ウエ+サウで七夕七月七日。
今日はラビリンスでは初めての、七夕祭りの日だ。
星空の元、人々は自分の願いを書いた短冊を笹に飾ったり星を象ったお菓子を食べたりと思い思いに新しい文化を楽しんでいる。その様子を、サウラーは少し高い場所から見つめていた。
「サウラー!願い事は書けたか?」
祭りの会場から戻ってきたらしいウエスターに声をかけられ、サウラーはそちらへ顔を向ける。
「……ううん、まだ」
手元の短冊には、まだ何も書かれていなかった。
「お前のことだから、難しく考えすぎているんじゃないか?願い事と言っても、そんなに大層なものじゃなくて良いんだぞ。美味いドーナツをいっぱい食べたいとか、もっと筋肉をつけたいとか」
「……それ、キミの願いでしょ?」
くすり、とサウラーは笑う。
「何故分かったんだ!?サウラーはすごいな!」
「こんなの、ボクじゃなくたって分かるさ」
サウラーはそこで言葉を切ると、視線を落として続けた。
「……分からないんだよ」
「分からない?何がだ?」
首を傾げるウエスターに、サウラーは困ったように微笑んで答える。
「……自分の願い、とやらがね」
ウエスターがサウラーのそんな顔を見るのは、初めてではなかった。
管理国家ではなくなったラビリンス。誰もが自由に生きられるようになったはずのこの国で、未だその「自由」を掴みかねているのが他でもないサウラーだった。
四ツ葉町のある世界の文化に触れることが極度に少なかった影響なのか、あるいは元々の性質なのか。いずれにせよ、サウラーの持つ感覚は今でも管理国家の国民としての色が大きく残っていた。自分や他人にあまり興味を持つことができず、それ故に自分の意志や他人を思いやる感情を感覚として理解することが難しい。それは「正しさ」に重点を置いて生きるサウラーにとって大きな悩みだった。
生まれてからずっと、サウラーには「分からない」ことなどほとんどなかった。本を読めば、大方のことは理解できたのだから。しかし、今は違う。管理や支配から解き放たれて、サウラーは気付いたのだ。自分のことが、ほとんど何も分からないことに。
活字を読むのは、楽しい。それについては確信が持てる。頭を使うのは好きだ。身体を動かしたり外に出るのは、あまり好きではない。だが、それ以外のことが何も分からなかった。例えば、食べ物の好み。味覚はあるので甘いだとか苦いという感覚は得られるが、自分がその食べ物を好きなのか嫌いなのかが分からない。そもそも、「好き」や「嫌い」が一体どういう感覚なのかがサウラーにはあまりよく分からないのだ。
ラビリンスが管理国家でなくなってからずっと、サウラーには分からないことだらけだった。分からないということはこんなにも不安で恐ろしいことなのだと、サウラーは十数年生きてきて初めて知った。
「ボクという人間が何を望んでいるのかが分からない。それなら、と他の人に目を向けてみても、ボクには他人を思いやるという感覚がまだ上手く掴めないから……他人のための願いというのも、やっぱりよく分からなくて」
取り敢えず、国民の幸せでも願っておけばいいのかな。でもそれって、願うというより叶えなきゃいけないことだよね?と呟くように言うサウラー。少しの沈黙の後、先に口を開いたのはウエスターだった。
「なら、オレが代わりに願っていいか?」
「キミが?……まあ、いいけど」
怪訝そうな顔をしつつも頷いたサウラーから短冊を受け取ると、ウエスターは何やらそこに文字を書き込んでいく。
「……これでよし、っと」
「何て書いたの?」
サウラーの問いに、ウエスターはいつもの笑顔を浮かべた。
「サウラーが笑って過ごせますように、って」
「っ……」
「誰もが自由に生きられるようになって、ラビリンスにも笑顔が増えた。誰かが笑ってるのを見る度、オレは思うんだ。この笑顔を守れるような国を作りたい、ってな。
その中には勿論、お前も入ってる。だからオレは、お前のことも笑顔にしたい。オレは難しいことを考えるのが苦手だから、お前の悩みを解決してやることはできないかもしれない。でも、オレたちは仲間だ。だから、お前が悩んだり苦しんだりしている時にその心の負担を軽くすることくらいはしてやりたいと思ってる。……お前の笑った顔、オレは結構好きなんだぞ」
「なあに、それ?告白のつもり?」
「こっ……!?い、いや、そういう甘酸っぱいやつではなくてだな……!」
「はいはい。分かってるって」
くすくす、と笑うサウラー。その顔からは、すっかり憂いは消えていた。
「まあ……その願いについては、問題なく叶うんじゃないかな。キミのその突飛な言動がある限りはね」
「……それは褒めてるのか?」
「ふふ……ご想像にお任せするよ」
いつも通りの口調だが、その声色はどこか晴れやかだ。
「さて……今回は、どうやらキミに一つ貸しができてしまったようだね。不本意だと思わなくはないけど、お礼くらいは言っておくよ。……ありがとう」
「何、気にするな。これくらい当然のことだ」
「ちょっと、もう少し有難がってくれない?ボクがお礼を言うことなんて滅多にないんだからさ」
「そんなことを言われてもな……お前ももう少し素直になったらどうなんだ」
「お断りするよ。馬鹿正直なのはキミ一人だけで十分だ」
「あっ、馬鹿って言ったな!?馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ!」
「それは有り得ないよ。何故なら、頭を使うのはボクの方が何倍もキミより得意だからね」
いつものようにやり取りを続ける二人を、満天の星たちが優しく見守っていた。