友達以上はダメですか【ジュン要】退院して、もう4ヶ月が経った。まだ通院はしているけれど、街に出かけたりも出来るようになったのです。
今日はさざなみが美味しいケーキ屋さんのケーキを持って遊びにきてくれました。ちなみにお兄ちゃんは仕事です。
さざなみは、入院している時から足繁くお見舞いに来てくれて、こうやって退院してからもあまり外に出られないぼくに合わせて家に遊びに来てくれます。お兄ちゃんはあまりいい顔をしませんが。
さざなみはぼくの過去を知る人なのに、あの忌まわしい玲明学園の生徒なのに、一緒にいると心が穏やかになるのです。特待生でもそうでなかった時も、変わらず接してくれて。入院中も今も、さざなみの接し方は変わらないのです。
ぼくを、何者でもないぼくを見てくれているんだと、ぼくとお兄ちゃんとよく似た瞳の色を見て思うのです。
だから、ここ最近芽生えたこの感情を、胸の苦しさを、頬に集まる熱を、どうしたらいいのかわからなくて困ってしまって。
この気持ちを伝えたら、何か変わってしまうんじゃないかって。真っ直ぐぼくを見てくれる瞳が、もうぼくを見てくれなくなるんじゃないかって。
さざなみが持ってきてくれた漫画(これも借り物らしい)を読みながら、ちらりとさざなみの横顔を盗み見る。
さざなみは、ぼくのことをどう思っているのだろう。普段ならさらりと聞いてしまえるのに、その答えを聞くことがこんなにも怖い。
きっと、友達だと言ってくれるんでしょうね。はじめての、ぼくの友達。
それだけで充分なのです。それだけで、充分だったのです。今までは。
「あの、さ、さざなみ」
「ん?」
顔を見て話すことができなくて、内容の入ってこない漫画の紙面に顔を落としながらぽつりと名前を呼んだ。
やっぱり聞くのをやめよう、という気持ちと今聞かないとまたもやもやしたまま日々を過ごすことになるのだから、話しかけた勢いで聞いてしまえと、相反する感情が一瞬のうちに何度も頭の中を駆け巡る。
「どうした?」
何か言いたそうにしているのがわかっているのか、さざなみはぼくが言葉を発するのを待ってくれている。
怖い。また、大切なものがこの手からこぼれ落ちていってしまうかもしれないと思うと、二の句を告げなくなる。
どうしよう、と目を彷徨わせているうちに、バチッとさざなみと目が合った。
(あ…)
今日も、真っ直ぐにぼくを見つめてくれるシトロンの瞳。
持っていた漫画を置いて、ぐっと拳を握る。さざなみなら、きっと。ただ真っ直ぐに、ぼくの言葉を聞いてくれる。どんな答えが返って来てもいい。
「…さざなみは、ぼくの、友達…ですよね」
「まあ…そうなんじゃねーの」
「…引っかかる言い方なのです」
覚悟を決めたはずなのに、口から出た言葉は少し震えていた。さざなみの返答も妙にキレが悪く、手で頭を掻く仕草をしている。
「…友達、だよ」
「……そう、ですよね」
想像通りの答え。これでいい。さざなみとは友達なのです。それ以上でも、それ以下でもないのでしょう。きっと。
短い応答だったけれど、これ以上聞くことはない。また漫画に手を伸ばそうとして、気付いた時にはさざなみの手が顔に触れていた。
「うひゃい!?」
両方のほっぺをつねられている。こんな美男子の頬をつねるなんてありえないのです。
「だから何なんだよ、言いたいことがあるなら言えっての。らしくなくウジウジすんな」
「…っさ、さざなみのくせに…生意気なのです…っ」
ぼくがこんなに頭を悩ませているのに。誰のせいでこんなに苦しくて、頬までつねられて痛い思いをしていると思っているのですか。
次第に悔しいという感情まで湧き上がってきて、じんわりと目頭が熱くなってくる。気づくとさざなみの手に涙を落としていた。
さざなみはぎょっとして手を離し、おろおろとしている。
「オ、オイ、泣くほど…?」
「さざなみが鈍感なのが悪いのです!ぼくは…ぼくはさざなみが…っ」
言葉を口にするとまた涙が止まらなくなって、手の甲でぐしぐしと涙を拭う。また泣き虫だと言われるだろうか。泣き虫ではないのです。泣かせるさざなみが悪いのです。
手であまり前が見えなかったところに、ふっとまた影ができた。ふわりとさざなみの匂いがして、抱きしめられていることに気づく。
「…さざ、なみ…?」
「確かに、俺は鈍感なとこあるけど。アンタの言いたいことくらいわかる。…ってか、そうだったらいいなっていう、願望」
「……どういうことですか?」
さざなみの言葉を脳内で反復しても理解できない。さざなみの言うことはいつも意味不明です。
「俺がアンタをこうやって抱きしめてる理由なんか、ひとつしかないだろ」
「!」
「泣いてる顔は見たくないし、泣かせたなら涙を拭ってやりたい。笑っててほしい。…アンタが言わないなら、俺が言う」
待って。待ってください。それはきっと、ぼくが言おうとしていることのはずなのです。
ぐいっと胸板を押し退けさざなみの顔を見ると、頬が赤い。どくんと心臓が脈打つ。
ああ、きっと、さざなみも同じ気持ちなのだ。
「好きだ」
「好き……です…」
同時に発せられた言葉に二人とも顔を見合わせてしばらく黙ってしまう。
「…なんで被せてくんだよ」
「さざなみに先に言われるのは癪だからなのです」
「なんだよそれ…」
いつもの呆れたような顔に、段々と冷静になってくる。
「ちょ、ちょっと待ってください、さざなみはぼくのこと友達だと思っているんじゃなかったのですか?」
「…友達から抜け出したい友達、な」
なんだ、ぼくと一緒だったのかと安心すると体の力が抜けて、またさざなみの肩に頭を預ける。
「…かわいいことすんな」
「ぼくは何をしてもかわいいので仕方ないのです」
一緒だった。さざなみの、気持ちも。また目の奥が熱くなって、目元をさざなみの服に押し付ける。
「…泣くなよ。…ってか俺の服濡らすな」
「嬉し涙なのです」
「鼻水はつけんなよ!?」
ズッと鼻を啜ったけれど、涙と一緒に出てくるものはどうしようもない。
顔を上げるとやっぱり服から鼻水が糸を引いて、さざなみが怒りながらティッシュを鼻に押し付けてきた。文句を言いながらティッシュで服を拭いているさざなみに「すみません」と言うとぶっきらぼうに「いいよ、別に」と返事が返って来た。
「…さざなみ」
「ん」
「ずっと、そばにいてくれて、ありがとうございます。さざなみにはこれからも、ぼくの隣にいる権利をあげます」
「そこ上からなのかよ。鼻水垂らさないようになってから命令してくださいねえ?」
ニッと悪い顔をするさざなみの表情も、本当は嫌いじゃないのです。
だから今は、ちょっとだけ下手に出てあげます。
「……そばに、いてください」
好きです、さざなみ。友達でも良いから、ずっとそばにいてほしい。折れることなく、真っ直ぐぼくに届く光。その羽撃き。美しすぎて、たまに目が眩みそうになるのです。
「…当たり前だろ」
すっと頬に手が触れたかと思うと。さざなみの顔がすぐ近くにあって心臓が跳ねた。
「…さ、」
さざなみ、と言おうとした言葉は触れた唇に塞がれた。触れるだけのキス。そう、キスだ。
それを理解した途端ボッと顔が熱くなる。
「ファ、ファーストキスなのです!!!?」
「そーですか。…悪かったですね奪っちまって」
さざなみはそう言うともう一度キスをする。まだ頭が混乱しているのにもう一度するなんて、さざなみはやっぱり意地悪なのです。
でも、きっとさざなみなら何回されても嫌じゃない。触れた唇から、じんわりと胸に広がる暖かい何か。さざなみを思う時はいつも暖かくなって、でもきゅっと胸が締め付けられる感覚もあって。
どうしていいかわからなくて戸惑っていると、さらりと髪を指に絡めて頭を撫でられる。
「ただの友達じゃなくなったけどさ。変な緊張しないで今まで通り接してくれよ」
「…全然今まで通りの接し方ではないのですが…?」
「こ、これはこれとして、だよ」
さざなみはぱっと手を離すと背中を向けた。どうやら手で顔を隠しているらしい。
「……照れているのですか?」
「あ〜〜もう誰のせいだと思ってんだよ…」
そんなさざなみの背中に、頭の上からばっと抱きついた。驚いた声と静止の声と。いつものうるさいさざなみの声を聞きながら、この暖かい気持ちに浸る。
何かに縋らないと、生きていけないのです。
心にぽっかりと空いた穴。ずっと埋まらなかったその穴の隙間を、少しずつさざなみに埋められて。
今ではこんなにいっぱいで、穴が空いていた時よりも胸が苦しいのです。
さざなみ。さざなみ。
胸が躍る、きみの名前。
真っ直ぐな瞳は、今度こそぼくを一人にしないと信じられたから。