交差する夕暮れクロード不在で話が進む主クロの主人公くんちゃんとガルム
改札の中も外も、ひとでごった返していた。会社や学校からの帰り道らしく、スーツや制服姿で足早に通り抜けていく人が多いけれど、おめかししている人もいれば普段着っぽい人もいる。壁際で立ち止まって熱心に端末を覗き込んでいる人や、待ち合わせの相手を見つけて嬉しそうに駆け寄っていく人もいて、ざわざわした駅の構内は活気にあふれていた。
気付けば足が向いていたのはどう考えても闘技場の方向で、無意識での行動に我ながら笑ってしまう。でも今日はクロードのところに行くわけじゃないよと、体の向きを大きく変えた。
街から駅へ入ってくる人と改札から吐き出されてきた人とで、波が交差する。ワンピース姿の子どもの鬼と恰幅のいい犬獣人のあいだをうまくすり抜けながら、夕暮れの街へと踏み出した。
闘技場の辺りならともかく、今から行こうとしているエリアはこれまでほとんど縁がなかった。端末を握りしめ、立ち止まっては地図アプリを確認しつつ細い路地をひとりで歩く。コンビニの角で左に曲がり、チェーンの牛丼屋を通り過ぎて右に折れた。
「いたっ! ご主人様っ!」
背中越し、大きな声がわんと響いた。振り向けばガルムが息を弾ませて立っている。こんな風に、殺風景な雑居ビルを背景にして顔を合わせるのは新鮮だった。
「ガルム! こんな所でどうしたの?」
「これ、渡す、言われた!」
ひと息に言い切ると、背中に隠すようにして持っていたものを勢いよく披露する。
「……薔薇」
視界の真ん中、鮮やかな緋色が一輪揺れていた。
透明なフィルムと薄い色紙で包まれ、きれいなリボンまでかけてある。素人仕事じゃなくて、どこかのお店で丁寧に作ってもらった贈り物なのに違いなかった。
「誰から?」
受け取って尋ねながら、でもすでに答えは分かっていた。存在感もたっぷりに堂々と咲き誇る薔薇、ベルベットのマントを思わせる深紅。
幾重にも重なった花びらはしっとりとやわらかそうだった。顔を寄せると独特の香りがする。生の草花特有の、ひそやかでつめたい香り。そこに花の甘さが重なって、鼻の奥にいつまでも残った。
「今日こっちに来ること、誰にも伝えてなかったはずだけど……」
ガルムは金色の瞳をぴかぴかさせながら、にっと笑う。
「クロード、なんでも、オミオトシ。……おみ、ととし?」
「お見通し、ね」
「そう! それ!」
怪訝な顔をして首を傾げていたガルムは、にっこり笑って頷いた。ありがとうと言って、薔薇を差し出してくれた手の甲や腕をわしわしと撫でる。ボリュームのあるしっぽが大きく跳ねた。
牙も鋭く、服装に頓着しないガルムは見た目こそ怖いけれど、こうして笑顔を浮かべるととびきりチャーミングになるのを知っている。口角が思いきり上がって、目も満足気に細くなる。撫で続けているせいでくすぐったいのか、くふふ、と小さな笑い声がこぼれた。
「どうしてガルムが持ってきてくれたの?」
「ガルム、鼻も目もいい。ご主人様、見逃さない」
「なるほどね。ご指名だったわけだ」
誇らしげな表情をして、ガルムは大きく頷く。こんな細い路地でも、難なく辿ってやってきたというのはさすがだった。
駅にあんなに人がいれば、自分のことをただの学校帰りの高校生じゃなく、新宿のギルドマスターとして認識した人もいくらかはいたということだろう。そして他愛もない報告が、きっと闘技場をホームにしている誰かか、スノウさんのところに届けられたに違いない。
「さすが、池袋ギルドは強いね」
張り巡らされたネットワーク、密な連携。一瞬のひらめきを即座に叶えてくれる人が控えている安心感、すぐさま飛び出してくれる人がいる頼もしさ。
誇り高く胸を張り、口元をゆるませるクロードの姿が目に浮かぶ。
「今度、お礼しに行かなきゃ」
ぽつりとこぼした瞬間、ガルムの目の色が文字通り変わった。
「お礼? ご主人様、お礼、するの?」
「違う違う、そういう意味じゃないったら!」
慌てて首を振ってみせる。たぶんガルムの脳裏をよぎったのは、お礼参りとか、そういう物騒なニュアンスのお礼だ。
「ありがとうって言いに行くんだ。それと、何かプレゼントも」
まさか寂しがっていやしないとは思うけど、と付け足す。池袋に足を運んだからって、毎回クロードのもとに向かうわけじゃない。そんなことは当の本人も分かっているはずだった。
だけどそれと同時に、クロードは、塔のてっぺんで待ってくれているお姫様だから。贈り物を携えて会いに行くのはお約束だ。
「今日のところはひとまず、『大好き』って、伝えてね」
それからこれはガルムへのお礼、と言い添えると、親愛の気持ちを込めて軽いハグをする。「分かった、つたえる」と、くぐもった声が応えた。