色々な8番出口 出口1.不動遊星の場合
「あっ、遊星〜! ここどこなんだろうね? いくら歩いても出口が見つからなくて……」
いつもの朗らかな調子の声で、しかし困った顔で問いかけるブルーノ。だが遊星はその問いに答えることができなかった。唖然とした表情のまま問い返す。
「……本当にブルーノなのか?」
「も〜、いきなり変な事聞かないでよ。ボクはチーム5D'sのメカニック、ブルーノでしょ?」
「そうか……そうだった、な」
だがブルーノはあの時、アーククレイドルでブラックホールに呑まれ消滅したはずだ。彼の遺品であるサングラスは今もトロフィーと共に飾ってある。
いるはずのない人がここにいる、それこそが異変。
それはわかっているが遊星はその場から動けなかった。ただ踵を返して走り出せば済む話なのに、どうしても一歩が踏み出せない。
「……ブルーノ、せっかくだし一緒に行かないか? 俺も迷ったんだ」
「いいよ。一人だとさびしかったからちょうど良かった」
おっとりとした話し方、動くたびにベストの中にしまってある工具が鳴らすかすかな金属音、一つ一つの仕草が全てブルーノそのものだと感じた遊星は不意に熱くなった目頭を押さえた。
「どうしたの?」
「なんでもない……行こう」
角を曲がるまでの短い間、二人は他愛のない話をしながら歩いた。まだ彼の素性を知らず、メカニックの才に長けた記憶喪失の青年として接していたあの頃のように。
「それにしてもブルーノ……」
角を曲がると隣に居たはずの長身の青年よりも先に案内板が目に入った。
0番出口。その四文字を見た遊星はすべてを理解させられた。
やはりあのブルーノは異変だったのだ。わかりきっていたのにどうして進んでしまったのだろう。後悔と困惑が混ざった思考をどうする事もできず、本能的にふらふらと前へ歩き出すと向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。
「あっ、遊星〜!」
ブルーノだ。先ほどまで言葉を交わしていたはずのブルーノ……の姿をした異変だ。
「あ、ああ……」
「遊星も迷ったんだよね?」
本物のブルーノと寸分違わない言葉の選び方、仕草、表情。それなのにこれが異変であるという事実を彼は受け止めきれなかった。
「……俺は」
ブルーノは左手を遊星の前に出して言葉をそっと止める。
「今度はボクについてきちゃだめだよ」
しばし呆気にとられ、その言葉の意味を理解した遊星の口から息が漏れる。
「あ、ああっ……」
「もうスリップストリームはないんだから」
あの時と同じ笑みを浮かべ遊星の肩をそっと押した。
「すまない……すまない、ブルーノっ……!」
遊星は後ろを向いて走り出した。
「今度はここじゃないところで会おうねー!」
これは彼自身が言ったのか、それとも異変が彼のふりをして言ったものなのか。どちらかなんてわからない。遊星はただ出口に向かって走り続けた。
出口2.ジャック・アトラスの場合
何度この通路を歩いただろうか。横に目をやれば案内板には8番出口と書かれている。ここで異変が無くそのまま階段に向かっていけば出られる旨が案内板に書かれているのだが……。
「えーん、ここどこぉ〜⁉」
彼の目の前では瓶底メガネが特徴的な女性、カーリー渚がメソメソと泣いていた。
「カーリー⁉」
「あっ、ジャック! 電車の乗り換えしようとしたら迷っちゃって……」
「……お前もか」
「お前もって、ジャックも迷ったのね……」
「俺が道に迷って何が悪い!」
「わわわ、悪くない! 何も悪くないんだから〜!」
ジャックの剣幕に慌てふためくカーリー。いつもと変わらない様子に彼は思わず毒気を抜かれてしまう。
「……はぁ。さっさと出るぞ」
「うん!」
カーリーが遅れないように、歩く速さを調整しながらジャックは通路を歩き出した。角を曲がるとそこには上り階段があった。まぶしい光が差し込み、上がどうなっているか二人の立っている場所からはよく見えない。
「何があるかわからん、決して俺から離れるな」
「え、ええ」
二人は慎重に一歩ずつ階段を上りだした。時折光で目がくらみそうになるが手でひさしを作りなんとか歩く。
ジャックとカーリーが最上段に足を置いたその瞬間、二人の耳に街の喧騒が飛び込んできた。慌てて辺りを見渡すと見慣れたネオ童実野シティの光景がそこにあった。
「出られた……のか?」
ジャックが後ろを振り返ると地下鉄の出入口があり、通行人が行き来している。あの異様な雰囲気の通路に通じていないのは明らかだ。
「やっと出られた〜! あぁ〜、お日様ってこんなにぽかぽかしてたのね……」
はしゃぐカーリーを見てジャックはふぅ、と息を吐いた。
「カーリー」
「なぁにジャック?」
ジャックはムッとした顔でカーリーに向き直った。
「お前は何度はぐれたら気が済むんだ。出るまでに7回も」
「えっ? 私がジャックと会ったのはアレが最初で最後よ」
「……なんだと?」
「異変がどうとか意味わからなくてずっと占いしながら進んでたんだけど、あそこで誰か来るまで待つようにって結果が出たから待ってたの。そしたらジャックが来てくれたんだから!」
むふー、と胸を張るカーリー。
「じゃあ今まで俺が会ったカーリーは……」
「もぉジャックったら〜。出られたんだからもういいじゃない。カフェでも行って一休みしましょうよ、ねっ」
「そうだな……うむ、こういう時はブルーアイズマウンテンに限る」
二人はカフェへと歩き出す。
──ジャックったら……異変だろうとあたしを助けようとしてくれてたのね。やっぱりジャックは私の運命の人なんだから!
カーリーは満面の笑顔でジャックの隣に寄り添った。
出口3.十六夜アキの場合
目の前にいる夫婦と思われる男女。その人達にはどことなく見覚えがあった。だがどこで見たのかアキは思い出せない。
「あの、失礼ですがあなた達は……?」
「ああ、そうか。君とは初対面になるのか」
「もう、あなたったらうっかりさんなんだから」
ははは、と朗らかに笑う二人。
「遊星は元気ですか?」
「えっ? ええ。機械いじりしてるとよく寝食忘れるから時々叱ることはありますけど……」
「あらあら、そんなところまであなたに似ちゃったのね遊星は」
女性は嬉しそうに微笑んだ。
「まいったな……一生懸命なのはいい事なんだが人を困らせるなんて」
「あなたも人の事言えないでしょう?」
「……反省している」
二人の様子を見て、アキは遊星と話している時を思い出し思わず笑ってしまった。
「ふふっ……あっ、ごめんなさい」
「いいの。あの子は元気だし大切に想ってくれてる人がいる。それがわかっただけでも良かったわ」
「けどそうだな……。もし良ければもっと遊星について話をしてくれないか?」
「え、ええ……」
少し戸惑ったが、時間の許す限りアキは夫婦に遊星の話をした。
意外に食べ物の好みが子供っぽい事。時々宿題を見てくれる事。一緒に歩く時はいつも道路側を歩いてくれる事。たまにDホイールに乗せてくれる事。
夫婦はただ静かにアキの話に耳を傾けていた。
「ありがとう。もう充分だよ」
「は、はい」
「それじゃ私達はもう行くわね。あなたが行くのはあっち」
女性はアキの後ろを指差した。
「それじゃあね」
二人は後ろを向いて元きた方へ歩き出した。
「……なんだったのかしら」
訝しげに思いながらもアキは指を差された方へと歩き出した。
「……って事があったのよ。8番出口が本当にあったのもびっくりしたけど、あの人達が異変なのがまだ信じられなくて」
「なるほど……」
ガレージの中、デスクでパソコンをいじる遊星の隣でアキが顛末を話していた。
「誰だったのかしらあの人たち……男の人はなんだか遊星に似てたんだけ……ど」
ふとアキの目にデスクに置かれた写真立てが目に入った。そこにはアキが通路で見た夫婦が写っていた。
「遊星、この写真って……」
「俺の両親だ」
それを聞いたアキの顔は真っ赤になった。
「遊星、私……ご両親に粗相をしてしまったかもしれないわ」
「えっ」
出口4.クロウ・ホーガンの場合
ファーの付いたノースリーブのやけにワイルドなジャケットを赤いTシャツに合わせた男。クロウ・ホーガンはそんなハイレベルすぎるセンスの男をよく知っていた。
「どうしたんだよクロウ? オレの顔になんかついてるか?」
「いや、なんでそんな格好してるんだよ……」
「は? チームサティスファクションのユニフォームなんだから当たり前だろ?」
間違いない、あの頃の鬼柳京介だ。今頃サティスファクションタウンで町長業務に明け暮れているはずの鬼柳が、なぜか昔サテライトにいた頃の格好で目の前に立っている。
異変を見つけたら引き返すこと。クロウの脳内では案内板に書かれた文章と鬼柳が瞬時に結びつく。クロウは脱兎のごとく速さで真後ろへ走り出した。
「へっ、異変だかなんだか知らねえがこのクロウ様に足で追いつけると思うなよ!」
そう言い残しクロウは通路を駆ける。程無くして『3番出口』と書かれた案内板が目に入った。
「なるほど、あと5回くらいきり抜けりゃ済むってわけか」
「何が5回なんだ?」
「うおおっ⁉」
クロウの前にひょっこりと鬼柳が顔を出す。あまりにもワイルドすぎるジャケットを着た鬼柳が。
「っ、ざけんじゃねえ!」
反射的に鬼柳の鳩尾を殴り付ける。
「ぐっ、ぐおおっ……」
その場にうずくまる鬼柳を無視してクロウは再び引き返した。
「すぐ異変だとわかるのはいいけどもうちょいマシな異変が出てこいよ……!」
4番出口。
「おい、さっきはなんで殴」
「うわああああああ!!」
5番出口。
「逃げんじゃねえ、クロウ!」
「てめえが異変なのはわかってんだよっ!」
6番出口。
「はぁ、はぁ……」
クロウは息も絶え絶えに壁にもたれかかった。
「こんなに同じ異変が立て続けに出るのってアリなのかよ……少し休憩すっか」
完全に床に座り込んで息を整える。地面に目を向けると黒い靴が目に入った。思わず顔を上げると鬼柳がそこにいた。
「鬼柳……」
だがそこにいたのは先ほどまでの異変の鬼柳と違い、長髪にロングコートの現在の鬼柳だった。
「どうしたクロウ、酔っ払ったのか?」
クロウを覗き込むその顔にはマーカーが刻まれていた。間違いなく本物の鬼柳だ。
「あのなあ……昼間から飲む趣味はねーよ。そもそも飲める歳でもねえからな」
「そうだな、第一飲酒運転なんてDホイーラーには言語道断だ」
くくくっ、と笑う鬼柳を見てクロウは少しホッとした。
「だいたいお前こそどうしたんだよ、サティスファクションタウンにいたんじゃなかったのか?」
「あー。色々用事があってネオ童実野シティに来たのはいいんだが乗り換えで迷ってな……案内してくれよ」
「仕方ねえ、このクロウ様がついてってやるとするか。そもそもここは8番出口ってやつで……」
「クロウ、あれ誰だ?」
鬼柳が指差した先にはジャケットを羽織った鬼柳がいた。
「引き返せえええ!」
クロウの絶叫に弾かれたように鬼柳はロングコートの裾をはためかせながら来た道を走り出した。
出口5.龍亞と龍可の場合
8番出口に迷い込むとたまに会えるはずのない人に会えることがある。アカデミアの学生達の噂で聞いたことがあった。
では目の前にいるのは異変なのだろうか。双子の目の前にいたのは矢薙だった。
「おぉ〜二人とも! 元気だったか?」
「あ、ああ……矢薙のじいちゃんこそ」
ダークシグナーとの戦いの後アカデミアの新学期が始まったりなにかと忙しくて氷室共々なかなか会う機会が作れず、なんとなく疎遠になっていたからちょっと気まずい。
「なぁなぁ龍可、アレって本物のじいちゃんなのかな?」
ひそひそと龍可に耳打ちをする龍亞。
「う、ううん……ここの異変って精霊が関係ないみたいで私にはよく分からないの」
「そうだよなあ……何回か異変のカウントリセットされたもんなあ……」
はぁ、とため息をつく龍亞。
「どうしたんじゃ? ため息をつくと幸運が逃げていくぞ?」
いかにも矢薙のじいちゃんが言いそうなことだな、と二人は思った。
「あの……どうやってここに来たんですか?」
「どうって……電車に乗ろうとしたんじゃが何回歩いても同じ場所に来てしまってな。ほれ、シルバーパスがあるから特別料金で乗れるんじゃ」
矢薙は懐から銀色のICカードを取り出した。それはネオ童実野シティが高齢者支援の一環で配布している正規品で間違いなかった。
「……本物のじいちゃんだな」
「……私もそう思う」
双子は矢薙に向き直った。
「あのさじいちゃん。おれ達もここ出たいんだけど二人じゃ難しくてさ……ついてきてくれない?」
「もちろんじゃとも! さっ、前に進もう」
双子は意気揚々と歩き出す老人について前に歩き出した。しばらく歩くと案内板には『1番出口』と書かれていた。
「異変じゃなかった……」
龍亞のつぶやきに矢薙はきょとんとした。
「龍可ちゃん、もしかしてここって……8番出口かい?」
「……はい」
それを聞いた矢薙の顔が明るくなった。
「そうかそうか……! ここがあの8番出口か! まさか生きてるうちにこの目で見られるとは!」
矢薙は子供のように純粋なキラキラした目で通路を見渡す。
「こうしちゃおれん、異変を探すぞ!」
「あっ待ってよじいちゃん〜!」
賑やかな声を響かせながら矢薙と双子は通路を進み始めた。
出口6.ある男の場合
電気がついてるのにちょっとうす暗い地下通路。きょろきょろと辺りを見わたしながら、不安そうに男の子は歩いていました。
「えっと、異変を見つけたら引き返すこと……だよね」
壁になりすました男に追いかけられたり赤い水が押し寄せてきたり……異変と呼ぶには危なすぎる目に何度もあって男の子は今にも泣きそうです。
「早く出たいな……」
男の子はぽつりとつぶやきました。地上に出れば危ないのはわかっているけど、それでもこんな所でずっと迷うよりはマシだと思ったからです。
とぼとぼと通路を歩いていると男の子の前に二人の大人が歩いてきます。その人たちがだれかわかった男の子はパアッと笑顔になりました。
「パパ……ママ……!」
男の子は走って二人に抱きつきました。地上にいた時ロボットにおそわれてはなればなれになってしまい、もう会えないかと思っていたからうれしさで胸がいっぱいになりました。
「パパ! ママ! 僕ずっと探したんだよ!」
「私たちも……ああ良かった!」
三人はひとしきり再会をよろこびました。
「出口を見つけたから急いで行こう。地下が頑丈とはいえ爆撃で崩れる危険があるからな」
「うん……!」
男の子はパパとママに手を引かれ歩き出します。あの時と同じ力強さとぬくもりに男の子はとても安心しました。
でも男の子は大事なことを忘れていました。男の子のパパとママはロボットにおそわれた時、男の子を残してこの世から消えてなくなっているのです。悲鳴をあげるよりも早く、あとかたもなく。
けれど男の子はパパとママに会えたのがとってもうれしくて、あれは夢だったんだ、と思うことにしました。
ロボットにおそわれるようになって街がメチャクチャなのも全部夢。ここを出ればボロボロじゃないいつもの景色があって、おうちに帰ればママのごはんが待ってる。パパに宿題を見てもらって、二人におやすみのキスをしてもらってふかふかのベッドで眠れば朝はトーストとスクランブルエッグがお待ちかね。食べ終えたら学校までスケートボードで走って、きっといつもと変わらない毎日が続くんだ。
明日はちゃんとママのお手伝いをしよう、そう思いながら男の子は歩きます。
上り階段の手前の案内板、そこに『0番出口』と書かれているのも気づかずに。
通路に一組の男女が座り込んでいた。
揃いの軍服を着用し、若い男の傍らには物々しい銃器が置かれていた。
「それでな、今日は三機仕留めた。幸い怪我人も死人も出なかったんだ。この調子ならオレ達の生活圏を取り戻せる日も近い」
得意げに語る男に対して若い女は浮かない顔をしていた。
「そっか……」
「どうした? 嬉しくないのか?」
「嬉しいけどさ……けど」
女はギュッと男の袖をつかむ。
「もうあたしの所には来ないでほしいんだ」
それを聞いた男は青ざめた。
「どうしてだ……?」
「あんたがここに来るの何回目だと思ってる?」
「……」
「答えたくないなら答えてあげる。27回目。それもあたしに会った回数だけだから本当はもっとここに来てるんでしょう?」
「っ……」
「あんたもわかってるくせに。あたしはあくまでもあんたの記憶から作られた異変でエウレア=パステル本人じゃないんだよ」
女は悲しげに目を伏せる。
「だからもう会おうとしないで。あたしはあんたの望むあたしじゃない」
「違うっ! エウレア、オレは……! オレは……」
否定しようとしても勝手に語気が弱まっていく。
「エウレア……」
男はエウレアの姿をした異変を抱きしめた。
「……これも9回目。まだわかってくれないのね」
「わかっているに決まっているだろう……それでも、それでもオレは……」
縋りたくて仕方なかった。かつて幼い頃この通路に迷い込み、両親の姿をした異変に会えた時の束の間の幸せが彼には忘れられなかった。例え幻であったとしても死んだ恋人に会いたいと願う事がどれほど愚かなのか、それは彼自身よくわかっていた。だがあの時の幸福を忘れられず何度もここに来てしまうのだ。
「……じゃあさ。一緒に引き返そう。もしあたしが本物なら一緒に脱出できるかもよ」
「……」
「ほら、立って立って。急いで帰らないと心配されるよ」
「ああ……そう、だな」
男は銃器を持ってゆっくりと立ち上がり、恋人と共に通路を歩き出した。
──これで3回目。
エウレアのつぶやきは彼の耳に入る事なく空気に溶けていった。
無機質な白い通路。記憶の彼方に追いやったはずの見覚えのある景色。老人は何も言わずただそこを歩いていた。
老人が来た方と反対側の通路から自身の子供について談笑する夫婦が歩いてくる。それを目にした老人はスッと後ろを向いて歩き出した。
何もない通路をずっと歩く。履き潰した靴の音が通路で反響し奇妙な音へと変貌していく。
反響音を聞きながら歩いていると案内板の近くの壁に寄りかかっている若い女が目に入った。女が動くよりも先に老人は再び踵を返し来た道を戻っていった。
老人が歩き続けると上り階段が姿を表した。その横の案内板には『8番出口』と書かれていた。
「夢を見せないでくれ」
老人はそれだけ言うと階段を上った。
出口○.ある人間の場合
「シェリー。今日は一つ思考実験でもしましょう」
物々しい機械に身を固めた男、Z-ONEはシェリーに時々話し相手になってもらっていた。生まれ育った時代の違う二人だが、この時間は二人にとって大切な時間だった。
「思考実験? ええ、いいわよ」
「あなたは8番出口をご存知でしょうか?」
「8番出口……イリアステルを追う中で都市伝説も調べた事があるから概要くらいなら知っているわ」
「なら話は早い。これはアポリアが話してくれた事なのですが……彼は幾度と無く8番出口に入った事があるそうです」
遠い未来にも8番出口は存在する、その事実にシェリーは目を丸くした。
「実在していたというの……?」
「彼の言葉を信じるなら」
Z-ONEは少しだけ間を置いて言葉を続ける。
「そこで彼は変わった異変に遭遇したそうです。本来なら会えるはずのない人に会い、一緒に行こうと誘われたと」
「それって……」
「彼にとっては両親や恋人でしょう。人によっては友人や恩師かもしれない。さて、ここであなたに問いましょう。本来会えるはずのない人に会ったら……あなたならどうしますか?」
シェリーは目を閉じて考え始めた。彼の言葉から推測するに故人の姿を真似た異変なのだろう。ついていったところで出口から遠のくばかりでデメリットしかない。だがそれがもし自分の両親だったなら、わかっていてもついていってしまうかもしれない。迷いながらもシェリーは答えた。
「……引き返すわ」
「本当に?」
「……そう聞かれると自信がなくなってしまうけど」
もしZ-ONEが生身の肉体であったなら、きっと目を細めていたのがシェリーに見えていただろう。
「そう、きっと誰でも迷うものです。思考実験などと大それた言い方をしてしまいましたが、本当は誰かの答えが聞きたかったのかもしれません」
「やけに感傷的ね。何かあったの?」
「ええ……夢を見ました。8番出口の夢を」
「そこには誰がいたの……?」
「生前の同志達がいました」
シェリーは生前の彼らの姿を知らなかった。だから彼が作ったロボット達の姿を代入し頭の中で想像することにした。
「彼らは私の記憶通りの話し方で道に迷ったと言い、一緒に行こうと呼びかけてくれました。私はどうしようか悩んで……」
「悩んで……どうしたの?」
機械の仮面の下、皺だらけの顔を困ったように歪ませてZ-ONEは一言だけ言った。
「……それは秘密です」