僕の瞳に映る君(……モモがいない)
眠りから覚め、重い瞼を開けるといつもそこに居るはずの片割れ─モモ─がいなかった。基本的にモモは僕より早起きで、先に起きて城の中を歩き回っていたり庭の手入れをしたりしている事が多いが、どうやら今日はもう少し遠くに居るらしい。村に住む青年だった彼を僕の血で同族にしてしたことで、モモは所謂僕の眷属にあたる存在になった。それゆえ、ある程度の範囲までならモモがどこにいるのかなんとなく分かる。多分今日は城から見える泉の近くにいるのだろう。
軽く身支度を整えてから城を出発し、モモの気配がする場所へ足を運ぶ。泉のある場所の近くまで来ると、予想通りそこにはモモが居た。ザクザク、という土を踏みしめる僕の足音に気付いたようで、地面にしゃがみこんでいたモモがこちらに振り向いた。
「モモ、こんな所にいたの」
「ユキさん……!ご、ごめんなさい勝手に城を出て……」
「ふふ、別に怒ってないよ 今日は外に行きたかったの?」
「はい なんとなく、散歩したくなって……それで、歩いていたらこれを見つけたんです」
そう言うと、モモは手に持っていたものを僕の前に差し出した。それは、綺麗な装飾が施された手鏡だった。
「これは……鏡、だね」
「はい この近くに落ちてたんです 誰かが踏んだりして割れたら危ないと思ったので、とりあえず拾いました」
僕は自分の住む城以外にそこまで興味は無いから、外で何を見つけても大して気にとめないが、優しいこの子は誰かが怪我をしないようにと、手鏡を拾ったらしい。本当に、モモは僕には勿体ないぐらい優しい心の持ち主だ。
「それにしても、こんな森の奥に手鏡なんて珍しいな この辺りには僕らしかいないから、誰かの落し物なんだろうけど……」
鏡なんて、僕たち吸血鬼には必要のない代物だ。故にあの城にはないし持ち出した記憶もない。となれば、偶然迷い込んでしまった誰かのものと考えるのが妥当だろう。
「そうですね オレ達が持ち帰ったらますます見つからなくなっちゃうし、木の枝にでも吊るしておきましょうか」
「うん そうしようか」
近くに生えていた植物のつるを使って、枝が丈夫そうな木の枝に手鏡を括り付ける。先程見せてもらった時も思ったが、この手鏡はかなり装飾が凝っている。どれくらいの価値があるかまでは分からないが、少なくとも安物とは思えない。きっと持ち主はこれを探しているのだろう。ちゃんと持ち主の手に戻ればいいが。
手鏡を所定の場所に置いて、そろそろ帰ろうかと足を城の方に向けたが、モモはその場から動こうとしなかった。
「モモ?」
帰らないの、と尋ねると、モモは吊るされた手鏡を見つめながらぽつりと呟いた。
「……オレ、本当に鏡に映らなくなっちゃったんですね」
「そりゃぁ、吸血鬼だからね僕たち」
自分の姿が見えなくて困ったことはあまりないから、僕自身気にしたことはほとんどなかった。だが、人間だったモモにとってはまだ違和感のある事なのかもしれない。
「不思議、ですよね ここに居るのに、居ないみたいに見えて」
「まぁ……そうね 不思議と言われればそうかも」
吸血鬼という生き物は元からそうだし、そもそも疑問を抱く事もなかった。だけど、モモは何か思うことがあるみたいだ。近づいて顔を覗き込んでみると、モモはどこか寂しそうな表情を浮かべていた。
「モモ……?」
「……村に居た頃も、こういう感じだったんですよね、オレ 確かにオレはここに居て、見えてるはずなのに、わざと見えないフリみたいな事されて……だから、こうやって自分でも自分の存在を認識出来なくなっちゃったら、本当にこの世界から消えちゃったみたいで、ちょっと怖いなって」
そう言ってへにゃりと笑うモモだったが、僕にはその笑顔が作りものだと分かった。強がってるみたいだけど、この子は吸血鬼になってからも怖くて寂しくて、いつか本当に何もかも消えてしまう……そんな風に思っていたのだろう。
「大丈夫だよ、モモ」
自分より少しだけ背の低い彼を、包み込むようにして抱き寄せる。突然の事に驚いたのか、腕の中にいるモモからは「へ?!」という気の抜けた声が聞こえた。
「大丈夫、モモは消えたりしないよ こうやって僕が触れて、抱きしめる事が出来る」
「ユキ、さん……」
「確かに僕らは自分で自分の事が見えない それは人間だった君にとっては怖い事かもしれないね でも僕らは二人だ 君の事は、ずっと僕が見てるよ 僕が見てる限り、君は消えたりなんかしない」
「……そうですね オレもユキさんのこと、ずっと見てます ユキさんが消えないように」
「うん」
互いにしばらく見つめ合ったあとどちらからということもなく顔を近づけ、触れるだけのキスをした。キスした後にほんのり頬を赤く染めるモモは、何度見ても可愛い。
「今度こそ帰ろうか、僕らの家に」
「はい」
モモの手を引いて、我が家へと歩き出す。月明かりに照らされたモモの顔は、陽だまりのように晴れていた。