普通八百五十円、大盛りプラス百円今年は暖冬と言えどまだ上着は手放せない。
とはいえ、この時期の相棒となっていた本気ジャケットこと内側にボアがついたジャケットはクローゼットで眠ったまま。
隣を歩く猫背の男には今年も寒くて堪らない様子で猫背を更に丸めコートの襟を立てブルっと震えた。
「門倉、マフラーしてくれば良かっただろ」
「無くてもいけると思ったんだけどよ」
ズズっと鼻を啜り「寒い」ともう一度ブルっと身体を震わせる。
近所にラーメンを食いに行くと言ったところ「ラーメンなら熱くなるだろ」とマフラーも手袋も置いて着いてきたのは門倉自身の判断だ。
歩いて十五分程の場所に行くだけでこんなにも震える門倉を見て鞄にマフラーを入れさせておくべきだった。
少しの反省と今後の対策を頭で考え角を曲がると行列とは言い難いが暖簾の前に四人並んでいた。
いつもであればこのラーメン屋は並ばずにスっと入れているのだが、今日は少しだけ賑わっている様子。
「すぐ入れねえじゃねえか」
門倉がコソッとボヤく。
「大した列でも無いだろ」
俺はそのままスっと五人目として列の最後尾へ並び手をポケットに突っ込んだ。
門倉もポケットに手を突っ込み大人しく俺の後ろつまりは六人目として大人しく並んだ。
前に並ぶ四人の会話を聞くに四人ひとグループらしい。
その事に門倉も気付いたらしく「俺らはカウンターでいいから早く入れて貰えねえかな」とコソッと俺に言ってきた。
俺は呆れながら「順番だ、馬鹿」と門倉の方を向くことなく答える。
そうこうしていると後ろにも人が並び出す。
今日はたまたま皆ラーメンな気分だったのだろうか。
「なんか今日多いな」
門倉も後ろを見つつぼそりとまた呟いた。
今度は声は出さずこくりと頷くだけに留めておいた。
ラーメン屋というのもあり長居する客は多くなく、店内から二人組が出たのと入れ替わりに四人組は暖簾をくぐって入って行く。
どうやら既に二人分の席は確保されていたらしい。
ガラガラと閉じられた扉をなんとなく見ると「テレビで紹介されました!」というラミネートされた張り紙。
以前には無かったものだ。
ローカルテレビ局のスクリーンショットが二枚貼られている。
記載されている放送日を見るとつい三日前に放送されたらしい。
テレビ放送後初の日曜日。
それは確かに客入りがいつもより多いわけだ。
「こりゃ暫くここ来れねえかもな」
残念そうな声が耳に入ってくる。
声の方を向けば顎に手を置き眉間に皺を寄せ残念そうな顔をした門倉。
「まあ暫くすれば落ち着くだろ」
何ともないといった風に返したが、実際の所は門倉と同じ顔をしたかった。
このラーメン屋はオープン当初から通っている店だ。
前の小洒落たカフェが潰れて改装し始めた時から知っている店。
塩豚骨が一番の売りであり、あっさりながらも豚骨のコクもある。
具材は自家製の薄切りチャーシュー、木耳、小口葱、白胡麻とかなりシンプル。
俺は大盛り、門倉は普通。
更に俺は味玉を追加で頼み、途中で卓上に置かれた紅生姜と追い胡麻で味変をする。
門倉も「これなら何杯でも食える」と太鼓判だった。
だが、立地があまり良くないのか客入りはイマイチなのが心配だった。
ここの土地は入れ代わり立ち代わりが激しく前のカフェも一年と持たなかった。
密かに「少しでも繁盛して潰れないでくれ」と願った事もあったのだが、図らずもその願いは叶ったのだ。
それなのにどこかこの店が遠くに行ってしまった気がしてどこか寂しい気がした。
そうこうしているとガラガラと扉が開く。
出てきたのはこの店では見た事のない大学生くらいのカップル。
続いていつもの店員が出てくる。
黒いTシャツに白の前掛けエプロンとシンプルな制服。
疲れているのか笑ってはいるが表情が硬い。
「はい次の方って、キラウㇱさん!あ、かどくらさんも」
俺と門倉の顔を見ると途端にぱあっと自然な笑みへと変わる。
「おい俺はついでかよ」
嫌味を言う門倉に店員はあははと苦笑いを返した。
「大盛況だな、夏太郎」
先程まで抱いていた感情をしまい込み、今出来る限りの笑顔を作る。
「なんかテレビの効果ってすごいんすね」
いつもの人懐っこい笑顔。
思わずこちらもぎこちない笑顔もほぐれていく。
「まあいつまでも続けば嬉しい悲鳴ってもんですがそうもいかないでしょうから今を楽しみますよ」
アルバイトの夏太郎に続いて店内へ。
見事にカウンターまでみっちり埋まっている。
黙々と食べる人に混ざってパシャパシャとスマートフォンでラーメンや店内の写真を撮る人もいた。
今までにこの店内では見たことの無い光景だ。
「一番奥のテーブルにお願いします」
そういうとバタバタと他のテーブルに置かれっぱなしのラーメンどんぶりを下げに行った。
バタバタ忙しなく働く姿に嬉しい様な寂しい様な複雑な感情が湧いてくる。
テーブルを拭き終わるとまた新たな客を呼び込みに行き、その流れで俺らのテーブルにやってきた。
「決まりましたか。いつものですか」
前掛けエプロンから伝票とペンを取り出した夏太郎はいつも通りの言葉を口にする。
オープン当時から通っている俺らだから聞ける言葉だ。
「俺はいつもの。門倉は」
「俺もいつもの」
「塩大盛りたまごと塩普通っすね」
ペンをササッと走らせるとサッと厨房へオーダーを通しに行ってしまった。
いつもであればここで雑談の一つや二つしてからオーダーを通しに行くのだが、今日の客入りでは仕方がない。
上着を脱ぎボディバッグと共にテーブル下にある籠へ入れる。
「ん」
「あんがと」
一緒に門倉の上着とバッグも入れてやる。
水を取ろうと席を離れようとしたところ門倉がそれを制し「座ってろ」と言い出した。
普段セルフサービスの水を取ってくるのは俺なのだが、どういう風の吹き回しなのか。
目で門倉を追うと水を取りに行くついでに厨房から出てきた夏太郎に何やらコソッと耳打ちをしている。
夏太郎は一瞬驚いた顔をしたがすぐに悪戯っ子みたいな少し悪い顔をして門倉の脇腹を突っついた。
そして水を注いで何事も無かった様に戻ってきた。
何を話したのかと聞くのも変な気がして「ありがとう」とだけ言って水を受け取る。
もう一度周囲を見回す。
別に店が変わった訳では無い。
賑わう事はいい事じゃないか。
その内新作メニューなんてのも増えたりと楽しみもあるかもしれない。
人気になり過ぎて移転なんて事になったら。
いや、移転ではなく二号店とかそういうパターンもあるだろ。
もやもやした気持ちと何とか折り合いをつけようとあれこれ考える。
自然と口数が減ってしまう。
「まあ一時的だって」
「何も言ってない」
「お前顔に出すぎなんだよ」
ムッとして門倉の方を向くとニヤニヤと笑っていた。
ちょっと腹の立つ顔だが何故かもやもやが少し減った気がした。
「はい塩豚骨ラーメンです」
トントンとラーメンが二杯。
「それと」
トンと頼んでいない餃子が三つ。
「え」
「誕生日サービスです」
夏太郎は小声でいうと今日一番の笑顔を向けた。
「常連さんだけの特別サービスだから内緒っすよ」
しっと口に人差し指をあて、夏太郎は忙しなく厨房へ戻って行った。
門倉を見ると素知らぬ顔で「良かったな」と一言。
「門倉、夏太郎に教えたな」
「ん、なんの事だ」
ポリポリと頬を掻き視線を逸らされた。
寒空の下歩いた時より耳が赤い。
そのまま割り箸をパキッと割るもまた下手な割れ方をして片方の頭がかなり細くなっていた。
門倉らしい割り箸の形だ。
割り箸の形を気にすることなく門倉はチャーシューを一枚掴む。
「じゃあ俺からはこれな」
三枚しかない貴重なチャーシューの内一枚が俺の器にやってきた。
「贅沢なプレゼントだ」
素直に笑って受け入れる。
「来年もここにラーメン食べに来れそうだな」
「ん」
門倉はズルズルっと麺を啜った。
今日のキスは塩豚骨味になるなと思ったが口に出せなかった。