ある夢の話 ミカエラの屋敷で眠っていたはずなのに、気がついたら何だかやけにだだっ広い真っ白な空間にいた。
しかも、だだっ広いだけならまだしも、見渡す限り色んな格好したミカエラと俺がうじゃうじゃいる。
なんだこりゃ。同じ顔が百人くらいいねぇか?
気の狂いそうな光景に、これは夢だと直感した。
でなけりゃこんな馬鹿げた光景説明つかない。
なんとなく、ここに居るのは全員違う世界の俺とミカエラなんだろう、と何の根拠も無く確信する。同時に自分のミカエラを見つけたらこの馬鹿げた夢から目が覚める予感がして辺りを見回すが、眠った時には腕の中に囲っていたはずの弟兼恋人の姿は目に見える範囲には見当たらない。
気配はするから居るのは絶対なんだがなぁ……。
これだけたくさんのミカエラが存在していても、俺のミカエラの気配は間違えようも無いからな。
そうこうしているうちに、何人かの俺が自分のミカエラの元に走り寄っていくのが見えた。
迎えに来た変な装束の俺の手を、プリプリと泣きギレしながら取る吸対の制服を着たミカエラだとか、ちゃんと服を着たミカエラの腰を引き寄せてキスしてる洋服着た俺だとか、他にも自分のミカエラと合流した俺らが金色の光の粒子になって消えていく。
徐々に減っていく人口のおかげで開けた視界の先、俺から一番遠く離れた所でまごついている涙目のビキニを見つけた瞬間、俺は全速力で駆け出した。
あーもー、あのバカ! なんでよりにもよって俺から一番遠くにいるんだよ! バカビキニ!!
「ミカエラァ!! そこ動くなっっ!!」
俺が叫ぶなり、まだ沢山居た別のミカエラが一斉にこっち見るもんだからちょっとビビってしまった。
そうか、こいつら全員ミカエラだ。そりゃこっち向くわ。
「兄さんっ!!」
俺のミカエラが呼びかけに反応して叫ぶと、今度は一斉に別の俺があいつの方を向くもんだからミカエラがちょっと固まってる。
つーか、アレは俺のミカエラなんだからお前ら見てんじゃねーよ!! 減る!!
キラキラと金色の粒子で光る世界の中、俺のミカエラに向かってひた走る。
「つっ……かまえ、た!」
走ってきた勢いそのままに、ぶつかるようにミカエラを腕の中に収めると、途端に涙声の抗議があがった。
「もっと早く来い愚兄!」
「うるせぇ!なんでお前そんな遠くにいるんだよ!久しぶりに全力ダッシュしたわ!!」
なんか、夢だからか空間に対してめちゃくちゃ距離あったぞ!? 体感で1キロくらいは走ったわ!
ゼーゼーと鳴る息を必死で整えながら腕の中の温もりを確かめるように力を込めて抱きしめる。
「……遅くなってごめんな」
「……良い。ちゃんと見つけてくれたから」
俺のミカエラと合流したからか、例の光の粒子がキラキラと俺らの周りを舞い始めた。
どうやら無事に目が覚めるらしい。
気がつけば、あれだけうじゃうじゃ同じ顔が居たこの空間には俺らしか居なかった。
……いや、よく見たらもう一人いる。俺らから少し離れた所でポツンと一人立ち尽くす、まともな服を着たミカエラが。
妙な事に、ミカエラは俺のとアイツで二人いるのに、俺は俺一人しか残っていなかった。
「なぁお前なんで一人なんだ? お前んトコの俺はどうした?」
何となく、放っておけなくて声をかける。
あちらは俺に話しかけられるとは思っていなかったのか、少し目を丸くした後、困ったような表情で首を傾げた。
「さあ? まあ、もし居たとしてもきっと私を迎えに来てはくれないだろう。……私は、兄に嫌われているから」
嫌われている? ミカエラが? 俺に?
まさか! 例え別世界だとしても、そんな事ありえねぇだろ!?
否定しようと開いた口は、続くあっちのミカエラの言葉で凍りついた。
「つい先ほど、兄さんの手で殺されたばかりなんだ。死んで、気がついたらここに居た」
腕の中の俺のミカエラがヒュッ、と息を呑む音がする。
俺に、殺された……? 俺が、ミカエラを……殺す?
「ンだよ、それっ!? 今すぐソイツここに連れてこい! 俺がボッコボコにしてやんよ!!」
ふざけんな! 例え世界が違おうとも、俺が! 他ならぬこの俺が!! ミカエラを、弟を、この手で殺すなんてあり得ない! あって良いはずがない!!
もし本当にそんな事があるのなら、そいつはもう俺じゃ無ぇ!!
「気持ちだけ受け取っておこう。私としては敬愛する兄さんの手で死ねたんだ。上等な終わり方だと思っているよ」
俺のミカエラと同じ顔で、諦めたように笑う顔が心の底から気に食わない!
ミカエラにこんな表情させる俺なんざ、この世に居ていいはずがないだろ!!
「ふざけんな! なにが上等だ、そんなの……!!」
ああ、クソ! 目の前のこいつを何とかしてやりたくてもコレは夢で、もう自分が覚醒するのが感覚でわかる。
「怒ってくれてありがとう。どうかそちらの私を大切にしてやってくれ」
眩しそうに目を細めて笑う、もう一人のミカエラの言葉を最後に光の奔流に飲み込まれて、あっという間に俺の意識は何処かへ攫われていった。
「……っ!?」
酷い焦燥感に苛まれて飛び起きる。
とびっきりの悪夢を見た感覚だけはあるのに、内容は一向に思い出せない。
「あ……うぅあぁあ……っ!!」
突然聞こえてきたミカエラの泣き声に、慌てて隣で眠っていた体を抱き寄せた。
悪夢の残滓にバクバクと早鐘を打つ自分の胸を押し付けるようにミカエラの頭を掻きだくと、まるで離れていたら死んでしまうと言わんばかりに隙間無く密着される。
その腕の力強さと体温に何故か深く安堵した。
———ああ、このミカエラはちゃんと生きている。
「にいさ……っ、にいさんっ……!!」
「ミカエラどうした? 怖い夢でもみたか? 大丈夫。大丈夫だから……」
「わからな……っ、すご、かなし、くて……ふっ、ね、にい、さん……」
「うん?」
「……兄さんも、わたしを殺す?」
青褪めたミカエラのその問いに思わず息を呑む。
何故、ミカエラがそんな事を俺に訊ねるのかはわからない。もしかしたら、そんな夢を見たのかも知れない。
でも、ミカエラの意図は分からずとも俺の答えは決まりきっている。
「殺す訳無ぇだろうが」
殺せるはずが無い。この愛しい体温を自分の手で消す事なんて、そんな事!
唸るような俺の答えに、腕の中の弟はホゥ……っと安心したように息を吐いた。
「もしも……もしもだ。何かがあって、お前をこの手にかけなきゃいけねぇような事があったとして」
「……」
「そん時は絶対すぐに俺も後を追う。……お前を独りになんてしない」
「……それは、駄目だ。例え私が死んでも、兄さんには透とあっちゃんを守ってもらわないと」
結構本気だった俺の言葉に即座にダメ出しされて思わず苦笑した。
「……立派にお兄ちゃんだねぇ、お前も。ま、安心しろよ。絶対んな事は起こらねぇからさ。……俺がさせねぇよ」
「ああ……」
さっきよりはマシな顔色になったミカエラに雨のようにキスを降らせて、未だ震える身体を宥めるように何度も何度も剥き出しのその背を撫でてやる。
(俺のミカエラまで泣かせやがって。やっぱ来るまで待ってボコボコにしてやれば良かった)
何故だか怒りと共に脳裏に浮かんだそんな言葉は「兄さん、もっとギュッとしてくれないか」なんて可愛らしいミカエラのおねだりの前に瞬く間に霧散した。
最後の一組が光の粒子になったのを見送って、ひとつ息を吐く。
この、広い空間に残っているのはもう私だけだ。
昼と夜の争いの最中、兄の持つ銀のナイフが私の心臓を焼いたのを最後に私の記憶は途切れ、気がつけばこの訳の分からない空間に居た。
見渡す限りたくさんの自分や兄と同じ顔をした同胞や人間、果ては良くわからないものに囲まれて、こんな荒唐無稽なものが人間どもの言う死後の世界なのかと思ったが、どうやら違っていたらしい。
どう言う絡繰かはわからないが、ここは死後の世界などではなく、沢山いる私達は全て別世界の同一存在で、兄さんが自分の世界の私を見つければこの空間から出ることができると言う基本ルールだけは頭に入っていた。
そして、この場に私の兄はいないと言う事実も。
(怒ってくれていたな)
先程ここから消えた二人を思い返す。
己が兄に殺されたと告げると、ピンク色の着物を着た別世界の兄は激昂し、露出が激しい格好をした別世界の自分は青ざめて痛ましいものを見るような目でこちらを見てきた。
二人とも、とんでもない格好をしている割には随分とお人好しらしい。
あんな風に誰かに気遣われるのは初めてだ、と意外な擽ったさに誰も居ない空間で独りクスクスと笑う。
(さて、どうしようか?)
孤独には慣れてはいるが、流石にこの何も無い真白の空間に永遠に居続けるのは気が狂いそうだ。
あるいは、狂って何もかもわからなくなる事こそが私に与えられた罰なのだろうか?
———もしくは救済か。
まあ良い。どうせもう死んだ身だ。今更どうなっても……と思ったところで、自分の背後、今まで誰もいなかったはずの空間に、唐突にありえない気配が発生したのを感じた。
まさかと驚いて振り向こうとした身体は、背後からいきなり伸びてきた二本の腕に抱きすくめられて止められてしまう。
何故? どうして?! ありえない!!
けれども自分がこの気配を、この温もりを間違えるはずがない!
あの逞しい腕に抱きしめられたのはもう随分と幼い時が最後だけれども、それでも兄さんと離れている間、何度もその温もりを反芻しては心の縁にしていたものだ。
今、まるで縋り付くように私を背後から抱きしめているのは、間違いなく私の兄さんだ!
その証拠に、私達の周りに例の光の粒子が飛び交い始める。
「遅くなった。ごめんな、独りにして」
「あ……」
まるで迷子になった子供がようやく母親に会えたような、そんな不安と安堵の入り混じった声が私の耳朶を打った。
「どうして……」
どうしてここに居るのか、どうして私を独りにした事を詫びるのか。
———どうして、私を抱きしめる腕がこんなにも震えているのか。
聞きたいことがたくさんあるのに、何一つ上手く言葉にならない。
やがて目も開けられないほど光が激しくなっていく。
嗚呼、待って! 待ってくれ!! だって私はもう死んでいるはずで、だから元の世界に戻ったところでまた兄さんと離れ離れになってしまう!
嫌だ! 離れたく無いと言う想いを込めて、私を抱きしめる腕にギュッと縋り付く。
「大丈夫だ。心配すんな。……俺もお前と同じ所にいくから」
そんな兄さんの言葉が聞こえて、それは一体どう言う意味なのかと問おうとした私の声は、あっという間に意識ごと光の奔流に飲み込まれていった。