【快新】恋紐結び 恋紐結び
待ち合わせ場所である駅前広場は、もうクリスマス一色だ。巨大なクリスマスツリーの前は、イルミネーションの点灯を待ちわびるカップルたちで賑わっている。
そんな中―――
「おま……いつまで……待たせる気だ……!!」
「わりぃ! 遅れた。にしても何度か電話したんだけどな、新一でねぇから……」
ガタガタ震えながら寒さのあまり足踏みしながら抗議の声をあげた工藤新一に、大遅刻して到着した黒羽快斗が手を合わせて詫びた。
久々に快斗も海外でのマジックツアーを終え、今年は日本国内で年越しを迎える予定だった。久しぶりだし買い物がてら会おうぜと、快斗から誘いがあって今に至る。しかしこんな時に限って今年一番の寒気が流れ込んだ街は、フリーザーのごとく澄み切った冷気で満たされていた。
いつもなら新一の方こそ遅刻常習犯で、事件にかかりきりになると連絡すらすっぽかす。今回も快斗からすれば、新一の携帯に何度電話しても連絡もつかず、どうせ遅れてくるんだろうぐらいに思っていたのだろうが―――まぁたまには、新一だって5分前行動でちゃんと待ち合わせ時刻に間に合うこともあるのだ。
そういう時に限って、快斗が遅刻したのである。
新一は約40分ほど、ここに立ち尽くしていたことになる。
「こんな時に限って時間通りに来ちゃうんだもんな名探偵……! わりぃホントごめん!! つってもわりと不可抗力なんだけどゴメンな」
平謝りしつつ、快斗が凍えていた新一に手を伸ばしてきた。寒すぎて感覚も失いつつある指先に、じんと温かな快斗の指先が触れる。
電車から降りてきたばかりの快斗の手に温められて、ふるりと全身に震えが走った。
「電車遅れちゃってさ……わりぃ。何度か連絡したんだけど新一、スマホの電源どうなってんだ。繋がらなくてさ」
「電車の遅延は駅のアナウンスで聞こえたから知ってる……」
そう、こんな時に限って。
コートのポケットからスマホを取りだし、新一は快斗の眼前に掲げた。画面はブラックアウトしたままだ。
「スマホの電源は落ちてる……ここに来る前に事件でめっちゃスマホ使ってさ」
「あぁ……やっぱ事件には遭遇してたか~」
新一の答えに、快斗が苦笑する。
お互い間の悪いことが重なるものだった。
「こんな寒い時ぐらいどっか温かいとこに引っ込んでてくれて良かったのに……」
言われて新一は、寒さで強張った頬をむっと膨らませた。
「せっかくだから駅前の特設会場に飾られたツリーの前で待ち合わせしようぜ、ってトチ狂ったこと言ったロマンチストは快斗、オメーだが?」
「アッすみません……」
「クリスマス前のこの時期に、ツリーの前で数十分も待ちぼうけ食らってカップルどもを見送る男の気持ちになってみろ、地獄だ、地獄」
思わず目つきの悪い三白眼になって快斗をジト眼でみやった新一に、はい、はい、おっしゃる通りです……と快斗は新一の手を握ったまましおしおと項垂れている。
まぁ普段は、事件ホイホイ体質な新一の方こそ遅刻常習犯なのだ。たまに快斗が遅刻してきたときぐらい、鷹揚な気持ちで許してやろうと思っていたが、今日はあまりに寒すぎて恨み言のひとつも口から零れるというものだった。
そりゃぁ、その気になれば街の各所に充電スポットはあるし、寒さもそこで凌げただろう。
それでも―――待ち合わせ場所を離れる気になれなかった本当の理由を、この男に語るつもりはない。
ひっそりと抱え続けた、これは墓まで持っていくかもしれない工藤新一の、秘密だ。
「なんでもしますごめんなさい新一許して」
なおも謝る快斗に、さすがに気も済んで、新一は小さく笑った。
この人目につきすぎる駅前広場で平謝りさせるには、相手があまりに美形すぎる。ロング丈の白いチェスターコートに包まれた快斗は傍目にも華やかなオーラを放っていて、そこに存在するだけで人はみな釘付けになってしまうのだから。
そろそろ許してやるか、と新一は口元を緩めた。すん、と鼻を啜る。
「珈琲、奢りな?」
「とびきり美味いやつ奢ります。ケーキもつけるぜ!」
ぱっと笑顔になった快斗の背後で、ついに夕方の4時となり、クリスマスのイルミネーションが一斉点灯した。おお、と周囲の人々から感嘆の声があがる中、新一は煌びやかなイルミネーションを背負った快斗を目を細め見上げた。
「ケーキはオメーが食べたいだけだろうが」
「まぁまぁそう仰らずに」
ポンポン会話しつつ、カップルで混みあうその場を離脱しようとした時だった。
「ぅお」
きゅっと片足がひっかかる感覚があって、新一は歩みをとめた。足下を確認すると、己の靴紐が片方、解けてしまっていた。他人に踏まれてしまったらしい。
「あーあ。靴紐解けてるぜ名探偵。結ばないとな」
「いや、もう指動かねえし、店に入った後でいい……」
新一は首を振った。
この靴は、3日前に買ったばかりのスニーカーだが、ショップで結んでもらった靴紐のアレンジは、確かブッシュウオークとか言ったか。靴紐を中央ではなく、サイドで結ぶ変則的なスタイルだ。だからこそ他人に靴紐を踏まれてしまったのだろう。
まだ手が寒さで微かに震えているのに、紐を結ぶなど無理だと溜息をついた新一に、快斗が眉を落とした。
「ん。ほんとにごめんな。ちょっとそこのベンチ座って、名探偵」
手を引かれ、導かれる。そういやさっきからずっと手が繋がれたままだな、と気付いた。心なしか周囲の視線も感じ、頬が熱を帯びる。
この男が世界的カリスママジシャン黒羽快斗(26歳)であることを、通行人たちの何割が気付くかはわからないが―――何者か知らずとも、快斗の整った容姿、華のある身のこなしは、それだけで人目を引くというものだ。
それでも、決して嫌な気分ではなかった。この眩しい男を、今独占しているのは間違いなく自分なのだ。
大人しく手を引かれて少し歩く。広場の端にあるベンチに座らされたと同時に、首元がふわりと暖かなもので包まれた。
快斗のマフラーだ。カシミヤの柔らかな肌触りとぬくもりに、強張っていた首元の緊張が緩む。思わず、ほっと吐息が漏れた。
「それ、使って。さて―――」
にこりと笑った快斗が突然、新一の足下に美しい所作で跪いたものだから、驚いた。
「俺がいっとう可愛く見栄え良く、靴紐結んで差し上げますよ、王子様」
王子に仕える騎士のように、新一を見上げて快斗がウインクする。何言ってんだと噴き出しつつも、軽く心臓が躍った。
(く、っそ……ホント、こういうとこだぞ快斗……!)
不意打ちで踊り出す鼓動を止められない。とっさに気の利いた返答も出来ずにいる間に、快斗は新一の靴紐をほんの2秒ほどで綺麗に整えてくれた。
「……ん。これでよし。んじゃひとまずどっかでお茶しようぜ?」
優雅な所作で立ち上がり、右手を差し伸べて快斗が言う。
職業柄、見栄えする所作がすっかり板についている友人を見上げ、はは、と新一は思わず苦笑した。
「……俺が王子ならオメーはなんだよ。遅刻した騎士(ナイト)とか格好つかねーぞ、快斗」
「名誉挽回の機会をどうぞお恵みください、我が主」
「だーっ! はずい!!」
「でも嫌いじゃねーだろ?」
甘く笑った快斗をあきれ顔で眺め……ている風を装えているだろうか。正直、少し自信がない。心臓は勝手に高鳴るわ、クリスマスツリーを背に微笑む快斗はツリーの何倍も目に眩しいわで、久々の楽しい時間に口元が勝手に緩んでしまいそうだ。
「―――珈琲だ、珈琲! 早くいくぞ。さみぃ!」
快斗の差し伸べた掌へ、己の手をひょいと乗せて軽く掴みながら立ち上がる。冷え切った指先が、ふたたび温かな体温に包み込まれた。
ありとあらゆるこの世の冷たさから、心を守る、彼の熱。
「仰せのままに」
頷いた快斗の眼差しが優しくて、久々に浴びたその甘やかな視線にノックアウトされてしまう。新一は口元を埋めた彼のマフラーへ、幸福感で飽和した吐息をひっそりと逃した。
* * *
―――駅前のツリー広場で、超絶イケメンがもう一人の超絶イケメン君の靴紐、優しく結んであげてたんだけど!! 快斗と新一って呼び合ってたが?! え? 黒快とくどしん? 仲良すぎて眼が幸せで潰れそう…王子様と騎士だったよ会話が…仰せのままにって黒快が囁いてた…夢かな?
この日、一般人がSNSに投稿したツイが一気にバズったお陰で、しばらくして工藤が履いているシューズブランドから打診があった。黒羽快斗と二人でCMに出てくれないかというのである。急なオファーに驚いたが、正月開けから4月の新入学・新生活スタート時期に間に合わせたいのだという。
CM撮影の日はクリスマスの2日前ときた。特に予定があったわけではないので受けたが、台本を読んだところ、随分小っ恥ずかしいCMになるのは確定だった。
「やれやれ……オメーはいちいち目立ちすぎなんだよ」
家まで迎えにきた友人をみあげて新一が思わずぼやけば、「俺だけじゃねーって。名探偵も有名人って自覚ねーの?」と快斗が涼しい眼差しで微笑んだ。
「あの日、近くで女の子たちが複数騒いでたんだよなぁ。くどしんだよね?! って言ってる子もいたぜ。目立ってるのは名探偵もだよ」
「そうか? オメーが傍にきたから目立っただけだろ。俺が一人で待ってた時には誰にも何も言われなかったが?」
「遠慮して言わなかっただけだろ」
くっくっと快斗が喉奥で笑った。
「無自覚は罪ですよ名探偵」
「うるせ。オメー今回の台本見たかよ」
「見た見た」
事前に渡されたCMの台本。とんでもなく恥ずかしいことに、あの日の二人を再現しようとメーカー側は本気で画策しているらしい。新一の前に快斗が跪いて靴紐を結んでやるだけでなく、王子と騎士という単語までキャッチフレーズになるというのだから頭が痛い。
「ぜってぇ園子たちがギャーギャー騒ぐぞ……オメーのファンに殺されそうだな、俺」
「それを言うなら名探偵のファンに殺されるのはこっちだなぁ」
玄関で靴を履いて立ち上がった新一に、快斗が間近で微笑む。
「ま、俺は嬉しいよ。これで堂々と全国の工藤新一ファンにマウント取らせて頂けますので」
そんなことを言いつつ、快斗がドアを開ければ、玄関から射す眩しい冬の陽に、一瞬瞳が眩む。
一拍おいてじわりと目を開けば、逆光の中、快斗がドアを片手で支えたまま、こちらを見ていた。
「……かいと?」
「一生、名探偵の靴紐結んであげたいんだよね、俺」
静かな彼の声が響く。
コントラストが強すぎて、一瞬、快斗の表情がよく見えない。そのセリフを理解する前に、どくん、と心臓が大きく跳ねて、身体が先に驚いた。
『……な~んてな!』と笑って冗談にするオチなのかと思いきや、一向に快斗が自分のセリフにオチをつける気配がない。
突然のことに言葉を無くした新一へそっと微笑んで、快斗が手を伸ばした。
新一の左手を、優しく握りしめる手は、いつかのように温かい。
「行こうか」
「な……」
工藤邸前に停めてある快斗の愛車に導かれながら、新一は本気で口から飛び出しそうな心臓を宥めすかした。
いや、オチは? どういう意味だよ、それ。
「……おま……それ……プロポーズかよ」
かろうじて苦笑っぽいニュアンスで返してみたものの、ほんの少し、語尾が緊張で乱れたのはもう仕方がなかった。
だって、そんな。
そうだよと言われようと、違うよばーか、と笑われようと、快斗のことに関してはどうにも弱い己の心臓が、いま破れそうに波打っていることに変わりはないのだ。
果たして―――快斗はゆっくりとこちらを見やった。
高潔で甘い紫苑の色を湛えた瞳が、まともに新一を映し、瞬く。
「……考えといて、新一。今すぐに返事が欲しいなんて言わない。でも、」
新一の手を掴んだ快斗の手に、きゅっと切ない力が籠もった。
「断らせるつもりもないんだ。俺の相手は、新一しかいないと思ってる」
「……っ、ぇ……?」
間抜けな声が喉奥から漏れた。
明るさになれた瞳に映った快斗の頬が、僅かに紅潮している。冗談ではない証に、どこか切迫した祈りを湛えた快斗の眼差しが、新一を射抜いた。
「本気だから、俺」
「か、いと」
「好きだよ、新一」
「―――っ」
冬の寒さを和らげる陽射しのように、暖かみと緊張を帯びた声が、告げた。
夢だろうか。新一は本気で自分の正気を疑った。まだ自分はベッドの中なのだろうか。そうだとしたらそろそろ起きなければ。打ち合わせに遅刻する―――
酸欠の金魚よろしく呼吸もできず、はくはくと唇を開いては閉じ、閉じては開いてを繰り返して動揺する新一をしばし見つめ、やがて快斗はそっと微笑った。
「……さ、行こう。打ち合わせの時間に遅れる」
再び前方を向いた快斗の耳が、びっくりするほど紅い。
新一は深く息を吸い、そして力強く、声を張った。
「待てよ!」
「……っ」
ぴくり、快斗の背が震える。
「考える必要なんてない」
「……っ!」
「舐めんなよ、こっちは、学生の時から年季の入った片想いだわ」
「……へ」
間の抜けた声を漏らし、ぎこちなく首を回して、快斗がこちらを見やる。
(なんだ、コイツもめちゃくちゃ緊張してるんじゃねぇか)
快斗の緊張が、今は手に取るように分かる。不思議だった。自分より快斗の方が緊張していたんだと知った瞬間、ふと、気持ちが軽くなったのだ。
多分、きっとずっと、自分達は同じ気持ちだった。
「そうでもなきゃ、あんな小っ恥ずかしい場所でオメーのこと待つかよ。来るまで何時間でも待つつもりだったっつーの!」
「しん、いち……?」
息を呑んだ快斗の見つめる中、いつか快斗に結んで貰った右のシューズに包まれた足を、ダンッと一歩前に踏み出し―――新一はふはっと笑み崩れた。
「一生、これ結べよ?」
「……!」
「言質、取ったからな!!」
「お、おう!!」
一拍おいて―――どちらからともなく笑いだしてしまった。やがてそれが涙を滲ませた幸せな笑みに変わるのには、そう時間はかからなかった。
これが、100日後には本当に結婚してしまった、
ハッピーなマジシャンと名探偵の、はじまりの日のお話。
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