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    tooko1050

    透子
    @tooko1050
    兼さん最推し。(字書き/成人済/書くCPは兼さん右固定。本はCP無しもあり)
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    tooko1050

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    ひらぶータグに投稿した物です。土兼。(再掲)

    ##土兼

    春来たりなば 今年も春が来た。
     梅に鶯、宵は酒宴。そんな本丸に一部屋だけ静まり返っている部屋がある。

     その部屋の主は何がどうしたものか『春』になったと呟くと次の日から他の者たちの前に姿を現さなくなった。
     おや、これが噂の若者の引き籠り。
     そんな風に冗談を言っていられたのは初めの数日。流石に幾日も、それも誰も一目も見ていないとなると大事だ。
     お節介の一振りが「身内」へ問い合わせれば。

    「ああ、うん、ちょっとね…… まあ、寝てる```だけだから心配ないよ。ごめんね、当番色々変更出しちゃって」
     と謝罪され、暗に詳しい所は触れないで欲しいという、やんわりとしたものを受け取っただけだった。

     拒絶と言う程には強くなく、それでも出来ればそっとしておいてはくれないか、という薄い壁。

     不意のこととはいえ一人分の人手が不足した程度で特段困ることがあるわけではないし、彼が抜けた分は身内が率先して穴埋めをしているので文句があるわけでもない。となればそれ以上何か問いたければ多少なりとも突っ込んだ話をすることになる。
     誰にも触れられたくないことの一つ二つある、そういう集まりだ。
     自然、では後のことは身内に任せれば良いかとなり、その年暫くしてからなんでもない顔をして復帰してきた彼に何かを言う者も居なかった。

    「春眠暁を覚えず 火もまた涼し?」
    「おいおい、随分脱線したな?」
    「けどさあ、やっぱりヘンだよ」
     ぷう、と丸く頬を膨らませ不満そうなのは蛍丸だ。
    「俺との約束忘れるなんて!」
    「別に忘れた訳じゃないんじゃないか? 昨年も御手杵が手合わせの約束をしていたのが遅くなったと詫びられたと言っていたぞ」
     団子を食みながら答えたのは平安太刀暇刃代表の鶴丸国永だ。
    「病気してるってわけじゃないんだよね? なんで出て来ないんだろう……」
    「さあなあ、そこは彼らが何も言わない以上判らないな。だからってあまり突き回すのはやめてやれよ? あれで色々複雑な連中だ。俺たちが把握しておいた方が良いことならとっくに知らせてくれているはずだ。何年も黙っているということは聞かれたく無いことなんだろう」
    「むー…… 復帰したら一番に知らせて貰わなきゃ!」
     ご立腹な蛍丸に鶴丸は首を傾げた。
    「いったいきみは彼と何を約束したんだい?」
    「蛍がいっぱいいるところ、教えてもらう約束してたんだ。まだ時期じゃないけど寝坊されたら困っちゃう!」
    「ははは、なるほどなあ。まあ、雨の季節までには毎年戻って来るじゃないか、大丈夫だろう」
    「あれ、でも和泉守いつ蛍を見たんだろう。去年見たなら去年の内に教えてくれそうなのに」
     それもそうだな、と鶴丸が同意したので今度は蛍丸が首を傾げた。
    「いずれにしても歌仙が喜びそうな約束だなあ」
     風流だ、と鶴丸が笑えば、蛍丸もようやく機嫌が直ったと見えてえへへ、と笑った。



    「だそうですけど、これじゃ兼さん可哀想ですよ」
     今年はいつまでいるんです、と少々不服そうに問いかけて来るのはかつて共に戦った脇差だ。
    「良いじゃねえか、お前達の任務にゃ支障がねえと把握してる。大体、俺の意思でここに来てるわけじゃねえんだ、いつまでなんて言われたところで答えようがねえよ」
     なあ、兼。
     呼べばふわり、静かに笑うのは打刀。
    「おう、国広、俺の兼定はまた随分と淑やかになっちまったもんだな?」
    「もー、誰のせいだと思ってるんですか! 兼さんが貴方そっくりに喋るのも今そんな風に『お淑やか』になっちゃってるのも全部貴方のせいですよ!」

     兼さんの全部はあなたのおかけであなたの所為で、あなたの為です
     土方さん!



    「はいはーい、今日は炊き込みご飯だよー。和泉守の分は握り飯にしてきたけど食べるかな……」
    「お、総司の刀の片割れじゃねえか、今年も世話んなってるぜ加州」
     少し困ったように眉を下げた加州清光は目の前の『三人』の奇妙な逢瀬に溜息を吐いた。
    「人間ってほんっと勝手。本体持ってない俺のことあの人の刀だって解るのも酷いし、和泉守にそんな形で再会してんのもほんっとさいてー」
    「ははっ、違いねえ。……お前は帰ってくれ、連れてけねえ。着いてくんのも許さねえ。そうやって手離しちまった嫁さん```の前に今更こんな形で現れてなあ。酷え男だって自覚はあるぜ」
    「貴方のそういうとこ、全然変わってないのもまた腹立つ!」
     けどさあ。
     加州はそう続けずにいられない。
    「堀川くんだって内心まんざらじゃ無いし、和泉守に至っては幸せなんだろうし、もーなんていうか俺たち出る幕ないよねぇ…… って諦めるしかないっていうか!」
    「まさか何年も通い妻問婚してくるなんて思わなかったし」
     続いた不服そうな声にも全く動じることなく『お客』は堂々と答えた。
    「お、総司の刀が揃ったか。しっかし大和守サンよ、お前さんはまさにあいつの写しだねえ。刀だからか知らんが、そこまで惚れられてたら総司も鼻が高いだろうよ」
     生憎菊一文字振るってる姿は知らねえがな、と続けた『土方歳三』に大和守安定の眉がムッと寄る。
    「それを言うなら貴方だって。初めの年なんか、堀川くんの前でよりにもよって貴方が和泉守の器乗っ取るなんてあんまりだって思ったんですからね!」
     びし、と指差された先には和泉守兼定が二人いる。
     ――と勘違いするような光景が広がっている。

     どこか茫洋としてうっすら透けているようにさえ見える付喪神、和泉守兼定が『一人』。
     んなこと言われても俺にも絡繰が解らん、とボヤいている確りと形を保っている和泉守…… と一瞬見紛うほどそっくりに、衣装を借りたような『土方歳三』の彼岸渡の残滓が『一人』。
     まるで昔の再現のように二人に寄り添い世話を焼いている脇差、堀川国広の付喪神が『一人』。

     この奇妙な現象が起こるようになってもう四年が経つ。
     あのさあ、まだ春なんだけど…… と大和守が呟いたことから、彼らはこの身内だけに留めている密会を年中行事になぞらえて『花盆』はなのぼんと呼んでいた。
    「だってそれこそ盂蘭盆会そのものじゃない、死んじゃってるはずの人が『家』に戻ってくるなんてさ」
    「ほんとにねー、地獄の釜の蓋開けるには時期が早過ぎですよ副長ー!」
    「どんな形であれ再会できたのに真っ先に嬉しいって思わなかったの、実は結構ショックだったんだよね、僕……」
     堀川の嘆き混じりのぼやきに、土方は下手に騒がないよう気を付けていることを忘れて大声上げて笑いそうになった。
    「そりゃ悪いことしたな。ま、お前は昔っから兼定兼定だからなァ。下手したら俺よりよっぽど兼定贔屓だろう。そりゃ大事な『兼さん』がどうにかなったとなりゃ平静じゃねえやな。かつては確かに持ち主だったと言ったところで、こちとらとっくの昔にオサラバしたはずの亡霊だ。どっちが大事だって言われりゃ兼に決まってらぁな」
     コツ、と煙管を煙草盆に置いた土方の記憶を持つモノへ一斉に非難の視線が突き刺さる。
    「お? どうした揃って怖え顔して」

    「この刀泣かせ!」
    「甲斐性無し!」
    「主の誑かし!」

     散々な言われ様にも昔のように怒ることがない土方の様子を見れば、やはりもう「この世の人ではないのだ」と感じてしまうと解っている。それなのに文句を飛ばしてしまう辺り、やっぱりどうにも自分たちは刀だし道具だし、この人のモノなのだと付喪神達は白旗を揚げるしかないのだ。

     だって。

     ふわふわと笑っている和泉守が殊更嬉しそうに笑うのだ。
     きっと誰よりこの光景を懐かしく、惜しく、寂しく

     そして愛おしく思うたった一振りの形見の刀が、静かに優しく笑うのだ。

     常であればこんなことは許されることじゃねえ、と声を張ったかも知れないヒトがしっとりと笑っているのだ。
     亡霊にも付喪神にも後ろめたいことだらけなものだから、彼が笑うのなら、と思ってしまった。歴史干渉の不都合らしき事象も起きず、僅かの逢瀬の後にはどこにあるのかも知らない在るべき場所へ還ってしまう人だと解りきっているものだから。
     それならこの僅かの間くらい。
     そう思ってしまうに十分な程度には後ろめたいものだから。



     何怒ってんの、と相方に問われてどうにも遣る瀬無い気持ちを見透かされてしまった気まずさに大和守は俯く。
    「……『沖田くんは来てくれないのかな?』って?」
    「ううん、そっちならまだ良かったかも」
     実際あんな風に訪ねて来られたら堀川くんみたいには平静にはしてられないけど、とぼやき混じりに答える。
    「僕の勝手な想像だけど、あれって土方さんにも未練があるからでしょ。僕らの前に沖田くんが来ないのは未練が無いからだとしたら、それは『もう亡くなってる人』としてはある意味幸せなんじゃないかな……」
    「未練、あったと思うけどね。俺たちの主も」
    「そりゃあね。沢山あったよ絶対。でも多分、『刀』に対しては少なかったっていうか……」
     どういうこと、と不思議そうに首を傾げた加州に少し前から考えていたことをゆっくり言葉にする。
    「お前のことも僕のこともね。直してやれる腕のある職人を探しに駆け回ることもできない、鞘から抜くこともできない。そんな自分より他の人に託せたら、せめて自分の刀だけでも近藤さんの役に立てたら、とかそんな風に考えてたのかも知れないなって…… 前と同じように自分が剣を振るいたい、今すぐ皆のところへ駆け付けたいって思いが叶わない時点で、僕らをどうしたいかって気持ちも結論が出てたのかも知れない。でも土方さんは『兼定に』特別思うところが色々あるんでしょ。自分で形見に選んだけど、でも、勿体無いなあとか悔しいなあって思ってたんじゃない」
     土方歳三の形見となれば、預かった人だっておいそれと使おうとは思わないでしょ、と続ければ、ああ、と加州が頷いた。
    「そういうことね。それなら確かに近藤さんもあの人も化けて出るほどの執着はなさそう。……副長は和泉守に沢山のもの託しすぎたからねー、悪いことしたって気持ちが特別大きいのは土方さんだけかもってお前の推論頷けるわ」
     それに、と続けたのは加州の方だ。
    「あの人さー、俺達のことまで気にしてんでしょ…… もーほんっと刀好きの刀泣かせ! タチ悪いにもほどがあるよまったく!」

     守ってやれなくて、『次』へ継がせてやれなくて悪かった
     滅ぶ者に付き合わせてしまって悪かった
     形見に受け取ってやれなかった
     届けてやれなかった

     そんなことを望めるような猶予や余裕があるなら、そもそも自分があそこで終わりはしなかった。それを解っていながら、すまなかったと思っている。
    「ほんっと、人間は勝手だよ。……連れてってもらえて良かったって奴も、例え別れが悲しくたって遺してもらえて良かったって奴もいる。そんなの、あんた達と同じだよって言ってやりたい」
     たった一人に添い遂げることが道具の最上の定めなら、そもそも自分たちはあの愛おしい最後の主の手に渡ることさえなかったのだ。
    「どうしてもらうのが良かったかなんてさ、それこそ『個人の考え次第』なのにね」
    「今のとこ、和泉守がどう思ってるか聞いた形跡ないもんね」
    「ま、俺たちとは入手の経緯からして違うってのも本当だからなー」

     売られているものを手に入れたか。
     自分のために作ってもらったか。

     多分あの少し捻くれたところのある我らが副長殿には、それがとても大切なことなのだ。
     本物になりたかった人が手に入れた本物。
     思い入れるなという方が無理がある。代々伝わる名物であるという特別と、自分のための誂えものの特別はまったく別物だ。どちらが上とか下とかそういうことではない。理屈じゃない、感情だ。

    「心があるからこうして居る。その心を起こしてくれたのが誰なのか。そりゃあの一人と一振りは相思相愛だよね。本人達にもどうしようもないくらいに」
    「なるほどねー、お前がそんな風に思ってるとは思わなかったわ。でも、解る気がする」
     結局見守ることしか出来ないんだけどね、と二人顔を見合わせて苦笑した。



     大きな変化もなく二日が経った日、土方は本を所望した。
    「へえ。ほぉ? なるほどねぇ、まあ人ってのは勝手なもんだからなあ」
     相変わらず異様に大人しい和泉守を近くへ侍らせて、彼の器を半分以上借りた珍客はペラリペラリと紙を繰る。初日は双子と見紛うほどのそっくりな姿だったが、時間が経つと己のかつての姿を思い出すものなのか、今はよく知られた「土方歳三」の姿をしている。
     そこは郷愁のなせる技か、或いは兼定の背に今も残る外套の色模様に思うところあるものか、屯所で非番を過ごしていた頃に近い姿だ。着物こそ臙脂に鳳凰という彼が兼定に贈ったとも言える意匠だが。
     彼が求めた本の多くには「新撰組」とか「幕末の」なんとか、という言葉が並んでいた。
    「ま、今更何が出来るわけでもねえ。そもそも幽霊ってのは死後の、手前にとっちゃ未来の世界にだって適応するんだろ? 書物読むくれえどうってことねえわな」
     俺が生きてた頃合いの移動は歩行かちか馬か船。陸蒸気なんざ見たこともなかったし、空飛ぶ鉄の塊に至っては想像すらしなかった、鉄船だって後のもんと比べりゃ随分鈍足だったよな、と彼は言う。
    「……苦労かけたなあ」
     膝で寛ぐ犬猫でも撫でるように、和泉守の艶やかな髪を撫でながら零す小さな言葉が誰に向けたものかは複雑すぎて解らない。
     結局のところ彼もまた途中離脱を余儀なくされた一人だ。
     もう刀では勝てない。外国はもはや遠い国ではなく、利用されるだけではなく、こちらも利用する関係になるしかない。そうしなければこの国は生き残れない。そんな時代の潮目は見切っていたが、それでも本当の終わりまでは知らずに生を終えた。
     彼の死を以って新撰組が終わったのだという人もあれば、最後の局長を記した本もある。
     そして最後の局長は『終わらせる』為に死んだ。
     その役目を引き受けたはずの土方が死んだから生まれた局長だとも言える。

     となれば残した人々へも色々思うことがあるだろう。
     最後まで戦い抜いたと褒める者もあれば、例え先に逝った者から裏切り者の誹りを受けようとも、恭順を示し官軍へ下れば評価が変わった、助かる命があったと恨む者もいただろう。
     誰だって己が子を孫を、或いは親先祖を悪く言われたくはないものだ。

     そもそもあの時代に動乱が起こり、長らく列島のほぼすべてを治めていたお家が転覆などという大事になったのも、それに多くの無辜の民が巻き込まれたのも、西欧列強への対応という喫級の大課題への対応が元だ。
     鎖国を続けられるものなら、その方が国内は平穏だったかも知れない。発展はなくとも安定を望むのであればそれもまた一つの平和の形だ。
     三百を数える間に不具合の起きた徳川幕府を正す方法は何も崩壊でなくとも良かったかも知れない。
     ただ、先見の才があるが故に焦る者達にとっては、膿んでしまった中枢と末端を制御も切り離しもできなかった幕府のやり方はひたすら生温く鈍足で、このままでは敗けるのみ、属国の憂き目に遭うのを待つばかりならばいっそ、と武力に訴える者が出るのを抑えられなかった。それが現実だ。
     実際、暴発の負は認めた上であの時期が最後の機会だったと評価する者も多い。それまでのやり方が通じなくなっていることは他ならぬ「その時」を生きた土方が認めている。

    「それでも俺は、お前たちかたなの方が好きだねぇ」

     『それから』を知る唯一振りの顎に手をかけて笑う男は、悪気なんて少しもなさそうな顔でそう言った。
     真正面から見つめられたかつての愛刀はただ静かに視線を返し、何も言わなかった。

    「自分が物語の登場人物になってるのってどんな気持ちですか」
     お茶を出しながら問うと、ありがとよ、と湯呑みを持ち上げた土方はそれをいくらか含んで少し考える顔をした。
    「なんだかな、どれもしっくりこねえ。ま、そりゃそうだ。俺たちだって義経公だ信長公だ赤穂浪士だ、知ったかぶって語ってたんだからな。死人に口なしとはよく言ったもんだ」
     だが、と続く言葉は幾分軽い響きだった。
    「手前を英雄だなんぞ思ったこたぁねえが、そんな風に思ってくれる人がいるってのは悪くねえな。何より何一つ答えてくれねえ、問うことの叶わねえ相手を理解しようってのが嬉しいじゃねえか。ま、相変わらず嫌われモンでもあるようだが、そこはやったことの報いと思えばな。勝ったはずの薩長土佐でさえ必ずしも褒める奴ばかりじゃねえってところが良いんじゃねえの」
     それに、と一冊手に取って数頁を捲った、かつて鬼のように戦場を仕切った男が笑う。
    「そもそもこりゃ近代の御伽草子みてえな物だろう? 俺たちという『事実』は所詮参考、どれだけ調べたところで想像でしかない。本当にこんなことを言ったわけじゃねえし、書物と同じことをしたとも限らねえ。物語として面白ければ良い『作り話』ってやつだ。そういうもんが俺たちが芝居小屋を冷やかした頃から変わってねえことの方が面白い。近藤さんや総司、お前達のことを褒めてるヤツが好みなのは当然としてな」
     続いて手元に引き寄せられたのは「特集 日本刀の美」と書かれた雑誌だ。
    「……大層別嬪さんに撮って貰ってよぉ。ありがてえこったなァ、兼」
     手離した甲斐があった。
     そんな言葉が聞こえそうなほど、満足そうな声だった。名刀と呼ばれるようになった己の刀を誇らしげに見つめる目は、まるで惚れた女を目の前にした男のようだ。
     かつての主の機嫌が良いのが嬉しいのか、またらしくもない静かさで笑った和泉守は声すら出さず、それがほんの少しだけさみしいと大和守は思った。



    「話、しないね」
     ぽつりと零した堀川に、なんとも困って加州と大和守は顔を見合わせた。
    「毎年思うんだ。僕は結構気軽に話せるのに、兼さんは返事をしてるって言うのも大袈裟なくらい何も言わない。そりゃ土方さんのところへ来たばっかりの頃の兼さんは何もかもが初めてで、『兼さん』じゃなかったのを覚えてるけど、でも……」
    「和泉守…… っていっても現存本体に限るって感じだけど。とにかくあいつにとってはほんと、全部が『生まれて初めて』で出来てるからね。僕らだって前の主の影響が強いけど、それ以前の経験があるかないかは大きいと思うよ」
    「確かに最初の頃はちょっと大人しかったかも。まあ、『和泉守』さん自身が会津で自分も銃持って戦っちゃうような人だったらしいし? 今の兼定があーいう性格に育つのも親から継いだ素質アリって気もするけどね」
     川の下の子河原の子、と続けながら加州が苦笑する。
    「土方さんのことが好きで憧れたのも真似をしたのも解るんだ。意識しなくても影響されたことだってきっと沢山ある。でもそうやって出来上がったのが『兼さん』なのに、今のあの子は大人しいばっかりで何だか落ち着かなくって」
    「……何か答えたら副長が消えちゃう気がしてるのかな」
    「まあ、そりゃ突然こうなったんだし、突然終わるって思うのも無理ないっていうか。実際俺たち土方さんが「帰る」条件未だに解んないしね」
    「兼さんは、解ってるのかな」
    「どうだろう…… それこそ聞いてみないとさっぱりだよ。堀川くんが解んないんじゃ僕らは完全にお手上げ」

     例え幽霊でも会いたいって気持ちを全然否定できないから困るんだよねえ、と堀川は言葉以上に困った表情で笑った。

     解るよ、と答えた声が重なったのが可笑しくて、少し三人で笑った。



    「しっかしお前さん大人しいねえ。あいつらと仲良いんだろうに。何も喋らねえの心配されてるぞ。国広なんざやっと再会したんじゃねえのか」
     目の前にかつての愛刀の付喪神だという青年を座らせてその碧い目を覗き込む。
    「……貴方がいる時は、特別なので」
    「お、やっと口開いたな? ……世話かけてるな」
    「貴方になら何でも」
     もう今更でしょう、と我が身を守った、形見に残した刀が笑う。
    「可愛い奴だよ、お前は」
    「たった一人を得たら、それでもう充分なんです。貴方がすべてです」

     すぐそこに再び三度の別れがあると知っていて、次の約束もなければしてやることも出来ない。耳障りの良い偽の愛の言葉と金で遊女を騙す男より、よほど不確かで不実な存在だというのに、こうまで熱烈に慕われてはもう無理だ。

    「これが算段でなけりゃ、手段でもねえのがお前さんの真に恐ろしいところだな、兼」
     本当にただただ一つきりの本心と真心を伝えているだけなのだと、今はしっかりと視線が絡み合うからこそ解ってしまう。仮にも神だという彼らが無駄な嘘を吐くとも思えなかったし、自分でもどうやって訪れたのか、どうやって在るべき場所へ戻っていくのかも解りはしないこの不可思議な現象の中、確かなことと言えば己が愛刀というたった一つの称号をただただ大切に抱いて存在するモノの想いだけだ。
     触れれば目を細めて甘受する、それが嬉しくて仕方が無いと全身で訴えてくる不自由なイノチに感じるのはただ一つだ。

     いとおしい、とそれだけを感じる。

     もう生きていない。人間ではない。多摩のバラガキでも、農家の十男坊でも、甥を構う叔父でもない。
     武士になりたくて、身分が不満で、己の刀が欲しかった力任せの若造でもなければ、悪餓鬼の己なぞよりよほど豪快で、それが過ぎて頭を抱えさせらえた男に驚いた頃でも、義理の兄とも慕った人の右腕でもない。
     ……組織の暗部さえも掌握し、時にはそれを主導し、それによって恨まれ、後々この人が己の一生だと決めた大将の尊厳が穢される遠因になることもない。何かと巫山戯た言い合いをして、けれど現実には末っ子である自分が弟のように思っていた、誰よりその腕を頼りに思っていた若者が病に苦しむ姿を見ていることしかできない無力を味わうこともない。

     それらすべては過去のことで、それがあって今がある、生きた者も死んだ者も、皆が等しく通り過ぎてもう「終わったこと」だ。

     けれど目の前には終わったことから生まれたイノチがある。
     生きていると感じれば、かつて生きていたことを鮮明に覚えている自分は親しみを覚える。
     おまけに生涯愛した刀の付喪神だという。
     己が愛したからこの姿を得た。愛して貰えたから姿を得て、目が開き見えるようになり、耳が通り聞こえるようになり、口が開いて声を発せるようになったのだと。

     こころを育てて貰ったのだという。

     勝手に求めて使い潰して、勝手に死んでしまったのに、手放してしまったのに、それでも尚、真っ直ぐに向けられる感情が無垢過ぎて涙が出そうだ。
     何も望まないその理由がどういうものか詳しいことは知らない。きっと、相手も同じだ。

     ただこれが最後かも知れない。夢のように『日常』へ戻ったら来年はもう無いかも知れない。
     多分恐れているとすればそれだけだ。何かを変えたせいで終わってしまうくらいなら、こうして僅かの間顔を見られるだけで良い。何もしなくても終わりが来たとしても、それは当然だからそれでいい。そんな複雑で切ない想いまで伝わってくる。

    「人間様ってのは、つくづく勝手で始末に負えねえなあ、兼」
    「……でも、人が作ってくれなければオレ達道具は存在しません。使って貰えなきゃ、そのまま朽ちるだけで、何も成せない」
    「それが人殺しでもか」
     不思議そうに兼定が首を傾げた。
    「儀礼刀やご神体として生まれたならまずいかも知れません。でも『オレ』を打った頃の親父殿にそんな予定はなかっただろうし、貴方は自分が使う刀としてオレを望んでくれたんじゃ無いんですか? 人を斬るのも殺し合いだからお互い様ってやつだと思ってました」
    「っはは! さすがは実戦刀だ、お前さん、そういうところは間違いなく『武器』だねえ」
    「だめ、でしたか」
    「いいや。俺が望むとおりの良い刀だって惚れ直したところだよ」
     もじ、と生娘のように恥じらう姿さえいとおしい。

     人は人の姿をした者には親しみを抱きやすく出来ているのだと、ここで暇つぶしに読んだ書物に書いてあった。確かにその通りだと思う。異形と似た姿のどちらに警戒を抱くかなんて考えるまでもない。
     その一方、あまりにも人間に近すぎる人間ではないものには神性や畏怖、時には不気味と恐怖を感じるのだともいう。それは、似ているのに決定的に違う、その差が受け入れがたいからだと。

     では今感じるこの感情は何だ。そもそも死人だ、死人の感情などすべてが紛いか幻想か。
     いや、全部言い訳だ。これからしようとしていることへの、誰にかも解らない自己弁護と正当化。
     ただの口実だ。
     死してなお理由がなければ動けない男か、と思うと己の小ささを今更思い知るような気になる。

     あれこれ褒めてくれた後の、今自分と同じく鬼籍に属する人々は失望するか?
     『向こう』でうっかりすれ違った時には思っていたのと違ったと大いに笑ってくれて構わない。
     そんなもんだ、人間なんて、そんなものだ、自分は。ただ、大切だと思ったものの為に何かしたかった。どこにでもいる、そんな人間の一人だったのだ。

     兼定

     意識して殊更優しく呼べば、それだけで綻ぶ花をいとおしいと思わない男がいるか。否、これはもう男とか女とか、それすらどうでも良くなっている。
     そもそも、自分が好まなかったと言うだけで、世間様は結構勝手に自由に愛し合っていた時代の人間だ。本当に今更だ。

     自分にも人並みに想い合った上で情を交わしたひとがいたことも覚えている。
     その女性を口説いた時でさえ、こんなにも心を意識していただろうか。
     心の塊みたいな相手を前に、何も格好付ける必要もねえだろう、と開き直ってまた名を呼ぶ。

     震える長い睫が影を落とす、その色気さえちぐはぐな愛すべき存在の頤に指を掛ければ、それはいけない、という一瞬の迷いが碧い目に広がった。
    「俺が望んでも?」

     ふにゃりと崩れたものが何だったのか、それは明日にでも聞こう。聞くことが、出来たら、だが。

     夜は二人の時間、と誰も近づけないようにしてくれている、総司の刀と己のもう一振りの愛刀の遠慮と配慮と『末っ子』への愛情に感謝する日がくるとは思わなかった。

     触れた唇が柔らかいのがいっそ面白くて、何度触れられるかも解らない、いとおしい相手がせめて後悔しないようにと、出来る限り優しくしてやろうと思いながらその背中を掻き抱いた。



     今年も梅雨が来た。
     庭に紫陽花、宵は蛙の宴。そんな本丸はいつも通り賑やかに日々を送っている。

    「うっわ、すごい、本当にすごぉい」
     歓声が思った以上のものだったので、鶴丸国永は思わず笑った。相手が音に驚いて逃げる生き物で無くて、彼が彼らに好かれる存在で良かった。
    「はは、確かに見事だなあ」
    「和泉守、こんなとこいつ見つけたの?」
     待たされたことに少々ご立腹だった蛍丸が嬉しそうにしているのを見て、和泉守がほっと肩から力を抜いた。毎年『目覚め』た後に彼方此方へ延期になった約束の詫びに回ることには慣れたが、時期物ばかりはタイミング勝負。ごめんで済まないこともある。
     間に合ったようで何よりだ。
    「いつだったかねえ、散歩してて偶然。独り占めするにゃあんまり勿体ねえだろ? 蛍と言えば、って真っ先に思い出してさ。遅くなって悪かったな」
    「もう全然気にしてなーい、良い物見せて貰った、ありがと!」
     次に出陣一緒になったらいっぱい守ってあげるから大活躍してよね、と上機嫌な蛍丸に、大太刀の守りがありゃ百人力だな、と返せば見た目は間違いなく子供の全開の笑顔にこちらも癒やされるという物だ。

    「しかし、蛍の群舞とはねえ。これはまた…… きみは、此方とは縁遠そうなイメージがあったんだが、案外そうでもなさそうだな?」
    「……さぁて、そいつぁどうだかね。自分じゃ解らねえや」
    「ま、あまり深入りして戻ってこられないってのは止めてくれよ。きみは大事な仲間だ。――というのは当然として、何かあれば泣くか怒るかで大変な奴が多いからなあ」
    「何言ってんだ、そんなの皆同じだろ。あんただってそうだし、本丸の誰一人欠けて良い奴なんかいねえよ」
    「うん、きみのそういう健康なところは大いに結構だな!」
    「鶴丸がおじいちゃんっぽいこというの珍しいね」
     まるで衣を纏うように蛍を連れた蛍丸が面白そうに言った。
    「何を言う、俺だって立派な平安じじいなのに!」
    「……いや、そもそもオレらからしたら、本丸で爺さんじゃねえ奴探す方が難しいし、主から見りゃオレだって充分すぎる爺なんだよなあ……」
     そんなくだらない話をしていると、一匹の蛍が和泉守の肩の辺りを舞い、髪にふわりと留まった。
    「お、こいつは綺麗な髪飾り、色男だねえ」
     おどけた鶴丸の声に視界の端の淡い光を驚かせないように指へ移す。

     ふわり、ふわり、一定のようで不規則な美しい光がふと、何かを思い出させた。

    「良い休暇だったかい?」

     鶴丸の問いと視線が何かを含んでいることには気付いたが、この驚き好きの平安刀はそれでも決して相手が踏み込まれたくないことを暴くような性格ではない。
     それは多分、己自身が無理矢理暴かれた逸話を持っているからだ。見極めを知っている。

    「……ああ、良い休暇だった、と思う」

     笑って答えれば、それは何より、と白い刀が笑い、蛍を纏う刀もさっきまでのはしゃぎ方が嘘のように静かに笑った。

     これだから若造って言われんだな、と自覚しつつもそれに甘えてしまおう。
     暫く蛍の幻想的な舞いを楽しみながら思った。

     花盆がいつまで続くか解らない。
     今年が最後だったかも知れない。

     すっかり倣いになっていたように、今年もあの人は気付いたらいなくなっていて、日常が戻ってきた。それだけだ。けれど。

     来年、

     そう感じているのが自分だけでは無い証のように、左の薬指に残されていた噛み跡のことを覚えている。
     消えてしまうその証に唇を触れさせた時の、初めて味わう、胸が詰まるほどに満たされた気持ちを。

     来年の春、彼に会えたら、これが許されることかどうかも解らないけれど、また、会えたら……



     春来たりなば、愛遠からじ。
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