結婚するのか俺以外の奴と…天涯孤独という訳では無いが、両親とは死別した。
幼い弟と妹を食べさせる為、とにかくこんな私でも雇ってもらえる仕事を探した。
だが、見つかるのは身体を売る仕事ばかり…
遊郭に売り飛ばされそうになったりもしたが、私が家から離れてしまえば誰が弟と妹の面倒を見るのか
だから出来れば弟と妹が一緒でも良いと言ってくれる所が良い。
身体を売るにしても、弟と妹に見られない所が良い。
ワガママだと自覚している。だが、本当にそれだけは譲れなかった。
どんな仕事でも良い。なんだってする。弟と妹と離れる事無く、二人が安全に生活できるなら何だってする。
身体だって汚れても構わない。
多少危険だって良い。
それぐらいの覚悟はできている。
だから弟達とは離れたくなかった。
これ以上、家族を失いたく無かっただけなんだ。
そして天は味方となった。
運良く住み込みで、しかも弟達と一緒でも構わないと言ってくれる人が現れた。
何でもする。
何だってする。
二つ返事でお願いし、弟達の手を引いて向かった先は、立派なお屋敷だった。
「ごめんください。」と伺えば、現れたのは私と大して年齢差のない男の子だった。
「あ……思っていたより若い方なのですね…どうしましょう。ちょっと貴方では厳しいかもしれません。今回は縁が無かったという事で……申し訳ありません。」
と断られてしまった。
ここで「はい、そうですか」と別れれば振り出しに戻ってしまう。弟達にひもじい思いをさせてしまう。そんな訳にはいかない。何が何でも食らいついてやると、必死の思いでまくし立てた。
「何でもやります泣き言など言いません弟達もご迷惑をかけないようにキツく言い聞かせます必ず必ずや御役に立ってみせますどうか、ひと月…一週間で構いません一度雇ってみては貰えないでしょうか」
私の必死の訴えに、男の子は少し困った素振りを見せると「なら、兄に聞いてみましょう」と言って、席を立つ。そして「貴方もご一緒に…弟さん達はここでお待ち下さい…」と言って部屋の奥へと連れて行かれたのだった。
不安そうに私を見守る弟達を残して…
長い長い廊下、屋敷で一番北側にある奥まった部屋。陽の光もあまりささない部屋の前で男の子は止まった。
かすかにだが、異臭がする。
腐敗臭いや、鉄臭さもある。生臭い…とにかく不快極まりない匂いが立ち込めていた。
「兄上…入ります…」
男の子が戸を開けると同時に、鼻をつんざく程の異臭が立ち込めた。一気に胃にあるものが上がって来たが必死に堪えた。
今、目の前には全身を包帯で巻き、布団を赤黒く染め上げ、息も絶え絶えで今にも死にそうな男性が横たわっていた。
「兄上…この方が、兄上の身の回りの世話をしてくれるそうです。よろしいでしょうか」
「……」
返事は無い。ただ熱に浮かされいるのか、苦しそうに悶えるのみだ。
男の子は私の方に向き直ると、じっと私を見据えた。
「兄はこのような有様です。兄の介護をする方を探していました。我々は訳合って付きっきりでいる事が出来ません。貴方には本当に出来ますかこのように、異臭を放つ男の世話を全て出来ますか体格だって一般の方々よりも大きく、重い。本当に出来ますか辞めるなら今です。」
言葉が詰まる。しかし、出来ないとは言えない。私には私の背負っているものがある。
だから、やりますと返事をする以外無かった。
それからは、辛い介護生活だ。
毎日、数時間起きに薬を塗り、包帯を変える。少しでも雑に扱えば、痛みに苦しむ男性が暴れだし蹴りを喰らう事もあった。
自分よりずっと大きい男性の下の世話もした。
血に濡れた布団は何度も何度も洗った。
少しでも変化があれば医者をすぐに呼べるように寝ずに看病した。
泣き言など言う暇も無かった。ただ、ひたすらに動いた。
押しつぶされそうになっても、痣だらけになっても、血生臭くなっても辞めなかった。
弟達は屋敷の方々のおかげですくすくと育っている。昔よりも肌艶が良くなった。千寿郎様が時より面倒を見てくださるから、読み書きなんかも少しずつ覚えるようになった。
有り難い…本当に有り難い。
この方々に我々は生かされて頂いている。感謝以外の言葉は見つからなかった。
そんな日々をしばらく続けた時だった。
男性の…杏寿郎様の意識が戻ったのだ。
医者は奇跡だと言っていた。
旦那様も千寿郎様も泣いて喜んだ。
しかし、杏寿郎様は長い間熱に浮かされ続けた後遺症で目を失明されてしまった。それだけじゃない、身体のあちこちを駄目にされてしまった。
手は痺れ、足を悪くし、食事を取る事も困難な程だった。
なので引き続き、私の介護生活は続けられた。
それは別に構わなかった。むしろ助かった。
まだ弟達に衣食住の心配をさせずに済むと思ったからだ。
ただ
ただ、杏寿郎様はお嫌ではないだろうか
見ず知らずの小娘に全ての世話をされるのは不快では無いだろうか
自分で出来ないから仕方がないとはいえ、もし私だったら異性に世話をされているだなんて知ったら嫌だと思ったからだ。
だから、私は杏寿郎様の前では言葉を発さないようにした。私が女である事知られない為に…
幸い、杏寿郎様は目が見えない。だから気が付かれないだろうと思ったのだ。
「君は無口なのだな…」
ある日、急に杏寿郎様に話しかけられた。朝、身体を拭いている時だった。
なんと返せば良いなんと言えば不快では無いだろうかぐるぐると頭の中で考えるが、良い答えが出てこない。
「すまないが、あそこの引き出しを開けてくれるか机の上の小さな棚だ。」
そう言われ、言われた場所に向かい引き出しを開けると小さな鈴が入っていた。
赤い紐に括られた小さな鈴が2つ…
「それを肌身離さず付けておきなさい。そうすれば、君が来た事がすぐに分かる。それと、無口なのにも理由があるのだろう…話してくれとは言わない、ただ返事だけはしてくれないだろうか
俺の問に“はい”ならば鈴を一つ、“いいえ”ならば鈴を二つ鳴らして欲しい…どうだろうか」
どうしよう…
私が変な気を回してしまったが為に、おかしなやり取りが始まろうとしている。
しかし、今更私が女だとも言い難い…
やむを得なず、私は鈴を一つチリンと鳴らすしか無かった。
それから奇妙なやり取りが始まった。
杏寿郎様はよく話す方だった。
「今日は暑いな。君は大丈夫か」と聞かれれば鈴を一つ…
「最近、少しずつ箸を持てるようになったが、まだ難しい…君には苦労をかけるが、まだしばらく食べさせてくれるか」と聞かれれば鈴を一つ…
「こんな男の下の世話など…本当に不甲斐ない…申し訳無い…」と言われれば鈴を二つ…
「いつか、君と沢山話してみたいものだ」と言われたら…
鈴を鳴らせず、ただ黙って杏寿郎様を見るしか出来なかった。
その時の杏寿郎様の顔は少し寂しそうにもみえたが、すぐに笑顔に戻られ「困らせたな大丈夫だいつもありがとう」と返された。
私は小さく鈴を一つ鳴らした。
そんな生活が数年続いた。
数年もだ。よくバレなかったと思っている。
私は少女から女になった。
弟達は独立し、それぞれ奉公先で頑張っている。
旦那様が口添えしてくださったおかげた。
何から何まで世話になってしまった。
そんなある日の事だ…
旦那様に呼ばれた。旦那様の部屋に行けば一枚の紙を手渡された。
しかし、私は文字が読めない。しばらく困った顔で紙を見ていると、旦那様はクスリと笑った。
「君を嫁に欲しいという男性からの申し出だ。」
「……え」
「杏寿郎を診てくれている医者の息子でな…何度か一緒に来ていたのを覚えているか」
そういえば、何度か来ているのを見た事がある。
ただ、顔はうろ覚えだ。
何故、そんな人が私なんかを嫁にしたいと思ったのか訳が分からない。
「君が杏寿郎を甲斐甲斐しく世話をする姿に惹かれたそうだ。医者のたまごとして、支えてほしいらしい。どうする」
「………でも、杏寿郎様が…」
そう。杏寿郎様が居る。私が居なくなったら誰がやるのか旦那様や千寿郎様だけでは難しい事も多い…
付きっ切りで世話が出来る人が必要だ。
「そんな事は気にする必要は無い。杏寿郎は君のおかげで随分と良くなった。少しずつだが、身の回りの事も出来るようになってきた。本来ならば、家族がしなければならない事を君に任せっぱなしにして申し訳無いと思っている…
もう、我々の任は解かれた。杏寿郎の面倒は我々だけでもみれる…だから、君は君の幸せを第一に考えなさい…」
「……はい…」
これは、既に辞めろと言われているのだろうか
本当はもっとご恩を返したかった…
煉獄家の方々のおかげで私は、私達は生きているのだ。出来る事なら、死ぬまで尽くしたかった…
しかし、それは叶わないらしい。
うつむきながら杏寿郎様の部屋へと向かう。
私が歩くたびにチリンチリンと鈴がなる。杏寿郎様がくださった鈴。
その音に気がついた杏寿郎様がニコリと笑ってこちらを向いた。
「おはよう今日は歩く練習がしたいんだが、身体を支えてはもらえないか」
失明している為、焦点は合わない。
でも、鈴のおかげで杏寿郎様はいつも私の場所に気がついてくださっていた。
私はチリンと鈴を一つ鳴らした。
杖の用意をして杏寿郎様の前に立つ。
準備が出来たので杏寿郎様の肩に手を添えて立ち上がるように促したが、ビクリともしなかった。
どうしたものかと横を見れば、杏寿郎様と目が合った。
失明して見えていないはずの目が、しっかりと私を捕らえている。
「辞めるらしいな。」
顔が近い。
肩に添えた手はいつの前にか取られ、杏寿郎様の懐に引き寄せられた。
「何故、辞める必要がある何故、そんな男の元に行く必要が駄目だろう。君は俺と一緒にいなくては…」
おかしい…
この人の身体はボロボロなはずだ。
立ち上がる事も、身体を動かす事も困難なはずだ。
なのに、掴んだ私の手を離さない。ぎちぎちと音がなる程の力で握られている。
おかしい…、こんなはずない。こんな事が出来る訳がない。
「何をそんなに驚いている身体の事かそんなのとっくの昔に回復している。」
そんなはずは無い。だって医者も生きている事が奇跡だと、これ以上の回復は見込めないと言っていたもの…
あるはず無い。こんな事あるはず無い
「なんでも甲斐甲斐しく世話をやいてくれる君が可愛らしくて、ついついいつまでも駄目な振りをしてしまった。だが他所へ行くなら、そうもいくまい」
目がハッキリと私を捕らえている。おかしい…おかしい、なんで
「あぁ、目は本当に見えないんだ。だが、そんな事は些細な事でしかない。見えなくても見えるものはある。だから、君の事はよく分かっている。」
杏寿郎様がさらりと私の髪を撫でる。
いつもの杏寿郎様とは違う。今の杏寿郎様は酷く恐ろしい。
髪を撫でる手付きは優しいのに、このまま絞め殺されてしまいそうな気がしてやまない。
「ただな…声、声だけは分からないんだ。ほら、聞かせておくれ。君の本当の鈴の音を聞かせておくれ…」
髪を撫でていた手が下に下がり、私の着物をぐっと掴んで下げ肩が露出した。
「あぁお、おやめくださいお戯れを」
「そうか…そんな風に鳴るのか…俺の可愛い鈴は…」
どんなに押しても杏寿郎様はびくともしない。
どんどん着物を脱がされていく。何故こんな事にどうしてなんで
悩んでも答えは見つからず、力で勝つ事の出来ない杏寿郎様は遂には馬乗りになった。
「大切に大切に育てたのに、人の物になるくらいなら、自ら手折るまでさ…もう鳴らないように…俺以外に聞こえないように…」
杏寿郎様の顔が近づいてくる。
チリンと一つ、身につけた鈴が鳴った。