たまには違う髪型で チラチラと視線が五月蝿い。理由は分かっている。僕だって不本意だ。
イライラする!
いつも行ってる髪切り屋。髪は伸びたら切る。伸びても髪なんて優先順位が低いから後回しで、どうしようも無く鬱陶しくなったら仕方なしに行く場所。
たまたま今日は時間があった。
…違うな。
「薪さん お珍しい。まだだいぶ先にしかお目にかかれないと思っていました」
嬉しそうに出迎えてくれた美容師とはもう古い付き合い。何も言わずともいつものカットをしてくれる。
「綺麗な髪だし、たまには違う髪型にしてみませんか? きっと素敵ですよ。薪さんならどんな髪型でもお似合いになるだろうな」
毎回の提案には「いつもと同じでいい」とすげなく答えるのが常だった。
今日も美容師は「たまには違う髪型も如何です?」と話の枕のお天気についてみたいに聞いてきた。僕の「いつもと同じでいい」が返ってくると思っているのは明白な調子で。
「ちょっと変えてみようかな」
「はい、そうですよね。 え?!えー!!!」
そんなに驚くな。自分で提案しておいて。
「あ。あ……ホントに?!うわ。うわぁー!!」
あーでもないこーでもないどんな感じにと興奮する美容師に
「少しイマ風に…」と言った。
疲れていたのでちょっと眠っちゃったりしながら「お疲れ様」の声を聞き、イマ風の髪型に仕上がった鏡の中の己を見て冷静になった。
まだ鬱陶しくも無いのに整えに行った事にも、そこで言った事にもイライラする。
いつもとは違う僕がそこにいた。
一回りも歳下の恋人の来宅予定に浮かれて、ちょっと若作りをしてみたいなんて考えた馬鹿がそこにいた。
「お似合いです」
美容師はそう言ったけど、違和感しかなかった。でも切ってしまったものは戻せない。
嬉しそうに笑いながらお似合いですと言った美容師。似合ってなんかない。若い恋人がふと我に返って似合いの同年代に気持ちを移したら…なんて考えて、外見だけでもちょっと若く、なんて思った浅はかな愚か者がそこにいた。自己嫌悪。
行きとは段チの重い足取りの帰宅を、先に来ていた恋人が出迎えてくれた。
ちょっと固まった空気には気付かないフリ。言うなよ。何も言うな。
顔を上げずに合わさずに廊下を進み、リビングのソファーに陣取る。
「寒かったでしょう? あったかいの入れますね」
後ろを付いてきた青木はそのまま、既に勝手知ったるキッチンに入った。お湯を沸かす音がする。チラチラとこちらに向けられ感じる視線が五月蝿い。何も言うなよ。
似合わない髪型を晒すのは嫌で、でも一緒にはいたくて、今日の予定をキャンセルする連絡は出来なかった。
キッチンから飲み物を乗せたお盆を持って近付いて来る足音。広げただけでちっとも頭に入って来ないノートパソコンの画面。
ふわっと座面が沈んで、高めの体温と直近からの視線を隣から感じるけど僕は顔を上げられない。沈黙。視線。沈黙。画面の文字は意味を伝えて来ない。沈黙。視線。
暫くして、焦れた手が僕のこめかみを捉えて切り揃えられた髪を攫った。
「お似合いです」
嘘つき。似合ってなんかない。
「薪さんは何でもお似合いですね」
美容師に言われた時は反発しかしなかった言葉。顔が近付いてスンと匂いを嗅がれでビクッと身体が跳ねた。
「美容院、行ってらっしゃったんですか?」
大きく息を吸って髪の匂いを嗅がれて髪を弄られた。
「まだ 伸びていらっしゃらなかったのに」
数日前にリモート会議があった。
「俺が来るから?」
嬉しそうに言われた。
「嬉しい…可愛い…」
僕は何も言ってない。
でもおまえの声が甘ったるく嬉しいと言うから、似合ってると言うから、素敵ですと繰り返すから……
髪切り屋に行って良かったなと、抱き締められたまま俯いたまま小さく笑った。