青春ごっこ【ひめあん】諸々手続きの関係で秀越学園に寄った帰り道。
書類の提出のためだけに制服に着替える気怠さとジャケットの重さに辟易する。
要がネクタイをきちんとしない性格で良かったと、首元の風通しの良さに今だけは感謝した。
星奏館へ向かう道すがら、向かいから歩いてくる空色の制服の女子生徒に目が留まる。
あれは夢ノ咲学園の制服だと気付くと同時に、見覚えのある顔に思わず足を止めた。
「あんずさん?」
「あれ?HiMERUくん…?」
やはりそうだ。見慣れない制服姿だとしても恋人のことは見間違うはずがない。
あんずも同じく制服姿が見慣れないのか、少し戸惑ったように目線を向けた。
「今日、学校だった?」
「ええ。今から帰るところで…ところであんずさんも今日は学校だったようですね」
「うん、そうなの。時間があるから一回帰ってからHiMERUくんのところ行こうかなって思ってたんだけど…」
明日はお互いオフのため、今夜は借りているマンションに泊まる予定になっていたが、あんずが来ると言っていた時間にはまだ数時間余裕がある。
「HiMERUくんはこのあとの予定何かある?」
「いいえ。あんずさんが来てくださるのを心躍らせて待つくらいですよ」
そう言うとあんずはかあっと頬を染めたあと、何か思いついたようにぐっと両手で拳を作り目を輝かせた。
「…っじゃ、じゃあ、このままデートしない…!?」
「…デート、ですか?」
明日も一緒に出かける予定にしていたため、その提案には少し拍子抜けした。
けれどデートという恋人特有の響きに心が躍る。
「せ、制服だと目立っちゃって嫌、かな?」
「…いいえ。どうせこのあたりは学生アイドルが多いですから大丈夫でしょう。ぜひお願いします。何か言われたら撮影だとか、仕事だとか、言い訳はなんとでもなりますので」
そう答えるとあんずの下がっていた眉尻が再び上がった。彼女の花が咲いたような笑顔が好きだ。
その笑顔を見るとどんなに気分が沈んでいても口角が上がってしまう。
「…ところで、HiMERUはまともに校外で放課後を過ごしたことがないので、どこに行くかはあんずさんにお任せします」
「えっ!…う、うん、わかった」
それじゃあこっち、と歩き出したあんずの隣に並ぶ。
制服でなければ手を繋いでいるところだ。空いている手をしばらく見つめてからぐっと拳を握った。
「せ、せっかくだから一回制服でデートしてみたいなって思ってたの。ほら、HiMERUくんって滅多に制服着ないでしょ?無理強いするのも嫌だったし…せっかくの機会だったから」
「…そうですね。制服姿のあんずさんを見る機会もなかなかないので、HiMERUも嬉しいですよ」
「学校違うと制服で会うこと少ないよね。いつも制服着てるならまだしも…」
ESが出来るまでは彼女も毎日のように制服を着ていたことだろう。夢ノ咲の学友はむしろスーツ姿のあんずを見ることの方が珍しいのかもしれない。
そんなことを考えていると繁華街に到着した。
あんずが足を止めたのはガヤガヤと音が鳴り響くゲームセンターの前だ。
「HiMERUくんはゲーセン来たことある?」
「天城の気まぐれで付き合わされたことはありますね。実際自分でやったことはないですが…お陰様でコツは心得ました」
何かの仕事の空き時間、天城が運試しとゲームセンターに立ち寄った時に引っ張り込まれ、耳を塞ぎたくなるような騒音の中、平然とクレーンゲームをやり始めたことに溜息を溢したが案外すんなりと景品を獲得する様子に見入ってしまったことを思い出す。
運試しと言っていたが要はバランスを上手く取って持ち上げればいいだけのことだ。
存外簡単に遊べるものなのだとその時は思っていた。
「そうなの?私クレーンゲームとか苦手で…そういえば前に天城さんにぬいぐるみを取ってもらって」
「…天城に?」
「え?あっ、専用衣装の相談の時に!ゲーセンに行こうって話になって…!」
天城とゲームセンターに行った話など聞いたことがないと、思わず眉根を寄せてしまう。
聞けばまだ付き合ってもいない頃の話でほっとした。
それでも、天城が恋人に何かをプレゼントした事実に苛立ちが募る。
「……どのくらいの大きさのぬいぐるみなのですか?」
「えっと…手のひらよりちょっと大きいくらいの、くまのぬいぐるみで…」
「あんずさん。それより大きいものをHiMERUが取ってみせましょう」
「え?えっ?い、いいの?」
気付いたら大口を叩いていた。
あのヘラヘラしたギャンブル野郎よりHiMERUの方が優れているに決まっている。
理論で物事を解決するのは得意だ。クレーンゲームも大切なのは運ではなく技術。コツさえ分かっていればすぐ取ることは出来るだろう。
「ええ、もちろんです。こういったものは理論でなんとでもなるのですよ。まあ見ていてください。どれがいいですか?」
あんずが最初に指定したぬいぐるみの隣、同じキャラクターだがそれより一回り大きいうさぎのぬいぐるみに狙いを定める。
なぜか少し不安そうなあんずを横目に、不敵に笑ってみせた。
ーー数分後。
「…楽しそうですね」
「…うん、楽しい」
「……失敗し続けているのに」
辟易している自分の横でにこりと笑顔を溢す彼女が少し恨めしくなってきた。
あと少しで取れそうなのに、あと少しから行ったり来たりを繰り返している。
天城があんなにスッと取れていたのはなんだったのか。機械の設定がおかしいのではないかと思ったが、あんずの話では天城は設定が甘いと言っていたと聞いて尚腹が立った。
「え!?ち、違うよ!?HiMERUくんが取れなくて笑ってるとかじゃなくて…!…こういうのって、なんだかいいなあって、思っただけで。もうすぐ学生生活も終わっちゃうから」
「……」
彼女の言う『こういうの』は、普通のデートと何が違うのだろう。ただ制服を着ているというだけで、期間限定のもう戻ることは出来ない時間を噛み締めているのだろうか。
少し切なげな表情を浮かべるあんずに諦めかけていた心にまた火が灯る。
財布の中の小銭を投入して、再度挑戦する。
「あっ、あんまり無理しなくて大丈夫だからね…!?」
「あんずさんは気にしないでください。HiMERUが満足していないだけですので」
「………HiMERUくんもギャンブラーの素質、あるかもね?」
「それだけはあり得ません」
あんずの言葉に被せるように強めに否定するのと同時にボタンを押す。
頭に浮かんだ赤髪のギャンブラーと一緒にしないでもらいたい。ギリ、と奥歯を噛んだ時、クレーンゲームのアームががっしりとぬいぐるみを持ち上げた。
「「あ」」
.
「HiMERUくん、ありがとう」
「え、ええ、まあ。思っていたより時間がかかってしまいましたがHiMERUにかかればこのくらい…」
「ふふ、うれしい」
抱えなければ持ち歩けない大きさのぬいぐるみを両手で抱き抱え、嬉しそうに笑うあんずの隣で笑顔を取り繕う。
本当はこれの三分の一の時間で獲得する予定だった。まあ、彼女が満足そうなので今回はいいことにする。
それにしても、そんなにこのぬいぐるみが取れたことが嬉しかったのだろうか。愛おしそうに抱き抱えるそれに少し嫉妬を覚える。
「…そんなもので良ければ、いくらでも買ってさしあげますよ」
あんずははたと顔を上げてこちらを見て、ふるふると首を振り不意に足を止めた。
「違うの。たしかにこれに似たようなものはすぐ買えるかもしれないけど…HiMERUくんが頑張って取ってくれたことが嬉しいの。それに、思い出になったから」
ぬいぐるみを抱きしめるその表情は敏腕プロデューサーのそれではなく、ただ等身大の女子高生で。
嬉しそうに目を細める姿に、自分も仕事だと言い訳出来ないような顔になっていないだろうかと口元に手をやって目を逸らした。
「あ、あのっ、良かったら写真撮らない…?制服でデートなんて、滅多にしないと思うから…」
滅多にしない、というよりする機会がないと言った方が正しい。
お互いもうすぐ卒業する上に、自分は滅多に制服を着ることがない。むしろあとは卒業式に着ていくくらいだろう。
「ええ、もちろん」
ぬいぐるみも一緒に画面内に収まるようにして撮ったものの、肝心のあんずの制服が隠れている。
「…あんずさん。少しだけぬいぐるみを動かせますか」
「え?」
「…せっかくの制服デートなのに、制服が見えないでしょう」
「そ、そっか…!こんな感じでどう?」
「ええ。それでは撮りますね」
数回シャッターを切って撮れた写真を確認する。
「こんな感じでどうでしょうか。あとで共有しますね」
「…うん、ありがとう。全部、大切にするね」
ああ、本当に。
そんな顔で笑うのは、ずるい。
気付いたらあんずの手を引いて近くの薄暗い路地へ入っていた。
どうしたの、という言葉を言い終わる前に肩を掴んで強引にキスをする。
「んん…っ!?」
相変わらず彼女が抱えているぬいぐるみのせいで身を寄せられないのがもどかしい。
舌を差し入れるとびくりと肩が震えた。そのうち応えるように舌を絡めてきたことにほっとする。
あまりやりすぎると誰かに見つかる可能性もある。理性が無くなる前にそっと唇を離した。
「び、びっくりした…!突然どうしたの…!」
あんずに抱きしめられているうさぎのぬいぐるみは、強く抱きしめられているせいで少しだけ苦しそうに顔のフォルムを歪めていた。
「……帰ったら、ぬいぐるみだけじゃなくHiMERUにもそうしてください」
「え?」
「……あまりにもあんずさんが嬉しそうに抱きしめるので、やきもちを焼いてしまいました」
「え、あ、だって、しょうがないでしょ…!?」
顔を赤くしたあんずの反論を聞く前に、再び手を引いて路地裏を出て歩き出す。
表通りに出たところで手を離した。このまま繋いでいたいのは山々だったがさすがに見られるとマズい。
大きいぬいぐるみを抱えていると買い物もしづらいだろうと今日は一旦帰ることにした。
帰りましょうか、と後ろを歩くあんずを振り返ると、つい、とジャケットの袖を掴まれた。
「…これも、ダメ、かな」
気恥ずかしそうに目を逸らすあんずが可愛らしくて思わずふっと笑う。
「…構いませんよ」
まだ冷たい風が頬を撫でていく。
この風が暖かくなる頃には、この制服を着ることもなくなっているだろう。
最後の最後に学生時の思い出としては充分な経験をさせてもらった気がする。
ユニットメンバーに嘲笑されて着るのが乗り気がしなかった制服も、彼女と一緒なら悪くないものに思えた。
『HiMERUくんが頑張って取ってくれたことが嬉しいの。それに、思い出になったから』
数分前の彼女の言葉を反芻する。
…ああ、確かに。青春ごっこも悪くない。
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