○○しないと出られない部屋?「……」
寝室のカーテンを開け太陽の光を浴びながら、風間圭吾は浮かない顔をしていました。
少し前に風間が抜け出したベッドには、風間の相方で恋人の黒石勇人が悠々と横たわっています。カーテンが開いて室内が明るくなったことが気に入らないのか、眉間に皺を寄せて寝返りを打ちました。まだ寝ているのか、目覚めたけれども寝るつもりなのか、とにかくまだ起きるつもりはないようです。
「……はぁ」
風間はそんな黒石のことを見て、静かにため息をつきました。
今日は二人のオフの日でした。学業とアイドル活動を両立する彼らにとって、丸々のオフの日はあまり多くありません。まだ年若い彼らにとってそれは……『そういうこと』をする唯一のタイミングでした。だというのに、昨日はベッドに入ってあっという間に眠ってしまったのです。
「はぁ……」
もう一度ため息をついてから、風間は重い足取りで寝室を出て行きました。身支度を整え朝食を済ませ、ふと『そういうこと』は合意だったのでは?と風間は思いました。オフの前日に黒石が風間の家に泊まりに来る時、『そういうこと』をするのはお決まりになっています。ということは、今から始めたっていいのでは?と風間は考えました。
風間は朝食に使った食器をおざなりに片付け、いそいそと寝室に戻りました。黒石はまだベッドの上に横たわっています。窓から入ってくる日差しが眩しいのか、腕で目元を隠しています。
「勇人?」
名前を呼んでも反応はありません。まだ寝ているようです。風間はゆっくりベッドに上がり、黒石の腰の辺りを跨いでみました。ベッドは多少揺れましたが、黒石が起きた様子はありません。
風間は黒石の顔の横に両手をついて、黒石に覆いかぶさりました。目元の辺りが腕で隠されているため、風間は黒石の首の辺りにそっと顔を近付けようとした……ところで、黒石の腕が動き隠れていた目が開いたのが見えました。
「あ」
「……」
ゆっくりと、しかししっかり目が合いました。黒石はまだ眠いのか、ゆっくりと瞬きをしています。
「……お……おはよう……」
「……んだよ」
気まずさでとりあえず挨拶をしてみましたが、黒石は挨拶よりも覆いかぶさっている理由を所望しているようでした。
「……せ……クスしないと、出られない部屋」
付き合っているとはいえ朝から寝込みを襲おうとしたことに罪悪感が湧いてきて、風間は咄嗟に適当なことを言ってしまいました。
「……あ?」
ゆっくりとした瞬きを繰り返していた黒石の目が、しっかり開きました。
「……」
仕事ならともかく、適当に言ったことを貫き通せるほど風間の心は決まっていませんでした。風間は身体を起こし、ベッドの上に正座しました。それに続いて黒石も体を起こしました。
「勇人……あの……」
どう話したものかと焦る風間と裏腹に、黒石は特に怒っても呆れてもいないようで小さくあくびしています。それから「それ」と続けました。
「それ、お前んちかよ。この部屋だけか?」
「えっ?」
黒石の言っている意味が分からず、風間は咄嗟に聞き返してしまいました。それから出られない部屋の話か、と理解し、風間はとりあえず答えることにしました。
「こ……の家」
黒石が適当な話にノッてくれるのなら、別にわざわざ取り下げることもないか、と風間は考えたのです。先日も楽屋で及川と沢村が始めた即興芝居のようなものに、黒石が参戦しているのを風間は見ていました(風間も参戦しました)。黒石は案外、ノリがいいこともあるのです。眠い時や集中している時などは一蹴されますが。
ともあれ、黒石が『そういうこと』に前向きなことに安心した風間は、改めて姿勢を正します。が、そんな風間のことを気にせず、黒石はもう一度小さなあくびをしてするりとベッドから下りて寝室を出て行きました。残された風間はぽかん、として寝室の扉を見つめます。少ししてドアを開け閉めする音が聞こえてきたので、トイレか洗面所か…と風間は思いました。風間は正座のまま、黒石が戻って来るのを待つことにしました。
……が、黒石はいっこうに戻ってきません。足がしびれ始めた頃、風間はゆっくり立ち上がり、足をパタパタと動かしてから寝室を出てリビングに向かいました。すると、リビングのソファから黒石の足がはみ出しているのが見えました。
「えー……?」
でも、確かに黒石は分かったとも待っていろとも言わなかったな、と風間は思い返してソファの近くに腰を下ろしました。
黒石は眠っているのか、目を閉じてゆっくり胸を上下させています。
「勇人?」
起きてはいるようで、瞼が少し動いたのが見えました。
「……勇人」
風間は黒石にその気があるのかないのか分からず、とりあえずお腹の上にのせられている黒石の手を手のひらでそっと撫でてみました。特に反応ありません。次に触れるか触れないかの距離から指先でそっと手を撫でると、黒石の手がピクッと動きました。
「勇人」
黒石の目が開いて、風間と目が合いました。黒石は体の納まりが悪かったのかモゾモゾと体を動かし、それから「……出られねーんだろ」と呟きました。
「あ、いやそれは……適当なこと言ってごめん……イヤなら、別に……」
口ぶりからその気がなさそうなことを感じて、風間は諦めて手をひっこめようとしました。が、その前に黒石の手が風間の手を取りました。
黒石の指が、ゆっくり風間の手を撫でます。
「……べつに」
黒石はそれだけ言って、またゆっくりとした瞬きを繰り返しました。次第に手の力が緩んで瞬きの数が減り、目が閉じたままになりました。手の温かさと呼吸から、黒石がまた眠りについたことを風間は感じました。
どうやら今の黒石は『そういうこと』には特に乗り気ではないようですが、この家に留まることはやぶさかではないようです。それはそれで満たされた気持ちになり、風間は口元をもにょもにょと動かして、それから自分の手に乗せられただけになった黒石の手の甲にそっと口づけました。
「……おやすみ」
風間は小さな声で囁き、黒石の手をお腹の上に静かに戻します。それからソファにかけていた小さめのタオルケットを黒石にかけ、黒石の頭をそっと撫でてから、静かにソファから離れました。
数時間後。
もしかして、ちゃんと話せば監禁の真似事も受け入れてくれるのでは? と今後のことを考えて悶々としていた風間は、突如スマートフォンから音がして肩がはねるほど驚きました。心臓をバクバクさせながら、風間は急いでスマートフォンを手にして音の正体を確認します。どうやらメッセージが届いたようで、風間は内容を確認し……顔色が変わりました。
風間は黒石の寝ているソファにバタバタと駆け寄り、黒石を叩き起こしました。
「勇人起きろ! 冷やし中華、今日からだって! 行くぞ! ほら急げ!」
タオルケットを勢いよく引っぺがされた黒石は、その日初めて嫌そうな顔をして低い声を出しました。
「……あ?」
しかし慌ただしく外出の準備をしている風間は、そんな黒石に気付かなかったのでした。
◆ ◆ ◆
数日後。
「ゆ……勇人くん?」
「あ?」
「ピィ……」
冷やし中華開始の情報を風間に連絡した存在は黒石に長時間黙々と揉まれ、理由が分からず困惑するのでした。