ヒュンケルもラーハルトも根っからの戦士であった。世の楽しみには脇目も振らず、復讐の為に生きてきた。
だがラーハルトにはまだ、竜の騎士の従者としての最低限の文化的な嗜みというものがあった。
一方、ヒュンケルは。
「店主よ、香水を付ける利点とはなんなのだ? 行動を悟られやすくなり、モンスターとの遭遇率も上がるのではないか?」
アイテムに実利しか求めていない無粋っぷりであった。
道具屋の主人が香りを奨めてきた理由は分かる。野営続きだった自分たちは碌な臭いを発してはいまい。
だからこそ、コレを付ければモテるなどというセールストークを吹っかけたのだろうが、しかしそれは元魔王軍の軍団長には理解不能の価値観だったのである。
「あー、それはですね……。え? いやだから、女の子にモテるようになるんですよ? 凄くないですか……?」
「すまん。分からん」
ヒュンケルは決して喧嘩を売っているのではない。純粋な知識欲から質問をしているのだ。
「分からんが、これほどの種類が販売されているのだから有用な物なのだろう?」
女に好まれる以外の理由がきっとあるに違いないと、ヒュンケルは陳列棚のガラス瓶たちを眺めやった。
「えーと、えーと……」
困り顔の店主と、大真面目なヒュンケルを置いてラーハルトは店を出た。もうすぐ夜だ。友の社会勉強には付き合っていられない。
先に宿に戻っていたラーハルトは、階段を上ってくるヒュンケルの足音を聞きつけた。
そこそこ長い付き合いだ。歩き方の癖は把握していて間違いようもない。
だから部屋の扉を開けて入ってきた者を確認することも無かったのだが。
「……っ」
別人かと、一瞬ひやりとして素早く振り返った。
しかしそこに居るのはヒュンケルだった。
「ただいま」
「ああ、やはりヒュンケルか。ずいぶんと遅かったな」
慣れぬ人物と誤認したのは、彼から漂っている彼らしからぬ香りの所為だった。
「なんだおまえ結局は買わされたのか」
ラーハルトは縄張りに侵入された狼の如く、険しい顔でヒュンケルに近付いて鼻をヒクつかせた。
「あまり良い匂いではないか?」
「使う価値はさほど感じないな」
おまえは体臭のままが好ましい、と正直に告げるのも憚られるので表現を濁したが、それでもヒュンケルは残念そうに悄気た。
香水など付けられては堪らない。ラーハルトにとってヒュンケル本来の匂いは、上顎の奥がふわつくというか、脳を満たされるいうか、とにかく心地の良いものなのだ。それに勝る精製物などは存在するまい。
「そうか……駄目だったか……」
相当に落胆したのだろう、ヒュンケルは懐から取り出したガラス瓶を寂しげに見下ろした。
「男にもモテると言われたのだが……」
朴念仁からとんでもない台詞が出てきたので、ラーハルトの思考は停止した。
ヒュンケルは香水をテーブルに置き、寝支度を始めている。
頭を整理しよう。
男にモテる状態になってラーハルトの元に帰ってきた、その真意とは。
「……つまり、おまえ、オレのことが好きなのか?」
ラーハルトは半信半疑ながらひとつの結論に行き着いた。
「言ってなかったか?」
なかった。
さっさと自分のベッドに寝転んだヒュンケルは、背を向けて掛け布を引っ張り上げた。
「おやすみ」
ラーハルトが絶句していると寝息が聞こえてきた。
相変わらずの寝付きの良さだ。
しかし何故その話をした後であっさりと寝られるのか。
そもそも今のは愛の告白だったのか。
返事をすべきなのか。
なんと答えれば良いのか。
己にとってヒュンケルはなんなのか。
「なにがおやすみだ……クソッタレ」
眠れるものか。
2023.09.20. 23:15~00:45 SKR