「お前は些かひとを頼らない節があるな」
「なんの話??」
唐突に投げられた言葉。タブレットを操作しながら買い物途中であったページをそのままにしてカタン、とテーブルに置く。対面に座る彼はいつか見慣れていたはずの着物姿から白シャツにジーパンといった現代ならややラフな格好して頬杖を付きながら立香を見ている。
「身の回りの事は一通りやってしまうし、料理だっておまえの方が美味い」
「それってなんか悪い事なの?」
「いや……そう、だな。悪い事ではない」
「?」
質問の意図が汲み取れずに頭をこてんと傾ける。伊織といえばあーでもないこーでもないと手を組みながら何事ぶつぶつ床に向かって呟いているが思考の渦からは帰還できないようである。
カルデアからの報奨金だけを宛にすることなく自分たちで生活の基盤を作りどうにか2人だけで生活をすることはや3年。伊織も初めこそ現代社会に戸惑い何かと苦労が絶えなかったが最近はやっと落ち着いていたようだ。それなりにうまくやっていると思っていたがそれがどうして急に先の発言が飛び出すことになるのだろう?
◇
己が主は頼らない人だ。自分の生きた時代の話をするのであれば程度の違いはあっても身の回りの世話は基本的に小姓や女中といったものにやらせるのが当たり前。だから自身が喚ばれ仕える主ともなれば剣を振るい奉公するのはもちろん望めばどんなことでもやる腹積もりでその手を取った。
しかし現実は大分緩い…というより何も無かった。
カルデアにいた頃なら多少世話をやく場面はあったがそれも週に1度あれば良い方。もとより日常生活に人の手を借りる場面が殆どなくなり自立している彼にできることなど限られていて肩透かしを喰らう始末。
主に仕えるは武士の本懐……などと言って罷り通るような状況になくどうすれば彼に報いれるだろうかと頭を悩ませたのは1度や2度ではすまない。
(マスター、着替えを──)
(あ、伊織おはよう!ちょっと待っててね今ズボン履いちゃうから)
(マスター。何か手伝いを……)
(大丈夫!もう少しで終わるし伊織も自分の為に時間を使ってくれていいからね。ありがとう!)
(マス、)
(伊織~、お菓子作ったから後で食べてね~)
まぁ菓子は有難く頂戴したが、ふんわりと香る焼き菓子が若干塩辛かったのは気の所為だろう。
「(立香は何を思って俺を選んだのか…)」
名だたる英霊達を差し置いて連れ立つ同行者として選ばれたのは奇跡のようなこと。もちろんそこに至るまでに想い合うような間柄であったことは前提ではあるが。にしても彼は頼らない。
剣の腕とは違い明確な正解がない以上立香自身よりお役御免が言い渡されてない限り何も心配することは無い。しかし伊織が自信をなくしていくのを感じてしまうのも無理もない話だった。
彼から頼りにされるのはこの上ない喜びであり誉れだ。それが剣であれ他であれ同じこと。何分どんなに当世に染まろうが中身は侍のそれ。唯一の主と見定めた者からの信頼はこの身で返し応えていくのみ。それが満足に叶わないのであれば部屋を飾る置物と大差ないではないか。
◇
「俺はおまえにとって不足であろうか?」
「んん~??不足?なんで?」
驚きに目をまんまるくして伊織を見ている。何故といった疑問を隠すことなく口に出した彼にやや視線を外しながらポツリと思っていたことを吐露した。こうなると不安となって押し出されたのか次から次へと言の葉を紡いでしまっていた。粗方言い終わり伊織が自覚した頃にはぽかん……と口を開けてコチラを見ている立香の姿があった。
「いや。……あの……その、」
「……」
「なんかごめん……そういうつもりは無かったん、
だけど」
しまった、と思った時には既に時遅し。言うつもりの無かった言葉までぽんぽんと出てしまっていたようで羞恥のあまり口元と手で覆うもどれ程の意味があるだろうか。
立香は暫し考え込む仕草をした後向かいの席から伊織の方へてくてくと歩いてきた。そうして判決を待つ罪人のように縮こまっている伊織の額に利き手を当てる。
「熱は無い、ね?」
「……」
「顔がちょっと赤いけどまぁそれはそれということで、」
「……」
「せっかく言ってくれたんだし…どうしよ、なんか…あっ、たかな」
「戯言だ。忘れろ」
「やだ」
やっと口を開いた伊織の頭を撫でてみればバツが悪そうにしている。何も悪いことなどしていないのにどうしてそんな顔をしているのか。立香が悪いのか、はたまた彼の言動故か。
そんなもの─── 。
「俺はずっと支えられてきたよ?」
頬が触れ合う程の距離をもって耳元で囁く。心からの真。伊織に何も望んでいなかったのは確かに事実。それはひとえに彼の存在そのものが立香にとって安心材料になっていたからだ。居るだけで心強く、そして安心する場所。そんな彼を連れ立って帰ってきたのにこれ以上の何を望むというのか。
「居てくれるだけで良かったんだ。なのに、そんな風に言われちゃったら……」
俺どうしたらいいか分からなくて困っちゃうな。
◇
我が主は頼らない人である。身の回りの事は大概一人でこなしてしまうし料理も彼の方が美味い。しかし最近はそうでもないらしい。言葉にして、というのは少ないが態度や行動で示されればそれとなく意を酌んだ。そうして向こうから歩み寄ってくれるようになったのはここ数日の話。
「あれどうしたの。急にデザートなんて作って」
「口に合わなかったか?」
「ううん。美味しかった」
「ならいい。おまえが前に買ってきたものを参考にしてみたんだが気に入ったならまた作る迄」
「偶になら食べたいな」
「承知した」
軽快な気分に鼻歌でも口ずさみそうになるがそれは流石にやり過ぎだろうと自身を諌める。本当に些細な事でも立香から必要とされるのは何物にも代えがたく尊い。一介の武士として男として女々しいことを宣った自覚はあるがそれでもあの時話をしてよかったと思えた。
「君は意外と尽くす人、なんだねぇ」
「なにか言ったか」
「ううん。ぽかぽかしててとっても気持ちいいよ」
「?よく分からんが心地いいならそれに越したことはないだろう」
「そだね」
そよ風に揺れるカーテンの隙間から差し込むお日様は今日も等しく彼らを照らしている。