夏のごはん 石川先生のうちでお盆に家事手伝いバイトをしているところに、風呂敷に包んだお中元を持って仁が訪れた。蝉がみんみんと煩い。
「よう、仁。どうしたよ?」
「ああ、竜三。もういつものバイトしてるのか」
「そ。毎年恒例の介護のな。今年で2回目」
伯父御の代理で訪れた仁。気さくに玄関口で駄弁っていたら、奥から石川に怒られた。
「客はきちんと中に通せ。バイト代減らすぞ」
「あっ、はい、すんません…地獄耳め」
最後にぼそっと付け加えて、どーぞ、と竜三が仁を中に通した。
仁が客間で挨拶を受けているところに畏まって茶を持って現れる竜三に、思わず笑ってしまう仁。
「どうぞ」
妙にしおしおと茶を運んできた竜三が茶器と菓子を置く。作法はともかく、所作は丁寧。しかし、フリーダムな髪型にタトゥーで厳ついからだを縮めて畏まる姿に、思わず笑ってしまった。
「…似合わんな、竜三」
「うっせ、仁…」
「客!」
ぼそりと噛み潰すように呟く竜三に、先生が嗜める。すると竜三はぴしっと背を伸ばして口をつぐみ、ごゆっくり、と些か乱雑に言うと部屋から出ていった。
毎年恒例の先生とのやり取りを終えて中庭に行くと、竜三が洗濯物を取り込んでいた。
「バイト、大変そうだな。先生は厳しそうだ」
「大変だよ、朝から晩までこきつかわれてる。口の悪いクーラーとでも思わねぇとやってられん」
洗濯物の籠を通路に置いて、タオルをどさりと寄越す。手伝え、という事だろうと了解し、仁は畳み始めた。
「初めての大学の夏休みはどうだ?」
「高校の時とあまり変わらんな。こんなご時勢だから、遊び回るわけでもなし。竜三は?」
「ダンスのステージが減っちまったし、店自体の休みも増えたからな。不景気なこった。鬼退治ばっか満員御礼でやんの」
あの世からこの世に渡り災厄をもたらすモノがいる。鬼と呼ばれるそれらを退治する…漫画のような話だと笑われるだろうが、それを人知れずおこなっているのが、竜三や仁である。
「全くだな。たまにお前と狩りにいきたいところだが」
「なかなかあたんねーよな、なぜか。この頃はセンセ専属みたいになってる」
仁が苦笑して、洗濯物を渡す。
「今日は伯父の代理ということもあったが、お前のバイト姿を拝むのも楽しみにしてた。政子先生が甲斐甲斐しくお勤めを果たすお前が面白かったと仰っていたのだ」
「面白い、って何だよ…」
竜三がムッとする。
「生意気な悪ガキだったのがお茶を淹れたり、干したての布団を抱えて歩く様は何だかいじらしくさえ見えた、と」
「い、いじらしい…??耄碌したのかよ」
ばつが悪そうに言う竜三だが、どこか照れ臭そうな顔をしてもいる。
「三食酒付き、クーラー完備の住込。食費も浮くし、ほんと都合がいいんだよ」
竜三が洗濯物を畳み終えて籠にいれる。そして竜三がよいせ、と立ち上がった。
「梨の冷えてんのがあるが、食うか?3時の茶に出すように冷やしといたんだ」
「…甲斐甲斐しいなぁ。茶菓子まで用意してるのか?」
「夏は休む時間を決めて鍛練をすんだってよ。熱中症になっちゃいかんと。菓子は俺が食いたくてよ。別にその辺り何も言わんから助かる」
…先生、ずいぶんと甘やかしてるなぁ、と思ったが、仁は口に出すことはしなかった。
お盆休みに先生のご飯を作るバイト竜三、一日くらいはめんどくせーサボりてーとごねている。まだバイト開始から3日目である。
「センセ、今日の晩飯作らなくていい?」
「お前は何しに来てるんだ?家事のバイトに来てるのだろうが」
「そうだけどよー。たまにはピザでも食おうや」
結局ピザをとって酒をあけて、二人で18時頃から映画を見ながら食べよう、と決まった。
「俺はアヴェンジャーズな」
アメコミ原作のアクション大作。
「なんか弓取りが貧乏クジではないか??」
不満げな先生にやたら絡まれる竜三。
「二本目はジョーカーでもみるか」
「先生ジョーカーなんか見んのかよ…それ他人事とは思えねぇんだよな…」
「あー…じゃあ、夏らしくホラーで手を打とう」
「げー!」
身につまされると暗い顔をしたら、なら怪談とホラー映画をかけられて、やっぱり辛くなる竜三。
「えっぐ…!」
「そこが良いではないか」
「あんた、襲われる側じゃなくて、襲う側の目で見てんだろ…!」
「鋭いな。お前がびびり散らす様も、良い添え物よ」
座布団抱えて耐える自分の横で、何ともいえない顔でホラーを楽しむ石川の顔の方が怖い、と竜三は思った。
先生はお盆は道場休みにしてるので、好きなだけ一人で矢を射ている。
いつもの馴染みの小料理屋はお休みのため、作るのが面倒ゆえに竜三に外注したのがバイトの始まりだ。
竜三は家にエアコンがなくて、最も暑いお盆の頃に冷房完備の先生宅に住める&バイト、食費光熱費浮くし、お土産ももらえるしでうまい話だとのった。そして今年は二年目だ。
「センセ、お中元開けてもいいか?」
「ああ」
「すげぇ、カニ缶とハムの詰め合わせもらった」
包み紙をネコのように剥いて、竜三がほくほくとした顔で報告してくる。
「持って帰って良いぞ。欲しいのは確保しておけ」
「んー…それよか飯に使お。オーソドックスにカニ玉か、オシャレにカニのトマトクリームパスタ」
「カニのパスタなんぞ作れるのか」
「作ったことはねぇけど、レシピあればいけるだろ」
竜三が頼もしいことを言う。
むぅ…と石川は考え込んだ。カニ玉はうまい。飯に乗せたカニ玉丼は久しく食っていないが、絶対にうまい。
しかし、レア度でいけばパスタである。行きつけの小料理屋でも出ないメニューだ。そして貰い物のなかには、ワインもあったはずである。
「パスタを所望する」
「オッケ、そんならワインなんか見繕って。冷やしとこーぜ」
カニ缶を取り出しながら、鼻唄を歌う竜三。厳つく強面の割に、旨い物が好きで料理がうまい。小さい頃から何でも一人でやらざるを得なかったから、もういっぱしの腕前でなのである。
夜、お待ちかねのパスタは想像を越えて絶品だった。少しスープ仕立てにされたパスタは、余さずカニの旨味を楽しめる。
「カニ缶を持ってきてくれた者には、手厚く報いねばならんな」
「作った俺にも報いろ」
石川の言葉に竜三が突っ込む。おかわりを想定して多めに作っていたので、量も大満足だ。
「生クリームでついでに作った」
デザートに、と出てきたのは生チョコ。オレンジピールを刻んで入れたそれは甘すぎず、大人びた苦味がうまい。
「うめ…」
自分で作って自分で幸せそうに食べる姿は、見ていてほほえましい。
「好きな材料買っていいから、思う存分その腕をふるえ」
「マジか。太っ腹だねぇ」
石川は、竜三の嬉しそうな顔をもっと見てみたい、と思ったのはこの時が初めてだった。
今日は鍋の前に立つ竜三が小皿に取ったものを味見している。
「何を作っているのだ?」
通りかかりに覗き込むと、鍋の中ではかぼちゃと小豆が煮えていた。
「いとこ煮」
「何だそれは」
「味見してみろ」
小さめのかぼちゃと小豆を小皿に乗せて渡される。口にいれてみると、ほっくりとした、ほどよく甘い味がした。
「菓子みたいだな」
「甘いの苦手だったよな。甘さ、どうだ?」
「これなら良い。普通に煮るのより甘くない」
「了解。あとは豚汁と、昨日貰ったハムを焼く。おろしとポン酢で食うと旨そうだ」
喋りながら手際よく手を動かしている。大きい割に、器用で細やかに動くことだ。
眺めていると、不思議そうな顔をされた「何、まだ味見してぇの?」
別にそういうわけでもないが、見ているのが楽しいと言うのは恥ずかしいので、そうだ、と言う。
竜三がかぼちゃをとる。それをもう1つ食べると、さすがに茶が欲しくなった。
「旨いが、甘い」
「酒のツマミみたいなのばっか食ってないで、甘いのも食え」
「それじゃあもっと作りに来い」
竜三がその言葉にきょとん、とする。そして、照れ隠しのようにかぼちゃを一つ口に放り込むと、うん、まあ、いいよ、ともごもごと呟いた。
久々の竜三の出勤日。大規模なショーはやらないが、余興にプロのダンサーと踊る竜三。プロ同士の自然と息のあった掛け合いの中で、楽しそうに笑う。
「妬けるな、石川よ」
店のオーナーのコトゥンがにやにやと笑う。
「あれしきで妬いていたらこちらがもたんわ」
くい、と酒を飲み、バンドネオンの音に耳を傾ける。ステージにいる時、よく目が合う。
とびきりセクシーなポーズをとる時にはこちらをじっと見る。客へサービスするときには必ず寄って掠めるように触れたりする。
そういうのは止せ、と言うが、やめない。こちらも目を見交わして、その理由がやっとわかった。
怖がっている、のだ。ステージを、ひとの目を。人前に出ることなと好まぬくせに、借金のせいで踊らなければいけない。
恵まれたからだと、天性の才能の内側にはビビりの顔を隠している。
それに気づいてからは、伸ばされた手をそっと握り返すくらいはしている。
ステージが終わると裏口からこっそりと出てくる竜三。使い込んだ服と、黒ぶち眼鏡、汗で少し湿った髪もそのままに飛び出してくる。
「何か、食べたい」
機嫌の良い時は飯、落ち込んでいる時は甘いもの、と相場が決まっている。
今日はもそもそとマンゴーパフェを食べている。時折ぼんやりと窓の外を見ては、また、甘味を口に運ぶ。うまいとも何ともいわず、傷の痛みに上塗りするように甘味を食べているさまは見ていてかわいそうだ。
向かいから竜三の髪に手を伸ばす。そして、2、3度撫でてコーヒーを飲んだ。夜のファミレスは、まるでエドワード・ホッパーの絵のように、まぶしく、つめたい。
「仁が写真送ってきた」
お盆に県内の別荘で過ごしているという仁と志村。毎日涼しい高原と、温泉と旨いもので身を癒しているようだ。
竜三のスマホの画面には、爽やかな新緑のなかで微笑む爽やかな美青年。まるで別天地である。
暑さと鬼退治であっぷあっぷとしているこちらとはやはり生まれも育ちも違うのだ。
「仁はリゾートなのに、俺は来る日も家事労働のバイトだもんな…空しくなる」
「貴族と己を比べるな。生き辛くなるぞ」
「わかってるけどよ」
旅の写真を送ってくる仁に悪気はない。ただ、楽しくて、旅先で竜三を思い出して、見て欲しくて送ってるだけなのだ。
しもじもの下の方にいる竜三が、それを見て何を思うかに気が回らないほどには良いところの坊っちゃんなのだ。
昨夜ステージで踊り、帰りが遅かった竜三は今日は一日ねむそうだった。
おあつらえ向きに今日は涼しい。はや秋のような風が吹き、昼寝にはもってこいだ。
竜三はごろごろと、スマホを見たりうたた寝したりしている。
昨夜美しく舞い踊っていた竜のタトゥーは、今日はタンクトップのすそから背中側に首を突っ込んでお休み中である。
昨日も竜三はこの体と天性のダンスの才で客を湧かせた。背中の竜がお目見えした瞬間には、札が嵐のように舞った。
その享楽の絶頂で、じっとこちらを見つめていた、すがるような視線を覚えている。
あの喧騒の後、疲れきった様子でパフェを食べていた顔を思い出す。
「竜三」
「ん?」
「竜がのぞいてるぞ」
右脇腹のあたりがめくれていたので、そこから竜の鱗が見えている。
「竜、見る?」
ペラ、といたずらっぽく裾をつまみ、持ち上げる。すると、逞しい背中にうねる竜が姿を現した。
きれいな筋肉の隆起、そこにシンプルに黒で刻まれている。
「きれいなものだな」
「そうか?俺はよく見えねぇし」
手をとられ、肌に導かれる。促されるまま控え目に、鱗の隅をなぞると竜三が深く息をついた。
「ぞわぞわする…もっと、触ってくれよ」
密やかにささやかれて、言葉を返す代わりに掌を推し当てた。
鱗のからむ腕が、こちらの腕を引く。やがてそれに絡めとられ、囚われて落ちて、我を失った。誰も来ないよ、と腕の中で囁かれて真昼間からその身体に溺れた。
竜三のスマホが鳴っている。台所から居間に行ってみると本人は座布団を枕にいびきをかいていた。上半身は終わった後にかけたタオルをかぶったままだ。
発信者を見れば、境井仁。長めの呼び出し音に、まあ、出てみるかとスマホを手にとった。
「あれ?石川先生?これ、竜三のスマホでは…」
「ああ。竜三なら儂の隣で寝ておるぞ」
「え?」
ちょいと貴族をからかってやる。と、さすがに目を覚ました竜三が文句を言うようにこちらの膝を叩いた。
仁がNTRネタなんか知ってるわけねーだろ。寄越せ。声を殺して文句を言う。
ははは、と笑ってスマホを渡すと、見えも線のに、寝乱れた髪を手櫛で直しながら話し始めた。
「よお、リゾート満喫してっか?」
同年代の幼馴染み同士、砕けた物言い。遠慮がなく、慣れ親しむゆえのやり取りは、自分との時とはまた違う。
楽しそうに話を聞いて、年相応に笑う姿に何で自分のところへ等来るのか、と思う。
「土産?何か旨いもんがいいな」
昨日相手と境遇を比べて拗ねていたのなど忘れたように笑う。そして、竜三がこちらを振り返り、スマホを渡してきた。
「何だ、仁」
「何だとは何だ」
仁ではないドスの効いた声は、志村。竜三を睨むと、憎たらしげな顔で舌を出しおった。
「下らぬ冗談は顔だけにしておけ。仁が気にしておる」
「…箱入りも大概にしておけ、この伯父馬鹿めが。土産は地酒でいいぞ」
叱られる前に切ってやる。
「何だよダチだろ、冷てぇのな。元気か、位言えよ」
「お怒りの奴に言えるか?ったく、伯父甥揃って冗談も通じん」
「隣で寝てるなんて言うからだ。まあ、嘘じゃないけどよ」
竜三がにやにやと笑いながらTシャツを着る。
「可愛い甥が友達付き合いしてる奴が、自分の悪友と寝てるなんて、冗談でも普通怒るだろ…ま、事実ってのがもっとタチ悪いけど」
竜三が乱れた髪を尻尾のようにくくる。
「さて、センセ。お盆最終日の昼は何食べる?」
「お前の好きなものに」
竜三が腹をくるりと撫でる。
「俺はまだ腹ん中に太いのいる感じするから、あんま腹減ってねぇ」
「何でもいい」
「だから何でもいいっつのはダメだって」
「また飯のリクエストなんぞできなくなる日々に戻るのだ。節制せねば」
「……センセ」
何となく居たたまれない空気になって部屋を出る。午後一杯、そうやって、過ごした。
そして夕時。飯、できたよ、というここ数日馴染みになった声に呼ばれて食卓に向かうと、卓の真ん中には鍋が煮えていた。
「〆は鍋、か」
「今日はそんな暑くねーし、いいだろ」
今年の盆は確かに、意外にも涼しかったような気がする。
鳥つくねとお中元のちくわ、そして野菜がたっぷりと。竜三が向かいに座り、箸をとる。
「鍋って、一人だと食べる機会がないだろ」 ふんわりと柔らかいつくね、鳥の出汁の効いた汁に少し柚子コショウを添える。
「どうよ?」
「うまい。申し分ない」
「そか」
へへ、と笑い竜三が酒を飲む。志村から貰った秘蔵の一本だ。
竜三がふぅ、と深く息を付く。
「今度は年末年始にまたバイト雇ってよ。そしたらお歳暮で牛肉来るだろうし、すき焼き作ってやるよ」
「それは良いな。牛肉など一人ではもて余すからな」
「おうよ。いつでも食べに来てやる」
この数日間、毎日見て話をする相手がいなくなるのは名残惜しくある。若い頃は全くそんなことは思わなかったが、焼きが回ったということだろう。
旨い飯と酒。空になった鍋に竜三がご飯をいれ、醤油で少し味を整えて卵でとじる。
熱々のそれにきざみのりと胡麻をかけたのを椀で出される。〆のたまご雑炊。
少し熱すぎるが、旨かった。まさにこの数日の食生活の集大成だ。
食器の片付けを引き受けると、竜三の前に正座した。
「今までご苦労だった」
この数日分の約束に少し上乗せしてバイト代を入れた封筒を手渡した。
「まいど、ありがとうございました」
大事そうにそれを両手で受け取り、しまう竜三。
その時、突然花火の音がした。あ、と揃って外を見ると海の方から大輪の花火が上がった。ひとつ、ふたつ、みつ。
「…花火大会は中止のはずだが」
「ゲリラ的なやつだろ。人集まらないようにあげるあれ」
竜三が胡座をかいて眺める。
「早く、普通に行きたいとこ行ける日が来るといいよなー」
「ああ」
「…でも、ま、その…こうやってセンセと飯食ってゴロゴロしたり、花火見るのとかも結構楽しかったぜ」
翌日、朝。お中元の荷物を持って帰った竜三は、冷蔵庫の中にだし巻きたまごと肉じゃがを作って置いてくれてあった。
それを朝と昼にありがたく頂く。そして、また今夜は何にするか、と馴染みの小料理屋の前を通り……愕然とした。
件の感染症のあおりで、店の休みが延びていた。
「あー………しくじったわ」
20時までで店がしまる。酒はもちろんでない。
しばらく考えて、再びスーパーに戻り、そしてここ数日掛けなかった番号に電話を掛けた。2コールでとられる。
「件の感染症のあおりで、店がしまっている。飯を作ってくれたらバイト代を払うがどうだ?」
相手…竜三が電話の向こうで笑う。
「良かったな、俺も店が休業延長でしばらく暇になっちまったとこだ。で、いつからいつまで?」
「今日の夜から、この騒ぎが落ち着くまで。三食酒付き、住み込み」
「まいどあり!良かったな、今ならセクシーなダンスもオプションで着くぜ」
「それは別に要らん」
くっくっ、と公共の道で笑う。電話の向こうの竜三もたぶん同じように道端で笑っていることだろう。