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    yosuga_04_05

    @yosuga_04_05

    書いたものをまとめる用です。
    https://twitter.com/i/events/1540359488255201280
    にもありますのでお好きな方で。
    年齢制限のあるお話の閲覧は18歳以上の方のみでお願いします。

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    yosuga_04_05

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    👟くんに片想いしている🦁くんの💛💜。

    7/14~更新中 9/27現在10話まで。
    都度追加していきます。
    こちら(https://privatter.net/p/9317025)でも同じものが読めます。読みやすい方で。

    #lucashu
    #CASHU_LS

    【💛💜】Turn around1.届かないこころを覗いてほしい



    「きみに想われる子は幸せだろうね」



     それは、きっとこころからの言葉だったから。
    「……、そう?」
     寒くて、指先がかじかむ。
     うっかり、反応が遅れてしまったのに、ルカは内心焦っていた。通話越しだから顔なんて見えやしない。きっとばれない。きっとばれないけれど、でも。
    「うん」
     ルカのそんな焦燥や溢れ出る感情に気づく様子のないシュウは、頷いて、そのまま言葉を続けた。
    「僕はなんていうか、自分がだれかとそういう風になるの、正直うまく想像ができないから。そんな予定もないんだけど、もし恋人ができたとしてさ、相手を大事にできる気がしないんだよね」
    「シュウは優しいし、大事にできないってことはないんじゃない?」
    「うーん、僕が優しいかは置いておくけど。優しいのと、相手を大事にできるかは別じゃないかなあ」
     たぶん、きみの方がよっぽど相手を大事にできるよ。
     そう言って笑ったシュウは、いつも通りの穏やかな様子だった。
     そうしてこちらの気も知らずに、とんでもないことを言うのだ。
    「僕が女の子ならさ、もしかしてルカを好きになるのかな」
    「————」
    「んはは、なんか恥ずかしいこと言ったかも」
     無邪気に笑うシュウに、ルカはなにを返していいのかまるでわからなくて、けれど黙っているのもおかしくて、ようやくの思いで口から出てきたのが「Why」だった。
     なぜ、なんてそんな、理由を聞いてどうするのか。
     一瞬の間に己の言葉を猛省するルカをよそに、シュウは「うーん」と唸る。
    「ルカのことはもちろん、いまも好きなんだけど」
    「……っ」
    「友達として、同期としてね。でも例えばさ、僕ときみが同級生で、同じ学校に通っていたとしたら。きみは陸上部で、運動ができて、学校の人気者でさ。そのくせ僕みたいな奴とも気兼ねなく話してくれるし、その上話してるとすごく楽しくて、いつも笑っちゃうんだよ。それは好きになっちゃうと思うな」
     穏やかな声音で、やさしくて甘い例えばの話が紡がれていく。
     きっととても嬉しいことを言われている。言われているけれど、同時にそれはひどい毒にも思えた。
     こころの一等やわいところをじわじわ侵食していくような。息苦しくなっていくような。
     一瞬でもシュウの中で思い描かれた学園生活の中の俺は、一体どんな姿だったろう。一体どんな話をして、どんな時間を過ごして、笑い合っていただろう。
     だから、つい。
     気づけば、口をついていた。
    「……それで?」
    「え?」
    「その世界線でさ、シュウは俺を好きになったら、どうするの?」
    「どうする、って……」
     聞いてどうするのだろう。わからないくせに、それでもどうしても、聞いてみたかった。
     ルカの問うたのに、シュウはいくらか沈黙する。ルカはといえば、心臓がどんどんおかしな跳ね方になっていく。どんどん室内の空気が冷えていく気がするのに、そのくせ冷や汗をかいている。意味もなくパソコンの画面をスクロールして、けれどマウスを手にする指先が凍えてぎこちなくなっていく。
     やがて考え込んでいたシュウが口を開いた。
    「べつに、どうもしないんじゃないかな」
    「どうもしない」
    「うん、どうもしない。好きだなあって思って、たぶんそれだけ」
     あっさりとそう言ってのけたシュウに、ルカは肩透かしを食らう。思っていた返しのどれでもなかったし、けれどルカの想定していた返しのどれよりも闇ノシュウの答えだった。
    「告白したり、付き合ってみたいな、とかは……?」
     なんだか表紙抜けして、ルカはつい疑問を投げつけてしまう。
    「ええ? たぶん僕ルカと話せるだけで充分だと思うけど」
    「…………、なんか俺の方が恥ずかしくなってきた」
    「なんでさ、ルカが聞いたんじゃん」
     ルカの言葉に、シュウが可笑しそうに笑う。彼には悪気などかけらもなく、まして裏や下心もなく、ただ彼のこころに従うまま純粋に思ったことを言葉にしてくれているだけだった。
     俺だって鈍感だって言われるけれど。
     それがまさか、自分よりも鈍感な相手と出会ってしまったし、あまつさえ恋をしてしまった。
     片想いをするには、あまりに最高難易度すぎやしないだろうか。



     ————ルカ・カネシロは闇ノシュウに恋をしている。



       ***



    「そりゃ相手が悪すぎるって」
     通話越し。ミスタが息を吐いた。
    「俺だってそう思ってるんだって!」
    「じゃあ諦める?」
    「NO」
    「あー、はいはい」
     ルカの返しに、ミスタは先ほどよりも深くため息をついた。やれやれ、といった様子のボディランゲージまで見えるようだった。
     ミスタ・リアスはルカによってよき友人だった。くだらない話もたくさん出来るし、こういった相談だってミスタなら気安い。遠慮をしなくていい。
     とはいえ、ルカのシュウへの想いはわりと筒抜けらしく、アイクだってヴォックスだって知るところらしかった。知らないのは肝心のシュウ本人くらいなのだ。



     Luxiemとしてデビューをして、シュウと話すようになって二年と半年ほど。
     ほとんど毎日何かしらやりとりをしていくうち、自分のこころに気づいたのはいつだったろう。一年前くらいだったろうか。
     もとより、ルカとシュウは波長が似通っていた。お互い考え方は違う気がするのに、ノリや楽しく感じるものが似ている。話していて楽しい。居心地がいい。息がしやすい。簡単に顔を合わせられる距離に暮らしていないから、オフで会ったのだってこの二年半で数えるほどだ。
     初めは自分のこころに核心なんて持てなかった。べつに同性愛者への抵抗があったわけではなくて、漠然と自分は異性愛者なのだと思っていた。それになにより、シュウのことは好きだったけれど、あくまでよき友人だと思っていたから。
     シュウと話すのはいつも楽しくて、でも、それだけ。友人として同期として彼は優しくて親切で、いつだって信頼できる。ルカがシュウへ向ける好きは、それだけだと思っていたのだ。
     けれどお互いに忙しくてやりとりが減れば寂しくて、シュウが他のメンバーと楽しそうに配信しているのを見ると、すこしつまらなく感じるようになった。まあ仲の良い友人が自分以外と楽しそうにしていたら、寂しく感じることもあるかも知れない。自分はどちらかと言うといつも誰かと一緒にいたい方だし。ルカはそう自分を納得させていた。
     けれど、でも。
     そうだ、あのとき。
     ルカはとある配信者と一緒に配信をすることになって、事前に二人で打ち合わせをしていた。その配信者はそのころシュウと特にいっしょに配信する回数が多くて、それこそルカが寂しく感じた要因でもあった。相手から世間話の延長で、シュウの話題を振られたのだ。
    「シュウさんは本当に優しくていいひとですよね」
    「ああ、俺もそう思うよ」
    「この間も——」
     と楽しそうに、ルカからすればそう深く知らない相手から、ルカの知らないシュウの話を聞かされたとき。自分でもわけがわからないが、こころがすう、と冷えていくのを感じた。
     なんで。なんで。なんで。
     だって、俺の方がずっと長くシュウと過ごしているのに。
     それなのに、なんでこんな風に話を聞かされなきゃならないんだろう。
     ささいな嫉妬。いまにして思えばささいではなかったけれど、それでもルカのこころになにかを芽吹かせたきっかけだった。
     おまけにそれとなくシュウにその相手の話を振れば、シュウはにこにことそいつの話をした。
    「ああ、最近よく話すかな。結構すきなものが似ててさ、話してて楽しいんだよね。この間も気づいたら結構長いこと通話してて」
     無邪気にからからと笑う声に苛立ったのなんて、初めてだった。
    「ルカもきっと好きだと思うな」
     そう、告げられた瞬間に。
     なにかがルカの中で膨れ上がって、破裂して、ぺしゃんこになった。ぶわ、と知らなかった感情が急速に根を張っていくのがわかった。
     あ、これ。だめなやつかも。
     わかんないままがよかったかも知れない。
     そう思ったが、気づいたときには遅かった。
    「まあでも」
     そうして、極めつけ。
    「ルカと話してるのがいちばん楽しいかなあ」
     そう、なんのてらいもない言葉を告げられたときに。
     否応なしに、ルカは自分の中のシュウへの恋に気づいてしまった。



    「で? 一体おれになにしてほしいわけ」
    「どうアピールしたらいいと思う?」
     ルカはつとめて真剣なトーンでそう尋ねた。けれどミスタは面倒そうに息を吐きながら、投げやりに返してくる。
    「もう次に会うときキスでもしてやったら」
    「無理だって!!」
    「うるさ……、だってさ、考えてもみろって。相手はあのシュウなんだぞ。正攻法なんてあってないようなもんだって。大体おれがおまえにこの話されるの何回目だと思ってんだよ」
    「それはそうなんだけどさあ……」
     ミスタの返しに、ルカはがっくりと項垂れる。
     そうなのだ。シュウへの想いに気づいてから、ルカは何度もミスタに相談してはアドバイスをもらっていた。
     いまだって毎日何かしらシュウと話したりメッセージを送ったりしているし、昔からの流れでTikTokで面白いものを見つけては真っ先にシュウにシェアする。加えて何かしらシュウを褒めたり、感謝したり。
     ルカとしてはこんなにアピールしてるのに! という状況だった。けれどどうにも、シュウにはまるで刺さっていない。もちろん、すべてにこにこと受け入れてくれるが、ルカの望むような変化は何もない。それも無理もないのは知っている。なにせ物理的な距離だってあるし、向こうはルカを友人としてしかそもそも見ていない上に、恋愛にさほど興味がない。
     今日だって、通話のさなかにどうにか恋愛的な話題に持っていったのだ。
    「シュウはさ、どんな相手がタイプなの?」
     と。ルカにしては、シュウに問うにしては、割と突っ込んだ話題だった。
    「うーん、いろんなひとに聞かれるけどさ、本当にわかんないんだよね」
    「ポニーテールがかわいいとか、背は低い方がいいとかさ、あるじゃん」
    「そりゃポニーテールは好きだけど、だからってそういう対象になるわけじゃないよ」
     ルカの言葉に、シュウは困ったように笑っていた。
    「昔からそうだけど、僕ほんとにそういうことに興味がたぶん薄いんだよね。だってルカとこうして話してる方が楽しいし」
    「!」
    「もし恋人ができても、きっと優先順位は高くないよ。すぐ見限られちゃいそうだよね」
     それなら例えば、シュウがルカの恋人になったなら、どうなるんだろう。
     俺を優先してくれる? それとも、俺以外の友人と話す方が楽しくなる?
     そんな疑問が浮かんだが、口にする前にシュウが問うてきた。
    「ルカは?」
    「え?」
    「ルカはどんなひとがタイプなの」
    「!」
     その問いに、ルカは少なからず驚いた。だって、まさかシュウからそんな話題を振られるとは思ってもみなかった。
    「? どうしたの」
    「いや、シュウがそんな風に聞いてくると思わなくて」
    「だってきみが聞いてきたから。今日はそういう話をしたい日なのかなって」
     シュウの優しさが嬉しくて、けれど複雑な気持ちになる。あくまでもルカが話したいなら、と話題を合わせてくれているだけに過ぎない。
     けれどそれならば、とルカはすこし攻めることにした。
     チャンスを棒にするわけにはいかない。いけるときはガンガン突き進んだ方がいい。
    「俺は、」
     緊張と寒さで口の中がからからだ。思ったよりも言葉がもつれてしまいそうだった。
    「一緒にいて、居心地のいい相手がいいよ。なにを話しててもいっしょに笑いあえてさ、そんな相手がいい」
    「素敵だね」
    「うん。それと、」
     頷いたルカは、一旦言葉を切った。鼓動が早くなっていく。いま心拍計をつけたら、それはもうとんでもない上がり方をしているだろう。
     ひとつ息を吸って、ルカは慎重に言葉を続けた。
    「髪は黒くて、背は俺より低い方がいいな。ゲームも一緒に遊べて、急に俺が通話したり、変なメッセージ送ってもすぐ反応して笑ってくれるようなさ。そんなひとが……、すきだよ」
     ばくばくと、それはもう心臓が騒いでいる。
     思ったより声音に甘さが乗ってしまったかもしれない。
     けれどぜんぶ、本当のことだった。ルカがシュウに思っていること。
     すきだよ、と言ってしまったのだから、もはやほぼ告白に近い。
     さすがに気づかれただろうか。気づいてほしい。意識してほしい。振り向いてほしい。
     心臓がおかしくなりそうだった。
     けれどシュウの返しは、あっけらかんとしたものだった。
    「随分、具体的なんだね」
     それを聞いた途端に、がちがちに緊張していた身体から力が抜けてしまった。やはり相手はどこまでいったって闇ノシュウだった。
    「……、それはまあ」
    「んはは、黒髪いいよね」
    「! 黒髪がすきなの?!」
    「え? べつに嫌いじゃないけど……」
    「金髪は?!」
    「? 金色の髪もすきだよ」
     月みたいだよね。
     そうシュウが答えたのに、ルカは羞恥と安堵で崩れ落ちたくなった。なにを必死に問うてしまったのだろう。いやだって、シュウが黒髪がすきなんだったら髪を染めた方がいいのかな、とか、金髪が嫌だったらどうしよう、とか。ルカはシュウをすきだから、ほんのささいな言葉にだって一喜一憂してしまう。
     振り回されている。とても、振り回されている。
     恋ってままならない。
    「ルカは記念日とかも大事にしそうだよね」
    「相手に喜んでほしいから、頑張るかも」
    「いいね」
     きみに想われる子は幸せだろうね。
     きっとシュウは深い意味などなくそう口にしたのだ。けれどそれを告げられた瞬間にルカの胸中を占めたのは、独りよがりな感情だった。
     ————じゃあ、俺のこと振り向いて。
     たくさん大事にするから、記念日だって誕生日だって、たくさんサプライズをするから。世界中のだれよりたくさん笑顔にするから。幸せにするから。
     だから、俺のこと好きになって。
     こころを占めた鮮烈な恋心。
     けれど結局今日も、ルカの恋はまるでシュウに届かなかった。
     ミスタの言う通り、確かにキスのひとつでもした方が効き目はありそうだ。
     それで嫌われたら一生話せなくなるかもしれないけれど。
     いっそこころにジッパーがついていれば楽なのに。ルカがどれだけシュウを想っているのか、直接こころを覗き込んでほしかった。
    「まあ、あんま落ち込むなって」
    「ミスタ」
    「一週間後はちょうどみんなでオフで会うんだしさあ。なんかうまくいくかもじゃん」
     知らんけど。と付け足したミスタに、ルカは一週間後を思った。
     そうだ、来週からしばらくLuxiem五人そろって日本へ旅立つ予定があった。数週間滞在する予定で、その間もすきに配信できるようにとシェアハウスを手配してもらっている。
     日本に行くのは初めてだし、なによりメンバーたちに直接会えるのも久しぶりだった。それこそ、シュウへの想いを自覚してからシュウの顔を見るのは初めてかも知れない。
     異国での共同生活。
     楽しみで、不安で、けれど、シュウに会えるのが嬉しい。
    「ありがと、ミスタ。なんかいける気がしてきた」
    「お、いいじゃん。その調子だぞルカ! 当たって砕けろ~!」
     ルカの言葉に、ミスタもからかい半分で乗ってくる。けれどこれだってミスタなりの励ましなのだと、ルカはよく知っている。
    「砕けないように頑張ってみるよ」
    「おう。まあ、だめなときは骨くらい拾ってやるよ」
    「うまく行ったら?」
    「はは、そん時は肩組んで喜んでやる」
     そんなミスタの言葉に、ルカは萎れていたこころが元気になっていくのを感じた。
     通話を切って、ぐっと伸びをする。
     真冬の室内は冷え切っているけれど、なんだかやってやる! という気持ちのおかげか、そう寒さを感じない。
     シュウに振り向いてもらう作戦、たくさん考えないと。
     そんなことを思いながら、ルカはシュウとのメッセージの履歴を眺めて、ベッドにもぐりこんだ。



    2.同じ惑星で息をしている



     南半球から北半球。
     ほんの朝まで、九時間前まで冬の真っただ中を生きていたのに、飛行機を降りてすぐ、夏を生きるはめになった。
     サングラスの奥で、ルカはモルガナイトの瞳をすこしだけ細める。
     異国の夏はひどく蒸し暑い。湿度を孕んだ空気は肌に纏わりつくようで、生まれ育った国とは味まで違うようだった。
     初めて訪れた日本。
     時刻は日本時間の十五時。
     荷物を受け取ってすぐ、ルカは羽織っていた冬用のジャケットを脱いでスーツケースに押し込んだ。冬から夏。気温差ですこし頭がくらくらとする。時差はほとんどないのが救いかもしれない。
     スマートフォンを引っ張り出すと、すぐさまメッセージを確認する。そうして文字を打ち込むと、行き交う人の波へ視線を彷徨わせた。
     偶然と根回しで手に入れた機会をルカはきちんと物にするつもりだった。
     今回の来日は三週間ほど滞在の予定だった。そこそこにスケジュールも詰め込まれているけれど、体調面も考慮して今日明日は仕事の予定は空いている。
     Luxiemはそれぞれ住まう国も別だから、それぞれ手配する飛行機のチケットの時間だってばらばらだった。
     そんな中で、いちばんに飛行機のチケットを取ったのはルカだった。
     その時点ではなにも考えちゃいなかった。ただメンバー全員に知らせる前に、世間話の延長でシュウに報告していた。
    『シュウは飛行機のチケット取った?』
    『いや、まだ』
    『俺はさっき取ったよ』
     日時のスクリーンショット付きでメッセージを送れば、すこし間を置いてシュウから返信がくる。
    『調べてみたらさ、ルカの到着の時間に近そうな便があるみたい。取っちゃおうかな』
    『そうしたら? どうせ手配しなきゃじゃん』
     そう軽く返しながら、ルカは一人ガッツポーズをしていた。
     そうしてふと、あることを思いついた。
    『うん、ちゃんと手配できたみたい。ルカの一時間前くらいに東京に着くよ』
    『POG』
    『みんなも同じような時間の便があればいいよね』
    『確かに』
     なんでもないようにシュウにはそう返して、ルカは急いでミスタ、アイク、ヴォックスに“お願い”のメッセージを送る。
    『飛行機のチケット取ったんだけどさ、もし出来たら、すこし遅い時間で到着するようにしてくれないかな?』
     ——シュウと二人の時間を長引かせたくて。
     ヴォックスたちからすればあまりにかわいらしいおねだり。
     三人が快く了承してくれたおかげで、ルカは数時間シュウと二人だけで過ごすことができる。
     ルカは髪が乱れていないか、シャツが皺になっていないかと気にする。白のシャツにジーンズ、ブラウンのベルトに、お気に入りのブランドのスニーカー。アクセサリーはサングラスに金色のネックレス、編み上げのレザーブレスレット、指輪。
     シンプルだけれど、どれもシルエットがきれいに出る物を選んだはずだ。髪は後ろでハーフアップにしている。
     デートなんかじゃないし、きっとルカがどんな格好だって、シュウは気にしないだろうけれど。それでも、すこしでもよく見せたいと思ってしまうのは許してほしい。
     そんな中。
    「あ、ルカ!」
    「!」
     背後からかけられた声。
     勢いよく振り返ると、シュウがにこにことルカを見上げていた。
    「久しぶり」



        ***



     ゆったりとしたサイズの黒い襟付きシャツ。黒いスキニーに、編み上げの黒い革靴。アメジストの瞳を細めたシュウは、ルカに向かってひらひらと手を振る。
    「シュウ~!!」
     思わず飛びつくように抱きしめてしまったのはご愛敬。
     ぎゅう、と抱きしめれば、シュウが腕の中でけたけたと笑ってくれる。
    「んはは、ルカだ」
     ハグを返してくれるシュウの腕に、これが夢じゃないことを思い知らされる。
     いま確かに、ルカの目の前にシュウがいる。
     歓喜と興奮で鼓動が跳ねる。恋心を自覚してからシュウとこうして会うのは初めてだった。
    「変なかんじ。ほとんど毎日話してるのにさ、こうして顔を合わせるのは久しぶりなんだね」
    「会いたかったよ……!」
    「うん、僕も」
     そんなやりとりをして、名残惜しさを感じつつも身体を離した。
    「シュウはどこかで時間潰してたの?」
    「カフェでコーヒー飲んで休んでたよ。時差がきつくて」
    「ああ、シュウは特にそうだろうね」
    「そう言うルカは気温差がきついんじゃない」
     きみの国はいま冬だから。
     そう零したシュウの声がなんだか心地よかった。
     お互いに生まれ育った国が違うのに、それでもいま、こうして同じ場所に立って、話をしている。
     その事実が胸をぎゅっとさせた。
    「ミスタとヴォックスは十九時くらいに到着なんだっけ?」
    「って言ってたかな。アイクが二十時くらい?」
     シュウの問いにルカはそう返す。ルカの“お願い”の結果なのを、シュウは知らないだろう。
     スマートフォンで時間を確認したシュウが、口を開く。
    「どこかで時間潰す? お腹空いてるなら何か軽く食べてもいいし」
    「うん!」
     ルカが頷くと、シュウが眉を下げて笑った。
    「じゃあ荷物預けよう。僕はもうロッカーに預けちゃったんだよね」
     こっち。
     指をさして、シュウがルカを導いてくれる。ルカはスーツケースを転がしながらシュウの隣に並んだ。
     行きかう人たちの会話が通り過ぎていく。昔よりもすこしだけ日本語が聞き取れるけれど、多くはわからない。シュウにはぜんぶわかるんだろうな、とそんなことを考えながら、人波をかき分けていく。
    「シュウ、そのシャツいいね。似合ってる」
    「ほんと? ありがとう。ルカもおしゃれでかっこいいね」
    「! そ、そう?」
    「うん。前会った時もおしゃれだったけど、今日の格好もすきだな」
     過剰摂取。
     ルカはぐっと胸が苦しくなるのをどうにか堪えた。
     すこしでも格好よく見せたいとは思っていたけれど、まさか「かっこいい」と言われただけに留まらず、「すき」までもらってしまった。
     シュウにとってはなんでもない褒め言葉なのを知っている。知っているけれど、それでも嬉しい。
     いま隣り合って話せているのが心底に幸福だ。
     生まれ育った国は違っても、同じ惑星に、同じ時代に生まれついてよかった。
     そんな大げさなことさえ考えてしまう。
    「何か食べる? たぶんいろんなお店があったと思うよ」
    「あー、ごはん行くのもいいけどさ、せっかくならどこか出かけたいな」
    「近場で何かあるかな。外は暑いから屋内がいいよね」
     そう零したシュウがスマートフォンで何やら調べだす。その手元を一緒に覗き込みながら、ここからは遠いかな、これは五人で行きたいねと話すさなか。
     ロッカーを目指していたルカとシュウの視界に、巨大なポスターが映りこんだ。
     美しいブルー。
     光差す海中を悠々と泳ぐクジラ。
     二人そろって、足を止める。
    「「——水族館」」
     互いに思わず口にした声が、きれいに重なった。



    3.瞬くブルー



     空港から電車を乗り継いで辿り着いた水族館。時計は十六時を回っている。
     外は纏わりつくような暑さで息苦しかったけれど、屋内に入ってしまえばこれでもかと冷房が効いている。ルカは小さく息を吐いた。冬から夏へやってきたことも相まって、寒暖差で体調を崩しそうだな、とわずかに思う。
     水族館は、夏休みのシーズンだからか、平日の夕方でもまだ入館者は多いようだ。入場時間のピークは過ぎていたから、受付はスムーズに済ませることができた。
     二枚受け取ったチケットとリーフレットを一枚ずつシュウに渡すと、シュウがじっとチケットを眺めた。アメジストの瞳が機嫌よさそうに細められる。
    「んはは、かわいい」
    「うん?」
    「チケットのペンギンがさ」
    「ああ」
     青い水槽を泳ぐペンギンが印刷されたチケット。
     どちらかというと、それにはしゃぐシュウがかわいいな、と思ってしまうけれど、それはそっとこころに秘めておく。
     別にそんなつもりじゃなかったけれど、二人で水族館はデートみたいだ。
     どうしたって気持ちが浮ついてしまうのは許してほしい。
     あとでミスタたちにしっかりお礼をしようとルカはひっそり決める。
    「水族館来たの久しぶりかも。最後に行ったの何年前だろ」
    「俺は一昨年かな。サニーとニナとさ」
    「ああ、写真送ってくれてたよね」
     ルカの言葉にシュウが返してくれる。些細なことでも覚えていてくれたのが嬉しい。
     シュウがリーフレットを拡げて、なにやら真剣な表情で文字を追う。日本語をスムーズに読めないルカは、シュウの手元を覗き込む。
    「ショーはもう今日の分は終わっちゃってるみたい。けど、十七時からナイトアクアリウムに切り替わるみたいだよ。プロジェクションマッピングと混ざったようなさ」
    「めっちゃいいじゃん!」
     リーフレットに載せられた写真は、水槽に色とりどりの光彩が揺らめいて綺麗だった。
    「あといまだけクラゲの特別な展示してるってさ」
    「せっかく来たからさ、見たいの全部見よう」
     ルカの言葉にシュウが「うん」と頷いた。
    「あと帰りにみんなにお土産買いたいな」
     シュウの声が楽しそうで、ルカはそれだけで胸がいっぱいになった。
     ルカがシュウと直接顔を合わせるのは一年と数カ月ぶりだ。前に会ったときはまだ、ルカはシュウへの恋心を自覚しちゃいなかった。
     この一年、ほとんど毎日メッセージや通話でやりとりをして、時折お互いに写真を送り合っていた。他のメンバーともよく家族でここに出かけた、この間食べたこれが美味しかった、などやりとりをするので、その延長戦だけれど。
     実際に会えなかった日々の間に育った恋心。何度シュウの写真を眺めて会いたいと願っていたか知れない。いまシュウが隣にいてくれるだけで、ルカにはとんでもない幸福だった。
     いっそ、気持ちなんて一生言えなくたって別に構わないと思えるほど。
    「…………」
     このまま笑って過ごせる距離だって充分に心地がいい。気持ちを伝えて気まずくなったり、ほとんど話せなくなってしまう可能性があるなら、ずっとこのままがいい。このままでいい。そう思ってしまう。
     けれど、でも。
     心の片隅で、それ以上を望む気持ちが確かにあるから。
    「ルカ、どこから回りたい?」
    「……ああ、シュウに任せるよ」
     考え込んでいたせいで、一瞬答えるのが遅れてしまった。シュウはすこしだけ訝しげにしてみせたけれど、追究はしてこなかった。
    「そう? じゃあね、あっちがいいな」
     シュウの手がルカの背を促すように軽く叩いた。
     ほら、こうしてなんでもなく触れられただけで、胸がぎゅってなる。今まで、こんなに誰かを想ったことはなかった。
     だから——やっぱり気持ちは伝えた方がいい。
     他でもなく自分の心のためだから、エゴになってしまうけれど。
     シュウの隣を歩きながら、ルカはひとり拳を握りしめた。



      ***



     せっかく訪れたのだから、と二人で展示や水槽をひとつひとつ丁寧に見て歩く。
     お互いに面白い生き物や気に入った水槽を見つけては写真を撮って、笑い合って。期間限定のクラゲの展示は光の差すドーム状の水槽にたくさんのクラゲが泳いでいて、美しい水の泡がきらめくようだった。
     やがてチューブドームに差し掛かると、二人そろって息を飲んだ。
     巨大な水槽の中を海の生き物たちが悠々と泳いでいく。尾びれをなびかせて、手足を動かして。青い水の中を無数の魚影がたゆたう。
     その様子をシュウと一緒に見上げて、じっと食い入るように見つめる。
    「すごいね」
    「本当に」
     シュウが感嘆の声を漏らすのに、ルカはただ頷いた。静かで、青くて。まるで海の底に沈んでしまったかのような錯覚に陥る。ルカは人間だから、海中で生きられるような身体の造りをしていない。それでも、いまこの瞬間だけは海底で息をしているような気になった。
     水槽の中の水がたゆたうたび、ルカよりも白いシュウの肌が青く染まる。アメジストの瞳が青を宿して、一等きれいだと思った。
     息ができるのに、息ができない。
     溺れていくような感覚。
     やがて、チューブドームの終着は。
    「ああ、もう十七時なんだね」
     ドームを抜けた先。目の前に広がった巨大な水槽が色とりどりの光彩を映すのを眺めて、シュウがそう零した。
     ナイトアクアリウム。
     たくさんの魚が群れをなす巨大な水槽に、ホログラムのクジラが水しぶきを上げながら沈んでいく。色とりどりの光彩が泡になって、弾けて、星屑みたいに瞬いていく。
     星空を映した水槽で、深海を生きるクジラが泳いでいる。
     夢みたいな光景。まさしく、人工的な夢なのだろうけれど。
    「すっごく綺麗。夢みたい」
    「!」
     シュウがいままさしくルカの思っていたことを口にした。驚いてシュウを見れば、シュウはルカを見て笑った。
    「ルカのおかげだね」
    「え?」
    「だって、ルカが出かけたいって言ったからさ。おかげでこんなに素敵なものを見られたんだよ」
     だから、ありがとう。
     そう言ってくしゃっと笑ったシュウがあんまり綺麗で、愛しくて。
     ————息がうまくできない。
    「……ルカ?」
    「あ、……待って、シュウ」
     あんまり気持ちが高揚していて、いまのいままでぜんぜん気づかなかった。
     頭の奥が鈍く痛んで、息が苦しい。背筋をぞくぞくと冷たいものが走っていく。
     寒暖差で体調を崩しそうだとは、確かに思っていたけれど。
     なにもいま、このタイミングでなくたってよかったのに。
    「ごめん、体調が、結構やばいかも」
     気づいた途端にたちまち症状が悪化するのは、どうしてだろう。
     目が回る。眩む。
    「ルカ!」
     ブルーの瞬きの中で、シュウの心配げな声だけがずっと耳に残った。



    4.どうか夢ならば、醒めないで



     明日から夏休み。
     放課後を告げるベルが鳴るなり、ルカは自分の荷物をすこし乱暴につかんで、教室を飛び出した。
     陸上部で鍛えた脚力で廊下を駆け抜けていく。途中教師に注意されたが、笑ってごまかした。
     早く、早く、早く。
     だって今日は一緒に帰る約束をしている。
    「——シュウ、一緒に帰ろう!」
     扉を開けるなりそう口にすれば、窓際の席、ちょうど荷物を纏めていたらしいシュウがアメジストの瞳をこちらへ流した。
    「んはは、早すぎない?」
     さっきベルが鳴ったばかりだよ。
     シュウが可笑しそうに笑うのが嬉しい。ルカはさっさとシュウのそばまで歩み寄ると、鞄に荷物をしまうシュウの手元を覗き込んだ。
    「シュウ、ほんとにそのまま持ってきたの?」
    「そうだけど」
    「こうして見るとちょっと面白いよ」
     そう返してルカは軽く噴き出す。
     終業式の日は、友人みんなで集まって一緒にゲームをしようと約束していた。学校の近くに共通の友人の家があって、そこに集まって夜までビデオゲームをする予定になっている。
     肝心の友人はゲーム機を持っていないから、シュウがゲーム機を持ってくる役目。
     シュウの鞄を占拠するゲーム機やコントローラーの画がどうにも面白い。
     普段はまじめでしっかりしていそうに振る舞っているのに。存外にノリがいいし、子供っぽいことも率先して楽しんでくれる。きっとシュウと近しくない人間は知り得ない。
     それを自分は知っている。その事実がルカはひっそりと誇らしかった。
    「ほら、ルカ帰るよ」
     鞄を背負ったシュウが、ルカにそう声をかけて歩き出す。ルカは笑顔で頷くと、足取りも軽やかにシュウの後を追いかけた。
     夏休み中もいっぱいシュウと遊べたらいいな。ずっとこのままがいい。
     だって普段は住まう国が違うから。
     ……住まう国が、違うから?
     いま、同じ学校に通っているのに?



    「ルカ」
     シュウの声に、ルカは顔を上げる。そうすれば、先ほどまでとはがらりと景色が変わっていた。
     潮騒が聞こえる。海も砂浜も、街並みも、落日が世界のすべてをオレンジ色に燃やしている。
     砂浜を歩くシュウがルカを振り返る。アメジストの瞳が黄昏を映して不思議な色になっていた。
     綺麗だな、と思った。ルカがシュウを想う欲目をなくしたとしても、きっと綺麗だ。
    「なんかさ、まだ帰りたくないな。ずっとこのままがいい」
    「……っ」
     ルカがついいましがた願っていたことを、シュウが口にする。
    「ルカと一緒にいるのは楽しいから」
    「! そんなの、俺だって」
     シュウの言葉に、ルカはシュウの手首を掴んだ。シュウがすこし驚いたようにルカを見上げた。
    「俺だって、シュウとまだ話してたい。……、二人で、さ」
     二人で、と希った声は、すこし甘さを孕んでしまったかもしれない。シュウはルカの想いを知らないから、不思議な響きに聞こえたかも。いっそいま言ってしまおうか。タイミングもなにもあったものじゃないけれど。シチュエーション的には、夕方の海はなかなかロマンティックな方だろう。
     だっていつまでも、この恋を持て余せない。
     すこしだけ逡巡して、息を吸う。
    「シュウ、あのさ」
    「? うん」
    「俺、ずっとシュウのことが——」



       ***



    「ルカ?!」
    「……え、?」
     薄暗い部屋。
     見慣れない天井がぼんやりと映る。はしはしと瞬きをすると、視界がクリアになっていく。そうして心配げに覗き込むアメジストの瞳と視線がかち合った。
    「……シュウ?」
    「! よかった、起きたんだね……」
     心底に安堵した声でそう零したシュウが、しきりに「よかった」と繰り返しながら、へなへなとベッドの脇に崩れ落ちていく。
    「本当によかった、お医者さんは大丈夫だって言ってたけどさ」
     それでも、ルカが目を覚ますまで不安だったから。
     そう零したシュウのアメジストの瞳に、うっすらと涙の幕が張られる。未だ夢から抜けきらないルカは、事態を把握しきれない。まだ頭の奥が鈍く痛んで、ぼんやりとしてしまう。
     どうしてベッドに寝かされているんだっけ。どうしてシュウはこんなに俺のために取り乱してくれているんだろう。
     わからない、わからないけれど。
     でも、ただ。
     悲しまないでほしい。
    「シュウ」
     名前を呼んで、手を伸ばす。
    「うん」
     そうすれば、シュウが膝立ちになってルカの手を取ってくれた。シュウの両手で包まれた手が温かい。
     ああ、シュウの手って、こんなに温かかったんだ。
     じわ、と体温が混じっていくのに安堵する。
    「まだ、無理しないで。眠っていていいよ。僕が看てるから」
     いつもよりも優しくまるい声音が、ルカの耳に心地よく響く。シュウが片手で小さな子供をあやすように、ブランケットの上からルカの身体をぽんぽんと叩いてくれる。頭痛が和らいでいく。まどろみがやってくる。
    「そばにいるからね」
    「————」
     俺のそばにいてくれる、シュウが。
     静かで優しい声で紡がれたその言葉に、ルカの心の一等やわいところがきゅう、と甘く切なくなる。未だぼんやりとした意識の中で、ああこれはまだ夢なのかも知れないと思った。
     夢ならまだ、醒めたくない。
     きっととびきりやさしい夢だから。
    「……シュウ、ありがとう」
     眠りの世界へ落っこちる間際。
     ぎゅ、とシュウと繋いだ手に力を込めた。
     夢ならばいいか、とルカはくちびるを動かした。
    「“    ”」
     きちんと、音になっただろうか。伝わっただろうか。わからない。
     いまはただ、まだ眠たい。



     シュウがアメジストの双眸を瞠ったのも、息を飲んだ音も、ルカはなにも知らない。



    5.交じる体温



     誰かを好きとか、嫌いとか。

     もちろん、そのものの感情は備わっているけれど。
     だけどその“好き”に甘さを孕んだものは、きっと自分には備わっちゃいない。
     闇ノシュウはずっとそう思って生きてきた。
     恋はきっと、自分には縁のないものだ。
     だって友達と遊ぶ方が楽しいし。恋人って何するの? って感じだったし。
     家族との関係も良好で、一緒に楽しい時間を過ごせる友人だってたくさんいるし、それ以外を受け入れる余地はなかった。恋なんてものは無くても困らなかったから。僕にとっては必要のないものだった。
     だから、知らない。知らなかった。
     ——誰かの言動でこんなにも心が揺さぶられることがあるのを。



       ***



     日本へ訪れて、二人で水族館へ行ったはよかったけれど。気温差で見事に体調を崩してしまったルカに、シュウはそれはもう慌てた。
     急いで会社に連絡をして、病院で診てもらえるように手配してもらった。迎えにきてくれた車の中で、ずっとルカに言葉をかけながら、まだ日本に到着しないメンバーたちにも必要最低限のメッセージを送って。たどり着いた病院で医師から問題ないと結果を聞くまで、シュウはずっと不安だった。
     結果、ルカの体調不良は急な気温や環境の変化が体調に出てしまっただけらしかった。念のために点滴だけしましょうと言われたのに、シュウはようやく息が楽になった。
     点滴を受けるルカを見ながら、シュウは自分がルカに無理をさせなければよかった、と後悔した。きっとルカは、シュウのせいじゃないよと言うだろうけれど。
     そのうちにヴォックスやミスタ、アイクも日本に到着したらしく、ひとまず彼らには食事をして、そのまま会社が用意してくれたシェアハウスへ向かってもらうことにした。あまり大勢で付き添うのもよくないだろうと判断してのことだ。
     そうして点滴を終えたルカを連れて、シュウがシェアハウスへ向かったのが二十二時過ぎ。出迎えてくれたアイクたちは当然心配した様子だったが、すぐにルカのための部屋に彼を寝かせるのを手伝ってくれた。
    「交代でルカの様子を見ることにしよう」
     ヴォックスはそう提案をしてくれたが、それをシュウは断った。
    「僕が看るよ」
    「君は今日ずっと付きっきりだから休んだ方がいいよ」
     アイクが心配したようにそう言葉をくれたが、シュウは首を横に振った。
    「ううん、大丈夫。なんていうか、たぶんさ、まだ不安なんだ。ルカが目を覚ますまで」
    「シュウ……」
    「だから、よかったら僕に看させて。無理だったらちゃんと言うからさ」
     お願い。
     そう請えば、ヴォックスもアイクもなにも言えない。そんな中ミスタが息を吐いた。
    「いいんじゃん? シュウもこう言ってるしさ、今夜はシュウにお願いすれば」
    「ミスタ」
    「ただ、マジで無理だけはすんなよ」
     そう言ったミスタがシュウの肩をぽん、と叩いてくれる。ミスタなりの労い。それがなんだかありがたくて、シュウは「ありがとう」とミスタに返した。
     アイクも仕方がないと息を吐いて、「わかったよ」と口にする。
    「でもシュウ、ちゃんと食事だけはしないとだめだよ」
    「アイクの言う通りだ。食事をしてシャワーを浴びてこい。その間は私たちがルカを看ていよう」
     アイクとヴォックスにそう諭されて、シュウは食事とシャワーだけは手早く済ませた。部屋着に着替えて、ルカに宛がわれた部屋を訪れる。扉のそばにいたミスタと目が合う。どうやらルカはまだ眠りから目を覚まさないようだった。
    「じゃあ、おれらは部屋に戻るけど。あんま自分のこと責めんなよ」
     ルカの部屋を後にする間際、ミスタはそう言葉をかけてくれた。どうやらシュウが責任を感じてしまっていることはお見通しらしかった。ミスタはそういう細かな機微によく気がつく方だ。ミスタはシュウを見て翡翠の瞳を細めて笑う。それに笑顔で返すと、ひらひらと手を振って部屋を出ていった。



     ずっと心が、身体が張り詰めていたから。
     ルカの睫毛が震えたのを見た瞬間に、シュウはつい身を乗り出してしまった。
    「ルカ?!」
    「……え、?」
     ゆっくりとまぶたを開いたルカに、シュウは胸がいっぱいになる。
     薄紫色のルカの瞳が、シュウの姿を捉える。
    「……シュウ?」
    「! よかった、起きたんだね……」
     日付はとうに変わって、深夜の一時を回っていた。
     病院で点滴を受けていた時よりずいぶんと顔色だっていい。
    「よかった」
     何度もそう繰り返して、気が抜けていく。身体から力が抜けて、ベッドに手をついたまま床に崩れ落ちてしまった。
    「本当によかった、お医者さんは大丈夫だって言ってたけどさ。それでも、ルカが目を覚ますまで不安だったから」
     そう口にしながら、段々と言葉尻がしょっからくなっていく。
     安堵したと同時につい涙腺が緩んでしまう。視界がぼやけて、まなじりに涙がたまっていく。いまにも落っこちてしまいそうで、慌てて手の甲で拭った。
    「シュウ」
     ルカに名前を呼ばれる。手が伸ばされる。
    「うん」
     大丈夫だよ、とそんな意味を込めて、シュウはルカの手を取った。ベッドの傍らで膝立ちになって、ルカを見つめる。きっとまだ状況が飲み込めていないようだった。宥めるように微笑みかける。
     ルカの手のひらはシュウより少し硬くて大きい。体温はいまは同じくらい。
     自分以外の誰かと体温が混じっていくのに安堵する。
     熱を出した時、体調が悪いとき。誰かが手を取ってくれることに、頭を撫ぜてくれることに安堵するから、いまのルカも同じだといい。
    「まだ、無理しないで。眠っていていいよ。僕が看てるから」
     できるだけ優しい声色でそう告げる。ルカがすこしでも安心できるように。そんな願いをこめて、ルカの身体をぽんぽんとあやすように叩く。一定のリズムで。功を奏したかは知れないけれど、ルカの瞼がとろとろと重たくなっていく。
    「そばにいるからね」
    「————」
     体調が悪いときは心細いものだから。
     そばにいるよ、とそう声をかけた。
     そうすればルカがかすかに笑った。
    「……シュウ、ありがとう」
     そんなルカにシュウはすこしだけ嬉しくなる。ぎゅ、と繋いだ手に力を込められて、シュウもぎゅ、とすこしだけ力を込める。
     きみが安心して眠れますように。心からそう願う。
     ルカはまぶたを閉じて、けれど眠りに落ちる間際。
    「すきだよ」
     そう、確かに告げた。
    「————」
     シュウは驚いて目を瞠るが、ルカはもう寝息を立てていた。
     そこからのシュウの夜はすこしだけ長かった。



       ***



     時計の針は午前三時を回っている。
     他のメンバーももう眠っただろうか。一時間前くらいまでは話し声や生活の音が聞こえていたけれど。
     薄闇にとろけた室内で、ルカの寝息だけが耳に届く。
     ルカにぎゅっと握られた手は、解こうにも解けない。否、しようと思えば解けるだろうけれど。なんとなく、離してはいけない気がした。
     指先からずっと伝わってくる熱。体温。
     ルカの胸が呼吸とともに上下するたびに、シュウはその事実に安堵する。安堵すると同時に、鼓動がとくとくと騒がしくなる。
    「…………」
     すきだよ、と。ルカは一体、どんな意味で言っただろう。
     シュウはもちろん、ルカを好きだった。仲間として友人として、彼を尊敬しているし、好ましく思っている。いつだって話していて楽しいし、笑顔になれる。シュウにとってのルカは、そんな一人だった。
     ルカにとってのシュウだって同じような位置づけだろうと漠然と思っていたけれど。
     でも、さすがにあのタイミングの好きは。もしかしたら、何か違う意味があったかも。
     だって、声音が、響きがすこし違った。心臓の一等弱いところに突き刺さるような。抉るような。締め付けるような。
     ルカのそんな声音は、数週間前にも覚えがあった。
     互いの空き時間に通話をしていたとき。ルカに話題を振られて、恋愛の話になった。
     今日のルカはそういう話をしたい気分なのかも知れないと話に付き合うことにして、ルカのタイプを聞いたとき。
    「俺は、一緒にいて、居心地のいい相手がいいよ。なにを話しててもいっしょに笑いあえてさ、そんな相手がいい」
    「素敵だね」
     ルカらしいな、と思って相槌を打った。
    「うん。それと、」
     ひとつ息を吸ったルカが、そっと大事なことを話すように言葉を吐き出した。
    「髪は黒くて、背は俺より低い方がいいな。ゲームも一緒に遊べて、急に俺が通話したり、変なメッセージ送ってもすぐ反応して笑ってくれるようなさ。そんなひとが……、すきだよ」
     あのとき聞いた“すき”の響きも、心臓がざわざわとした。
     そんなわけはないのに、まるで自分に向けられた言葉のようで。シュウは通話越しでよかったと心底に思った。目の前にルカがいたら表情を隠せないし、動揺を隠せないから。
     あのときは「随分、具体的なんだね」と返してごまかしたけれど。
     今回は、どう受け止めればいいだろう。
    「……よく眠ってる」
     ルカはぐっすりと眠って、目を覚ます気配はない。シュウだってよく眠れるようにと願ったはずなのに、すこしだけ恨めしい。
     ルカはきっと目を覚ましたらなにも覚えちゃいないだろう。その方がシュウだって都合はいいのに、シュウだけがこの胸のざわめきを持て余すのはすこしだけ不公平にも思えた。
    「はあ」
     ため息をついて、ベッドに顔を突っ伏した。
     どれだけシュウが悶々としたところで、答えはルカしか知らない。ルカに聞くしかないけれど、一体なにを聞くんだろう? 僕が好きなの? って。まさか、ありえない。あんまり非現実的に思えた。
     それに、もし万が一。そう、なのだとして。
     聞いて、どうするのだろう。それを暴いていいわけがない。受け取る覚悟もないくせに。
     “好き”に甘さを孕んだものは、きっと自分には備わっちゃいないはずだった。
     恋なんてわからない。
     だから、いま心臓が騒いでしまうのだってきっと、違う。すこし混乱しているだけ。
    「……」
     そう言い聞かせて、シュウもまどろみに身を任せる。
     すこしだけ、すこしだけ眠りたい。ほんのすこしでいい。
     ルカと繋ぎ合った手から互いの体温が交じるのを感じながら、シュウはそっと目を閉じた。



    6.朝焼けに眩む



     まぶたの向こうが明るい。
     ああ、きっと朝だ。それにしてはやけに静かで、いつもなら家族の気配がするのに、と訝しく思う。
     それになんだか左手がずっと温かい。安堵する温もり。
     ルカはそっと目を開く。カーテンの隙間から零れる朝陽が眩しくて、目を細める。
    「……?」
     見慣れない天井。いつもの自分の部屋じゃない。はしはしと何度か瞬きをしながら、ルカはすこしずつ記憶を手繰り寄せていく。
     そうだ、昨日は飛行機でオーストラリアから日本へやってきて。シュウと落ち合って、水族館へ行った。それから、それから。
     確か、体調がすぐれなくなって——。
    「!」
     思いだして、勢いよくベッドの上で身体を起こした。
     見慣れない部屋。きょろきょろと視線を彷徨わせて、すぐにベッドの傍らのシュウの姿を見つけた。
     床に座ったままベッドに体重を預けて、片腕を枕にして寝息を立てている。ルカと手を繋いだまま。未だ目を覚ます気配はない。
    「————」
     一晩、付き添ってくれたのか。
     手なんてきっと解けただろうに、それでもルカの手を解かないまま、硬い床の上で。きっとそんな体勢じゃ、疲れなんかひとつも取れやしないだろう。
     夢じゃなかった。
     シュウが看病してくれていたのは、夢じゃなかった。
     その事実を受け止めて、ルカの胸にたくさんの感情が去来する。好きが溢れそうになる。だってこんなのは、こんなのは。誰よりも好きなひとが、一晩、付きっきりで看ていてくれたのだ。手も解かずに、ずっと。胸がいっぱいになったって仕方がない。
     食い入るように、シュウの寝顔を見つめてしまう。
     朝陽に透ける白い肌。寝息は穏やかで、まつげは思っていたより長くて。黒い髪がシーツに零れているのがなんだか蠱惑的で、なにもかもがきれいで。
    「…………」
     温かい。繋ぎ合った手から、シュウの体温と自分の体温が混じっている。
     すきだな。
     すごく、すごく好きだ。
    「……“すきだよ”」
     声には出さなかったけれど。
     くちびるを動かして、愛を伝えた。



    7.アイスクリームが溶けている



     クリームソーダの揺れるグラスを、スプーンでかき混ぜる。
     クーラーの効いた喫茶店は、店主の好みの人形やブリキのおもちゃがいたるところに飾られていて、どこか非日常だった。
     グラスいっぱいに詰められた氷がカラン、と揺れる音が涼しい。アイスクリームの上に乗ったチェリーをひょい、と掴むと、ミスタは口に放り込む。
     甘い。
     隣のヴォックスは食後のコーヒーを口にしている。確か銘柄が珍しいとかなんとか言っていた気がする。
     さっき食べ終わったオムライスだって美味しかったし、メニューだって豊富だ。雰囲気もいい。空き時間を使って訪れた喫茶店は当たりだった。
     ただ一点。
     目の前に座る生き物が、世界の終わりのような表情で、ずん、と沈んでいること以外は。
     アイスクリームを掬いあげながら、ミスタは「はあ」とため息をついた。
    「で? シュウに避けられてるって?」
     問えば、とうに冷めてしまっただろうパスタを延々くるくると巻いていたルカが、フォークを置いてミスタを見た。
    「うん……」
     頷いてみせたルカは、がっくしと肩を落とす。
     しゅんと垂れた耳やしっぽの幻覚まで見えそうだった。どうしたものかと考えながら、ミスタはアイスクリームを一口。甘くて冷たい。
    「勘違いじゃないんだな?」
     ミスタたちが日本にきて四日ほど。一日目にルカは寝込んで、けれど次の日には元気だった。ルカの話によれば、ルカの体調が戻ってからシュウの態度がおかしいらしい。
     率先してルカの看病をしたシュウが、ルカを理由なく避けるとも思えない。
     何とかしてやりたいという気持ちはある。
    「みんなといるときはいいんだよ。俺とシュウと、他にもだれかいるときはね。でも、俺と二人だけだと表情が変わるんだ。居心地が悪そうな、そんな感じでさ、会話もすぐ切り上げてどっか行っちゃうし」
    「なんだルカ、ついに押し倒しでもしたのか?」
    「してないよ!」
     からかうようなヴォックスの言葉に、ルカがすぐさま反論した。頬杖をつくヴォックスは完全に愉しんでいる様子だった。人が悪い。そもそも人じゃなかったか。
     まあ、ヴォックスは弁えた範囲でしか冗談は口にしない奴だけれど。
    「それなら、他に思い当たることは?」
     ヴォックスが問えば、ルカは首を横に振った。
    「わかんないんだよ、何も……」
    「本人に聞いたらいいじゃん。いつものルカならそうするだろ」
    「そうなんだけど、スケジュールも合わないしさ」
     そう返すルカは歯切れが悪い。確かに、いろんなコラボやら撮影やらのスケジュールが詰まっているから、二人だけで話す時間を作るのは難しいかもしれない。けれどたぶん、それだけではないはずだった。
     ミスタ自身もそうだが、ルカだってひとの感情の機微には敏い方だ。周りをよく見ているし、普段のルカなら、同じような状況になれば相手に直接何かしちゃった? と尋ねるはずだった。そうして確認をして、自分に否があれば謝るだろうし、どうしたらいいかを相手と一緒に考えるだろう。
     だけど、いまのルカはシュウに恋をしているから。
     まあ、確かに。惚れた相手には聞きづらいかもしれない。
    「看病してもらった次の日からなんだろ」
    「うん」
    「寝ぼけてなんかしたんじゃないの?」
    「!?」
    「何ならおれが聞いてきてやろうか」
     答えてくれるかは知らないけど。
     ミスタはルカに問うて、ソーダをストローで吸った。着色料が溶けた鮮やかな炭酸水は甘くて、舌に乗るとぱちぱち弾ける。夏に炭酸を飲みたくなるのは、この爽快感がすきだからかも知れない。
     ルカはといえば、なにやら目を丸くしてミスタを見つめていた。
    「え、なにその反応」
    「いや、ミスタっていい奴だなって改めて思って」
    「なんだよ急に?!」
     ストレートな言葉にミスタは慌てた。おまけに隣のヴォックスもにやにやとミスタを見つめている。
    「だってさ、俺がはじめにシュウを好きだって言ったとき、ミスタはたぶん、抵抗があっただろ」
    「————……」
    「それでも、いつも俺の相談聞いてくれるし、いまは応援だってしてくれるしさ。力になってくれようとするの、すごく親切で優しいよ。本当にありがとう」
    「別に、」
     そんなんじゃない。と言いかけて、ミスタはストローに口をつける。
     ルカがシュウに恋をしてから。それを打ち明けられてから、ミスタは何度も相談に乗ってきた。確かにルカの言う通り、はじめに聞いたときは、抵抗があったかもしれない。なにせ、すっかりミスタの中でのLuxiemは家族に近い存在で、一人一人が大事な友人で、最高の仲間で同僚だったから。気心が知れたからこそ、距離が縮まったからこそ、そういう方面の想像が難しくなってしまったのは事実だ。
     けれど、でも、それよりも何よりも。
    「そりゃあ、はじめはマジ? って思ったよ。でも、ルカもシュウも、おれにとっては大事なダチだし」
    「ミスタ」
    「……親友が悩んでたら、助けてやりたいじゃん。迷ってたら一緒に考えてやりたいし、力になりたいし、背中だって押してやりたいよ。だって笑っててほしいから」
     そう口にしてから、なにかものすごく恥ずかしいことを口にしたかも、とミスタは「やっぱ今の無し!!」と声を大きくした。
    「うわ、マジで恥ずかしい! ほんとに今のナシ! 忘れて!」
    「残念だったな、一言一句違わず覚えてしまったぞ」
    「cringe」
    「親友が悩んでたら——」
    「NOOOO」
     からかうようにミスタの言葉を真似ようとしたヴォックスにミスタは絶叫する。が、すぐにここが公共の場であることを思い出して口を噤むと、ヴォックスの口を手で覆った。
    「とにかく!」
     ミスタはルカに向き直ると、ずい、とテーブルに前のめりになる。
    「ルカが聞けないならおれが聞いてやるからさ」
    「ありがとう、ミスタ。でもさ、俺が自分で話すよ」
    「ルカ」
    「……まあ、ルカがそう言うならシュウと二人で話せる時間を私たちで作ってやろうじゃないか」
     ルカとミスタのやりとりを聞いていたヴォックスは、口からミスタの手を引き剥がすとそう口にした。
    「尤も、シュウの方は今頃アイクがうまく話している気もするが」
    「アイクが?」
    「ルカとシュウの様子をいたく心配していたからな。打ち合わせも終わって、話をしている頃なんじゃないか」
     ルカの問うたのにそう返したヴォックスが、コーヒーに口をつける。ふわ、と香ばしい匂いが漂った。
    「ルカ、お前が思う以上に私たちはお前たちの恋をずっとじれったく見守っているんだよ」
     それは確かにそうだな、とミスタは心の中で頷いた。なんならミスタはずっとルカから相談をされていたから、人一倍叶ってほしいと思っているところがある。
    「だから、うまくやれよ。まあ、決めるのはシュウだが」
    「うん」
    「シュウに頷いてもらえるようにさ」
    「うん! ありがとう、二人とも」
     そう笑ったルカは、もう世界の終わりみたいな顔はしちゃいなかった。薄紫の瞳にはしっかりと光が宿って、意志が見える。それにミスタは心底安堵した。親友には笑っていてほしい。いつだって。
     ルカはすっかり冷めてしまったパスタをすべて平らげると、すぐさま席を立った。
    「俺が払っておくからさ、二人はまだここにいなよ」
    「は? どこ行くわけ」
    「ちょっと気合い入れたいからさ、先に帰って、走ってくる!」
    「おい、」
     引き留める間もなくキャッシャーへ向かったルカは、さっさと会計を済ませると店を出ていく。カランカランとドアベルが響いて、決めたら即行動な生き物だな、とミスタは小さく息を吐いた。
    「はは、犬だな」
    「まあね」
     けど、想い悩んで暗い顔してるよりはずっといい。
     そう考えながら、ミスタはソーダの上の溶けかかったアイスクリームを掬った。
     ぱくりと口にしたアイスクリームは、さっきよりもずっと甘くて冷たい。
    「うま」



    8.僕ら不完全生命体



    「ルカのこと、最近避けてる?」
     単刀直入に言うよ、と。
     確かにそう前置きはしたが、やはりあまりに直球だったかもしれない。
     アイクの言葉にシュウはアメジストの瞳を丸くして固まってしまった。



     配信の打ち合わせを会社で終えて、アイクはそのままシュウを食事に誘った。とはいえアイクが食べられるものは限られているので、シュウに合わせてもらう形になってしまったけれど。何を食べたいかとお互いにスマートフォンで探して、シュウが「ここなら食べられるんじゃない」とラーメン屋を見つけてくれた。長居をするにも真剣な話をするにもいくらか不相応な気はしたけれど、かえって畏まってなくて楽かもしれない。
     二人で店に入って、ちょうど空いていた二人掛けのテーブルに腰を下ろす。空調が効いていても熱気の籠った店内は、麺の茹で上がる匂いとスープの匂いが満ちている。
     おすすめを聞いてオーダーしたラーメンは、すぐに出てきた。
     話の前にまずは、美味しそうな匂いをさせるラーメンを味わうことにする。スープを一口飲んだだけで息を飲む。
    「どう? 食べられそう?」
    「めちゃくちゃ美味しいよ……!」
    「んはは、よかったね」
     アイクが感激するのを、シュウがよかったと笑ってくれる。彼もまたラーメンを口にすると「美味しいね」と感想を漏らした。そこからは麺がうまく啜れなかったり、替え玉ができるらしいのを試すか迷ったり、和やかな時間が過ぎた。
     そうしてお互いに器の中がスープだけになった頃。
     アイクは「実は話したいことがあるんだ」と切り出した。
     それがルカのことだった。
    「…………」
    「ごめんね、急にさ。無理に聞きたいわけじゃないし、お節介かとも思ったんだけど」
    「いや、ううん。大丈夫だよ」
     アイクの言葉にシュウが首を振る。けれどシュウはバツが悪そうにアイクから視線を逸らすと、なにやらしばらく考え込んだ。アイクはじっとシュウの言葉を待った。無理に聞き出すつもりなんてなかった。ただ、シュウがもし話したいと、話してもいいと思えるなら一緒に考えたいとは思っている。
     しばらくして、シュウが口を開いた。
    「その、ルカが、なにか言ってた?」
    「まあ。でも、僕は二人を見てたら気づいたよ」
    「そっか」
     そう返したシュウは、ため息をついた。弱った、という表情だった。
    「違うんだよ。ルカを避けたいわけじゃないんだ」
    「うん」
    「でも、なんていうか……」
    「ゆっくりでいいよ」
     言葉を探しながら話そうとするシュウに、アイクはそう声をかける。
     ルカのシュウへ向ける恋心を、アイクはもちろん知っている。そして同時に、シュウがそういった類の話にきっとあまり関心がないことも。
     けれど実際、いままでのシュウの言動からアイクが勝手にそう予想しているだけで、シュウから核心めいた何かを聞いたわけでもない。
     二人の間になにがあったのかはわからないけれど。
     原因によっては——もしかすれば。
     アイクがそんなことを考えるうちに、シュウが窺うようにアイクを見た。
    「アイクはさ、その、」
    「うん?」
    「あー……、」
     ひどく言いづらそうにするシュウは、困ったというように眉を下げて、恥ずかしそうに頬を染めている。
     おや? とアイクは思う。
    「誰かと二人でいて、変な感じがすること、ある?」
    「変な感じ、って、どんな?」
     あまりに抽象的だ。もちろん、シュウの表情や様子から、なんとなくシュウの言う“変な感じ”がどういうことを言いたいのかは推測できる。できるけれど、あくまでそれはアイクの希望的な推測に過ぎない。
     シュウがきちんとふさわしい言葉を見つけなくては意味がない。
     やがてシュウは、アイクが考えていたよりよほど明確な言葉を口にした。
    「ルカといると、なんか、」
     胸がおかしくて。
    「————」
    「心臓がざわざわするっていうか、落ち着かないんだよ。どうしたらいいと思う?」
     心底に困り果てた様子で、シュウがアイクに問うてくる。そのシュウの表情はアイクが知る限り初めて見るものだったし、けれどシュウ以外の人間がしているのにはよく覚えがある。
    「……確認なんだけど、それってきっかけとか、何か思い当たる原因はあるの?」
    「きっかけ、」
     そうアイクの言葉を反芻したシュウは、思い当たることがあるらしい。完全に固まってしまった。こうなってくると、一体ルカはなにをしたのだろう、とシュウが不憫に思えてきた。
     けれどシュウがこんな反応を示すなにかをルカがしてしまったなら、ルカだって覚えがあるはずなのに。
     ルカが寝ぼけてなにかしてしまった、とか?
     もちろん、アイクがどれだけ考えたところで、すべて推測に過ぎない。
    「無理に内容は言わなくてもいいからね」
    「……、うん、ありがとう」
     アイクの言葉に、シュウはほっとした顔をする。
    「つまりなにかきっかけがあって、それからシュウはルカと二人だと心臓がざわざわするようになっちゃって、だからルカをつい避けちゃう、ってことで合ってる?」
    「合ってるよ」
     そう頷いたシュウはため息を吐いた。
    「僕もさ、避けたいわけじゃないんだよ。いつまでもこのままでいたいわけじゃないし、普段通りルカと話したいなって思ってる。でも、どうしても心臓がおかしいんだ」
    「シュウ」
    「こんなこと今までなかったから、どうしたらいいのかわからない」
     そう吐露したシュウは、顔の前で指を組んで、どこか遠くを見つめる。
     二人の間に何があったのかはわからない。わからないけれど、シュウだってこのままを望んでいるわけじゃない。もちろん、ルカだって。
     であれば、きっといまアイクが示せる道は、やはり一つだった。
    「シュウ、ルカと二人で話したら?」
    「う、」
    「ありのまますべてを伝える必要はないかもしれないけど。ルカはシュウに避けられて落ち込んでるし、君だってルカとこのままは嫌なんでしょう?」
    「……そうだね」
    「話せば、ルカは一緒にどうしたらいいか考えてくれる奴だから」
     もちろん、シュウだって知ってるだろうけどね。
     アイクがそう伝えれば、シュウはいくらか唸って、けれどもこくりと頷いた。
    「うん、そうだね」
     そう答えたシュウは、眉を下げて笑った。さっきまでよりずいぶんと表情が自然だった。それにアイクはほっと息をつく。
     真夏のラーメン屋で話すような内容ではなかったかもしれないけれど、このちぐはぐさがすこしだけ面白くて、なんだか思い出に残りそうだった。
     シュウの背中を押すのが今日のアイクの目的だった。きっとそれは果たせただろう。
    「なんか安心したらもう一回替え玉できる気がしてきた」
    「本気? けど、僕もしたいなって思ってた」
    「んはは! 頼んじゃう?」
     そんなやりとりをして、替え玉を二つオーダーする。
     そうして再び食事を進める間に、アイクのスマートフォンが震えた。
     メッセージはどうやら、ヴォックスから。
     通知をタップしてメッセージを確認したアイクは、随分タイミングがいいな、と小さく笑ってしまった。一言『OK』とだけ返す。
    「どうしたの?」
    「いや、お節介は僕だけじゃないなって」
    「?」
     スマートフォンをポケットにしまいながら答えれば、シュウは訝しそうだった。
    「シュウ、食べ終わったらさ、すこし買い物に付き合ってくれる?」
    「構わないけど」
    「よかった」
     そう返したアイクは、うまく時間を潰して誘導しなければ、と考えを巡らせる。謀り事はすきだ。わくわくするから。
     どうなるか、何を選ぶかはもちろん、二人次第だけれど。
     シュウもルカも、大好きな友人たちだから、未来がうまく拓けるといい。
     そう祈りながら、アイクは数時間先に思いを馳せた。



    9. Tell me your heart



     電車を乗り継いで、アイクと一緒に海沿いのショッピングモールにやってきたのは夕方だった。近くに観覧車なんかもあるような、ちょっとした複合施設。随分人が多い。ルカと行った水族館も人が多かったな、とシュウは思いだす。
     ちょうど夕日が海に溶けていくのをすこしだけ眺めて、アイクの買い物に付き合ううちに、あっという間に世界は夜を纏っていた。
     施設も看板も観覧車も明るい。近くに立ち並ぶビルだって明るくて、ちっとも星が見えない。都会なんてどこもこんなものだろうけれど。
     買い物を済ませて、そろそろ帰ろうか、とモールを出る。しばらく歩いたところで、アイクが声を上げた。
    「あ、待って」
    「どうしたの?」
    「さっきの店に忘れ物したかも」
    「え」
     アイクが手に提げた買い物袋を確認しながら、「やっぱり一つ足りない」と口にする。
    「シュウ、ちょっとここで待っててくれる?」
    「一緒に行くよ」
    「悪いし、いいよ。すぐ戻るからさ、この辺にいて」
     そう告げて、アイクはさっさとモールの中へと引き返してしまった。ぽつん、と取り残されてしまったシュウは、きょろきょろとあたりを見渡して、海が見渡せるウッドデッキに吸い寄せられた。
     手すりに身を預ける。海上には遊覧船が浮かんでいて、遠目でもライトアップされた船体がきれいだった。いつか船旅もしてみたいな、とそんなことを考える。
     夜になっても昼の熱気はそのままで、生まれ育った国よりずっと空気が湿っぽくて、夏が息苦しい。じわ、と肌に汗が浮かんで、時折吹く潮風がすこしだけ涼しい。
     日本にやってきて、まだ一週間も経っていない。だというのに、随分とたくさんのことがあったように感じてしまうのは、シュウのこころがいっぱいだったせいだ。
     異国で仲間たちと一緒に過ごす非日常と、はじめての感情に戸惑うこころと。
    「…………」
     まだあと十日以上日本で過ごす予定になっていた。スケジュールだってたくさん詰まっている。となればやはり、ルカとこのままではいられない。
     けれど、あの看病した日の「すきだよ」を思い出すたびに、胸の奥がざわざわと落ち着かなくなる。どんな感情で、どんな意味で、どんなつもりで向けられた言葉だったろう。ルカの顔を見るたび、名前を呼ばれるたび、隣りに立たれるたび、心臓がおかしくなる。
     暴いちゃいけない。意味を知りたいだなんて、思っちゃいけない。もし、なにか甘さの乗った意味だったら、シュウは受け取ることができない。覚悟がないのに、シュウから暴くことはできなかった。
     好きに甘さを孕んだ感情は、僕には備わっちゃいないから。
     けれどせめて、避けていたことはきちんと謝りたい。そうして元通り、いままでみたいに話せるように戻りたい。
     きっと時間が空いてしまうほど、話しづらくなってしまう。
     今夜にでもルカと話す機会があれば——。
    「シュウ!」
    「え、」
     呼ばれたのに、驚いて心臓がどくりと鳴った。
     だって、まさか。
     シュウが振り返れば、いままさに思いを巡らせていたルカがそこにいた。



       ***



    「なるほど、じゃあ僕たちは嵌められたってわけだ」
     結果から言えば、アイクはもう先に帰ってしまっているらしかった。それもヴォックスやミスタたちと一緒に。
     いまここにいるのはルカとシュウの二人だけ。
     シュウとルカの様子を心配したミスタとヴォックスの作戦に、どうやらアイクが乗った形らしい。アイクはシュウを連れ出す係。ルカはといえば、何も聞かされないままヴォックスとミスタに連れられてきた果てに、駅でシュウがいるからうまく話せとだけ言われたらしい。
     アイクから大体の場所だけをメッセージで送られて、それを頼りにシュウを探してくれたらしいルカは息を切らして、汗をかいていた。一度も訪れたことのない場所で、言葉だってろくに通じない場所でシュウを探し回るのはきっと大変だったろう。
     とにかく少し休もう、とシュウはルカの腕を引いて、目についたジューススタンドでパッションフルーツのソーダを二つ買うと、ルカにひとつを手渡した。
     すこしショッピングモールの周辺を歩くと、海沿いのライトアップされた道にベンチがいくつもあるのを見つけた。そこに腰かけて、遊覧船を眺めながらソーダに口をつける。おすすめされるままに買ってしまったフレーバーだったけれど、爽やかですっきりとして、夏の夜にはいいかも知れない。
    「美味しい」
    「うん、ありがとう」
    「こちらこそ、見つけてくれてありがとう」
     シュウがそう返してルカを見ると、ルカはすこし目を丸くした。
     汗はどうやらさっきより引いたようだけれど、それでも走り回って探してくれたのを知っている。髪だって乱して。シュウのために。
     心はいまだってざわざわとしている。心臓だって幾分か早くて、落ち着かない。けれどきちんとルカと話すと決めたおかげか、逃げ出したい気持ちにはならなかった。
     すこしぐしゃぐしゃになっているルカの髪にシュウは手を伸ばす。そうして整えてやると、ルカはまた息を飲んだ。
     ひとつ息を吐いて、シュウは伝えたかったことを言葉にする。
    「ルカ、きみのこと避けていてごめんね」
    「!」
    「言い訳にはなるけど、避けたかったわけじゃないんだよ。ただ結果的にはそうなっちゃったから、すごく嫌な感じだったと思うんだけどさ」
     ルカはきっと感情の機微に敏い。よくよく人のことを見ているし、細かな変化にも気が付く方だ。シュウは人に合わせるのは得意だけれど、そういう点はいくらか鈍い。
     シュウの態度で、ルカはきっと少なからず傷ついたり、落ち込んだりしたはずだ。いままで仲良く話していたはずの相手からそんな態度を取られたら、当然だけれど。
     もっとシュウがうまく立ち回れたらルカにそんな思いをさせずに済んだだろう。
    「……嫌というか、寂しかったよ」
    「うん」
     ルカがそう口にしたのに、シュウは頷く。逆の立場ならシュウだって寂しい。
    「ごめんね、もうしないから」
    「……その、なんで俺のこと避けてたの」
    「…………、それ、は、」
     シュウは言い淀む。
     なんとか聞かれずに終わらないかと思っていたけれど。ルカはそりゃあ、理由が気になるだろう。僕だってたぶん、同じようなことがあれば気になる。僕になにか原因があるなら直したいと思うだろうし。
     けれど、理由が理由だ。なんと返せばいいだろう。
     まさか、すきだと言われたから、と打ち明けるわけにもいかない。いや、いっそ聞いてしまったほうが楽だろうか? でも、なんて? 僕のことがすきなのって? まさか、聞けるわけもない。
     とても、とても聞けやしない。
     言葉を探して固まってしまったシュウを見て、ルカが小さく息を吐いた。
    「やっぱり俺、シュウになにかしちゃった?」
    「そ、そんなことは」
    「じゃあ俺の目見てよ」
     請われて、シュウはおずおずとルカを見つめる。街灯の明かりに照らされたルカの薄紫の双眸はすこしだけ落胆や悲哀や怒りが滲んでいる。それを見た瞬間、きみにそんな顔をさせたいわけじゃないのに、とシュウは胸がぎゅっとなる。そのくせ、まるで言葉が出てこない。
     手にしていたソーダの容器が気温差で汗をかいて滑る。
     どくどくと心臓が跳ねる。居心地が悪い。けれどどうしたらいいのかまるで浮かばなかった。
    「もしかして、俺、寝ぼけてシュウに何かした?」
    「……っ、」
    「教えてよ。俺、何かしちゃったなら、それをシュウが嫌だったなら、ちゃんと謝りたいし、もうしたくないんだよ」
    「違、! 嫌だったわけじゃ、」
    「じゃあやっぱり俺シュウになにかしたんだ」
    「う、」
     失言だった。絶対に失言だった。
     こういうときのルカはきっと逃がしちゃくれない。もちろんシュウが本当に嫌だと拒めばこれ以上追究してはこないだろうけれど。でも、シュウがルカを避けてしまったのは事実なのに、このままでは不平等だし、ルカに対して誠実でない気がしてしまう。
     けれどでも、オブラートにだって包めやしない。どうすればいい。ストレートに聞く以外に、シュウには選択肢なんてない気がした。
     シュウが覚悟を決めようと息を吐くと、ルカが思いもよらないことを口にした。
    「……、俺、シュウにキスとか、した?」
    「えっ?!」
     あんまり思いもよらない問いかけに、思わず声がひっくり返ってしまった。
     ルカを見れば、彼は心底真剣な表情だった。すこしだけ熱っぽいような、羞恥を纏ってはいたけれど、ただ静かに、まっすぐシュウを見つめる。
    「だってシュウが言いづらそうにするから、」
    「そ、そこまではしてないよ!」
    「じゃあキスじゃないことはしたんだ」
    「!」
     どうして、どうしてこういうときばかりシュウの都合の悪いところを拾い上げるのだろう。
     普段はゴールデンレトリバーみたいなくせに。こういうときばっかり、マフィアのボスみたいだ。
     引っかかる自分も自分だけれど。
    「もうここまでわかってたら一緒だよ、シュウ。教えて」
    「~~~~っ」
     ずるい。狡猾で悪辣だ。少なくともいまのシュウにとってはそうだった。
     心臓が嫌に跳ねている。息が苦しい。身体が熱い。
     もうどうにでもなれ、とシュウは口を開く。
    「すきだよ、って、言ったから……」
    「!」
    「ルカは覚えてないだろうけど、眠りに落っこちる間際に、すきだよって……」
    「——」
     聞き間違いかもと考えたりもしたけれど。確かにすきだとルカは言った。
     別にその言葉だけならよかった。よかったけれど、響きに甘さが乗っていた。いつか通話したときに理想の相手をルカが教えてくれたときの響きと同じだった。
     だから、だからこそ、だめだった。
    「どんな意味で、どんなつもりで言ったんだろうって考えたら、どうしていいかわかんなくて、きみといると落ち着かなくて、心臓がおかしくて、」
    「シュウ」
    「だから、」
     シュウが言葉を続けようとしたのを、伸びてきたルカの手が阻む。シュウの口を塞いだルカは顔を赤くして、何かを堪えるみたいな表情だった。
     なにそれ。なんで。
     だめだ。
     そんな顔されたら、伝染ってしまう。
    「————……っ」
     考えるよりも先に心臓が早くなって、シュウの顔はかっかと熱くなる。絶対、絶対真っ赤になっている。熱い。あつい。息が苦しい。胸が苦しい。
     もう勘弁してほしい。
    「シュウ」
    「!」
     ひどく、ひどく優しい声で名前を呼ばれた。
     知らない。そんな声。僕の知っているルカはそんな声で僕の名前を呼んだことなんてなかった。
     そっとルカを見れば、ルカはただじっとシュウを見つめていた。
     そうして、そのくちびるが明確な意思をもって、言葉を紡いだ。



    「好きだよ」



    10.ミッドナイトサマータイム



    「好きだよ」
     明確な意思を持って、恋を口にした。
     シュウに恋を伝えるために、知ってもらうために。
     感情の乗った言葉は、幾分掠れた声になってしまった。



    「シュウが、好きだよ」
     もう一度、今度はさっきよりもゆっくりと音にした。
     鼓動が早くなっていく。その分だけ、夜も濃度を増していく気がする。
     シュウがアメジストの瞳を瞠る。夜の景色の中でもシュウ目はきれいだ。その綺麗な瞳が、いまこの瞬間、ルカだけを視界に映している。
     昼日中の熱気はまだそのまま。潮風が戯れに空気をかき混ぜて、そのたびにすこしだけパッションフルーツの匂いが弾ける。
     シュウはと言えば、まるで時間が止まってしまったみたいに固まってしまう。けれどその顔は赤くて、ちゃんとルカの言葉が届いているのだと教えてくれる。
    「本当はもっと、ちゃんとした場所できちんと言いたかったんだけど。どうせもうシュウが知ってるなら、いい」
    「ルカ」
     ようやくの思いでルカの名前を呼んだシュウは、けれどやはりそれ以上の言葉はなにも出てこないようだった。
    「格好つけるより、知ってほしい」
     俺の気持ち。
    「——」
    「シュウ、俺は」
     シュウのことが好きだよ。
     追撃のように、好きを浴びせていく。シュウは顔を真っ赤にして目を丸くして、言葉にならない声を上げる。かわいい。俺のせいでシュウが困っている。きっとどきどきしてくれている。シュウを困らせたくなんてないのに、それでも、ルカのせいで困る姿がいとしかった。好きな相手が困る姿をいとしく思うなんて、存外に自分はろくでもない男なのかもしれない。
     それでも、シュウが好きだ。きっと、世界でいちばん、シュウを好きなのは自分だって自信がある。いまこの瞬間だって、一秒ごとにシュウへの好きが増えていく。
     ずっと伝えられなかった片想いだから。いままでシュウを想ってきた分だけ、たくさん伝えたい。
    「シュウ、ごめん」
    「え……?」
    「シュウを困らせたりしたくないのにさ、それでも、シュウに好きだって言いたい。ずっとずっと好きだったから」
    「!」
     ルカの言葉に、シュウはもう、かわいそうなくらいに顔を赤くして、ついにはソーダをベンチに置いて、両手で顔を覆ってしまった。
    「う、待って、」
     消え入りそうな声が聞こえて、ルカは「うん」と頷く。やがて両手をすこしずらして、ちら、とルカを見たシュウは、心底に困り果てた様子だった。
    「そ、んなに、……?」
     続きは言葉にならなかったらしい。けれどなにを問われたのかくらい、すぐにわかる。
    「好きだよ」
    「……っ、なんで、僕なの」
    「俺だってわかんないよ。でも、どうしてもシュウがいいんだ」
     どうして、なんてそんなの、わかりっこない。だって恋って落っこちるものだから。気づいたらルカはシュウを好きだった。恋をしていた。
     理由なんてない。理屈じゃない。ただ、ルカの心が訴えている。
    「シュウの好きなところを挙げてって言うなら、たぶんいくらだって挙げられるけど。でもきっと、そんなの全部後付けだから。俺の心がどうしてもシュウがいいっていうんだって、それだけだよ」
    「————」
    「俺のこと好きになって」
     ねだった途端、世界がふっと暗くなった。
     ショッピングモールの建物が順番に消灯していく。併設された観覧車も運転を停止して、街灯の明かり以外が消えてしまう。海の上できらびやかに揺れていた船ももう、随分遠くへ行ってしまったようだった。
     けれどすこしと経たずに、観覧車がブルーのネオンでぴかぴかと明滅し始める。営業は終わって、きっと夜の間は景観を彩るシンボルになるのだ。
     思いがけずロマンティックなムードに包まれて、これは追い風だ、とルカは思った。
     与えられたチャンスは、きちんと物にしなければ。
    「ちょっとずつでいいんだ。いますぐなんて言わないから、俺のこと好きになってほしい」
     観覧車が深い青色を纏って明滅する。
     ブルーの瞬き。水族館での景色を思い出して、地上にいるのに、溺れそうになる。
    「もちろん、無理にとは言わないよ。シュウの心が望まないことはしたくないから。でも、俺はシュウが俺を好きになってくれたら嬉しい」
    「……ルカ、」
     シュウが顔から手を剝がした。さっきまでより落ち着いたようだ。
    「ごめんね、シュウは困るだろうなって、知ってたけど。どうしても伝えたかったんだ」
    「……、ううん」
    「ありがとう、俺の恋を逃げ出さずに聞いてくれて」
     伝えれば、シュウは驚いたような顔をした。そんなことを言われるとは思わなかったらしい。はしはしと何度か瞬きをして、やがていくらか気まずそうな顔をしてみせる。
    「前に、話したかもしれないけど」
     そっと打ち明けるように、シュウが口を開く。
    「恋とかそういうの、よくわからないんだ。家族とか友達を見てたらさ、きっと幸せなものなんだろうなっていうのはわかるよ。でも、ずっと興味がないままで、僕自身に必要だと思ったことがない」
     そう語るシュウは、海を眺める。月明かりや人工的な光を反射する水面はきらきらとして、けれどどこまでも暗い。
    「うん。シュウが俺のこと友達だとしか見てないのもちゃんとわかってるよ」
    「……、きみは、すごく強いよね」
    「え?」
    「だってさ、きっと、いっぱい悩んでくれたんでしょ。僕がどんな風にきみを見ているかも知ってて、関係が変わっちゃうかも知れないのに、それを飛び越えてさ、気持ちを伝えてくれたんだよ。それがすごいことだっていうのは、僕にもわかるから」
    「シュウ」
    「ごめんね、ありがとう」
     僕を好きになってくれて。
     シュウはそう言ってルカに笑いかけてくれた。凪いだ海みたいに穏やかな表情で。きれいで、さっきまでよりずいぶん自然な表情だった。
     ああ、やっぱり好きだな、とルカは胸が苦しくなる。
    「ルカ、あのね、せっかくだけど——」
    「シュウ! 待って!」
     告白の答えを遮るように、ルカは声を上げる。
    「返事は、まだ待って」
    「でも」
    「日本にいる間でいいから! シュウにアピールする時間がほしい!」
     ずい、とシュウへ距離を詰めて、ルカは懇願する。シュウは戸惑ったような表情になる。
    「俺の気持ちを知った上でさ、俺のこと考えてほしいんだ」
    「ルカ」
    「俺、すっごく一途だし、シュウを絶対に幸せにする自信がある。シュウが俺のこと避けてたのだって、俺がシュウを好きかもしれないって思って意識してたからでしょ」
    「! それ、は、」
     そうだ。シュウがルカを避けていたのは、ルカが無意識に好きだと言ってしまったから。それを意識して、ルカといると心臓がおかしくなるとシュウは確かに言った。
     砂粒ほどの甘い感情かも知れない。けれどゼロでないなら、百にだって千にだって増やせるはずだった。その自信があった。
    「だから、きっとシュウだって、恋をちょっとは知ってるんだよ。ほんの少しでも可能性があるなら、俺はそこにつけ入りたい」
    「つけ入る、って」
    「だからさ、まだ答えは待って」
     真剣に請えば、シュウは何も言えなくなる。また顔を赤く染めて、ルカをじっと見つめている。
    「……きみって結構強引だよね」
    「必死だから」
     ルカがそう返せば、シュウは諦めたみたいに息を吐いた。
     そうしてなにか覚悟を決めたように、ルカをまっすぐ射抜く。
    「アピール、受けて立つよ」
    「なんでそんな好戦的な感じなの」
    「だってきみがつけ入るとか言うからさ……」
     そう返すシュウの頬は赤い。かわいくて、つい笑ってしまった。そうすればシュウは恥ずかしそうに視線を逸らした。
     いまのシュウの鼓動はどんな早さだろう。知りたい。ルカのせいで早くなる鼓動を聞いてみたかった。
    「でも僕、本当に、すごく時間がかかるかも知れないよ。ルカの望む結果にならないかも知れない。確かに好きだっていわれて心臓はおかしくなったけど、恋がなにかよくわかってないし」
    「じゃあさ、試してみる?」
    「え?」
    「恋人っぽいことを、さ」
     嫌じゃないかどうか。
     窺う声は、すこし低くなってしまった。
     ルカの言葉に、シュウはただ静かにまばたきをした。
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