が、厳密にはゆるキャラじゃないっスけどねと冷静に指摘する。もはや仲間の奇行には慣れきっているらしい、鉄つよくなったな、と紅郎は扉の外でひとりしみじみとする。
反応に気をよくしたか、仙石はさらにと人形を高峯の鼻先まで押しつける。
「『みどりくん、せっしゃきょうはホイコーローがたべたいでござるよー』」
「うっ、かわいい……。えっと、いいよ、ピーマン用意するね」
「おおう、めちゃめちゃ効いてるっス」
「さあ時やよし! 鉄虎くん、次どうぞでござる!」
「えっ、俺っスか? あ、ブラックこれっスね、えーと『みどりくん、おれはりゅうせいぶらっくっす! きょうのホイコーローはおれがいためたいっす!』」
「えええ、うう、南雲くんなんだけど、南雲くんなんだけどでもいまは流星ブラックなんだよね、だったら火使ってもいいかな、お鍋つかってるゆるキャラってきっとすごくかわいいよね、……うう、いいよ、おねがいします……!」
「やった! ゆるキャラの力は抜群っス! さあ隊長、この調子でどんどんいくっス!」
なにやら妙なスイッチが入ってしまったらしい、テンションうなぎのぼりの後輩たちが赤い人形を持たせようとしてくるのに守沢がたじたじとする。
「俺もか? いや、これだとなんだか高峯の弱みにつけこむようだろう、それはヒーローとしてあるまじきことではないかと」
「いやいや隊長いましかないっスよ、いまなら翠くんの部屋のゆるキャラDVDコレクションのなかに隊長が『死神博士』のDVDまぎれこませておいたことも許してもらえるはずっス!」
「! 南雲、なぜそれを」
「あああ、あれやっぱりあんただったのか! 仕事で疲れて帰ってきて、ゆるキャラで癒やされようとおもって観はじめたらいきなりおどろおどろしい黒マントに白ずくめのおっさんが出てきたんだぞ!」
「高峯、死神博士はおっさんじゃない、怪人だ!」
「どっちでもいい!」
「えっ、あ、いや、すまん高峯、まあ聞いてほしい、俺としては特撮コレクションは常に身近に置いておきたい、だが死神博士が自分の部屋にいるとおもうと夜も寝られないというか、寮内にあるならセーフというか、高峯になら安心して預けられるというか」
「俺の部屋をあんたの身近にカウントするな!」
そんな理由で俺の癒やしの空間を、となおもまくしたてようとする、高峯の鼻先に鉄虎が赤い人形をぐいとつきつける。それとともに仙石が、ヒーローショウで鍛えた大音声を響かせる。
「さあ隊長、いくでござる!」
「よしわかった、俺もみなの期待に応えよう! 『たかみねくん、おれはりゅうせいれっどだ! きみにつらいおもいをさせてしまってすまない、はんせいしている、どうかゆるしてほしい!』」
「あ、翠くん、ぐってなったっス」
「ほんとだ、ぐってなったでござる」
「ヒーロー戦隊のレッド的なゆるキャラっていかにも王道って感じっスもんね、ツボに刺さったっぽいス」
「隊長は元気なふりしてけっこう必死でござるな、これ以上翠くんに怒られたくないと見たでござる」
「ふたりとも実況やめてくれる……? ……いやいやいや、イエローとブラックはともかくレッドは守沢先輩だし、レッドは守沢先輩、守沢先輩なんだってば、……ううう、だから近づけないでって、……あ、なんかこのレッドほかの子よりへちゃむくれっていうか縫製甘くて雑だな、なんでそんな眉毛へにゃって、レッドなのにあんまりレッドって感じしないし、……ううう」
「おお、効いてるでござる!」
「隊長、あとひと押しっス!」
「……よし! 俺も男だ、腹をくくろう! 『たかみねくん、ごめんね?』」
鉄虎からバトンタッチされた赤い人形ともども、守沢は高峯の顔をのぞきこむようにする。こういうとき素直に上目遣いになるのがいかにもひとりっ子っぽいよなあいつ、と紅郎は扉の外でこっそり感心する。
「うっ……流星レッドのかわいこぶりっこ口調……! 設定がぶれててすごく雑につくられたゆるキャラっぽい……!」
高峯がふたたびがくりと机につっぷす。人形をつぶさんばかりににぎりしめ、守沢がおおと喜色満面笑みを浮かべた。
「やったぞ! さあ奏汰、いまだ、とどめを!」
とどめっておまえら仲間内でなにやってんだ、というこちらの声など聞く耳はもちろんない。それまでひとりひっそりと青い人形とたわむれていた深海が、守沢の言葉にしたがいおもむろに立ちあがる。そうして高峯のそばまでくると、なかばうなだれたそのまえに人形を置き、頭上に高々とピースサインをかかげてみせた。
「『りゅうせいぶるう、かれいにさんじょう』、おまけに、……ぷかっ☆」
「わああ流星ブルーにかなてぃだ……! すごい、どうしよう、サインください……!」
翻弄されて疲れきったのか、高峯はもはや忘我の境にいたっていた。これでいいですかーとのんきに青い人形をふりまわす深海を、まるで夢見る乙女のような目でみつめている。
おお、と守沢が感に堪えないとばかりに両のこぶしを握りしめた。
「さすがだ流星ブルー! そしてかなてぃ! 地球の平和はおまえたちによって守られた!」
「いや、守られたのは地球じゃなくて隊長の平和っスけどね。いやあ深海先輩、対翠くん戦には最強っスねー、まあそもそもなんで戦ってるのかよくわかんなくなってるスけど」
「拙者もここまで実験が大成功するとはおもわなかったでござる。よし、今後翠くんみたいな好みのひとたちに向けてこの人形をアピールすればきっと売上げもアップでござるよー」
「いや、うーん、翠くんみたいな趣味のひとってそんなにいっぱいいるっスかね……?」
勝手気ままな流星隊の面々をドアの隙間からながめつつ、さていつ部屋の交代を告げるべきかと思案しているところ、ふいとうしろから肩をたたかれる。
ふりかえればそこには蓮巳がいた。どうやら打ち合わせの時間がきていたらしい、廊下の向こうにはいましもあわてたように駆けてくる神崎の姿もある。
「どうした、入らないのか」
小首をかしげる蓮巳に、紅郎はおおよと返事をする。
「旦那」
「なんだ」
「いや、あのよ、ちょっとそういう手もあるかっておもったんだけどよ。……俺たちもゆるキャラってのをつくってみるべきか?」
そう口にすれば、蓮巳は眼鏡の奥でおおきく目をみひらいた。
「和楽器をモチーフにした『こだいこくん』とかよ、いや、せっかく神崎の刀があるんだからそのへん生かして『にほんとうちゃん』とか、素材……フェルトはちょっと俺たちのキャラじゃないな、絹か、いや縮緬ってのもありかもな」
ぶつぶつとつぶやきつつドアを開ける、その背後では、ようやっと追いついてきた神崎がきょとんとした顔で蓮巳に声をかけていた。
「遅参かたじけない、拙者いかようにも罰を受ける所存にて、……蓮巳殿?」
「……神崎、心しておけ。きょうの会議は紛糾するぞ」
その後、紅月をモチーフとしたゆるキャラグッズが出たかどうかはまた別のお話。