空港から出た瞬間の違う土地に来たんだっていう感覚が好きだ。思いっきり空気を吸い込んで頬を緩める。スーツケースを転がして歩く人たちが立ち止まる僕の横を通り過ぎて行った。
飛行機に長いこと乗っていたから時差のズレはあんまり気にならない。それにもともと僕の体内時計はめちゃくちゃだし。グッと伸びをして固まった体を伸ばし、鞄にしまっていたスマホを取り出して電源をつけた。いつも通りの仕事の連絡とSNSの通知、友人からの遊びに誘う連絡がいくつか。「明日の夜ゲームできる?」という数時間前に来ていたメッセージに「何日か出かけてるからまた今度!」と返してから地図アプリを開いた。
見慣れない地名、駅名に通りの名前。緊張よりも、ワクワクが勝っている。
検索バーに住所を打ち込み経路を確認した。一応事前に確認していたけれどやっぱりそんなにややこしくなさそうだ。リュックをしっかり背負い直し、指示された道へ歩き出した。
九月のオーストラリアは想像より寒くはなかった。冬を超えて気温が上がってきているみたいだ。せっかくだったら夏が冬になる、地球の反対側を体感できる季節に来た方が楽しかったかも。休めるタイミングが今だったから仕方ないけど。
電車に乗って最寄りの駅まで行き、スーパーで飲み物とお菓子を買った。両手いっぱいの荷物と共にバスに乗り、そろそろ連絡しないと、とメッセージアプリを開く。
『今家にいる?』
あと一時間ほどで彼の配信が始まる時間だと知っている。もちろん彼は家にいるだろう。数分もせずに『いるよ?どうしたの?』と返信がきて口角を上げた。
バスを降りてしまえばもうゴールは近い。無理矢理荷物を片手にまとめて持って、スマホを耳に当てた。コール音一回で通話が繋がり『アルバーン?』と聞き慣れた大好きな声が僕の名前を呼ぶ。
「もしもしサニー? ちょっとお願いがあるんだけど」
『もちろん、なんでも。どうしたの?』
「バス停からの道で迷いそうなんだ。迎えにきてくれない?」
『は? ……え? なに、どういうこと? ゲームの話?』
「ううん、現実。配信もしてないし、僕はあと数日オフの予定で間違いないよ」
『バス停って、どこの?』
「サニーの家の近くの」
ガタッと大きな音が電話の向こうから聞こえて笑い声を堪えるのが難しくなる。漏れ出たかすかな笑い声に『アルバーン、どういうこと?』ってサニーが困惑して聞いてきた。
「急にごめんね! 遊びに来ちゃった!」
『……ほ、ほんとうに、オーストラリアに?』
「イエス! というかマジで、サニーの家どれか分かんないから迎えに来てほしいかも。まだ時間大丈夫?」
『……信じられない。すぐ行くから待ってて。近くに公園があるだろ? ベンチがあるから座ってて』
「オーケー。ありがと。あとごめん?」
『いいよ、全然、全然いいけど、……はぁ、いや、いいや、会って話したい。バス停までは迷わないで来られた?』
「グーグルマップは優秀だ」
『良かった。体調は? 飛行機長かっただろ。時差もあるから気をつけないと一気に疲れが出るよ』
「まだ遠足の途中の気分。帰るまで持つといいけど」
『無理しないでね』
「うん、ありがと」
話しているうちにサニーの声がだんだん小さくなって、電話越しに聞こえていた足音がピタリと止まってしまった。「サニー?」と声をかけると『どうしよう……』と小さな呟き声が返ってくる。ぎゅっと抱きしめてあげたくなるような、迷子のこどもみたいな声。
『アルバーン、俺、あんまり話すのが得意じゃなくて』
「ふ、今さら?」
『電話とかメールとかじゃなくて、直接会うのってなんか違うだろ』
「うん。だから会いに来たんだよ」
『うん……? どういうこと?』
「電話とかメールとかだけじゃなくて、直接会う時のサニーのことも知りたいから。僕がまだ見たことないサニーのことも全部知りたいから、会いに来たんだよ。サプライズは、単純に驚かせて僕が楽しみたかっただけだけどね」
『……アルバーンは、直接でも変わらない?』
「どうかな? サニーが確かめてよ」
アルバーン、と、スマホを当てているほうじゃない耳にも空気を震わせて声が届く。パッと顔を上げたらサニーがそこにいて、僕は荷物をベンチに置いたまま飛び出した。
「サニー! 会いたかったー!」
「……本当にいるじゃん……俺も会いたかったよ、アルバーン」
「びっくりした?」
「するに決まってる! ここ、オーストラリアだよな?」
「ふはっ、うん、ここはオーストラリアだね! あはは、本物のサニーだあ!」
「……アルバーン」
「うん!」
「荷物を持って。俺の家に行くんで良いんだよね?」
「うん! これから配信あるでしょ? 後ろで見ててもいい?」
「は……絶対集中できないじゃん……」
「サニーがゲームしてるところ見たいんだもん。で、さ、配信終わったらデートしよ! サニーの住んでるところ案内してよ!」
「……わかった。ん、荷物一個持つよ」
「ありがと」
僕の荷物を持ってくれたサニーと共に歩き出す。見慣れない景色もサニーが暮らしている場所だからいっぱい見ておきたいんだけど、隣にサニーがいて景色なんか気にしてられるわけなかった。予想よりも近い視線に思わずニヤけながらサニーの横顔を見つめていたら、チラリとこちらを見て目を丸くしたサニーは色々感情のこもっていそうなため息を吐いた。
「アルバーン」
「うん」
「前を向いて歩いて」
「うん、もちろん」
「……俺だってアルバーンのこと見たいんだけど」
「どうぞ?」
「見つめ合って歩いてたら変だろう」
「ふ、そうかも? オーケー、じゃあ見つめ合うのは家に着いてから」
「……前を向いてよ」
「サニーがかっこよくて目を逸らせないみたい」
「アルバーン」
「あはは!」
笑い声を上げればサニーもふっと目尻を下げた。嬉しくなってトンッと肩をぶつけてみせる。荷物がなかったら人目も気にせずハグしてるところだ。平日の昼間だからそんなに人目はないみたいだけど。
「サニー、ちょっと止まって、腕を広げてみてくれない?」
「うん? こう?」
「そう!」
ぶつかるようにしてサニーを抱きしめて、咎められる前に数歩後ずさる。にししっと笑い、固まってしまったサニーが再起動するまでしばらく待った。うん、正面から見てもやっぱりめちゃくちゃかっこいいな。
「……アルバーン」
「はぁい」
「……顔に出にくいけど、俺は結構混乱してて」
「そうなんだ?」
「今日一日、イタズラは禁止」
「ええー!」
「じゃないと家に入れないよ。……ていうか、ホテルとか取ってるの? このあたり?」
「サニーのベッドがあるよ」
「……」
小さく汚い言葉を吐き捨てて、サニーが僕のことを睨みつける。うんうん、画面越しじゃない生のやりとりって、最高に楽しいね!