ヒュンケルとラーハルトは依頼を受けて、新たに発見されたダンジョンの調査に来ていた。
その実力を見込まれての事だったというのに、早々に罠に掛かってしまうとは想定外だった。
遺跡のような建物の入り口を潜って、最初に目に付いた扉の前にある石版に触れたら、いきなり床が消えたのだ。
足の踏ん張りようもないほどのキツい傾斜を、長く長く落ち続けた。垂直落下でないだけマシだったと思うべきか。
二人、ダンジョンの底らしき暗闇の石床に放り出された。
「ヒュンケル? 大丈夫か?」
「ダメージはあるが、大事ない……」
呻いて起き上がったラーハルトは、いち早く手持ちの荷物を探って明かりを取り出した。周囲はブロック状の石が積まれた通路。迷宮のようだった。
「状況は、非常に良くないな」
長期滞在の準備はしてきていないが、ここはダンジョンの深層だ。
切迫した事態であるのは当然ヒュンケルも察しているだろう。険しい目で周囲を検分した。
「天然ではない石積みながら、落下の深さからして人間に掘れるような規模の迷宮ではないな。神々の試練だとすれば……手強いぞ」
「水と食料は無事か?」
「水筒に穴はないようだ。食料もここに。だが元より少ない」
「唯一の救いは、おまえの師が作ったというこの魔力式のカンテラだけか。明かりだけは尽きる心配が無い」
現況の把握は終わった。
「行くぞ」
「ああ」
脱出開始だ。
ダンジョンは一階層ずつ上がっていく構造ではあった。だがそう簡単に事は進まなかった。
階段、そこへ行き着くまでがいちいち迷路になっており、また辿り着いたとしても扉で封じられている。
「ここか……」
迷路を抜けて、扉を見上げた。
封印を解くのは簡単と言えば簡単だった。石版にボタンが二つ付いているから、左右どちらかを押せばいい。アタリならば扉は開く。
しかしハズレならば。
「うわっ」
「チッ!」
床が無くなる。そしてあのキツい傾斜をまた転がり落ちて、振り出しに戻るのだ。
「くそぅ! 忌々しい!」
落ちた先で尻を下ろして座り込み、ラーハルトは床を拳で叩いた。
時間を掛けて迷路を抜けても、ボタンの選択ミスひとつで元の木阿弥だ。幸いにして何度落ちてもダンジョンの構造が変わることはないが、それだけに膨大な記憶力が求められる。
「順路とボタンの左右、正解を書き付ける筆記具もない。覚え続けるのはアバンでもないと……」
「おらん者を引き合いに出しても始まらん。分担しよう。道は得意だ。俺が頭に焼き付ける。おまえはボタンの左右をひたすら記憶しろ」
「承知した」
乏しい干し肉を囓り、貴重な水を舐める様に喉へ送り。
再度、立ち上がって出発した。
日の見えぬ地下迷宮だ。どれほど経ったかを知る術もない。
ただ確実にすり減っていく体力と、衰えていく気力が長い時間を思わせた。
歩いているだけなのに、両者はあはあと弱々しく息を紡いでいる。
あと何層あるのだろう。途方もない道のりを想像して絶望に苛まれそうになる。
「新しい……扉だな……」
左右のボタン、確率は半分だ。
アタリなら希望がひらけるが、ハズレならばこれまでの苦労を、もう一度だ。
「おまえが選べよ……」
さも譲ってやると言わんばかりのラーハルトだったが。
「責任を押しつけるなよ……」
荷の重い選択だ。できればやりたくないのがお互いの本音だろう。
「分かった。恨むなよ」
一息ついて気合いを入れたラーハルトが、進み出て石版のボタンを、押した。
「……!」
悲鳴も上げずに二人は落ちた。
疲弊していた。黙々と、足を引きずって通路を歩いた。
働かない思考に鞭を打って道とボタンを思い出し、地上を目指して進んだ。
そして辿り着いた新たな扉。
両開きの重厚なその扉の中央に、細く細く縦にある隙間、そこから向こうの陽光が漏れていた。
ここが地上の階層、最初に見た石版の奥にあった扉に違いない。
「……最後の選択だな」
二人は気付いていた。もしもこの選択を誤って迷宮の最深部に逆戻りしたならば。
自分たちには、次を登る体力はもうない。
「選べ」
ラーハルトはヒュンケルを見てから、ボタンを見た。
「ひとつ前のはオレが失敗したからな」
「オレは運が良くないぞ」
「知ってるさ。よく、知ってる」
ヒュンケルが進み出た。
生死を分ける二択が行われようとしている。
緊張に体が強張り、胸を叩く拍が耳にまで聞こえる。
ボタンの前に立ったヒュンケルは、頼りなげに後ろを振り返ってきた。
「いかん……指が震える」
ラーハルトは、彼の背中にそっと歩み寄り、胴に腕を回した。
「ここにいる」
まさか男に、真の男にこんな事をしたのは初めてだ。互いに戦士で、過酷な状況でも一人で立てる、そう信じていたのに、これから共に死地に落ちるかも知れないと思うと、せずには居られなかった。
「ここにいるから、押せ」
「だが……」
「どうなっても恨まん。相手がおまえで良かったと思うさ」
「ラーハルト……」
「押せ」
ヒュンケルの腹に置いていた手を、胸まで引き上げてしかと支えると、彼の鼓動も尋常でなく速いのが掌に伝わってきた。
己の心拍が早鐘を打つのも、彼の背中に伝わっているのだろう。
戦慄く手が石版に伸ばされた。
二人、息を飲みながら、ヒュンケルの指先がボタンに触れるのを見た。
2023.09.25. 17:40~18:40 SKR