イツワリの星空六月下旬。
朝の一杯のコーヒーを飲みながら、向かいの席で寝巻きのままカフェオレの入ったカップに砂糖を入れて混ぜている弟——要の顔を盗み見る。
もうすぐ、要の誕生日。要が退院して、一緒に暮らし始めて一年近く。やっと一緒に過ごせる誕生日。今年は午前中の仕事しか入れていない。
夜は椎名がシナモンでお祝いをすればいいと提案してくれて、Crazy:Bのメンバーとシナモンで落ち合うことになっている。
要の誕生日でもありHiMERUの誕生日でもある。Crazy:Bが合同で誕生会をしようと提案してくれた。
せっかく仕事を空けたのだから一緒に過ごしたいと思い、手元のスマホの天気予報アプリを開く。まだ先だが大体の予報は出ている。遅めの梅雨の真っ只中。誕生日付近は雨の予報が続いていた。
アウトドアは念の為止めておこう。そう思ってスマホをテーブルに置き顔を上げると要と目が合った。
「仕事の連絡ですか?」
「ああ、いや、ちょっと天気を」
「今日は午後から雨みたいですよ。昨夜のニュースで言っていました」
ニュースといえば、先日プラネタリウムの七夕特別企画があるとテレビで言っていたのを思い出す。
半分寝転がりながら鑑賞出来るソファ席に、要が楽しそうだと目を輝かせていた。
(プラネタリウム…)
置いたばかりのスマホを手に取り、該当のプラネタリウムのホームページにアクセスして予約状況を確認する。
その施設は予約でいっぱいだったが、系列店の予約を見るとまだ席が空いていた。それも、そちらの方がアクセスしやすい。
「要。誕生日、プラネタリウム行かないか」
思った時には言葉が出ていた。屋内で、要の希望も叶えられる。誕生日の過ごし方の提案としては悪くないだろう。突然の提案に、要は目をぱちくりさせた。
「プラネタリウム…」
「この間テレビで見て行きたいって言ったろ。ほら、ソファで見るタイプの」
「えっ!行きたいです!!」
要は立ち上がりそうな勢いで身を乗り出し、目を輝かせた。即答してくれて良かったと安堵して肩を撫で下ろす。
「…予定、空いてるか?」
「夜はCrazy:Bの皆さんと一緒にシナモンですよね?それまでなら空いてますけど…」
「じゃあそうしよう。他の予定入れるなよ」
「はい!ふふ、楽しみですね、お兄ちゃん」
ルンルンと花を飛ばすように上機嫌になった要を目の端に置いて、そのまま予約ページに進む。
予約完了の文字が、やけに輝いて見えた。
七月七日。
天気予報通り、一日中雨が降ったり止んだりを繰り返していた。空には雲がかかって、天の川はとても見えそうにない。
まあ、別に実際天の川が見れなくてもこれからプラネタリウムで見るのだから問題ない。
小さく傘に落ちる雨音を聞きながら足元にも気をつけて駅からプラネタリウムまでの道を歩く。
「…昔、星の降る夜に電話をしたの、覚えてますか?」
隣で傘を持つ要がふとそんなことを聞いてきた。昔、とはまだ電話でしか話をしていない頃だろうか。
要からの電話は夜のことが多かった。学校や仕事、レッスンが終わって一段落した時間帯。まずは仕事の報告。それが終わると今日あった色々なことや、他愛もない話が続いた。あまり覚えていないが、その中のひとつのことだろう。
「…?」
「…ふふ、いいです。ぼくが自己満足でかけた電話だったので、覚えていなくても。…玲明学園は辺鄙なところにあるので、夜になると星が綺麗に見えるのです。あの日は流星群が見えるかもしれないと巽先輩に連れられて、カタコンベで使っていた寝袋を持って空がよく見える場所で流れる星々を見ていました」
要からの電話で、巽と、時々漣も一緒に天体観測をしたという話は何度か聞いた。
それも、要が巽の仕事を請け負うようになってからは聞かなくなった。巽が入退院を繰り返していたからそんなことをする余裕もなかったんだろう。
「…夢みたいでした。流れ星が見えるのは数分に一回でしたけど、その度に願い事を心の中で呟きました。…星の光の美しさにきっと君にも同じものが見えていると思って、電話をかけました。君とも共有したかったんです。美しいものを」
要は見えもしない星を見るように傘をずらして空を見上げる。雨粒が頭にパタパタと当たって、要はすぐに傘を戻した。
「…今思えば、お兄ちゃんは海外にいたのですから、夜ではなかったかもしれないのに」
今日は満月が綺麗ですね、だとかこんな星座を見つけただとか。窓の外を見ても同じものが広がっている訳でもなく、夜が来てまた空を見ても、要が言った星々は見えず、月は欠けていた。
『お兄ちゃん、今日は流れ星がよく見えたのです!お兄ちゃんのところからも見えますか?ふたご座流星群というそうです。三大流星群と呼ばれているそうですよ。どうですかお兄ちゃん、ぼくは博識でしょう?』
『……ああ、そうだな。今日は晴れだからきっと星もよく見えるだろうな。——ああ、そういう話はフリートークの機会があれば話題にしてみてもいい。それより夜も更けてるが明日の収録の準備は出来てるのか?——』
仕事の報告以外の長話はいつものことで、大抵聞き流していた。
——遠い場所にいた。あまりに遠かったから、要の虚勢を張る声に安心して、大事なところを見逃していた。会って、顔を見なければいけなかった。もっと近くで、要の話を聞かなければいけなかったのだ。
「ぼくは、数ある願い事のひとつにお兄ちゃんに会えますようにって、願いました。思っていた出会いではなかったけど、ぼくは今、お兄ちゃんに会えて良かったと思っています」
そうこうしているうちにプラネタリウムの施設の入り口に着く。屋根の下に入ると傘を畳む。傘の下から現れた要の顔は、少しはにかんだ笑顔を見せていた。
「プラネタリウムと聞いて思い出してしまいました。ごめんなさい、またぼくばっかり話してしまいましたね」
「…いや、そんなこともあったなと思ってた。今日は生憎雨だけどな。また流星群の時期になったら見に行ってもいい。部屋からだと明るくてあまり見えないだろうから」
「本当ですか!わあ…絶対行きましょうね!今から楽しみなのです」
「…今日は偽りの星空で悪いな」
「いいえ。きみと同じ空が見上げられるなら、なんでも」
受付を済ませてプラネタリウムホールの中に入る。
指定されたソファ席に要は意気揚々と寝転んだ。まるで子どもがはしゃいでベッドに背中からダイブするみたいに。
「わあ…これで星空が見れるんですよね。でもなんだか寝てしまいそうなのです」
「別に寝ても構わないが…」
「ふふ、大丈夫です。ちゃんと聞きます。ほら、お兄ちゃんも隣にどうぞ」
大人の男二人だと肩が触れ合うくらい若干狭く感じたが、要なのだから特に気に留めない。
そのうち上映が始まると、視界いっぱいに星空が広がる。隣の要が息を呑む気配がした。
『プラネタリウムへようこそ。最近、空を見上げたことはありますか?ーー』
内容は七夕にちなんで、天の川と夏の大三角形の話、それから夏の星座の話。
このあたりはHiMERUの誕生日が七夕なこともあって話のネタとして頭に入れている。目新しい話でもないため要が言っていたように音楽も相まってつい寝てしまいそうになる。
終盤、微かに触れる肩が身じろぎしたかと思うと、要にトントンと肩を指でつつかれた。
「…お兄ちゃん」
囁き声で呟かれた尊い響き。世界でたった一人、俺しか受け取ることの出来ないその言葉に顔を向けると、肩口にすり、と頬を寄せられる。
「…これからも、ぼくの側にいてくださいね」
暗がりでよく見えないが、要の目は少し潤んでいるような気がした。
時々、寝ている時に同じ布団に潜り込んでくることがある。理由は言わないことがほとんどだが、それで安心して眠れるならと放っておく。これもきっとその類だろう。この上映のどこにこうなった理由があるかは分からないが。
「…いるよ。いるから、心配しなくていい」
その言葉に安心したように、要はまた天井のスクリーンを見上げた。
——病室以外で初めてまともに過ごす誕生日。瞳に反射する光。その横顔が尊くて、焼き付けておかなければいけないと思った。
「とっても楽しかったです!お兄ちゃん、ありがとうございました!」
プラネタリウムを出ると雨が上がっていた。本当に不安定な天気だ。今日はこのままESビルのシナモンへ向かう。
「いや、お前が喜んでくれたなら良かった」
「…夏の大三角形のお話は、昔巽先輩にも聞いたことがあります。その時はさざなみもいましたね。タコ部屋にいた頃の話です。少し、思い出してしまって」
要が玲明の昔話をする時は、タコ部屋にいた頃の話が多い。非特待生となり苦境の中にいたはずなのに、巽が、漣が、余程良くしてくれていたんだろう。
ESビルの近くまで来ると日が暮れていた。湿度を纏った空気は少し冷えて、時折吹く風が心地良い。
「あ!」
要がショーウィンドウの一角に何かを見つけて指をさす。
HiMERUがプロモーションを担当したアクセサリーの広告だ。ポスターとデジタルサイネージが並んでいる。
「お兄ちゃん、見つけちゃいました」
「アクセサリーのプロモーションだよ。そういえばそろそろ掲出が始まるって話だったな…」
サイネージで流れているPVを要は食い入るように見ていた。
そういえば、これも星や宇宙がテーマだった。衣装や装飾もあまり現実味がないような、SFの世界に近かった。
PVが一周すると、要はぽつりと言葉を溢し始めた。
「今、HiMERUというアイドルがこうして沢山の人に見てもらえているのは、お兄ちゃんのおかげです。…ぼくという星が落ちてしまった時、お兄ちゃんはぼくという星の欠片を拾ってくれました。今にも燃え尽きそうな欠片だったでしょう。でもそれをHiMERUという星にして、また輝かせてくれました」
抽象的な表現は、プラネタリウムを見たからだろうか。それとも、星の光を体に宿そうとする、このPVのせいか。
「…この広い空のどこかで、お母さんがこの輝きを見つけてくれていたら、嬉しいのですけど」
曇天だった空は、雲間から少しだけ紺色の宙を覗かせている。ビルの灯りもあって、星までは見えないが。
「…ぼくを、HiMERUを、ぼくの夢を繋いでくれて、ありがとうございます。お兄ちゃん」
要はそっと俺の両手を握った。夏だというのに、その手は俺より冷たい。
「…俺こそ、お前から受け取ったものでここにいる。…俺に星の輝きを見せてくれたのは、お前だよ」
何者でもなかった自分に、居場所を、人生を、夢を得る機会をくれた。
お前がいなかったら、俺は今頃何をしていただろう。相変わらず空虚のまま、必要のまま顔を変えて。星の輝きさえ気にする暇があっただろうか。
「…生まれてきてくれて、ありがとう。改めて誕生日おめでとう、要」
片手を解いて、要の頭をくしゃくしゃと撫でると、要は照れ臭そうに笑った。
「へへ、ありがとうございます。今日はHiMERUの誕生日でもあるのです。だから二人揃って祝われに行きましょう。しいなが美味しいケーキを作っているんですよね?」
「ケーキも、ご飯もな」
「楽しみなのです!お兄ちゃん、早く行きましょう!」
「急がなくても椎名もケーキも逃げないから。転ぶなよ」
「でもしいなは時々不機嫌そうなお兄ちゃんを見ると逃げ腰なのです!」
「…今日は別に不機嫌じゃない」
そのまま片手を握られ、早く早くとシナモンまでの道を急かされる。
…そうだ。いつもこの背中を思い浮かべていた。いつも、要の姿が俺の北極星だった。
揺らぐことのない指針。迷った時も、お前という星がいたから、ここまで来れた。
俺の、一等星。大事な大事な、世界でひとつだけの、はじまりの星。
あとがき
HiMERU、誕生日おめでとう!
玲明時代の時系列詳細が不明なのでなんとなくのイメージで書いています。
今回のイメージはハ〇ルの動く城のカル…とハ〇ルみたいな、そんなイメージです。わかる人はわかってください…
マトリックスの天城兄弟が良かったので、ここの兄弟もお互いが一番だといいなあと思って書きました。