神様が死んだ日「神を見た事があるか」と聞かれたら私は「ある」と答えるだろう。
私の神は兄の形をしていた。
絶対的な支配者たる母とは違い、私を愛し、慈しみ庇護してくれる存在。それが兄、ケンだった。
私の愛。私の許し。
唯一無二の私の神様。
どれだけ私を取り巻く世界が変わろうとも、この信仰だけは変わらず私の心の中心にあるだろうと信じて疑うことは無かった。
そう———
「我が名は吸血鬼 野球拳大好き!! 野球拳と言う素晴らしき文化を担い守る者也!!」
私の神が馬鹿みたいな模様の入った馬鹿みたいに派手なピンク色の着物を身に纏って馬鹿丸出しの口上を高らかに謳い上げながら野球拳なんて馬鹿げた振る舞いを道行く女性に次々と仕掛けて回る姿を見るまでは。
「神は死んだ!!」
「うぉっ!? なんで突然のニーチェ?」
私は泣いた。
信仰する神のあまりにも情けない姿に泣いた。
それはもう赤ん坊でもこんなに泣かないだろうと言うぐらい泣いて兄を詰った。思えば初めて兄を愚兄呼ばわりしたのもこの時だったと思う。
あまりにも私の嘆きが酷いものだからかえって自分は冷静になれた、とは後の透の言葉だ。
後から考えてみれば、自分の理想が崩れたからといって相手を罵倒するのは完全な八つ当たりだが、兄は怒るでもなくただ穏やかに相槌を打ちながら私が落ち着くまでずっと側にいてくれた。
そうして泣いて泣いて泣き尽くして顔を上げた時、側の兄が困ったようなけれども少し嬉しそうな表情を浮かべているのを見て「どうしてそんな嬉しそうなんだ?」と鼻を啜りながら問うと「……やっと、お前がちゃんと俺を見てくれた気がしてな」と頭を撫でられて、そこで私はようやっと理解した。
兄さんはずっと私の「神」ではなく私の「兄」になりたかったのだと。
こうしてあの日私の神は死んだ。
破れた私の信仰心は優秀な兄に対するコンプレックスに反転し、遅まきながら訪れた私の反抗期を兄さんは今日も嬉しそうに受け止める。
結局変わったのは私の心持ちだけで、今も兄は何も変わらず私を愛し、慈しみ、庇護し、そして許すのだ。私の全てを。ただの兄として。