LOVE YOU ONLY風間圭吾はいつものように相方の黒石勇人を起こすため、黒石の家に向かいました。出迎えてくれた黒石の祖母に挨拶をして、風間は足早に黒石の部屋へ向かいます。
「勇人、入るぞ」
軽いノックの後、風間は黒石の部屋の扉を開けました。扉の正面にあるベッドの上は布団で盛り上がっており、その下に黒石がいることは明白でした。
風間は遠慮なくベッドに近付き、黒石の様子を窺いました。今日の黒石は、扉に背中を向けた状態で横向きに寝ていました。
くしゃくしゃに乱れた髪の毛、閉じられた目と口、すっと伸びる鼻筋、かすかに聞こえる寝息…。
「…」
そんな黒石を見た風間は、起こすために声をかけようとしていたのに、思わず口を閉じてしまいました。いつもはギラギラとした光を纏っているようなのに、こうも穏やかに眠っている姿を見せられると、なんだかまだ寝かせておきたい気持ちになってしまいました。
そうはいっても仕事の時間があるため、風間は黒石を起こすために黒石に声をかけ―――。
「すきだ」
風間は自分の口から零れた言葉に驚き、脈が速くなって呼吸が苦しくなりました。
風間はいつからか、黒石のことが好きになっていました。特別で大切で愛しくて、触れたくてでも触れたくないような、綺麗なようなドロドロしているような、不思議な気持ちでした。でも、それを伝えようとは思っていませんでした。今の関係に、風間は満足していましたから。それなのに自然と言葉が零れ落ちてしまったので、風間はとても驚きました。
風間は恐る恐る、もう一度黒石の様子を窺いました。どうやら黒石はまだ寝ているようです。
風間は少し黒石に近づき、今度は自分の意思で言葉を紡いでみました。もしこれで起きても、起こすための方便だと言えばいいと風間は思いました。
「…好きだよ」
途端、風間は気持ちが楽になったような気がしました。告げないと決めたとはいえ、抱えている思いを隠して見ないふりをすることは、どうやら風間にとって苦しいものだったようです。
風間が上がっていた肩を下ろして息をはいていると、急に黒石が身じろぎして仰向けになりました。風間は先ほどの言葉を聞かれたかと思ってヒヤリとしましたが、黒石は何も言いません。起きてはいるようで、ただゆっくりと瞬きをしています。
「勇人、起きたか?」
「……ぁ?」
ようやく黒石と目が合いました。その目は「なんだいたのかよ」くらいのことしか言っていないように見えて、風間は心底ホッとしました。風間は遠慮なく黒石から布団を引っぺがし、強引にカーテンを開けました。
「起きろ勇人。仕事遅れるぞ!」
◆ ◆ ◆
次の日もまた、風間は黒石を起こしに行きました。いつもより控えめなノックといつもより小さな声掛けをして、静かに黒石の部屋に入りました。それから、まだ黒石が寝ていることを確認しました。
「…好きだよ」
一度口にしたらもう自分の中に留めておくことは難しいのだと、風間は理解しました。だって今、こんなにも気持ちが軽くなっているのですから。少し困ってしまった風間ですが、黒石はやっぱり起きません。
寝てる時なら別にいいか。聞いていないんだし。と、風間は思うことにしました。
「起きろ勇人! 遅刻するぞ!!」
寝ている黒石にそっと本音を囁くことは、こうやって風間の日課になっていました。
◆ ◆ ◆
その日のその時間、事務所のロッカールームには、風間と黒石しかいませんでした。
「お前、何で起こす時に言うんだよ」
「え?」
「いつも言ってんだろ、お前。『好き』って」
風間は思わず、ノートを受け取ろうと黒石に伸ばしていた手を止めました。黒石は気分を害している様子はありません。純粋にただ聞いているようでした。
寝ている黒石に、風間は何度も好きだと言っていました。もう数えることを止めてしまうくらいに。起きた時の黒石が何も言っていなかったため、ずっと聞かれていないものだと思っていました。
風間は背中に嫌な汗が流れていくのを感じましたが、顔に出さぬよう必死につとめました。
「なんだ、聞いてたのか。驚いて飛び起きないかなって思ってさ。それで起きてくれるなら楽だろ」
風間の言葉はまったくの嘘ではありませんでした。起こすのだって、風間の目的でしたから。
「…飛び起きねえよ」
そう言った黒石は今にも舌打ちをしそうな顔をしていました。他にも何か言いたそうな雰囲気でしたが、風間は聞くのが恐ろしくて「そっか。じゃあ、他に何か考えておくな」と告げてノートを奪うように取り上げました。それ以上何か説明するのは墓穴を掘ることになりそうだと思った風間は、さらに「じゃあ、また明日」とだけ告げて急いでロッカールームを出て行きました。
◆ ◆ ◆
「……」
風間の耳が、何かの音を拾いました。風間はすぐにそれは黒石の声で、自分が眠っていたことに気付きました。それから胴体を固定している感触に、その正体はシートベルトで、ここが車の中だと思い出しました。
そうだ、ロケが終わって事務所に戻るところだった…と、風間は少しずつ覚醒していきます。
それから風間は、先ほど聞こえてきた黒石の言葉を思い出そうとしました。黒石は、何か風間に話しかけていたようでした。
「…?!」
風間は繋ぎ合わせた黒石の言葉に驚いて、思わず体を起こしました。しかしシートベルトをしていたので、たいして動くことはありませんでした。
「フッ」
近くで黒石の笑い声がしました。風間は慌てて声のした方を見ました。
黒石の座っていた側の車のドアはもう開いていて、事務所のエントランスの光が見えています。
黒石は光を背にして、楽しそうに笑っていました。
「ゆう、と…」
風間は心臓が鷲掴みにされたような気持ちになって、思わず胸の辺りを押さえました。口にするのをすっかりやめてしまった言葉が、自分の中でぐるぐると踊っているような気がしました。
あぁ、今言えたら、どんなに―――。
「お前は飛び起きんだな」
黒石はそんな風間のことを知ってか知らずか、そう言い残して軽い動作で車から降りて事務所に向かってしまいました。
「…とびおき…?」
唐突に投げられた言葉の意味が分からず、黒石の言葉を途中まで復唱した風間は、自分が最近、その言葉を使ったような気がしました。ゆっくり記憶を遡り、そして…。
「!?」
風間は急に自分の心臓が倍くらいの力で動き出したような気がしました。
「…待て、待ってくれ勇人!」
風間はもう一度シートベルトに阻まれ、震える手でどうにかシートベルトを外し、姿の見えなくなった黒石を追いかけ始めました。