【💛💜】ゴールド・ダイヤモンド ——先に灰になったらさ。
ダイヤモンドにしてくれる?
「…………」
意識が夢から覚めていく。
なんだか肌寒くて、シュウはそっと目を開いた。起き抜けでろくに回らない頭。ぼやける視界は、何度か瞬き繰り返す内にはっきりとしてくる。
どうやら、ブランケットが肩から落ちてしまっている。
あくびを零しながら、シュウはブランケットを手繰り寄せた。そうして、傍らでぐっすりと眠る生き物にもきちんとブランケットを分けてやる。シュウと同じく何も身に着けていないルカのタトゥーが剝き出しだ。しなやかな筋肉を纏った身体は引き締まっていて、ひっついてみるといつだって自分より体温が高い。
ベッドの下に散らばった衣服たちが視界に映って、そういえば、とシュウは思いだす。昨夜、ルカと熱を分け合って、そのまま疲れ切って眠ってしまったのだった。
途端、身体の至るところが痛んだりべたついたりしているのに気づく。眠りなおそうとしていたけれど、たぶんこれはシャワーを浴びた方がいい。きっとシーツやベッドカバーも洗濯した方がいいけれど、ルカがまだ眠っているから後回しだ。
シュウはのろのろとベッドを出る。素足で踏んだ床が冷たい。誰が見ているわけでもないけれど一糸纏わぬままというわけにもいかない気がして、適当に下着とボトムを履いて、シャワールームに向かう。朝方は空気が冷たい。
脱衣所の鏡に映った自分の肌に浮かぶいくつもの鬱血したような跡に、いつもより多いかも、と考える。思えば身体を繋げるのは久しぶりだったかも知れない。愛の名残。熱帯夜の残滓。
昔ならばもう少し慌てたり驚いたりしていたけれど、今ではすごく愛されたな、くらいの感覚になった。
慣れってすごい。シュウは胸元の跡をそっと指でなぞった。
誰かを想って胸が甘くなるのも、キスが気持ちいいものだってことも、思いきり愛されて大事にされることも、シュウはルカのおかげで知っている。
「——……」
自分には縁がないものだと思っていたのに、人間って変わってしまうものだ。
シュウはもう一度あくびをすると、さっさと脱いだ衣服を洗濯機に放り込んだ。
手早くシャワーを浴びて着替えも歯磨きも済ませた頃には、すっかり頭も覚醒している。キッチンでコーヒーを淹れて、適当にスマートフォンを弄りながらマグカップを傾ける。SNSやネットニュースをチェックしながらだらだらとコーヒーを啜る時間がシュウにとっての朝だ。
いつもならルカの方が早く目を覚ましているし、走りに出かけて帰ってきている頃だろうか。時折こうしてシュウの方が早く目を覚ますけれど、なんだか不思議な感覚だった。
コーヒーを飲み終えて、マグカップを洗って元に戻す。
朝食はどうしよう。まだお腹は空かない。どうせならルカを待って一緒に食べようか。冷蔵庫になにかあったかな。買い出しに行かないといけないかも。そしたら、ルカはそのまま外で食べたいって言うかも。良い天気だし、べつに外出したっていい。
そんなことを考えながら、シュウはソファに座った。
「…………」
背もたれに思いきり身体を預けて、天井を仰ぐ。
平和。平穏。長閑。
気ままで幸せな日々。
どうしょうもないくらいに、あきれるほどに、温かで幸福な日々。
ルカと出会って、その隣を許されてどのくらいが経っただろう。時に危険なこともあったけれど、過ごした日々の大半は愛と幸福で溢れている。きっとこの先もそうなのだろうと確信がある。
——自分には到底、縁がないと思っていた。
もちろん、平穏も幸福も好むけれど。楽しいことがすきだけれど。シュウが想像していたシュウの人生は、いまよりもっと甘さなんてなくて、気ままに好きなことをして、時たま呪いを相手に血腥いこともして、けれどのんびりと老いていくような、そんなものだった。
随分と改変された人生設計。
「……、」
時折考える。自分に愛する誰かがいるということについて。
たぶんだって、すごい確率の奇跡な気がしている。
まず地球に人間として生まれ落ちて、命に関わるような怪我も病気もなく健やかに育った。たくさんの人間が息をする惑星で日々暮らして、お互いに顔も名前も知らなかった有象無象だったのに、幸運にも出会って、あまつさえ特別になったわけだ。本当に、どんな確率か知れない。知れないけれど、とにかくシュウはルカと出会ったし、いまこうして同じ家で一緒に過ごしている。
ふとしたときに考えている。この意味を。この出来事がもたらす幸福について。愛するひとがいることを。愛してくれるひとがいることを。
地球の終焉を思うような途方もないことを考えるうち、シュウはソファでうとうとし始める。元々朝目が覚めた時に眠りなおそうとしていたのだった。そっと目を閉じて、まどろみに身を任せる。
けれどたぶん、そう深い眠りにはつけなかった。
「シュウ」
「……、ん、?」
呼ばれて、まぶたを開く。
そうすれば、薄紫の瞳と視線がかち合った。
「身体痛めちゃうよ」
「ん……、確かに」
痛いかも。
ほんのすこし寝ぼけながらシュウが返すうちに、ルカがシュウの額にキスをくれた。そのまま優しく手を引かれて、正しい姿勢に戻される。ソファに座りなおしたシュウは、ルカの金色の髪がいくらか濡れているのに気づいた。シャワーを浴びたらしい。シャンプーの匂いがしている。
「僕どのくらい寝てた?」
ソファでうとうとしたせいでばきばきになってしまった身体を、伸びをしたり首を回したりしながらほぐす。
「わかんない。けど俺がシャワー浴びてる間は寝てたから、少なくても三十分は寝てたんじゃないかな」
「そっか」
「おはようシュウ」
「ん、おはよう」
シュウが返せば、身を屈めたルカが戯れのようなキスをくれる。ちゅ、と一瞬重なったくちびる。いつだって体温はルカの方が高いけれど、シャワー上がりだからか余計に熱く感じた。
「あ、そうだ」
シュウがぼんやりと考える間に、ルカがシュウの左手を取った。
「忘れ物」
そう言ったルカが、薬指に指輪を嵌めてくれる。
「あ」
「ベッドのサイドボードにそのままだったから」
「……ありがと」
昨夜ルカとそういうことになる前にイヤリングと指輪を外して、確かそのままだった。
肌を合わせるときは外すけれど、行為そのものが久しぶりだったから。指輪を外したことも忘れていた。
ルカと揃いのゴールドのシンプルな指輪。
何か宝石を内側に贈ってくれると言ったけれど、シュウはそれを断った。
「シュウもう朝ごはん食べた?」
「ううん、まだ。ルカが起きたら一緒に食べようかなって思ってて」
「え! それなら早く起こしてくれたらよかったのに!」
「大丈夫だよ。まだお腹そんなに空いてないし」
「冷蔵庫何かあったっけ?」
シュウが話す内にルカがキッチンへ向かう。そうして冷蔵庫を開けるのを眺めて、シュウは答える。
「なにもないんじゃない。買い物に行くか、外で食べる?」
「どっちも!」
「んはは、“正解”」
期待たっぷり。弾んだルカの声に、シュウは眠る前に予想していた通りになりそうだと笑った。
「え、何?」
シュウの元へ戻ったルカが訝しげに問うてくる。
「ルカならそう言うかなって気がしてたのが当たったからさ」
「俺ってそんなにわかりやすい?」
「まあきみはわかりやすい方だろうけど、今日のは僕がルカと過ごした時間のおかげじゃない」
シュウがそう自然に返せば、ルカが一瞬薄紫色の目を見開いた。けれどすぐに嬉しそうに笑うと、シュウの傍らに座ってじゃれるように抱き着いてくる。
ぎゅう、とシュウを抱きしめてくれる身体が大きくて温かい。シャンプーの柔らかな香り。
ささやかな幸福。
シュウも抱き返すと、ルカがシュウの肩口に顔をうずめる。
「どうしちゃったのさ」
「シュウが好きだなあって」
「あー、ありがとう?」
「なんで疑問形なの!」
拗ねたような声を漏らしたルカが顔を上げて、シュウをじっと不機嫌そうに見つめる。それがあんまりかわいくて、シュウは我慢できずに噴き出してしまう。その反応が不服だったらしいルカに不満げな声で「シュウ~!」と呼ばれる。けれど、声色とは違ってルカの表情は楽しそうで、ただのじゃれ合いに過ぎない。馬鹿らしい。
ルカがシュウの身体を抱きしめたままソファに沈む。ルカに押し倒された形になったシュウがそれでもまだ笑っていれば、ルカのキスが降ってくる。ついばむようなくちづけが何度も落っこちてきて、けれどそのうち大事に大事にキスをされる。かと思えば、ルカの両手がシュウの耳をふさいだ。途端、キスの音が脳髄まで聞こえてくる。
「ん、う、……ルカ、」
「仕返し」
「……ッ、」
濡れたようなキスの音も、ルカの吐息もささやくような声も、すべてが聴覚と頭をいっぱいにしてしまう。シュウがこれに弱いのを知っていて仕掛けてくるのだから、タチが悪い。心臓が早くなっていく。好きだと返さなかったことへの、かわいいと笑ってしまったことへの、ルカからの意趣返し。
縋りたくなってシュウがルカの首に腕を回すと、ルカが「ん、」と短く喉を鳴らした。ルカがキスのさなかにすこしくちびるを離して、は、と熱い息を零すのが色っぽくて、シュウは心臓がおかしくなりそうになる。
降参、とルカの胸を押すと、ルカは素直にキスをやめてくれた。
耳をふさいでいた手が離れる。
見上げたルカはふふん、と得意げな顏だった。
「……、僕もルカが好きだよ」
そう伝えれば、ルカが満足そうに破顔した。
「なんだかお腹が空いてきたかも」
「シュウなに食べたい?」
「うーん、朝からあんまり重たいのはなあ」
「じゃあさ、サンドウィッチでも食べに行く? 前にさ、一回行ったじゃん。すこし歩くけど、公園の向こうのさ」
「ああ、そういえばまた行きたいねって言って行けてなかったね」
前に二人で立ち寄ったカフェ。特製のスパイスをきかせたチキンのサンドが人気で、おまけにコーヒーも美味しかった。
「天気もいいし、テイクアウトして公園で食べたいな。きっと気持ちいいよ」
「んはは、いいよ」
シュウ一人ならば朝食を外で、まして公園で摂ろうだなんて考えには至らない。そもそも外へ出ようとも思わない。ちら、と見た窓の外はまっさらな青空だった。
ルカがシュウの上から退いて、手を引いてくれる。その薬指にも金色の指輪がしっかりと嵌められていて、こころの奥がすこしだけふわふわとした。
シュウの視線に気づいたらしいルカが「シュウ?」と尋ねてくる。
「たぶん、今朝、指輪をもらったときの夢を見たんだよね」
「ああ」
シュウの言葉に、ルカが指輪を見つめた。
「俺が指輪に宝石を贈ろうかって言ったのに、シュウはいいよって言ったよね」
「うん、そうだね」
左手の薬指の輝きがなんだか眩しくて、シュウはすこしだけ目を細めた。
「“僕が先に灰になったらさ、ダイヤモンドにしてくれる?”」
「————」
「ちゃんと覚えてるよ」
いつかのシュウの言葉を真似たルカが、さっきまでよりも随分と静かで、けれど穏やかな表情でシュウを覗き込む。
「きみが一生一緒にいようって言うからさ、僕なりに考えたんだよ。生涯一緒にいられる方法をさ」
ルカと出会って、そういう関係になってしばらくして。ルカはシュウの生涯を求めてくれた。
友達や姉妹たち。誰かとの幸せな道を進んだひとたちを見てきた。幸せなことだと祝福をしながら、自分には誰かと生きるような道は縁のないものだと思っていた。
けれどそんな未来が、シュウの道にも示された。
とんでもない確率の奇跡が、訪れてしまった。
ふとしたときに考えている。この意味を。この出来事がもたらす幸福について。愛するひとがいることを。愛してくれるひとがいることを。
いまも昔も、ずっとずっと、シュウなりに考えている。
「うん、知ってるよ。だから、俺が先に灰になったら、シュウも俺をダイヤにしてよ」
ねだられて、シュウは頷いた。
「もちろん。それでこの指輪にルカのダイヤをあしらうんだ。ずっときみと一緒にいられるようにね」
遺骨をダイヤモンドにできると知ったのは、たまたまだった。
ルカと出会う前になにかのサイトで読んだ記事。そんな技術が、と単純な驚きだったけれど、ルカに生涯を求められて思いだしたのだ。
だって一生一緒に、というのはきっと、物理的には難しいから。もしかすれば同じ日に終わることもあるかもしれないけれど、きっとどちらかが先に星になる。
そのときに寂しくないように。生涯を差し出せるように。
先に灰になった方が宝石になる。
愛するひとがいるというのは、いつか失くすひとがいるということで。
愛してくれるひとがいるというのは、いつか残してしまうひとがいるということだから。
決して悲しい話ではなくて、事実として。シュウは漠然と捉えている。
「まあ、初めに聞いたときは正直驚いたけど。なんでそんな悲しい話するのって」
「僕的にはぜんぜん悲しい意味じゃなかったんだけど、そうなるよね」
いきなりいつかの終わりの話をされれば、それはそうだ。シュウが苦く笑うと、ルカがシュウの左手を取った。そのまま、薬指にキスをくれる。
「でもちゃんと話を聞いてさ、シュウなりの俺への愛とか、思いやりだって思ったよ。一生一緒にいてって言葉をさ、真剣に考えてくれたんでしょ」
「僕なりにね」
「シュウの時々考えもつかないこと言いだすとこ、好きだよ」
「待ってそれさ、褒めてる?」
「俺なりにね」
シュウの問いに、ルカが悪戯っぽく笑った。
「それよりほら、早く支度して出かけよう! 俺もお腹空いた!」
「うわ、!」
ルカにぐっと腕を引かれてソファから立ち上がると、引きずられるようにクローゼットへ連行される。機嫌よさげに鼻歌を歌うルカは、自分の服と一緒にシュウの服も一緒に見繕っていく。
楽しくて幸福で、やっぱりすごい確率の奇跡だな、と思う。
まだまだダイヤになる日は遠いけれど、ルカは世界でいちばん眩しく輝くダイヤになりそうだな、とシュウはひっそりと考えた。
2022.09.01
--------おまけ------
「シュウ?」
じっと眺めていれば、視線に気づいたルカが首を傾げる。
「なんでもないよ。きみが好きだなって考えてただけ」
「えっ!」
シュウが告げれば、ルカは手にしていたシャツやベルトを落っことした。
「なんでそんなに驚くのさ」
「だってあんまりシュウから言ってくれないから……!」
「そう?」
「そうだよ!」
「まあでも僕が言う好き一回は、ルカが言う好きの十回分くらいだから」
そう冗談交じりに返せば、「そんなわけない!」と抗議の声が上がる。
そんな風にじゃれ合いながら支度をして、家を出た。公園で食べたサンドウィッチは特別美味しかった。