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    オリジナル小説進捗!!!

    #オリジナル
    original
    #ホラー
    horror

    メルヒェン  序章


     伊波桜子は絶叫した。ほとんど同時に体から力が抜け、床にできた本の海に倒れ込む。
     反射的に本を蹴ってこの場から逃れようとしたが、足場が不安定なためにそれも叶わない。悲鳴をあげながら足元に目を向けた桜子は、直後に目が合った顔を見て更に叫んだ。
     ――その顔は、本の表紙に浮かんでいた。苦悶の表情を浮かべ、大口を開けている。
     よく見れば、床中にあるすべての本がそうだ。この空間の宙に浮かぶ本も、全容が見えない本棚にぎっしり収められた本も、おそらく。
    「――怖がっている場合じゃないですよ、桜子ちゃん」
     声を掛けられ、桜子は思わず振り返る。混乱する頭でそんなことをされたので、判断能力が鈍っていた。
     目の前には、司祭服を着た少年が佇んでいる。年のころは桜子と同じくらいだろうか。鼻から上は無機質な仮面に覆われていて、表情は分からない。口は真一文字に閉じられ、冷たい雰囲気を感じさせた。
    「いや――なに!? なんなの!?」
     混乱のままに桜子は叫んだ。徒に本たちを蹴りながら、首を振って蹲る。
    「お願い、家に帰して! こんなところにいたくない、怖いよ……!」
     必死で懇願するものの、少年の気配は動く様子がない。桜子がもう一度「ねえ!」と絶叫すると、静かな声で彼女に話しかけた。
    「……僕には、そんな権限はない。残念だけどね」
    「……そんな」
     桜子は一瞬黙り込んだ後、絶望に染まった顔を上げる。かわいた声を絞り出せば、少年は1歩を踏み出した。
     ゆっくりと、少しずつ彼は桜子に近づいていく。怯えて身を引いた彼女の傍に跪き、1冊の分厚いノートを差し出した。
    「――これを」
    「……なにっ?」
     逃げようとする桜子に、彼はノートを押し付ける。恐る恐る受け取った彼女に、何事も無かったかのように説明を始めた。
    「……ここは、【名無しの書庫】メルヒェンと言う。忘れ去られた物語が集い、変質する墓場」
    「なに!?」
     絶叫する桜子を、彼は黙殺する。
    「君は、【書き手】として選ばれた。拒否権はない、そんなことをすれば彼らと同じ末路を辿る」
     指さしたのは、床にある本だ。肩を震わせた彼女に、彼は容赦なく通告する。

    「――物語を、正しい結末に導くんだ。そうしなければ、きみの友だちは死んでしまうよ」





       第1話


    1

     なんのために、自分は生きているのだろう。
     そんな思考が浮かんだ数は、思えば両手の指よりも多い。桜子はそんな答えも出ない事を考えては、目の前の現実をやり過ごそうとする。
    「――また遅刻か、悠木。少しは周りの迷惑を考えられないのか?」
    「はぁ?」
     そう。例えば、目の前で繰り広げられているやり取りだ。図書委員長の風見優人と、ひとつ後輩の悠木未來。彼らの口論を見るのが、桜子は嫌いだった。
    「たかが5分でしょお? 風見センパイ、ちょっと細かすぎるんじゃない」
    「馬鹿を言うな。規則を守れない奴は必ず組織を乱す。そんなことは小学生でもわかる。お前はそれすら理解できないようだがな」
     侮蔑と嫌悪。そんなものが優人の瞳に強く宿る。わかりやすい悪意に、気だるげだった未來の顔が豹変した。鬼相を貼り付けた彼女は、距離を詰めた優人のブレザーを掴む。
    「マジでうっざ! だいたいまだ活動始まってすらいないじゃん! 伊波センパイだって、そこで座ってるだけだし!」
     桜子は、驚きのあまり持っていた本を取り落としかけた。まさか自分が引き合いに出されるとは思っていなかったからだ。
     そもそも、自分は新刊の整理とラベル貼付の作業をしているのだ。サボり魔の未來と同列にされても……と思って肩を竦め、2人の様子を伺う。感情のない目をした優人と視線が絡んだ。
    「……伊波は、活動が始まる30分前にはここに来て、10分前から仕事をしている。人のことをとやかく言う前に、お前もそういう姿勢を見せたらどうなんだ」
     優人は冷たく言い放って、未來の手を乱暴に振り払う。傍にあったワゴンを引き寄せて彼女に指し示せば、未來は頬を紅潮させて舌打ちした。
    「てめーが言うなブーメラン野郎!」
    「図書室で騒ぐな」
     敵意剥き出しの捨て台詞を、優人は意にも介さない。涼しい顔で彼女を無視して、自分の作業に取りかかろうとしてか図書準備室へと足を向ける。
     ――桜子は、肩を竦めてそれを見ていた。そばを通って行った優人と目が合いそうになり、慌てて作業を再開する。
     この人は――いや、あの二人は苦手だ。顔を合わせばいがみ合い、罵り合う。特に優人は、誰にでもきつい物言いをするし態度も冷たい。おかげで今、自分たちがいるカウンターに他の生徒は寄ろうともしない。藪蛇になるのを忌避しているのだ。
     桜子の胸に、ほんの少しの後悔が生まれた。本に触れているのが好きだからと入った委員会だったが、こんなことなら別の委員会にすればよかった。
     そんなことを思いながら、桜子はひたすら手を動かして本のラベルを貼って行く。やるせなくてため息をついた時だった。
    「……またやってたね、あの二人」
    「ね。ほんと、迷惑だよね」
     小声でそんな会話が聞こえた。思わず、肩がぴくりと揺れる。
    「風見先輩、文武両道で顔もいいじゃん? 背だって高いし。もう少し性格が良ければ言うことないのにね」
    「マジ、それな。だいたい悠木さんも何? ヤンキーぶってるけど、実際ただの問題児じゃん。やる気ないなら辞めればいいのに」
     嘲笑が入り交じった明確な悪意に、桜子は心拍数が上がっていくのを感じた。心做しか息も乱れる。その場に固定されたように、動くことが出来なくなる錯覚に陥った。
     嘲笑の主たちは、桜子のいる図書カウンターの目の前にいた。彼女らもまた図書委員だ。桜子に聞こえていることに気づかないまま、2人は会話を続ける。
     息をするように羅列された陰口に、桜子はいたたまれなくなってとにかく手を動かした。早く、この場から離れようと思いながら、目の前の本を捌いていく。
    「――大体さあ、伊波先輩も止めてくれれば良くない?」
     その瞬間、心臓が止まる思いがした。反射的にあげそうになった顔を必死で押え、桜子は衝撃に震えながら耳を澄ます。
    「わかる。あの人も何も言わないよね。私関係ありませーんって顔してカウンターに座ってんの。副委員長なんだから止めろよっつーか?」
    「マジなんのためにいんのって話? お飾りならマネキンでいいから」
     放課後だが、図書室の利用者は少ない。知らず知らず声量の上がっていく2人の話は、カウンター前に容赦なく響いた。まさか自分にも彼女らの悪意が向けられるだなんて思いもしなくて、桜子はその場に硬直する。ショックのあまり、頭の中が痺れそうだ。
    ――なぜ、そこまで言われないといけないの……?
     疑問に答えはなく、桜子は唇を噛み締める。そこまで言うのなら、あなた達が言えばいいじゃないか。なぜ、私にそこまで求めるのか。
     悔しくて悲しくて、桜子は心の中でそう反論する。意味が無いと理解しながら。
    「――柏田、東野」
     冷たい声で、桜子は我に返った。ひっ、という悲鳴に顔をあげれば、先程のふたりが引きつった顔でこちらを見ている。
     桜子は、恐る恐る隣を見た。表情の抜け落ちた優人が、2人を静かに見つめていた。
    「そんなにお喋りが好きなら帰れ。やる気のないやつは要らない」
     優人が冷たく言い放てば、二人は一瞬顔を見合わせて走り出した。そのまま図書室を飛び出していくのを見送り、優人は小さく舌打ちをした。
    「……悠木と言い、あいつらと言い、委員会活動をなんだと思ってるんだ」
     苛立ちを隠さない彼を見て、桜子は肩をすくめる。優人はそんな彼女に気づき、咎めるように顔を顰めた。
    「……いつまでやっている」
    「あっ……。ごめんなさい……」
     桜子は慌てて謝罪を述べ、震える手を何とか動かす。急いで残りの本数冊にラベルを貼り、机の上を片付けると本を抱え立ち上がった。
    「……新刊コーナー、整理してきます」
     小走りでカウンターから離れ、出入口の付近にある一角を目指した。本の入れ換え作業をしながらも、先程の2人の言ったことが頭から離れてはくれなかった。

          ※

     図書室の利用時間は、17時までと決まっている。その後の片づけと戸締りが終わるまで当番の生徒は拘束されるわけだが、桜子は初めてその規則を恨んだ。
     本は好きだ。読んでいると落ち着くし、見たことも無い世界を知った気分になれる。たくさんの知識を得て、自分もそこの一員になれる気がするのだ。
    ――夢なら、見た。かつて憧れた作家という職業。幼い頃に自由帳とノートに書いた、拙いながらも「好き」を詰め込んだ物語。
     それはまるでお菓子箱のように綺麗で、宝石箱のように眩しかった。桜子の視界と世界を埋める、とても貴重で重要なもので――。
    (でも……私では届かなかった)
     失望、諦観――無関心。幼かった桜子に寄せられた期待と関心、それを裏切った時に周囲が見せた反応は氷よりも冷たかった。
     ――優人を見ていると、それらを思い出す。何にも、誰にも期待をしていない目を彼はしているから。
     杞憂だとは思っていても、その目が自分にも向けられているような気がして彼に向き合うのが怖かった。
    「伊波センパイって、なんで何言われても黙ってんの?」
     未來の問いが、一瞬自分に向けられたものだと気づかなかった。数秒の間を置いて、桜子は彼女の方を向く。「え?」という間抜けな声が漏れた。
     桜子と未來は、図書室を閉めるための片付け作業をしていた。図書カードを整理し、明日の当番が使いやすいようにカウンター周りを片づけた後、図書室全体を清掃して戸締りをする。その途中の事だった。
     桜子は、反応してから慌てて周りを見る。しかし、すぐに優人は図書室の清掃作業に入っていたことを思い出した。そんな彼女に、未來は大仰なため息を吐く。うんざりしたような態度を隠さずに吐き捨てた。
    「いや、え? じゃないっしょ。アンタの悪口言ってた二人、あいつらこそ仕事しないじゃん。何で好き勝手言わしとくのさ。反論しなよ」
    「……反論、って」
     無遠慮に畳みかける未來に、桜子は当惑して肩を竦めた。その反応に、未來は苛立ちを隠さないでため息を吐く。
    「うっざ、そういうの。センパイ見てるとイライラすんだよね。相手に舐められたままでいいわけ?」
     怒気と嫌悪感の混じった言葉。思わず桜子の肩が揺れる。未來はそれを見て、不愉快そうに舌打ちをした。
    「……ごめんなさい」
    「はあ!? なんで謝んの? なんかあたしが悪いみたいじゃん」
     謝罪が口を突いたのは咄嗟のことだったが、それが余計に未來の怒りに油を注いでしまったらしい。怯んだ桜子に詰め寄った未來は、怒気に濡れた声を上げて書棚を叩いた。
    「――っ、もう! ほんとやだ!」
     その声と、数冊の本が落ちる音に優人が戻ってきた。能面のような顔に怒気を含ませ、優人は未來を睨み付ける。低い声で問いかけた。
    「――何をしている」
    「……げ」
     未來は優人の顔を見て、気まずそうに声を上げた。顔を反らし、投げやりに呟く。
    「……蚊がいたから」
    「下手な嘘を吐くな。伊波に食って掛かっている声は聞こえてた。学校の備品に八つ当たりをするとはどういうことだ」
     厳しい声で追及する優人に、未來は反抗してか口を硬く引き結ぶ。それに更に表情を険しくする優人を、桜子は狼狽しながら見ていることしかできない。どうしよう、と一瞬だけ床に視線を落とした彼女は、ふと床に落ちた本の中に違和感のあるものを見つけてしゃがみ込んだ。
    「これ……?」
    「へっ?」
     ちょうど未來の足元にあったもので、そこにしゃがみ込んだために未来は驚いて飛びのくようにする。目的のものを拾い上げた桜子は、驚いてそれを矯めつ眇めつした。
    「……なんで、こんなものが」
    「なんだ?」
     怒りを少しだけ困惑に変えた優人が、桜子の手元にあるものを覗き込む。桜子は怪訝そうな顔をしつつ、それを開いた。
    「これ……子供のノート……?」
     随分使い古されたノートだ。鉛筆で、子供特有のぐちゃぐちゃな字と絵が描かれている。一見何の変哲もないが、どうしてこんなものがここにあるのかがわからなかった。
    「……え、なにそれ? あたし、知らないよ?」
     状況を理解した未來が困惑とともに言うが、2人はそれに反応はしない。桜子は、取りつかれたようにノートを見た。――なんだか、どこかで見たような気がしたからだ。
    「……“アンディのプレゼント”……?」
     桜子は、何の気なしにタイトルを読む。余計に強みを増した違和感の正体を探ろうとした、その時だった。
    「えっ――……?」
     急に眩暈がした。一瞬意識が遠くなって、優人と未來の姿がかすむ。二人が何かを言った気がしたが、水の中に入ったような感覚がして聞こえなかった。
    「何――」
     自分の声さえも、遠い。平衡感覚が一気に崩れて、桜子は床に崩れ落ちた。


       2
     
     目を開けると、桜子はすぐに自分のいる場所の不可解さに気が付いた。
     心臓を貫かれたような思いがして、侵食していく不安のままに辺りを見回す。喉が渇いていく感覚を覚えながら、桜子は確かめるように声を出した。
    「ここ……どこ?」
     まるで、書庫のようだった。桜子を囲むように、巨大な書庫が聳え立っている。例えるなら山のようなそれに、終わりは見えない。この空間の天井や壁など存在しないかのようだった。
     そして、中にも無数の本が浮いている。本棚には入りきらないのか、それとも収納を拒んだのか。そんな石があるかのように錯覚してしまうほど、空中の本たちは勝手気ままに流れていた。
    「なんなの……?」
     あまりの異常さに、言葉が出なかった。不安と恐怖でぎこちなくなる体をどうにか動かして、桜子は一歩を踏み出す。と同時に、何かに足を取られて倒れ込んだ。
    「きゃあ!」
     悲鳴とともに、慌てて両手を床についた。予想と違って、硬いそれではなく妙に不安定な感触がある。すぐに、それが本だとわかった。
     上下左右、すべてが本に埋まっている。いよいよ訳が分からなくなって、桜子は床にある一冊を手に取った。もしかしたら何かわかるかもしれないと思って、裏表紙になっているそれをひっくり返す。――その瞬間、桜子は絶叫した。
     ほとんど同時に体中から力が抜け、床にできた本の海に倒れ込む。反射的に本を蹴ってこの場から逃れようとしたが、足場が不安定なためにそれも叶わない。悲鳴をあげながら足元に目を向けた桜子は、直後に目が合った顔を見て更に叫んだ。
     ――その顔は、本の表紙に浮かんでいた。苦悶の表情を浮かべ、大口を開けている。思わず視線を落とした瞬間、ソレと目が合ってまた悲鳴を上げた。
     素材は皮膚、綴じ紐は髪。表紙はどれも、最初に手に取ったものと同じだ。きっと、この空間にある本すべてがそうなのだ。
     桜子は、思わずその場に蹲った。強烈な吐き気に口を押える。しかし、喉元までせり上がったそれを吐き出すことはしなかった。――それをする前に声を掛けられたからだ。
    「――怖がっている場合じゃないですよ、桜子ちゃん」
     この場にそぐわない、落ち着いた声がした。柔らかい雰囲気のそれは、桜子の混乱した頭にすんなりと入り込む。桜子は、震える体もそのままに振り返った。
     目の前には、司祭服を着た少年が佇んでいた。年のころは桜子と同じくらいだろうか。鼻から上は無機質な仮面に覆われていて、表情は分からない。口は真一文字に閉じられ、冷たい雰囲気を感じさせた。
    「さあ、立って。そんなところで座っていても、時間を無駄にするだけですよ」
     この場の異常さに何も重いことがないのか、少年は混乱のままに桜子は叫んだ。徒に本たちを蹴りながら、首を振って蹲る。
    「いや――なに!? なんなの!?」
     怖い、意味が解らない。これはそう、きっと夢だ。そんなことを思って、否定するように大声をあげる。けれど、擦れた紙が皮膚を傷めつける感覚に、頭のどこかでそれを否定する声が聞こえた。
     これが夢ではないのなら――この少年が何かしたのだ。原理もトリックもわからないが、何らかの形で桜子をここに連れてきた。なら、帰してもらわなければ。
    「お願い、家に帰して! こんなところにいたくない、怖いよ……!」
     必死で懇願するものの、少年の気配は動く様子がない。桜子がもう一度「ねえ!」と絶叫すると、静かな声で彼女に話しかけた。
    「……僕には、そんな権限はない。残念だけどね」
    「……そんな」
     桜子は一瞬黙り込んだ後、絶望に染まった顔を上げる。かわいた声を絞り出せば、少年は1歩を踏み出した。
     ゆっくりと、少しずつ彼は桜子に近づいていく。怯えて身を引いた彼女の傍に跪き、1冊の分厚いノートを差し出した。
    「――これを」
    「……なにっ?」
     逃げようとする桜子に、彼はノートを押し付ける。恐る恐る受け取った彼女に、何事も無かったかのように説明を始めた。
    「……ここは、【名無しの書庫】メルヒェンと言う。忘れ去られた物語が集い、変質する墓場」
    「なに!?」
     絶叫する桜子を、彼は黙殺する。
    「君は、【書き手】として選ばれた。拒否権はない、そんなことをすれば彼らと同じ末路を辿る」
     指さしたのは、床にある本だ。肩を震わせた彼女に、彼は容赦なく通告する。
    「物語を、正しい結末に導くんだ。そうしなければ、きみの友だちは死んでしまうよ」
    「……は……!?」
     意味が解らない。メルヒェンだの書き手だの、この少年は一体何を言っているのだろう。それに友達とは、死ぬとは? 情報が一気に押し寄せてきて、正常な思考ができなかった。
     桜子は、力を振り絞って本の海を抜け、青年の足に縋りつく。とにかく、こんなに意味不明で恐ろしい場所から、一刻も早く出て行きたかった。
    「やだ――いや! お願いだから、早く家に帰してください! 今なら誰にも言わないし、警察にだって行かないから!」
     最大限の譲歩のつもりで、桜子は叫ぶ。それでも動かない少年に、焦りと恐怖と怒りが募る。
    「役目って、何なの? どうして私なの!? お願い、何でもするから帰してください。私、帰りたい……!」
     もう限界だった。必死で訴えながら、どんどん涙があふれてくる。ひきつった涙声で懇願すれば、少年は困ったように笑う。慰めるように、彼女を抱き寄せた。
    「……帰れます。けれど、そのためには物語を直さないといけない」
    「――物語って」
    「ここに流れ着き、望まれぬ形に変質した創作物。【代わり逝く物語】プッペと呼ばれています」
     そう言ってノートを指し示すので、桜子は驚いてノートを開く。見覚えのある物語が躍り出た。
    「これ――」
     “アンディのプレゼント”。先程図書室で見つけたノートにあったものだ。これがプッペとやらだろうか。それにしたって、どうして自分がこれを修正する必要があるのかがわからない。
    「……見覚え、ありませんか? このお話に」
    「え――?」
     少年に訊かれ、桜子はノートに目を落とす。よく内容を読んで行って――違和感の正体を、ようやく理解した。
    「これ……。知ってる……」
     かつて憧れた作家という職業。幼い頃に自由帳とノートに書いた、拙いながらも「好き」を詰め込んだ物語。その中の、お菓子であり宝石であったものの一つ。
    「そう。――これは、貴女が描いた物語だ」
     少年に言われ、桜子は困惑した。あのノートは、昔確かに処分したはずだ。それなのに、どうして学校の図書室にあって、そしてここにあるのか。桜子の視線を受け、少年は口角を上げた。――初めて見た、笑みだった。
    「ここは、誰かが作り、誰かが放棄した物語の辿り着く場所。だから墓場なんです。【代わり逝く物語】とは、そんな物語が変化する場所。たとえ完成されていようが、途中で放られていようが、作者の意図とは関係ない流れに変わる。――それが、彼らです」
     そう言って指示したものは、ここにある本だった。再び本の海を振り返った桜子に、少年は説明を続ける。
    「――この本たちは、元々人間でした。【代わり逝く物語】に取り込まれた人間は、【役者】と呼ばれます。変質した物語に沿って行動し、【代わり逝く物語】が修正されないまま完成したら取り込まれる。その姿が、あれです」
     表紙の表情たち、そして本を構成するものを思い出した。納得と同時に、怖気や嫌悪感が走る。体を震わせた桜子は、先程の彼の発言を思い出して顔をあげた。
    「あの……私の、友達って?」
     問えば、少年は無言でノートを指さした。内容を確認した桜子は、絶句する。
    「――悠木、さん?」
     アンディとされている挿絵の少女は、未來の姿に変わっていた。慌てて内容を確認すると、物語は桜子が記憶している物とは違う内容に書き換わっている。
    「この話は……お義母さんと娘が、和解する話だったはず……」
     それなのに、途中まで読む限り流れは変わっていた。結末はまだ空白だが、このまま書き換えられてしまえば彼女が昔描いたハッピーエンド結末にはならない。
    「そう。それが【代わり逝く物語】。貴女の役目は、ここに干渉してあなたの記憶している流れに物語を書き換えること。――それが、彼女たちを救うことにもつながります」
    「彼女……たち?」
     顔から血の気が引くのが分かった。もしかしたら、優人もここに取り込まれているのだろうか。
    「そう。このノートにあなたの物とは違う結末が書き込まれれば、彼女たちは物語に取り込まれて本に変質してしまう。遺体どころか、魂さえも帰れない。――それが嫌なら、役目を全うすることだね」
     冷静に、冷徹に少年は桜子に告げた。理不尽で残酷な指令に、桜子は緩く頭を振った。
    「でも……私、もう創作なんてずっとやってない。期待されたって、そんなの無理よ」
     桜子は、それでも決心がつかなかった。人の命が懸かっているのはわかっているけれど、そんな重要なことを任されても何もできない。怖くて怖くて、出来ることなら他の人にやってもらいたかった。
     そんな彼女の不安をよそに、少年はまた笑う。桜子の言葉を否定するように首を振った。
    「大丈夫。だって、僕は君のファンだから。――君ならできるって信じているよ」
    「えっ!?」
     その瞬間、地面が揺れた。思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ彼女の肩に、少年が肩を置く。そのまま、優しく語りかけた。
    「これで、【司書】としての僕の役目はいったん終わり。あとは、そのノートが君を導いてくれるはずさ」
    「待って――」
     その言葉に、桜子は弾かれたように顔をあげた。手を伸ばすも、既に少年は崩れて再構築されていく空間の向こうに消えようとしていた。
    「期待しているよ――桜子ちゃん」
     その言葉と同時に、壁が少年の姿を隠した。呆然とする桜子は、やがて自分が先程とは全く違う空間にいることに気づく。
    「何……?」
     そこは、先程とは違って殺風景な部屋だった。レンガ調の部屋の真ん中に、シンプルなデザインの机と椅子、ライトだけが佇んでいる。しばらく呆気に取られていた桜子は、ノートを抱えたままふらふらとそこに歩み寄った。
    「……ここで、作業をしろってこと……?」
     万年筆と、【シナリオ 説明書】と書かれた冊子があった。2冊目以降があるのかと手元のノートを見ると、表題に【シナリオ 執筆用】と書かれている。桜子は、恐々としつつも椅子に座った。
    「これは……」
     二つで一つのノートらしい。説明書の方を読むと、見覚えのある“アンディのプレゼント”の流れが飛び込んできた。どうやら、こちらが正解らしい。桜子が昔書いた完成系の物ではなく、プロットの形になっている。その横に、別の筆跡で記載があった。

    ◆【書き手】は、改変のポイント(運命の分岐)を一回だけか言えることができる。
    ◆童話内の【役者】の人数は変更できない。しかし、三回までは【書き手】を含めた第三者を代役を立てることができる。なお、その場合は物語内の本来の登場人物としてしか行動できないものとする。
    ◆一度変えた内容と、代役は変更できない
    ◆【代わり逝く物語】のあらすじは、役者の人生が影響する。←役者と原作のキャラクターの境遇が似る者が役者となるため。
    ◆【代わり逝く物語】の書き直しは、三回までとする。

    「これが……あの人が言っていた“ノートの導き”……?」
     となれば、これに従って物語を書き換えればいいのだ。少なくとも、修正が完了すれば未來は助けられる。――逆を言えば、彼女と優人を取り戻さなければ桜子も帰ることができないのだ。
     桜子は、顔を覆った。選択肢などないことを、ようやく認めざるを得ないと思えたからだ。
    「……酷いわ」
     精一杯の悪態をついて、桜子は万年筆を手に取った。



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