【一左馬】泣きたいくらい身勝手 ふと気づくと見知らぬ部屋に一郎は立っていた。空調が効いているのか少し涼しい。そこらじゅう白くてホテルの一室のような印象だが、出入り口も無ければ家具は小さな引き出しと、大きなベッドがど真ん中に設置されているのみだ。
真っ白いシーツの膨らみ。緊張とともにそれを捲ると、空間に溶け込みそうに白い男が目隠しをされ後ろ手に縛られていた。左馬刻、と、思わず声が出そうになるのを抑える。他の物に気を取られたからだ。正面の、ただの壁だと思っていたところに大きくネオンのような文字列が瞬く。
『部屋から出るための条件』
続く言葉に一郎はカーッと耳まで赤くした。なぜ、まさか、まるで、自分の欲望を見透かされているような。ネット上でこういった創作を目にはするが、実際に身に起こるとなるとどこかに要因があると思わずにはいられない。
左馬刻とは犬猿期間を経てつい最近和解した。とはいえ今でも会うたび口喧嘩になってしまう。それを歯痒くは、感じていた。
ちらりと左馬刻を見る。先ほどからやたらとおとなしいこの暴れ馬は眠っているらしく、呼吸は安定していた。見えている部分に限ってだが身体に傷も見当たらない。
(声を……掛けるか?)
どの道、示された条件は行為をしなければ部屋から出られないというものだった。左馬刻にだって同意するしか選択肢は無い筈。一郎とするのが、死ぬより嫌ということでなければ。
それでも一郎は声を掛けることが出来なかった。目を合わせれば、こちらの欲望は見透かされるかもしれない。
ただの安っぽい灯りの光でも、キラキラと白銀に透ける髪がシーツへ散っている。手を伸ばした。細くて柔らかい髪の先から、長めの前髪へ指先が掠めたところで左馬刻が唸る。いきなり脚が、一郎の腿あたりを蹴り付けた。
「ンだ、こりゃどっかの組かあ? あ? それともどっかのヘンタイか」
起き抜けにあって、恐怖を微塵も滲ませずいつも通りの口調。幾ら今まで修羅場をくぐり抜けてきたにしてもその度胸とメンタルコントロールは賞賛に値する。単細胞と言い切ってしまうにはあまりにも絶対的だ。
「正面切って喧嘩も出来ねえゴミ虫野郎が」
「……」
一郎は、髪を触るのを止めなかった。左馬刻が頭を振って払い除けようとしても。指でこめかみをなぞると、やっと僅かに動揺を覗かせる。
「……ヘンタイの方か? 野郎だよな?」
一郎は目を細めてその表情を観察した。そう、ヘンタイだこんなのは。
尖った鼻をなぞって、親指の腹で唇に触れた。柔らかさを感じながら、何度か往復し軽く押す。そうして油断していたからか、ふいにがぶりと噛まれた。
「イテェッ」
声が出てしまった。本来なら千切るまで噛みついただろう顎がほんの少しの抵抗で離れてくれたのも、そのせいであろう。
「……一郎?」
心臓が跳ねる。バレた。バレた!
後ずさるどころか、無言のまま一郎は左馬刻に覆い被さった。首筋に顔を埋め、匂いを嗅いでキスする。煙草も香水も数年前と全く変わっていない。
「いち、あ? 何して、おい」
左馬刻は相手が一郎だと分かってからの方が余程戸惑っているようだった。心臓が、痛い。
舌で舐めると少し塩気を感じた。ハ、と熱い息が漏れる。
「い、一郎? 口きけねえのか……?」
先ほど声を上げたことはどう捉えたのか、気遣うような声。いつもの喧嘩腰はどこに行ってしまったんだ。左馬刻が何か言うたび胸は苦しくて、なのに下腹は熱くなっていった。
胸の大きく開いたシャツのボタンへ手を掛ける。ひとつひとつ、外していっても抵抗らしい抵抗は無かった。真っ白い胸が露わになって、ごくりと生唾を飲み込む。薄い色の乳首に吸い付くと、左馬刻の身体が跳ねた。
「あ!? いち、ン、なんで」
やたら反応が良い。もう片方も指の腹ですりすりと擦ると身を捩った。
「クスリか? 盛られたんか? いちろ」
絶縁状態で本気の殺し合いまでした相手を、どうしてそんなに信頼してくれているのか分からない。走り出してしまった一郎は、卑怯な行為を止めることが出来なかった。
「ん、う」
シャツだけを縛られた腕の部分へ引っ掛けて、目隠しのまま、それ以外は全ての衣服を取り払われた左馬刻があえかに喘ぐ。つうと唾液が唇から溢れるたび一郎はそれを舐め取った。脚を折り曲げ、指を引き抜いた後ぱくぱくと閉開する後孔もじっと見た。
自身をそこへ当てる。それだけで、備え付けてあった粘度の高いローションが音を立てた。ぐっと押し進めると左馬刻が縋り付くように額を一郎の肩へ擦り付ける。
「い、っあ」
「痛い?」
「ぐ…っ、なん、……んんっ」
頭を撫で、安心させるようにしながら押し進めた。安心も何も無い。一方的な欲望にまみれている。自分の汗が滴って、左馬刻に降り掛かるのすら興奮を呼び起こす。
身体の凹凸が馴染んで動けるようになると、一郎はだんだんと腰を送るのを早め、やがて理性のタガが外れたように打ち付けた。呻く左馬刻を気遣うこともせず、好き勝手に。自然と緩んだらしい目隠しが落ちて、水底にきらめく怪しい宝石のような瞳が覗く。目が合った。目が合ったまま、一郎は左馬刻を抱いた。
「……っ、う……」
「あ、あっ、んうっ、さまと」
先に一郎が果てた。絶頂の波が駆け抜けるまでの間、グッと身体を押し付けるようにしがみつく。今まで感じたことも無いくらい気持ち良かった。激しくなった呼吸を整えながら見下ろす左馬刻は顔も肩も胸も目も全部が真っ赤で、やはり胸が引き絞られるのに、同時に何かがぐつぐつと燃え滾る。
「ごめん」
「あ? ひうっ、ン」
左馬刻の視線と、今にも言葉を発しそうな唇が怖くて一郎は再び動き出した。体位を変える余裕は無かった。押し分ける中の狭さに、そのうねりに、眩暈がしそうになる。漏れ出る喘ぎにはどんどんと色が滲み、その証左に、上向いた左馬刻自身は先端からぷくりぷくりと透明な液体を溢れさせ下腹までをししどに濡らしていた。上手いこと前立腺に当たっているのだろう。
うるさい獣のような呼吸音が自分のものだと気付いて笑ってしまった。理性と本能が乖離し過ぎている。いっそどちらかだけの生き物であればよかったのに。
部屋の壁には先ほどまで見えなかった扉が現れていた。
ぐちゃぐちゃに濡れて乱れたシーツから、男が上体を起こす。
「大丈夫かよ」
「はあ? アンタの、方こそ」
言いながら涙が出てきた。縄を解いた左馬刻の腕にはくっきりと内出血混じりの痕が残っている。
左馬刻は先ほど一郎が乱暴に投げ捨てたジーンズを手繰り寄せ、穿くのではなくポケットから煙草を取り出そうとした。
「痺れて、無理だな」
一郎は無言で箱を掠め取ると、一本取って左馬刻の口へ咥えさせた。反対のポケットに入っていたジッポライターで火をつける。ライターに触るのは、チーム解散以来だった。
そのまま器用に煙草を吸う左馬刻の口元には、唾液の跡がついている。左馬刻本人と、一郎の。
母音だけで何事か言われた。
「『ありがとな』……?」
目線で頷いて、左馬刻は静かに、深く一本を味わう。今この部屋で動いているのは白い煙のみだった。ゆっくりと、亡霊のように漂ってこちらを嘲笑っている。
一郎は手を伸ばして煙草を取り上げた。文句を言うでもなく、無抵抗のまま、左馬刻がそれをじっと見る。
キスがしたかった。優しくて甘やかな、キスがしたかった。