残酷な呪い カゲミツ、という名前、随分男らしく好きだ。そのくせ本人が男らしくないところも愛くるしい。彼が男を辞めたくなるときに愛用している『凜華』という名も、命名者が私であるという点も含め至高の名だ。
今まで何の疑問も抱いてこなかったが、日が傾き暗くなった部屋の電気を点けた際に疑問が舞い降りた。
「光と影って、相反するものですよね」
「ん? うん、そうだね」
椅子に掛けたまま上目遣いに首を傾げる彼に、一瞬思考の何もかもを奪われかけて、寸前で理性を繋ぎ止める。
「『影光』様の名前、どなたが名付けられたのですか?」
「あぁ……本家の人だよ。誰だったかは覚えてないな、興味ないから。うちは平安の頃に陰陽師がいた家系だから、たまにそういう名前を子供に付けるんだよ。太陰大極図ってやつ」
「たいいんたいきょくず……ですか?」
「画像検索したらたぶん知ってるよ。白と黒の勾玉のマーク。カゲミツって、昔の武将みたいで古臭くて、あんまり好きじゃないんだけどね」
肘をつく姿に胸がキリッと痛む。私は彼を何度その名で呼んだことだろう。
自分も側の机に向かい、腰を下ろしてパソコンと見つめ合う。画面を見ているようで、実際何も見えてはいなかった。
「お嫌でしたら、他の呼び方にいたしましょうか……?」
「別にいいよ。音が気に食わないだけで、名前に意味を持たせるのは僕自身でしょ。それにお前に呼ばれる名前は嫌いじゃない。お前の言い方は柔らかいから」
こちらを見上げ微笑む彼に、偽る様子は見当たらなかった。
「『カゲミツ』ってちょっとトゲトゲした音してるでしょ? お前はそれが柔らかいの。だからお前は気にしないで。そんなに好きじゃない人には『鈴鳴』って呼んでもらうから」
「――影光様」
「やめてよ。今呼ばれると恥ずかしい」
「影光様」
「侑臣が意地悪する」
「お嫌ですか?」
「……イヤだったら返事しないよ」
「ありがとうございます、影光様」
「侑臣の侑って、飲食を勧めるって意味があるんだよね? 似合うね、僕の為の名前じゃない」
「そうなんですか……?」
「……知らなかったの?」
「はい。初めて知りました」
「言わなきゃよかった」
「名は体を表しますので」
「センスの良い両親を持ったね」
「本当に」
偶然なのは間違いない。両親が私にこの名を付けたのは、思いやりのある人に育ってほしいからだと聞いていた。自分自身、その意味で十分納得し、愛おしく思っていた。
影光様は、私や私の両親よりも私を知っていた。
何を思って調べたのだろう。一体いつから知っていたのだろう。ご自身の名前はキライだと言う割に、人の名前には興味関心を抱く。なんて美しい方なのだろう。
「影光様、一時だけ無礼の許可を頂けないでしょうか」
「何? 別にいいけど……痛いことは嫌だよ?」
「そんな酷いことはしません」
仕事が手につかなくなる前に気持ちを切り替えるべく、この短時間で溜まりに溜まった感情を真っ直ぐ彼に向け、極力優しく、強く、放つ。
「――……影光」
「…………」
「ありがとうございます。スッキリしました」
「僕がスッキリしなくなったんだけど。どうしてくれるの」
「私が代わりに仕事をしますので、どうぞ存分に苦悩してください」
「おま……っ、侑臣っ、この……う……卑怯だろこんな……ッ」
「許可は頂いたので」
「痛いのはイヤって言った!」
「痛かったですか?」
「痛いよ! 気持ちいいくらい痛いよッ!」
「気持ち良かったのなら、謝りません」
「ひどい……主人に向かって……」
「影光」
「もっ、もうだめ!! やめなさい!!」
「影光」
「やめて……」
せいぜい照れ臭そうにされるか、窘めるように怒られることを想定していたが、真っ赤になって両手で顔を隠されるとは想定外だった。彼が耳まで赤くするなどとても珍しい。今日まで生きていて本当に良かった。
「僕……同級生にすらあんまり名前呼び捨てで呼ばれないんだよ……大人になってからは尚更……すっごい今……あ〜……やだもう、やだぁ……」
彼にこんな顔をさせられるのは、世の中で私たけであればいい。この先もずっと。
「かわいいね、影光」
「ばッ……もう! お前とはもう今日口きかない!」
「そんな」
「じゃあ無礼もう終わり! やめて!」
「そんなに嫌でしたか……?」
「だっ……て……だめだよ……そんなストレートなことされたら……好きになっ…………」
口を滑らせたと私ですらわかった。でもどうしても、その先を聞きたくなった。
「寂しいですね。まだ好きになってくださっていなかったのですか?」
「違う好きだろっ! ずっと好きだよ! でも違うでしょ……これは『呪い』の感情だ……ぼくこれキライ……」
泣きそうな声を聞き息が止まる。やめて、の意味が冗談ではなく拒絶にも近いものだったのだと察し、初めて罪悪感が湧いた。
――私が一番知っているじゃないか。彼の初恋がどれほどの呪いだったのか。
「申し訳ありません」
椅子から立ち側までやってきた影光様に合わせて椅子を立つと、私の肩口に額を押し付け顔を伏せられた。
「お前のことは嫌いになりたくないの。好きだから、好きにさせないで」
「……申し訳ありません」
「謝るな。わかってくれたらそれでいい。それに……言わせるなよっ! イヤじゃないからイヤなんだよ……」
この世で唯一の私の宝もの。触れることすら勇気が要る彼にこの時の私は触れられなかった。
「ちょっと……気分転換してから仕事に戻りたい。何とかして」
「では、コーヒーを飲むというのはいかがでしょうか?」
「うん。甘くしてよね」
「はい」
身を引く私を追う彼の視線が、私にまた、呪いをかける。