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    tsumoriiiii

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    tsumoriiiii

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    セカイサ5合同無配企画【イチサマタロット】に参加させていただきます!
    「19.太陽/逆位置 未熟なまま」をテーマに書きました。
    ※設定していたpassを無くしました!

    #一左馬
    ichizuma

    太陽だった 金が無かった。あの頃、破格で譲り受けたビルのローンも自分で組めなかった一郎は、工面して貰った分の支払いだの、引っ越し費用だの、弟たちとの当面の生活費だのに追われていた。一日を終える頃には身体も頭もくたくたで、好きなコーラも空却と金を出し合って半分ずつ飲むことさえあった。でも、どんなに疲れて眠っても朝目覚めればその身はまた新品のように軽かったし、目はいつも生き生きと輝いていた。ここはもう泥の中じゃない。生まれて初めて自ら選んだ階段を、夢中で駆け上がっているところだ。登り切った先の景色を信じて。
     チームの事務所に入るとまだメンバーは揃っていて、空却と簓はこちらを見るなりギョッとした顔をした。
    「なんだ、誰か担いできたのかと思ったぜ」
    「派手な御仁やなー! 一郎、それどうしたんや?」
     腕いっぱいに、自分よりも背丈のあるひまわりの束を抱えている。引き摺らないよう、周囲の邪魔にならないよう歩いてきたつもりだが、頭ひとつ分上に黄色の塊があるからか、随分と人に見られた。
    「今日の依頼、庭の草刈りで。このひまわりも視界が悪くなるから抜いてほしいって」
    「おい、依頼料はきっちり取ったんだろうな?」
     黒い革張りのソファーから、左馬刻がゆっくりと起き上がった。よくここで、目を閉じて横になっている姿を見る。
    「当たり前でしょ。何言ってんスか」
    「慈善事業じゃねえんだ。もし支払い渋る舐めた野郎が居たらすぐ俺様に言えよ」
     ぶっきらぼうに呟いて煙草を咥えた。始めたばかりの萬屋を気にかけてくれているのだろう。一郎だってお人好しじゃない。むしろ、それに近しいのは左馬刻の方だと思う。仲間になってからというもの、様々な面で良くしてくれるこの人に一郎は貰ってばかりで、何も返せていない。かといって何か買って贈っても怒られそうだ。そんなことに金を使うなと。
     煙草へ火をつけようとする動作を遮って、一郎は左馬刻へ黄色い花束を差し出した。
    「左馬刻さん、いつも奢って貰ってばっかですいません」
    「あ?」
    「これ受け取ってくれませんか。貰い物だけど、せめてもの俺の気持ちなんで……」
     ひまわりの頭を左馬刻の方へ向ける。薄い瞼と透ける睫毛が上向いて、まるで正反対の原色そのもののような花と相対した。
    「あの暴れん坊に花かよ」
    「見てくれはバラとか似合うんちゃう?」
    「ひまわりだし、デケェ」
    「どないして持って帰るんやろ」
     コソコソともしない背後の声は気にならない。一郎は真剣だったし、目の前の男はそれを茶化すような人じゃないから。左馬刻はやはりひとつも笑い飛ばさずに一番大きな花の端を指で撫でると、そのまま一郎の頭へ手を伸ばした。思わず一歩後退してしまい、小さく舌打ちされる。
    「すみませ、汗かいてて……」
    「今日バイクで来てんだよ」
    「え?」
    「だからお前が抱えろ。後ろ乗れ」

     左馬刻のバイクに乗せてもらうのは初めてだった。長いままでは危ないからと、茎を切った花束を抱えながら一郎は反対の腕を左馬刻の腰に回す。元々は愚連隊の溜まり場だっただけあって、事務所にはヘルメットもごろごろ転がっていた。庭仕事の後だから、せめて直に頭が触れなくてホッとする。
    「もっとしっかり掴まれ」
    「はい!」
     葉も切って新聞紙で包んだひまわりは随分と整って見えた。潰れないように気を遣いながら、膝でも左馬刻の腰回りを挟むようにしてしがみつく。背中は広いが、腰は驚くほど細くて、慌てた。
     風がごおごおと音を立て、透明な壁となって一郎たちを押し潰す。その中を弾丸のようにバイクが進んだ。自分たちとは時の流れが全く違うみたいに、夕日はゆったりと、辺りの全てを茜色に染め上げてゆく。世界の底に居るみたいだ。紫掛かったビルの影が周囲も人の姿も曖昧にして、左馬刻だけがしっかりと一郎の目に映った。汗ばむうなじと密着した背中の温度。五感の全てが男を捉えようと、表面をなぞり手の届く限りを辿ろうとする。それはいけないことに思えた。

     それ程の距離じゃない。すぐに左馬刻の自宅へ到着した。ひまわりは少し元気を無くした気がする。
    「上がってくだろ?」
    「や、俺Tシャツしか替えてなくて。どろどろなんで」
    「シャワー浴びてきゃいいだろ」
    「ウス……」
     風呂から上がると畳まれたタオル2枚とスウェットが置いてあった。がしがしと頭を拭きながらリビングに戻ると、ダイニングテーブルの上で銀色のボウルから溢れそうなひまわりが浸かっている。
     左馬刻は上の戸棚を奥深くまでごそごそと探っていた。花瓶を探しているのかもしれない。そうか、花を飾るには花瓶が必要だ。持っているかも分からないのに、余計な贈り物をしてしまったかもしれないとようやく思い至る。
    「左馬刻さん、これ」
    「おう、上がったか。見ろよ水に付けたらまたピンピンしやがった」
     振り返った男が嬉しそうに言うので、一郎はまたホッとして、椅子に腰掛けた。



     ーー黒歴史だ。一郎は頭を抱えた。ひまわりを見るといつも起きる発作である。
     花なんて、人によっては嬉しくも何ともないし、むしろ迷惑だったり、絶妙に重くて、引かれたりするかもしれないのに。どう考えても左馬刻は花を喜ぶタイプとは思えない。あの頃の一郎は彼に何でも肯定されていたから、渡せば当然喜んで貰えるものと思ったのだろう。なんて浅はかな。クソガキ。そもそも左馬刻だって、少しは笑い飛ばしてくれればいいのだ。何を大真面目に受け取って、大事に抱えて、飾っていたのだか。
     それ以外にも、度々ご飯を奢ったり、肉体労働でどろどろの人間を気軽に自宅へ上げたりなんてするから、最初こそ恐縮していたのにどんどん当たり前になってしまった。掛け値なしに与えて貰うことが。ああ、馬鹿! 当たり前なわけないだろう。そのまま俺が、図々しい、非常識な人間になっていたらどう責任を取るつもりだったのだ。ずっと傍にも居てくれないくせに。
     ダイニングテーブルの上で幾つかのガラス花瓶に分けて飾られたひまわりの写真が、一郎のスマートフォンのどこかに残っている筈だ。あの花瓶は元々戸棚の奥にあった物だっただろうか。後からわざわざ買い足した物なのか。思い出せない。
     一郎はヨコハマのカフェのテーブルで硬く拳を握り、深くため息を吐いた。ミニひまわりの飾られたグラスに何人もの人影が写っては通り過ぎてゆく。しばらくしてそのうちのひとつを認めるとすぐに振り向いた。左馬刻の姿は、いつも一瞬で見分けられる。男は波の柄が入ったアロハシャツにサングラスを掛けて現れた。ラフだが白いパンツが綺麗めな印象を与え、前髪もオールバックにセットされている。額が出ているところを、久しぶりに見た。
    「焼き肉行くのにその格好か?」
     久しぶり。こないだのフェスではありがとうな。全部すっ飛ばして、自然と出たのはそんな言葉だった。
    「わりぃかよ。ンだここは。随分と可愛らしい店だな」
     睨みつけるように店内を見回している。ひまわりの花が視界に入らないよう、なんとなく身体の位置をずらした。
    「そうか? ケーキセット、美味そうだぜ」
    「テメェ、なんか食ってねえだろな」
    「ねえよ。このあと肉だと思って耐えた」
    「ン」
     小さく頷いて、ラミネートされたメニュー表をちらりと見遣る。店の予約時間はもう間もなくの筈だ。
    「なんか飲んでくか?」
    「いや」
     一瞬眺めただけで、すぐに会計票を持って歩きだしたので慌てて追いかける。レジと左馬刻の間に割り込んで、トレーへ現金を叩きつけてしまった。

     フェスでの『貸し』は予想外にもあまり勿体ぶられることが無かった。萬屋の番号に電話を掛けてきた相手は名乗ることもなく、数秒の沈黙ののち『よお、飯に付き合え』とのたまったのだ。借りたままでは具合が悪い。二つ返事で誘いに乗った。
     しかしなぜだろう。喋り出す前から、既に一郎の頭には左馬刻の顔が浮かんでいたと思う。いつもはあんな男のことなど、すっかり忘れているのに。毎日が仕事と生活で忙しく、楽しく、過不足の無い世界をつくりあげてきたのに。

     エレベーターを上っている時から覚悟はしていたが、焼き肉屋は個室で、照明もすっきりした、洒落た店だった。馬鹿でかい排煙フードなんて勿論見えない。チームを組んでいた頃はもっとこじんまりした古い店ばかり入っていたから、なんとなくそのイメージだったのに。流石に支払えないことは無いと思いたい。また借りをつくってしまうことになったら格好がつかない。
    「……俺、ダメージジーンズで来ちまったんだけど」
    「フレンチじゃねーんだから別に良いだろ」
     すぐに店員が来て、左馬刻がメニューも見ずに酒と牛タンを注文する。一郎も倣ってコーラを頼んだ。
     網に火が入り、熱を頬に感じる。飲み物が運ばれてきたものの、手持ち無沙汰だった。BGMも小さく、全てが静かな店だ。打ちっぱなしの壁に囲まれた個室で、木目に僅かな癒しを求めた指がテーブルを撫でる。ちらりと目の前の左馬刻を見ると、煙草を取り出して素早く火を付けていた。左馬刻に、聞きたいことも言いたいことも無い。いや、あるにはあるが、どれも喧嘩の火種のような話題で、浮かんでは打ち消されてしまう。それを除くと自分たちの間には何も無かった。昔は何を話していたのだったか。あの濃厚過ぎた時間はすっかり次元が切り離されていて、ここと地続きとはとても思えない。
    「肉頼まねえのかよ」
    「え」
     ぼそりと呟くように言われ、一郎は反射的に革張りのメニュー表を手に取った。開いて、目に飛び込んでくる数字に一瞬で閉じる。
    「どうした?」
    「いや……無心で選ぶのがムズイっつーか」
    「は?」
    「左馬刻が選んでくれよ。来たことあんだろ?」
     来て最初に四千円弱の牛タンを頼む奴に任せるのも勇気がいったが、きちんと借りを返すには選んで貰った方が良いだろう。男は煙草を持ったまま無言でメニュー表を読み始める。眉を顰め、翼のような睫毛が下を向いた。文字を追う緋色の瞳が動き、瞼が何度か瞬く。尖った鼻の陰と、色の薄い唇。姿勢が良いわけでもないのに、気怠い雰囲気が何故かサマになっている。この至近距離で左馬刻を見つめるのは、非常に久しぶりだった。
     一郎は悉く左馬刻に注文を頼んだ。昔は焼き肉なら自分も焼く係をしていたが、それも何も言わずともこの男がやってくれるので一郎はただ見ているだけでよかった。そうしていると途端に時間の経つのが早くなる。トングを持つ筋肉質な腕は、多少せっかちだが小気味良く動いた。
    「ほらよ」
    「あざす」
    「おい食えよ」
    「食ってる」
    「美味いか?」
    「美味え」
     相変わらず話題は無いに等しかったが、一郎は肉を平らげながら、ご飯をおかわりしながら、ひたすらに左馬刻を見ていた。時々目が合っても特に気に留めるふうでもない。睨み合うこともない。和解したのだという事実が、やっと実感を伴った。この人をこんなふうに見つめてもいいのだと思うと、胸が燃えそうに熱くなる。
    「どうした変な顔して」
    「アンタが煙草吸い過ぎだから」
     誤魔化しただけだったが、男は舌打ちすると煙草を揉み消した。

     あらかた食べ終えたタイミングだ。一郎はいつの間にか箸も置いて頬杖をついていた。左馬刻もまた鏡写しのように頬杖をついて、視線を返してくる。昔の夢を見ているみたいだ。
    「……酒飲んでねえよな?」
    「うん?」
     突然喋りかけられてどきりとした。
    「お前よ、こないだ二十歳になっただろ」
    「え、ああ」
     そんなことを言われるとは思わなかった。この人に誕生日を祝われたのは、二年前の一度きりだ。
    「飲まねえのか?」
    「まだ飲んだことねえんだ。タイミング逃しちまって。もし酔っぱらったらと思うと弟たちには見せたくねえし、なかなか機会がな」
    「ふーん……」
     それきり会話は止んだが、もう気まずさは無かった。昔の左馬刻はよく酒を飲んで、何度か酔い過ぎているところを介抱したこともある。今日はさほど飲んでいる様子は無いが、ほろ酔いくらいのとろみのある目をしていた。一郎がまた左馬刻を見ると、口元がほんの少し笑い返してくれる。目が眩みそうになった。
    「今日、誘ってくれてありがとな」
     するりと言えた。左馬刻が驚いたように目を見開いている。
    「台風でも来んのか? 早めに帰るか」
    「嫌味言うなよ。ん、でも、そろそろ会計行ってくる……」
    「もう済んでる」
    「へ!?」
     間抜けな声が出てしまう。左馬刻も面食らっていた。だって、これは『借り』のお返しで。
    「ンなこと俺様はひとっ言も言ってねーだろ」
    「あのタイミングだったから、てっきり」
    「テメェ、今日すんなり来たのは借り返すためかよ」
    「わ、悪い。でもじゃあどうして……」
     鼻根に皺を刻み、ムスッとした顔で睨まれた。じゃあ、貸し借りが関係ないなら、なぜ呼び出されたのだ。勝手に心臓が高鳴る。やめろ、やめろ、そういうんじゃない。拳を握り締めた。関係が、戻ることは無い。もうお互い別にチームメンバーだって居る。何より許せない。よりにもよってコイツが、自分を切り離したことを。誰より大事な妹と天秤に掛けたという理由があっても、それが返ってこないままの悲しみがあっても、ありとあらゆる理由を並べられても、それでも許すことができない。
    「昔、俺様に花寄越したことあんだろ」
    「え……えっ!?」
    「デケェ花束持ってきて、『俺の気持ち』つってよ」
    「言い方!」
    「あの夜お前、うちで酒飲んだの覚えてるか?」



     夏の庭仕事のあとで、風呂から出た一郎はソファーに座るなり急激に眠くなった。それがあまりに心地良いものだったので身を任せ、再び目を開くと部屋は暗くなっていた。周囲を探りスマートフォンを見つける。時刻はとっくに深夜だ。なんてことだ。
     スマートフォンの明かりが、すぐ隣で目を瞑る左馬刻を薄っすらと照らした。鼻を近づけると、一郎の借りたシャンプーと煙草の匂いがする。左馬刻は事務所でもよくこうしてソファーで休んでいるのだが、いつも近づくと気配がするのかすぐに目を開ける。眠りが浅いのか、ただ目を閉じているだけなのか分からない。呼吸も静かだからまるで彫刻のようだが、触れるときっとその熱さに驚くのだ。一郎は手のひらを左馬刻の肩へ置こうとしてやめた。風呂に入ったのに、まだ触れてはいけない気がする。
    「……」
     腹が減って、喉も渇いていた。目の前のローテーブルにグラスが置いてある。中身が半分ほど残っていた。きっと左馬刻の酒だろう。正直に言ってあまり良いイメージは無い。闇金取り立ての仕事では相手が酒に溺れている場合も少なくなかったし、大人たちが酔って前後不覚になる姿を見る度に、碌なものじゃないなと思っていた。でも左馬刻と出会ってからは、時々無性に羨ましくもなる。簓と顔を近づけて吸う煙草も。やたらと綺麗に、美味そうに見える。
     一郎はグラスを手に取って嗅いでみた。スモーキーな甘い香りが明らかな濃厚さを物語る。暗くて色もよく分からないままの液体を、ぐっと口に含んで飲み込んだ。
    「!? んぐ……っ」
     思ったよりも勢いよく喉に流れ込んだ液体の、かーっと焼けつくような感覚に驚く。つんと鼻まで刺すような刺激臭が痛いくらいで、おまけに苦い。こんなもんを、あんな馬鹿みたいに飲んでるのか。
     くく、と声がしたのはその時だった。
    「大丈夫か?」
     静かにしていたつもりだったのに、いつの間にか起きていた左馬刻は立ち上がると明かりをつけ、冷蔵庫から水を取り出し汲んでくれた。ごくごくと喉を鳴らして飲むところを、じっと見られていて恥ずかしい。
    「あざす……」
    「ン」
     左馬刻は再び一郎の隣に座った。何を考えているのか分からない顔だったから、もしかして飲酒を怒られるのかと思って見つめ返す。両手が伸びてきて耳たぶに触れた。耳よりほんの少し温度の高い指が耳の形をなぞり、頬を挟んで撫でる。鼻を摘んで、髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜた。
    「俺、犬スか?」
    「ふ、似たようなもんだわな。いつも気づくとこっち見てて、どこでもついてきて」
     ペット扱いされているだけなのに、ドキドキした。いっそ鼻先を左馬刻のこめかみに突っ込んでじゃれてしまいたいが、気持ちが不純過ぎて出来ない。
    「酒はどうだった?」
    「……不味かった」
    「大人になったら、ちゃんと教えてやるよ。酒も煙草も」
     嫌になるくらいに自分はガキだ。大人になったら、苦い物が美味しく感じるようになるのだろうか。



     自宅がタワーマンションの最上階で笑ってしまった。玄関からリビングへの移動だけで、広過ぎることと眺望が良過ぎることが分かる。以前合歓と住んでいたのも良さそうなマンションだったが、比べ物にならない。変わったのは金回りなのか、価値観なのか。
    「向こうで待ってろよ」
    「落ち着かねえし」
    「毒なんか入れやしねーわ」
    「そういうことじゃ……」
     バーカウンターのようなキッチンで、左馬刻が二つのグラスに透明な酒を次々注いでいくのを頬杖をついて見守った。小さなカップのようなもので量を測りながら、淀みなく骨張った手が動く。白っぽい液体までを注ぐと、全てを銀のマドラーで混ぜた。最後に、道すがらコンビニで買ったコーラを入れる。
    「カクテルって、こんな色々混じってるもんなのか?」
    「こいつは特殊かもな」
     何人掛けかも分からないソファーに左馬刻がどかりと座る。一郎はそのすぐ傍に腰掛けると、渡された細長いグラスを眺めた。カクテルはコーラを少し乳白色にしたような、柔らかな見た目をしている。
    「酒だからな。強がって飲み干すんじゃねえぞ」
    「つーかひと口で無理だったらわりぃ」
    「そしたらコーラでも飲んどけクソガキ」
    「ガキじゃ、ねーし」
     成人したし、自立してるし。左馬刻はまだ何か言いたそうにしてから、こちらへグラスを差し出した。
    「ンじゃ、乾杯な」
    「……乾杯」
     グラスはカチリとぎこちない音を立てた。ほとんど初めての酒だ。ここ二、三年で味覚が変わったとも思えないし、少しの緊張と共にそっと傾けてひと口含む。ふわりと甘さが広がった。確かにアルコールの感じはするのだが、フルーティーで、少し紅茶のような風味もある。
    「美味い」
    「はは、強がんな」
    「いやマジで! これ美味い」
     あっそ、良かったなと言いながら左馬刻も同じカクテルを飲んだ。途端に頬が緩む。
    「これなら何杯でも飲めるぜ」
    「怖え奴だな。言っとくけど度数たけえから」
    「マジ?」
    「二杯目はノンアルな」
     そう言いながら左馬刻は何杯も酒を飲んで、一郎の分は酒を入れたり入れなかったりした。その度男がキッチンに立つので、こちらも追いかけてつくる様子を見守る。カクテルは酒が入っていてもいなくても美味しかった。
    「あの時もお前、電池が切れたみてえに一瞬で寝ちまって」
    「それ言うならアンタだって、酔い潰れて動かねえことあったろ」
     過去の話の応酬。蓋をして引き出しへ閉まっていただけだから、すぐに取り出せた。あんなに鮮やかな日々を忘れるわけがない。
     昔の一郎との話をする左馬刻の表情は柔らかかった。だから男が帰りのタクシー代を渡してきた時、アルコールも酔った雰囲気も全部が一瞬で消えたように、しんとしてしまった。夢から醒めたみたいに。
    「あ、結構居座っちまったな」
    「忘れもんするなよ」
    「でもタクシー代は要らねえよ」
    「俺様が呼んだんだからいいだろが」
    「こんな貰えねえって」
    「誕プレと思って取っとけ」
     煙草に火がつけられる。煙が揺らめいて、部屋の空気にゆっくりと溶けた。
    「……始発まで寝てたらダメか? ソファーしか借りないから」
    「ダボが居ると落ち着かねえわ」
     昔は事務所でも、すぐ隣でも、寝ていたのに? 過去の話をやめた左馬刻は厳格だった。すごく嫌な、感じがした。
    「今日、どうして誘ってくれたんだよ」
    「酒だろ。たまたま約束思い出しただけだわ」
    「それ果たしてスッキリしたら終わりか?」
     ぴりりと空気が変わる。
    「ハア? 何が言いてえ」
    「アンタ、『借り』なんて返させる気無いんだろ」
     睨みつけても男の目は冷えていて、何の感情も返されない。そんなのは、決別していた頃よりも虚しい。
    「考えてみれば、今さらだもんな」
     過去にあれだけ与えてくれて、仕事も、住むところも、よく世話をしてくれた。そこには何の見返りも求められなかった。だからか。フェスの参加を左馬刻が承諾した時、一郎は『借り』をつくることが明確に嬉しかったのだ。やっと、対等になれた気がして。でもそれは勘違いだったらしい。
    「これが最後で、何が不満なんだよ」
     なんの抑揚も無くそう言われて、呆気に取られてしまった。そして、酒なんかよりも一瞬で、カッと頭が熱くなる。
    「不満に決まってんだろ!」
     一郎は左馬刻の胸ぐらを掴むと、ひといきにソファーへ押し倒した。
    「ぐ……、テメ」
    「勝手に決めてんじゃねえ! 結局お前の中で俺はずっとガキのままかよ!?」
    「昔の俺が良いのはテメェの方だろが! 今の俺の何もかも気に入らねえくせにキレてんじゃねえ」
    「気に入らねえのはお前のそういうとこだよ! 過去より前を見ろって俺には言ったのに、ふざけんな」
    「だから、そのための区切りを……、せっかく良い思い出にして終わらせてやろうってのに」
     戸惑ったように逃れようとする左馬刻の手を力の限り掴む。爪で手の甲を引っ掻かれても、構わなかった。
    「過去がどんだけ良くたって、俺は、昔のままじゃ、嫌なんだよ!」
     ほとんど乗り上げるようにして、一郎は左馬刻の唇に喰らい付いた。歯が柔い皮膚に食い込む感触。血の味がした。驚きに見開いている目の、睫毛が頬を掠める。
    「アンタが俺の何なのか、未だに分かんねえけど。兄でもライバルでも友だちでもあったよ。でも……」
     血の滲んでしまった唇を舐めた。舐めるそばから、涙がぽつぽつと左馬刻の顔を濡らす。自分が何を言いたいのか纏まらない。纏まらないまま、激しい感情が身体を突き動かしていた。
    「……ごめん」
     そう言い掛けた一郎の頭を、押さえつける手から逃れた腕が引き寄せる。再び唇が触れた。柔く、深く合わさる。吐息が甘く重なる。
    「左馬刻?」
    「テメェ酔って記憶飛ばしやがったらぶっ殺すぞ」
     凄む男の目が赤い。その唇を吸って離すと、ちゅ、と小さく音がした。
    「……忘れるわけない。一生」
     ぎゅうと抱き締めると同じだけの力が返ってくる。男の指が昔みたいに一郎の頭を掻き混ぜて、また引き寄せる。飼い主のような仕草で可愛がってきた記憶が鮮明に思い出される。あの頃ドキドキしていたのは勘違いじゃなかった。きっと、そういうことなのだ。唇を何度も何度も、ふやけるくらいに重ねた。
     永遠が見える。バイクに乗せてもらった時も、背中合わせでバトルした時も、TDDで全国を制覇した時も、そうだった。この人に何度も、永遠を見ている。

     朝になると、左馬刻が具無しの味噌汁を作ってくれた。一郎が二日酔いだったからだ。
    「またひとつ大人になったな、一郎くん」
    「それって、つまりまだガキってことだよな……」
     昨夜の密着の片鱗も無いくらい、さっぱりとしている。そりゃ、ここから急に新しい関係なんて難しいとは思うけど。
     味噌汁を啜りながら目の前の男を見ると、口元が柔らかく綻んだ。頭が痛いのも一瞬忘れる。昔のようで嬉しいのではない。今の左馬刻が笑い掛けてくれるのが嬉しい。
     これからもお互い何かは変わるだろうし、理想がすれ違うこともあるだろう。喧嘩をしなくなるとも思えない。それでも進む方が良い。隣で、それを共有し合っている方が、良い。
    「まだ不安だけど」
    「そりゃ、俺様を信じられてねえってことか?」
    「過去のフィルター無しにしても、お互いをすごく知ってるかっていうと自信ねえだろ。例えば」
     深刻な顔で、一郎は声を落とす。
    「……俺たぶん、結構スケベだと思うんだ」
     それを聞いた左馬刻は大きな声で笑った。





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