無題(4)散々、好き勝手やってきたツケが回ってきた。
ははっ、と乾いた笑いが口から思わず漏れる。背の脇に手を伸ばすと、大振りのナイフがちょうど背側の右胸の下辺りから生えている。刃が横向きなあたり、本気で殺しにきてる。しかも、体に走る痛みから、恐らくこれは対吸血鬼用なのだろう。一般人がどうやって入手したのか、恐ろしい。
昔ならば、こんなちんけなもので刺されるほど落ちぶれちゃなかったが、自分も随分年を取ったらしい。背後から刺されるまで、ちっとも女の存在に気づかなかった。はたまた、吸血鬼を脅威とする人類の技術進歩か。
刺されると同時に投げ飛ばした女が地面に突っ伏して泣き叫び、突然の出来事に固まっていた駅の民衆がその声に正気を取り戻したのか、騒ぎ始めるのをケンはまるで他人事のように聞いていた。
トオルから、子供が生まれた。顔を見にきて欲しいと、連絡をもらい。再び、新横浜を訪れた。その際、今転がり込んでいる女に訳を説明したのだが、これが随分と面倒な女で「私から逃げないで。逃げたら私、死ぬから。」と引き留められた。ケンにとっては、数ある内の一人である女に未練はたいしてなく、そして死ぬと言う女ほど強かなことを知っている。早くに帰ると優しい嘘でその場を抜け出したのだが、信じられずに着いてきたみたいだ。おまけに死ぬではなく、殺すになったらしい。
『あの娘、おかしいからやめといたほうがいいわよ。』
女と同じ店のキャストのねえちゃんに言われた言葉を思い出す。黒い短めの髪と高い背がどっかの誰かを思わせなければ、俺を手は出さなかっただろう。
そこまで考えて、体が重くなり始め、ゆっくりと地面に胡座をかいた。口布を下ろし、ふーっ、息をつく。肺に入った空気が痛かったが、不思議と心は静まっている。
すでにこの時点でケンの回りには救急車や警察を呼ぶ人々が集まり、声をかけていたのだが、その存在をどこか遠くに感じていた。
別段、吸血鬼であるケンならばこのくらいの傷など、今、回りにいる人間から血を貰えば何てことはない。対吸血鬼用ナイフであるとはいえ、高等吸血鬼たる自分を殺すには力不足だ。血を貰えば、な。
もう一度、深く息を吸い、吐き出す。
と、群がる人間を押し分け、うつむいていたケンの視界に綺麗に光る高級な革靴が入ってきた。遠い記憶にある見慣れた革靴に、やられた、と思って顔をあげる。
この数十年、一日たりと忘れたことのないミカエラがそこにいた。いくぶんか年はとったが、あいもかわらず美しい顔を驚愕と絶望に歪めている。
ああ、やはり好きだ。
状況とはまったく合わない感想だったが、本心なので仕方ない。
↓
ここからプロット
疲れきってしまったケンは、血を飲まそうとするミカエラを拒否
死ぬ間際になってやっとミカエラと向き合うことになり、ミカエラの「兄さんが、もし、先に私を好きだと言ってくれていたら、私はきっと、兄さんを選んだよ」の言葉に愛されていた事実を知り、泣きながら謝罪して告白する。「ごめんな…ミカ、本当に……っ、ごめん……ずっと、ずっと、好きだった…。」
そのまま、ミカエラに抱き締められながら、ケンは塵になってしまう。
ケンの塵は回収されるのだが、
実は一部はミカエラが回収している。
ミカエラは塵を小麦粉に混ぜ、それでクッキーを作り始める。
型を抜いたクッキーをオーブンで焼くと、その窓から見える赤い光が火葬のようだと思い、日本では火葬の最中に故人を思うと聞いたので、兄を思ってみる。
ミカエラは、兄を兄として愛していた。
幼少のトラウマの原因ではあるが、あの頃の兄の状況を思えば、それも仕方ないことなのかと、少し思った。それでも、あのイタズラのせいで性的な感情にはひどく敏感になってしまい、向けられれば嫌悪し、むけることも嫌悪してしまう所謂アセクシャルとなってしまった。あの日、兄が去ってから、ミカエラはどうにか兄と兄弟のままで再び普通の関係性を作れないかと、話し合いたかった。しかし、兄はそれは嫌だったようで一つも取り合ってはくれず、そのままミカエラの世界から消えてしまった。トオルから全国行脚の旅の話を聞き、トオルとは繋がっていることが分かったとき、兄が私とはもう二度と会わないと決めたと悟って、絶望したがそれが兄には最良なのだと、納得した。
その後、新横で恋もしてみた。恋人もできた。しかし、恋人ができると、自然そういった流れになってしまい、どんなに愛していても拒絶してしまう。そうしてぎくしゃくとして、破局する。それを何度か繰り返して、ある人物と会った。それはミカエラと同じアセクシャルの人間だった。よきパートナーを得たと思ったが、その人ともうまくはいかなかった。
「なんで、いつもいつもお兄さんを呼ぶの」
ある日、パートナーにそう言われた。どんなに信用を得ようと、ピンチになれば、最後は泣きながら兄を呼ぶミカエラに不満が募ったらしい。
「そんなにお兄さんが好きなの?」
そう言われ、ミカエラはやっと、その気持ちに気づいた。
自分は、兄を愛している。
幼い頃、閉じ込められた世界には兄しかいなかった。それ故にもし拒絶したその後の孤独の恐怖から兄を受け入れてしまうのだと、思っていた。
しかし、閉じられた世界を出た今でも、自分の心の奥底には兄がいる。優しい兄が。
ミカエラの心は、幼い頃から兄のものだったのだ。
しかし、そのまだ名の無かった淡い恋は、兄の思春期の暴走によって踏みにじられ、恐怖で蓋をされてしまった。
兄弟愛を越えた純愛に気づいたミカエラは、パートナーと別れる。
しかし、これを兄に言うことは出来なかった。もし、好きだといって、兄が自分に性を求めてきたら、絶対に拒絶してしまう。拒絶された兄が、ミカエラの元を去ってしまったら、ミカエラは壊れてしまうだろう。
愛して欲しいが、愛してほしくない。そんなわがままを抱えて苦しんだ。
『一生結婚しない』
それを、トオルにケンに伝えてもらったのは、ある種の告白だった。
私は永遠に、誰のものにもならない。
あなたのものだ。
それを聞いて、兄がミカエラの愛を理解して、自分に会いに来てくれないかと、期待していた。
意図に気づいてくれないかと。
結局、すれ違ったまま、兄は死んだ。
焼き終わったクッキーを冷まし、アイシングを始める。
じゃんけん柄はミカエラの美意識には反したが、兄を象徴するものだから、しかたないと丁寧に書いていく。
ぐー、ちょき、ぱーの書かれたクッキーを皿に盛り、飲み物を用意して席に座る。
頭、と一枚
腕、と一枚
指、と一枚
胸、と一枚
腹、と一枚
……
全て咀嚼し、ついぞ、繋がることのできなかった兄と、何よりも深く繋がれた喜びを感じながら、ミカエラはそれを大切に飲み込んだ。
「兄さん……愛してる……ずっとずっと、愛してる。」
了……
???
読み終わった本を閉じ、目を擦る。いつの間にか夢中になっていたようで、隣で同じく本を呼んでいたはずの弟は疲れたのか、ベッドの上ですやすやと寝息をたてている。その寝顔が可愛らしく、ついついイタズラ心が働き、くすぐろうと腹にてを伸ばす
が、兄弟とはいえ、難しい年頃になった弟の腹を無闇に触るものではないな、と思い、手を引っ込める。
さて、ではどこを、と思い、その柔らかな頬をくにっとつねると、
くすぐったいよ、
と、弟はくすくすと美しく笑った。
END