Touch 国際線を降りて、国内線に乗り換えて少し。地方の空港に降り立ったアキラは久しぶりの風を感じた。開放感に、ぐっと伸びをする。
「やーっと着いたぜ! 日本!」
「いきなり大声を出すな。通行人が驚いている」
後ろからの窘める声に体を反転させたアキラは、だってさ、と問い掛けた。
「ずっと飛行機乗りっぱなしだと体がカチコチになんねぇ? ブラッドはどうなんだよ」
「確かに体の張りはあるが、お前のように大声を出したりはしない」
ため息混じりにそう返され、アキラはう、と言葉に詰まる。せっかく着いたのに小言モードに入られるのも厄介なので、やや強引に話題を変えた。
「ところで、最初はどこに行くんだ?」
「あぁ、まずはホテルだな。チェックインはまだだが、荷物を預かってくれるそうだ。それから食事に行く。この先にタクシー乗り場があるそうだ。それを使う」
「お、メシか! 行こうぜ!」
数時間前に機内食は食べたものの、もうすっかり空腹だ。アキラはぱっと表情を明るくすると、後ろに佇むブラッドに駆け寄り、その手を取った。ここは外で長くは繋げないから、少しだけぎゅっと握って、離す。ブラッドを見上げると、その表情には柔らかい微笑が浮かべられていた。
これから二泊三日、二人の日本旅行の始まりだ。
* * * * *
ホリデーシーズンが終わると、『ヒーロー』達には特別休暇がやってくる。今回アキラとブラッドは、そのうちの数日を二人での日本旅行に使うことに決めた。飛行機の時間を除くと二泊三日。短い滞在ではあるが、二人だけでここまで遠出をするのは初めてだ。プランはブラッドが決めてきたという。二人でどんな体験ができるのか、アキラはとても楽しみにしていた。
タクシーに乗りホテルに着いて荷物を預けて。それからまたタクシーに乗り着いた場所は。
「えっと……港?」
「そうだ。漁港だな」
目の前に海が広がっている。その港には漁船が停泊していて、近くで釣りに興じている者の姿も見えた。もっと日本色が強い場所に行くのかと思っていたアキラは目を丸くする。だが、先程ブラッドは食事と言った。ここでどんな食事をするというのか。
「魚、食べるのか?」
「あぁ。正確には俺達がこれから向かうのは、漁港に隣接している市場だ」
「市場?」
ブラッドについていくと、やがてブラッドの言った通り市場に辿り着いた。様々な店が魚やその加工品、刺身等を売っている。
「食べる場所は……あ、向こうに見える食堂か?」
「いや。この売り場で、食べたい品をそれぞれ購入する」
そう言いながらブラッドが指し示したのは、食堂とは反対方向にある、テーブルや椅子がいくつか並べられた場所だった。
「白米を頼むことができ、ここで購入した好きな具を載せて海鮮丼にすることができるらしい。あの場所で食べられるそうだ」
「じゃあ、オリジナルの海鮮丼が作れるってことか?」
「あぁ」
「へぇ、面白そうじゃねーか」
アキラの反応に、ブラッドは表情を緩めて続ける。
「これなら、日本の新鮮な魚介が食べられる。評判の良い和食店に行っても良かったのだが、この体験は、ここでしかできないと思ってな」
アキラには、ブラッドの目が輝いているように見えた。ブラッドは固い印象が強いが、その実好奇心は旺盛だ。この体験も楽しみにしていたのだろう。普段あまり感情の起伏がないブラッドが嬉しそうにしていると、アキラも嬉しくなる。自然と笑顔になったアキラを見て、ブラッドが首を傾げた。
「どうした?」
「いや、お前が楽しそうにしてるの嬉しいなって」
素直にそう言うと、ブラッドは驚いた表情になり、それから少しきまり悪そうな表情を作った。
「そんなに、わかりやすかっただろうか」
「いいじゃねぇか。楽しむために来たんだし。さっきも言ったけど、お前が楽しそうにしてるの、嬉しいぜ」
「そう、か」
今度は僅かに照れたような反応を見せる。いつもよりも感情が表情に出やすいような気がして、かわいいと思ってしまった。
「さっそく、行ってみようぜ」
そう促すとブラッドも頷き、市場での具材探しがスタートした。早速ブラッドは鮪を探し当てる。それからサーモン、帆立、エビ等。アキラはブラッド程魚介類には詳しくないので、ブラッドが選んだ店で美味しそうだと思ったものを購入していった。ニューミリオンでは高級とされている食材も、比較的安価で購入することができるようだ。
「アキラ。あれを見てみろ」
「あれ?」
ブラッドの指し示す方向にあったのはキッチンカーだった。惣菜やパンも、その辺りで売られているようだ。文字はよくわからなかったが、とあるキッチンカーに描かれた絵は、すぐに理解できた。
「ホットドッグ!」
「そのようだな。買うか?」
「買う! 日本のホットドッグがどんな感じなのか、気になるぜ」
「では、この辺りの買い物が終わったら追加で購入しよう」
二人でそれぞれの海鮮丼を作り、追加でホットドッグも購入した。見た目はニューミリオンで売られているものとあまり変化はないが、サイズが少し小さいように思える。
「日本はハンバーガー等のファストフードが少し小さめのサイズで売られているそうだから、ホットドッグも同様かもしれんな」
「へぇ、これなら何個でもいけそうだな」
「流石にそれはお前だけだと思うが……」
先程ブラッドが示したテーブルの一角につき、購入した海鮮丼とホットドッグを並べる。一見ちぐはぐに見える組み合わせだが、自分達らしい組み合わせだと思う。アキラはスマートフォンを取り出した。なんとかカメラを起動させ、写真を撮影する。ウィル達に土産話を期待されているから、この写真も見せようと思った。
「では、いただくか」
行儀良く挨拶をして、食べ始めた。慣れた様子で器用に箸を操る外国人の姿に、次第に周囲の視線が集まり始める。ただでさえ見目の良さから目立つ男なのだ。あっという間にその場の注目を攫っていった。
「お前、相変わらず目立つな……」
「悪意のある視線は感じないから、問題ない」
「そうなんだけどさ……」
悪意はないが、熱い視線は含まれている。恋人としては、少し気が気でない所もあるのだが。ブラッドがそういう視線に全く靡かないこともわかっているから、アキラはそれ以上は気にしないことにした。ホットドッグを口に運ぶ。
「! うまい!」
ホットドッグはどれも美味い、それはわかっているが、日本で食べるホットドッグもやはり同様だった。長旅を経ての食事が、より美味しいと感じさせているのかもしれない。
「そうか」
気が付いたらブラッドがこちらを見て微笑んでいる。不思議に思っていると、ブラッドはその表情を崩さず続けた。
「お前は先程、俺が楽しそうにしているのを見て嬉しいと言ったが、今は俺がお前が喜んで食べている様子を見て、嬉しいと思ってな」
「――!」
思わず咽そうになった。先程自分が言った言葉が返ってきた形にはなるのだが、食べているときに突然言うのはやめてほしい。いや、嬉しい。嬉しいのだが。
触れたくなってしまうではないか。
アキラはその衝動を必死で頭の隅に追いやり、食事に集中した。
* * * * *
続いて訪れたのは、とにかく広い場所だった。高い建物はなく、公園の広場のように見えるが、所々石や木の何かが設置されている。
「ここ、何だ?」
隣のブラッドに聞くと、ガイドブックらしいものを見ながらブラッドが答えた。
「城跡だ」
「城跡?」
「昔、城が建築されていた場所だ。城は既に無いが、今は歴史的な場所として保存され一般公開されている」
「へぇ」
「土台や、柱があった場所は勿論、どこにどのような部屋があったのかという説明やそれを再現したものが各地に設置されていて、それを読み進めながら散策する形になるな」
「……お前やウィルが好きそうな場所だな」
「あぁ。日本に来るなら一度こういった場所に訪れてみたいと思っていた。俺の趣味に付き合わせてすまないが、少しここを見せてほしい」
アキラはブラッドの言葉に笑ってみせた。
「まぁ難しいことはわかんねぇけど……せっかく日本まで来たんだしさ、好きなとこ行こうぜ」
先程までいた港はそれなりに賑わっていたが、ここは人の数はまばらで静かだ。人の流れを気にせずゆっくり歩けるのは快適だと思う。二人は入口近くにある門から散策を開始した。
「ここに城があったのか……なんかこれ見るだけだと、想像がつかねぇな」
「そこを想像するのが、こういった場所を散策するときの楽しみの一つだ。例えば」
ブラッドは、門を見上げた。アキラもそれにつられて見上げる。
「城があった当時は、ここを様々な目的を持った人々が行き来していたのだろう。その姿を思い浮かべてみたりな。そうすることで、当時の景色を想像できる」
「成程」
アキラにはその辺りの楽しさは、よくわからなかった。だが、天気の良い広い場所を、ブラッドと二人で自由に歩き回るのは、悪くない。
「天気が良くて、良かったな」
「あぁ」
高い建物に遮られることのない風を感じる。その風を胸いっぱいに吸い込んだ。遠く離れた地だからか、ニューミリオンの風とはやはり香りや湿度が少し違うように思う。オレ今日本に来て日本の空気吸ってるんだな、と改めて実感した。
それから、ちらりとブラッドを見る。ここには自分達の事を知っている人なんていない。少しだけ、その手に触れて、繋ぎたいとも思った。
ブラッドが視線に気付いて、アキラに目を向ける。
「どうした?」
「い、いや、何でもねぇ」
だが、いくら自分達の事を知らない人ばかりとはいえ、紳士の振る舞いとは違う気がして。
今はまだ、それは我慢。アキラはそう決めた。
それとほぼ同時に、ブラッドが手元の時計を見る。
「……そろそろ時間だな」
「時間?」
「あぁ」
鸚鵡返しをするアキラに頷くと、ブラッドはとあるものを掲げて見せる。
何かの、チケットのようだった。
* * * * *
「スタジアム!?」
アキラの目には、野球場に見えた。続々と人が中に入っていく。
「ちょうどこの辺りを拠点にしているプロ野球チームが、今日本拠地でのデーゲームらしくてな」
アキラが喜ぶだろうと思って、チケットを取っていおいた、とブラッドは言った。アキラは目を輝かせる。
「すげぇ! 日本の野球の試合か!」
「席はこっちだ」
興奮気味のアキラを伴い、ブラッドは予約した席に移動していく。
「アッシュのようにVIP席とはいかないが」
ブラッドが予約した席はボックス席のようになっていた。テーブルとソファが配置されていて、ゆったりと寛ぎながら観戦できるスタイルだ。
「これだけ余裕があって座れるなら十分だって」
他の客と隣り合って座ることもなく、二人で楽しめる。アキラは嬉しそうにブラッドに向き直った。
「ありがとな、ブラッド」
「あぁ」
せっかくだから球場で販売されている飲み物や食べ物も楽しんでみようと、販売スペースにも行き、興味を持ったものを購入した。
「お、ここにもホットドッグがある!」
一通りの準備を終えて席につくと、ブラッドがぽつりと呟く。
「……アッシュが」
「アッシュ?」
「時々お前達に席を用意し、一緒に野球観戦をしているだろう」
「おぉ」
「お前が、いつも楽しそうに話すから――俺も、同じ事をしてみたくなった」
そう言うと、ブラッドは彼には珍しく、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべる。その言葉と笑みは、見事にアキラの動きを止めた。
「……えっと、つまり……」
うまく動かない頭でなんとか状況を整理しようとする。
同じ事をしてみたくなった、とは。
アキラが楽しそうに話すからだとブラッドは言った。嫉妬……は、相手がアッシュという時点でないだろう。ということは。
「羨ましかった、とか?」
聞いてみると、ブラッドは更に笑みを深める。
「好きに思えばいい」
「なんだよそれ……」
はぐらかされたとアキラは唇を尖らせた。だが、否定しなかったということは、多少そういう思いがあったのは事実だろう。
ブラッドも、そういう考えを持つことがある。少し、嬉しかった。
「そろそろ始まるようだな」
スタジアムDJと思われる者の声が球場に響く。アキラには何を話しているのかは理解できなかったが、続々とホームチームの選手が出てきてそれぞれの守備位置に散っていくのを見て、プレイボール直前であることがわかった。
日本の野球は、メジャーリーグとは戦術の用い方が異なると聞いたことがある。どんな試合を見せてくれるのか、楽しみだ。
期待を胸に、試合開始を待った。
* * * * *
試合をきっちり最後まで見たため、球場を出る頃には夕方近くになっていた。ホテルに戻る前にショッピングモールで買い物をして、それから夕食を取った。ブラッドによると、ショッピングモールで買った物はこの後の観光で使うらしい。夕食は、和食の店だった。アキラには少し敷居が高いように思えたが、最近はブラッドに高級な飲食店に連れて行かれる事も増えてきたため、難なく対応できた。
観光を堪能して夕食も楽しんで。それからホテルにチェックインをして、部屋に入った。ブラッドが選んだだけあって、質の良い広いツインルームだ。
「流石日本のホテルだな。清掃が行き届いていて清潔感がある」
「確かに、広くて綺麗だな」
届けられていた荷物類を確認し、ブラッドはそのまま荷物の整理を始めようとする。アキラは後ろからその手を引いた。
「……アキラ?」
ブラッドは疑問の声を上げつつも、抵抗することなくアキラに従う。アキラはそのままブラッドをベッドに押し倒し、自分はその上からブラッドの唇に自らのそれを落とした。ブラッドは、それも素直に受け入れる。少しの間、触れ合って、離れた。
「……いきなり悪ぃ。完全に二人きりだと思ったら、我慢できなくなっちまって」
「……アキラ」
「今日、昼間、すっげー楽しかった。楽しかった分、ついお前に触れたくなって」
ブラッドはアキラを暫く見た後で、ふわりと笑った。
「それは、俺も同じだ」
「……お前も?」
「まだ終わった訳では無いが……お前と二人で様々な場所に行くことができて、楽しかった。だが、外では満足に触れ合うことは難しいからな」
「そう、だよな」
「今は、二人だけだ。俺だって、そういう時はお前に触れたい」
「……ブラッド」
ブラッドはだが、と続ける。
「荷物整理とシャワーを浴びる時間は、必要だからな。あと、明日は夜も出る予定がある」
「わ、わかってるって」
「俺が荷物を整理している間、先にシャワーを浴びてこい」
ブラッドの指示は尤もだったため、アキラは分かった、と言ってブラッドの上から降りた。バスルームに行く前に、と身を起こしたブラッドに手を伸ばし、抱き締める。
「充電」
「……お前は、バスルームに行くだけなのに充電が必要なのか」
「いいじゃねぇか。こうしたいんだよ」
ブラッドが、また笑う気配がした。日本に来てから、ブラッドはよく笑う気がする。
「好きなだけ、するといい」
「シャワーを浴びた後は?」
「……今日は、荷物の整理さえ終わればやることはない。だから」
その後も、好きにしろ。
耳元でそう言われ、鼓動が跳ねた。アキラは思わず抱き締める力を強める。
「その言い方、ずりぃ……」
「お前が聞いたんだろう」
「そうなんだけどさ……」
それを聞いてしまったら、早くシャワーを浴びないと思った。それから、ゆっくりとブラッドを愛したい。
「行ってくる」
「あぁ」
そのやり取りを最後に、今度こそアキラはバスルームに向かった。明日も、まだ観光は続く。残りもブラッドと幸せな時間を過ごせるように、まずは、シャワーだ。