ラーハルトが洗濯物を取り込みに出たら、ヒュンケルが仕留めた獲物を捌き始める所だった。ごうけつぐまだ。
「ここで血抜きなんぞしたら、またモンスターを呼び寄せるぞ?」
「ここに居たんだから仕方ないだろう」
危険な場所に住んでいると呆れられることもあるけれど、おかげで人間の寄りつかない快適な我が家である。
ごうけつぐまの巨体を捌くのは常人には事だろうが、ヒュンケルは大ぶりのナイフ一本でスルスルと腑分けしてゆく。組織構造の知識、刃物のテクニック、そして腕力も必要な作業だが難なく行っている。
「コイツ、何にする?」
臓物をタライに放り込みつつ、ヒュンケルは今晩のおかずのプランを問うてきた。ラーハルトは籠を片手に考え込む。
「そうだな……希望は?」
「なかった」
「……んん?」
「コイツはどう調理されたいとは言ってなかった」
もちろんラーハルトはヒュンケルの希望を尋ねていたのだが、会話の方向を修正する前に、好奇心に負けた。
「食材と話せてしまうというのはどういう心境なのだ?」
「ニワトリとは話せんが?」
「だがオレ達は魔物も食うよな。そしておまえは魔物と話せる」
「まあな。言語とも限らんが」
「食いづらくなったりはせんのか? 事前に意思疎通などしていたら」
「慣れてるから、特には」
雑談の間もヒュンケルは解体の手を止めない。肉と皮のあいだに刃物を差し入れていくと、見る見るうちに元の姿が失われていく。
「コイツも最初は命乞いをしてきた」
「おいおい……食欲の落ちるようなことを言うなよ」
「だが、オレが勝ったのだから聞く耳は持たんぞと突っぱねたら、ならば自分を血肉にするからには長く生きろと。そうすれば自分の命が長らえたも同然だと」
「よく分からん言い分だが、まあおまえが長生きすることについてはオレもやぶさかでは無い」
物干しロープから乾いた衣類を外しては籠に入れるラーハルトは、しかし次のヒュンケルの一言に一瞬、手を止めた。
「子々孫々栄えて千年までもと期待されるのは少々つらかったがな。いくらオレが体を長らえたところで、この血肉は次代に継がれるわけではない」
それは悲しい言葉のように始まったが、次第にラーハルトの耳には甘く響いた。
一生ラーハルトと居ることを疑っていないからこそ出てくる台詞だ。
最後にシーツを物干し台から降ろして、極力シワにならぬように畳んでから籠の一番上に乗せた。そのまま脇に抱えて家に入ろうとすると。
「そうだ。おまえが食えばいい」
ヒュンケルの妙案らしきものが耳に届いた。
「オレが? 何を食えばいいと?」
「だから、オレを」
籠を抱えるのと逆の手で頭を抱えた。
「おまえを食うと、どういいのだ……」
「オレがおまえの血肉になれば、オレの血肉となったこの熊の願いは間接的に叶う」
言いたい事はわかったが。
「ソイツにそこまでの義理は無いし、大体にしてオレは食う相手と事前に意思疎通などしていると食いづらくなるタイプだ」
「そうか。意外に繊細だな……」
ヒュンケルは落胆して顔を伏せ、肉の解体作業に戻った。不当にも悪いことをしたような気分に陥れられた。
だがヒュンケルを食うなど。
たった一人の実力を認めた友であり、目に入れても痛くない親愛の人、それをこの体の中に入れる。そうすればかつてヒュンケルだった物が血となって全身を駆け巡る。鼓動を打つ胸の奥にも、この指を伸ばした先にまでも彼が宿る。彼を抱きしめるよりも近く、めり込むよりも深く、彼と一体に。
意外と悪くない空想ではないか。
ラーハルトはズリ落ちかけていた籠を抱え直し、二歩、三歩進んで、玄関扉に手を掛けながら振り返った。
「ヒュンケル」
「ん?」
寂しげに顔を上げた彼へ、肩越しに笑みを投げかけながら家の入り口を開いた。
「それがおまえ自身の願いだというならば、時が来れば検討してやる。だが差し当たっては……今夜、味見だけさせろ」
意味合いを察したヒュンケルが赤面するのを見届けて、ラーハルトは満足げに扉を閉めた。
2023.10.17. 18:40~19:50 +60分 =通算130分
SKR