逢魔時に棲む者 その日はいつもと何ら変わりない一日だった。
時間はあるけどお金は無い、高校生の夏休み。暇を持て余していた花垣武道は、バイトが休みで何も予定が無いという松野千冬を誘ってファミリーレストランでだらだらと日中を過ごした。
平日午後の閑散期にパフェとドリンクバーのセットを注文すれば、長時間居座る高校生でも追い出されることなく涼しい店内でしゃべり倒していられる。しかしそれもディナータイムまで。夕刻になり店側の無言の圧力を察して退店した。外に出るとまだむわっと蒸し暑い空気が身体に纏わりつく。
「大分日は傾いたけどまだまだ暑ぃな、外」
「俺らさっきまでめちゃ冷房ガンガンかけられてたし、余計だな」
「わざと寒くして帰らせるっていうのあからさま過ぎねえ?」
「だからこそやるんだろ、帰ってほしいからな」
「あーこの後どーすっかなー」
両親が揃って盆休みを取り旅行に行くというので、一人家に残った武道は今日は正真正銘自由だった。まだまだ遊びたい。ファミレスを後にした行く当てのない道すがら何とはなしにぼやくと、
「タケミっち、今日まだ遊べんの?」
「そういえば言ってなかったけど、今日は親が旅行でいねーんだよ。だから明日までドフリーってワケ」
「マジか! じゃあお前ん家に泊まりに行っても良い?」
千冬が形の良いアーモンド形の瞳をキラキラさせて聞いて来るので、武道は二つ返事で了解した。
「よっしゃあ! じゃあ前ん家に行く前にオレんとこ寄らせて。ペケの飯とオレの着替え準備したい」
「いーよ」
じゃあオレん家行くならコッチな、と千冬が促して大通りから小道へ曲がった。普段バイクで移動しない武道に合わせて徒歩で出てきていた千冬は「この辺から家に帰るなら、確かここ通っていくのが近道なんだ」と周りを見渡しながら進む。
「オレ、この道通ったことねーかも」
「そっか。オレもすげー久しぶり」
携帯電話でカチカチと地図を確認しながら千冬が答える。
「なんだよ、本当に近道で帰れるのかよ」
心配だなーと茶々を入れながらも、武道はちょっとした探検気分でワクワクした気持ちを持って千冬を眺めた。これが山岸あたりなら迷ったら余計時間かかるからちゃんと確認しようぜと、はなから信用しきれない気持ちを出してしまうところだったが、千冬に対してはそんなことにならないという安心感というか、もしも迷ってしまったとしてもその回り道も楽しく行けるような気がしてならなかった。思えばこのタイムリープ前にも一時だけ高校時代を千冬と共に過ごした。あの時は佐野万次郎を何としても救いたいと決心してどうにかしようと必死で、学生生活を楽しむ余裕が無かったような気がするし、バイトに忙しくしていた千冬と放課後を楽しく過ごした記憶も数えるほどしか覚えていない。それもあって、この何気ないひと時が武道にとってはとても大切で愛おしかった。
夕暮れの町、見慣れない道を新鮮な気持ちで歩く。気が付くと抜けるように青かった空が今は燃えるように赤い。ついさっきまで明るい日差しがじりじり照り付けていると思っていたのに、横を過ぎる住宅の影はだいぶ暗くて、前を歩く千冬のすっきり引き締まった二の腕は夕焼けに照らされて茜色だった。路地に入り遠くなっていく街の喧騒の代わりに、どこかで鳴くヒグラシの声がする。静かで赤く染まった世界は先ほどまでの街の雰囲気と違っていて、ここだけ切り取られたかのような気分だった。通りすがる人もいない、まるで異界にでも入り込んだのかと思うほどの異質な静けさを感じ寒気がした武道は思わず自分の二の腕を抱き込むようにしてひとさすりしてから先を行く千冬に駆け寄った。
「へえ、こんな住宅地の真ん中に学校があるんだな」
少し古い作りの民家が並ぶ細い通りを進んでいくと、学校独特の無機質な塀が現れ、年季の入った校舎が見えた。「そういえばあるな。小学校だよ」と千冬が補足する。
「お前の出たところ?」
「いや、オレは違う学区」
「ふーん」
二人並んでそんな会話をしながら通り過ぎる。先ほど真っ赤だと感じた空は大分薄暗くなって、茜から瞑色へのグラデーションを背負った古びた校舎が、何となく禍々しいと感じた。
そのまま何気なく校庭を見回して、武道は気づいてしまった。
校庭に無数に人がいた。
列を成しているわけでは無く方々に立っている人々はそれぞれゆっくりと歩いているようだった。
ザッ、ザッ、ザッ、と静かなグラウンドに集団の足音だけが聞こえる。いつの間にか千冬との会話も止み、二人とも無言になっていた。
野球やサッカーのクラブ活動かと一瞬思ったが、それにしては背格好が大きい。大人の背丈に見えるし、クラブ活動にしては走っている者はいないし静かで全く声が聞こえない。違和感がどんどん膨らんできた。
薄気味悪さを感じながらも、目は離せないでいる。よく見たら只の〇〇でした、というオチを探さずにいられなかったからだ。きっと運動クラブのユニフォームを着ていたりする筈。校庭を清掃する教員たちや保護者かもしれない。どんな格好のどんな人たちかわかれば、この違和感は消えてホッとできる。そう武道は思っていた。
「…………」
しかし、見れど見れど、どんな人たちなのかを知ることはできなかった。
暮相の薄闇の中、どんなに目を凝らしても校庭を彷徨うように歩く人々は陰になっていて、どんな服を着ているのか、男なのか女なのかもわからない。それは、不自然なまでに真っ黒だった。
校庭は塀の外の武道から見ても砂地に白線でトラックが引かれていることがわかるし、端々に置かれている遊具も夕闇の中でうすぼけているにしても、完全な黒色ではなかった。それなのに、そこに立つ人々は逆光の中にいるかのように、真っ黒い影であった。
覚えず足早になる。早くこの場を過ぎてしまいたい。
ちらりと千冬を見遣ると、同じく違和感を感じている様子が分かった。こわばった表情で校庭を凝視している。声を掛けたいけど声が出なくて、無意識に千冬の手を握った。千冬の手は夏なのに指先がひんやりとして、少し汗をかいていた。ぎゅっと握り返してきてくれて少しだけ安堵する。
その時、嫌なことに気付いてしまった。
このあたりの小学校には土の校庭など無い。皆ゴムチップ材で舗装されたものになっている。その為歩いてもザッ、ザッ、という音はしない。普通は。では今見ているこれは何だ? と思った刹那、一番近い位置にいた黒い人影が立ち止まり、ゆっくりこちらに顔を向けた。真っ黒なシルエットだが、何故かその所作が分かった。ぞわりと寒気がした。
「……っ、」
「シッ!」
悲鳴を上げそうになったところを千冬に咎められて、繋いでいた手をぐいと引っ張られた。既に早歩きになっていたのでほぼ小走りの様になる。
そのまま次の十字路になっているところまで一区画行き、二区画目で細い十字路を左に曲がった。
対向車線側から小さな子どもを前カゴ部分の座席に乗せた母親らしき人の漕ぐ自転車が通りかかる。子供は声高らかに有名な童謡を歌い、母親も笑顔で一緒に口ずさんでいる。
ほのぼのとした光景を見て一気に全身の力が抜け、二人とも足を止めた。そんな男子高校生を横目に自転車は楽しそうな歌声と共に通り過ぎていった。
「……」
「……」
「……なあ、さっき、何か見た?」
「……まあ……」
お互い確認し合うように目を合わせると、どちらからともなくゆっくり歩き始める。我に返ってみると先ほど繋いだ手はそのままだった。武道は自分が指の関節が白くなるほど力を込めて握ってしまっていたことに気付いて、
「あっ、ゴメン、千冬!」
慌てて手を離そうとしたところ、逆にぎゅうっと強く握られた。
「もう少しこのままでも、良いんじゃね……?」
少し照れた風な千冬にそう言われて、思わずああと答えた武道まで何だか気恥ずかしくなった。まだお互い指先が冷たいままだったが、指を絡めるように繋ぎなおした千冬に優しく握られる。
「……なあ千冬、今日オレ一人になりたくねーから、銭湯行かねえ? 一緒に風呂入って欲しいななんて……」
「いーぜ! ……オレはさ、何だったら別にタケミっちの家の風呂に一緒に入っても良いんだけど」
「マジか……」
何ならタケミっちのベッドに一緒に寝させてもらっても……、と頬を赤く染めぼそぼそと言う千冬に、最後まで言わせずに「一緒に寝ようぜ!」と返事をした。
その後お互いにあれは何だと思う? と共に見た怪異について確認することはしなかった。自分が明らかに普通じゃない光景を見てしまったことを認めたくなかったから。
ただ夕食を共にしていた時に、千冬が不意に、
「確かあの小学校昔からあってさ、戦時中は空襲とかで亡くなった人たちの遺体を校庭に一時保管してたって聞いたことあるんだよな」
とだけその件に触れたので、武道はそれに「そうなんだ」と一言だけ返した。
あの時。
何故あの無数の人たちは彷徨うように歩いていたのか。
人影がこちらを振り返ったあの時に悲鳴をあげていたら何か起こったのか。
考えないようにして過ごしていたけれど、やはりあの逢魔が時の空と人影たちの異質な不気味さが脳裏に焼き付いていて離れない。
夜中にふと目が覚めて思い出してしまった武道はぶるっと身震いして、傍らに眠る千冬に身を寄せた。
END
ここまでお読みくださりありがとうございました。
実話を元にしていますが、元は都内の話ではありません。舞台設定につき不自然な部分がありましたらご容赦頂けますと幸いです🙇
最終軸パロですが、この時点で千冬は過去世界線の記憶を思い出し済みで過去同様相棒として過ごしている設定です。