ラーハルトは迅速を旨とする男である。なんでもはやい。
ダイが、レオナと共にパプニカを治める道を選んだら、即座に自分もパプニカ城に住むと決めた。
一方、ヒュンケルはこの地に在ることを良しとせず、どの国の所領でもない小島で暮らしていた。辺鄙なところに居るものだから会いに行くのも一日がかりだ。
ダイの片腕として常に追従するラーハルトが、丸一日も休みを取るのは月に一度だけだった。
パプニカは精霊信仰の厚い国だ。新月は生命の育まれる霊力の満ちる暦として夫婦の日に定められていた。如何にダイの一の部下たるラーハルトであろうと側に侍るのは無粋であり、その日だけは暇をもらっていた。
その日には必ず、月の無い夜空を竜で駆け、土産を持ってヒュンケルの小島を訪れる。食事をして翌朝まで飲み明かす。心躍る時間だった。何にも代えがたく待ち遠しかった。
だからラーハルトは夜ごとパプニカ城の自室から月の形を確かめる。今より欠け行く下弦の月。あれが光を収めたなら、また竜を駆って彼の元へ。
しかしある夜、いつものようにベッドサイドの窓を開けて浮かんでいる二十六夜月を眺めていたら、ふと暗算をしてしまった。
仮にヒュンケルの寿命がもう八十年あるとして。
新月が一年に十二回だとしたら、九百六十回。
あと千回も会えないのか。そう考えると夜空の月が潤んで滲んだ。
では仮に、そう仮に。
一年が三百六十五日なら、八十年だと、二万九千二百日。
愕然とした。それでもそんなに少なかったのか。
迅速を旨とする自分がどうしてこれまでのんびりと構えていられたのか。
これは急務だったのだ。
あと三日だ。忙しくなる。
月に一度の日。
ヒュンケルはラーハルトを待っていた。
夕食の準備はまだ始めていない。めぼしいものは釣り道具くらいしかない貧相な小屋なので、毎回ラーハルトは街の豪勢な飲食物を調達してくる。この前みたいにステーキ肉でも持ち込まれればメインメニュー変更の可能性もある。待機しておくのが得策だ。
だが今日の彼は、肉もワインもケーキも携えては来なかった。
「ヒュンケル! オレが馬鹿だった!」
玄関扉を吹き飛ばす勢いで乗り込んできた。
「どうした なにかあったのか?」
普段はノックくらいするラーハルトだ。愛用の槍のみを背負って突入してきたのは、もしや緊急事態かとヒュンケルは目を丸くして立ち上がったのだが。
「ダイ様の許可を得て城下に家を確保した。引っ越しの足はおまえの弟弟子の大魔道士に依頼した。女王からは式の手配をする約束を得た」
ラーハルトは矢継ぎ早に支度の首尾を並べ立て、最後に。
「月の光る夜も、共に居てくれ」
呆気に取られるヒュンケルの足下にスッと跪いて、本日の唯一の手土産である指輪のケースをパカリと開けて見せた。
「返事は?」
男は真剣な眼差しで婚約指輪を捧げ持ち、答えを急かしてくる。
さすがは迅速を旨とする男である。なんでもはやい。
「ラーハルト……オレたち、まだ付き合ってないぞ……」
2023.10.18. 16:55~19:05 =通算130分
SKR