想いは夢現に揺られて軽く微睡んでいた時だった。気配を感じ、目を覚ました。もう夜半を過ぎた頃だろうか。
家に近付く来訪者は、その控えめな足音を隠そうとしていない。害意は無いだろう。いや、この足音は…。なんだか弱々しく、彼女ではないと一度考えを打ち消したが、やはり。
かたり、と戸が音を立てる。閂はかけていない。
かた、かたという音とともに、土間に差し込む月光の帯が広がっていく。薄青い、静かな静かな光だ。彼女も戸の微かな軋みすら慎むように、少しずつ少しずつ静かに戸口を広げる。俺は姿勢を変えず、横になったままでその様を眺めている。
半分ほど戸が開いたところで、彼女は半身を滑り込ませた。果たして、月の光に浮かび上がった立ち姿は、想像の通りだった。
「愛弟子？どうしたの？」
何気無く聞こえるよう声を出したつもりだったが、俺の声は静けさを乱すように場違いに、歪に響いた。今この時分、この場所では仕方無い。大体、どんな声音で何と言葉をかけるべき場面なのか、見当もつかない。愛弟子は何をしに来たのだろう。夜半に、男の家へ、と思いを巡らせ、しかし人影の悄然としたその佇まいに良からぬ考えは霧散する。
そうこう煩悶している間も、彼女は戸のすぐ内側に立ったまま、動かない。かと思ったが、微かに震えている。
人影の肩が上がり、洟をすするのが聞こえた。
思わず身を起こし、何かあったのかと重ねて問いかける。彼女は答えない。
ただ、体の震えと、嗚咽する息遣いがだんだんと激しさを増す。歩み寄ると、体の前で強く握り合わされた両手や、土間にぱたぱたと落ちては広がる雫の跡が見えてきた。
近くで全身をざっと見たところ、怪我をしている様子は無く、血などの匂いもしないようだ。疑念や別の心配は残るものの、ひとまずはほっと息をつく。
小さな背に手を当てる。がくがくと不規則に震えるのはしゃくり上げが抑えられないだけではないようだ。冷え切っていて、しかも石か氷かと思う程に強張っている。触れたためか、更にひとしきり嗚咽の声が高くなり、悲痛な声色に胸が痛む。何度か背を撫で、そのまま軽く押して座敷の方へ促すと、先程と同じ弱々しい歩みながら愛弟子は歩を進める。いつもの彼女と全く違う、まるでまだ夢の中を彷徨っているかのように足元が覚束ない。
さて、どうしたものか。火を焚いて暖めるには少し時間がかかる。逡巡したが結局自分がまた布団に入り、掛け布団を持ち上げて愛弟子を招いた。「おいで」
歩く間に呼吸がやや落ち着いた彼女は、泣き腫らした目でどこか遠くを見ているように虚ろだが、意図は伝わったようで布団の横に膝をつき、ゆっくりと俺の腕の中に体を収めた。
小さい震えは続いている。
俺の体温が移るよう、抱き締めるだけでなく顔を頭に寄せ、足も絡め、隙間無く体を合わせる。片腕でしばらく背を撫で、肩、首、頭、それから今度は脇腹、腰、太腿…と丹念に擦っていく。だんだんと氷のようだった体に熱が伝わり、力も抜け始めた。息も楽になってきたようだ。
「………」
何か話そうとするように息を吸うのが聞こえた。手を止め、待つ。
すぐには言葉にも声にもならないようだった。しんとした沈黙の時間が続き、また撫でほぐしながら待った方が良いだろうかと手に力を入れた時、
「夢を…見ました」
泣いた後の掠れ声で彼女は言った。
「うん」
漸く声が聞けたことに安堵する。手を背に戻し、先程より力を緩めてゆるりゆるりと撫でる。愛弟子の呼吸が長く、深いものになっているのを感じる。
「どんな夢？」
できるだけ穏やかな声を出し、愛弟子の言葉の先を促す。

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