仮初めルームメイト(7)■七 エンカウント
そろそろ戻ろうか、あてもなく寮の周囲を歩き回っていたガストがそう思い始めた時だった。
「なぁ、お前」
聞き覚えのある声が、ガストを呼び止める。それは数日前にガストに声をかけてきた学生のものだった。面倒な奴に見つかったかもしれない、そう思ったが無視して余計なトラブルになるのは避けたい。ガストは仕方なく、声の方向に目を向けた。
「何か用か?」
そう問うと、その学生はガストを睨みつけてくる。前回よりも、その表情には余裕がない。
「勝負」
「しないって」
「逃さねぇ」
この間よりも強引に詰め寄ってくる。どうやら相当機嫌が悪いようだ。
「むしゃくしゃしてるのを他人に当たって発散するのは良くないぜ」
「それ位は俺もわかってる。でも、こうでもしないと治まらねぇんだよ」
そんな理不尽な事を言われても、こちらには付き合う義理は全くない。
「だったら、他を当たってくれ」
そう言って、歩き去ろうとするガストだったが。
「じゃあ、お前と同室の転入生」
その言葉に、ぴたりと足を止めた。
「お前か駄目ならそっちだ。お前と一緒に歩いているとこ、見たことあるし。つるんでるってことは、アイツも強いんだろ?」
「……なんで、そうなるんだよ」
ガストは、大きく息を吐いた。面倒だ。非常に面倒だが、ウィルに絡むというのなら、見過ごす訳にはいかない。表情を改めて、学生を見る。その眼光の鋭さに、学生の表情も変わった。
「わかった。相手になってやるよ」
ガストがそう言った瞬間だった。
辺りが闇に包まれた。
*****
ウィルに声をかけてきたのは、数日前に現象に見舞われた学生だった。念の為療養を、ということで、自室にて面会禁止の状態で休んでいたはずだ。
「えっと……何かな」
もしかしたら何か情報が聞き出せるかもしれない、そう思ったウィルは柔らかく問いかける。内気そうに見えたその学生は、ウィルの言葉に緊張を解いたようで、こちらに近付いてきた。
「僕を止めてくれた人にお礼言いたくて。君、同じ日に転入してきて同じ部屋だっていうから」
「あぁ……」
どこかでガストのことを聞いてきたのか。
「どこかに忘れ物したみたいで、今ちょっと外に出てるんだ」
「……そうか……」
「すぐ戻ってくると思うけど、部屋で待つ?」
「い、いや、そこまでは……」
どうやら見た目の通り、かなり内気らしい。これで突然ああなったのだから周囲はさぞ驚いたのだろうとウィルは思った。だが、このまま帰してしまうのは勿体無いと思って。
「じゃあ、少しだけ俺の話し相手になってくれないかな? あいつがまだ帰ってこなくて、時間を持て余してて」
そう引き止めた。
*****
根気強く物事を進めるのは得意だと思う。植物を育てるように、大事に少しずつ、関係を育てていく。そして、良いと思ったところは本心から称賛する。そうすれば良い関係が築けると、ウィルは信じていた。
「へぇ、そんな勉強方法があるんだ、知らなかったな」
「僕は、結構その方法が性に合ってるみたいで。この方法を続けたら、成績が上がってきたんだ」
「成果も出てるんだ、すごいね。俺も試してみようかな」
この学生とも、そうだ。立ち話ではあったが、話していくうちに少しずつ緊張が取れてきたらしく、学生の口数は多くなっていった。
「君は、話しやすいね。良い人なんだな」
「そんなことないよ。俺の話に付き合ってくれてる君が良い人なんだと思うよ」
そうウィルが言うと、学生は僅かに顔を曇らせた。
「でも、僕はこの間事件を起こしてしまったし……」
「君は覚えていないんだろ? 他にも同じようなことになった人もいるみたいだし、君のせいじゃないと思うよ」
例の話題に差し掛かる。学生はウィルの励ましにも顔を曇らせたままで。ウィルは注意深く話を進めた。
「それとも何か、思い当たることでもある?」
ウィルの問いかけに学生は肩をびくりと動かす。何かが、あるのか。
「良かったら俺に話してみない? ほら、俺は転入したばかりでまだ友達もいないし、誰かに言うようなことはないよ。人に話して楽になることも、あるだろ?」
そう言うと、学生は暫しの沈黙の後で口を開いた。
「ストレス、だったのかなって」
「……ストレス?」
「実は、先生に紹介してもらった進路があって。僕はそこに行きたいって思ったんだけど、ああなる前の日、電話で親に相談したら物凄く反対されて。せっかく紹介してくれた先生にもそのことは言い難いし、僕も諦めきれないしで……」
「それが、ストレスに?」
「誰にも相談できなくて、その日一日ずっとぐるぐる一人で悩んでたんだ。あんなに悩んだのは久しぶりで、その所為かなって」
誰にも言えない悩みがあった。今の学生の告白と、今まで現象が発生した学生とを脳内で照らし合わせる。
「…………あ」
「どうしたの?」
「あ、あぁ、いや、ちょっと思い出したことがあって。急にごめんね」
脳裏に浮かんだ情報に思わず声を出してしまう。首を傾げる学生には答えを濁しつつ、ウィルは続けた。
「それが本当の原因かはわからないけど、やっぱり一人で溜め込むのは君自身も辛いんじゃないかな」
「そう、だね」
「俺で良ければまた話を聞くし、その先生にも一度相談してみたらどうかな。君がその進路に前向きだったのは先生も知ってるんだろう?」
「うん」
「じゃあきっと、相談に乗ってくれるよ。先生なんだから何か良いこと、提案してくれるかもしれないし」
ウィルがそう励ますと、学生の表情がようやく晴れた。
「……そうだね。あんなことにならないためにも、行動してみる」
「応援してる」
「ありがとう。君と話せて良かった」
学生はそう言うと一つお辞儀をして去っていく。その背が見えなくなるまで見送ったウィルは、その後勢い良く自室に戻り、情報を書き留めたメモを見返した。
現象に遭った学生のうち、一人の女子学生だ。本人は事前に変わったことなど何も無かったと話していたそうだが、ウィル達は彼女に関するある噂を耳にしていた。
学内の男子学生と恋人関係にあったが、別れたのではないかという噂。現象が起きる数日前から、二人が共にいる姿を見なくなったという。だが、気が強い性格だった彼女からは、誰も真実を聞き出すことができなかった。そして彼女は、かなりその男子学生に精神的に依存していたという。
「別れたことを誰にも言えずに悩んでいた……とか?」
その噂を耳にした当時も些か引っかかる内容ではあったが、他の現象が出た学生からは同様な情報がなかったため、共通点ではないという認識だった。だが。
「もしかして皆、何かしら抱えてたけど、誰にも言えない状態だったのか?」
もしそうならば、本人からなかなかその情報は引き出せない。だから今までわからなかったのか。勿論誰しも、人には言えない悩みを抱えているのだと思う。この学生達以外にも、このスクール内には多くのそんな人間はいるだろう。だが、中でもこの学生達が、一時的にその悩みが強くなって、そこをサブスタンスに発見されたのだとしたら。
「……て、これがわかったところで、どうなるんだ……?」
そこまで考えたところで、ウィルははたと気付いた。仮にこれが事実だったとしても、この情報では事前にサブスタンスの出現を察知することは難しい。そういった学生の特定は、少なくとも外から見ただけではわからない。
「うーん……」
やっと手掛かりを掴んだような気がしたのだが。
「とりあえず、ヴィクターさんに報告してみるか……インカムなら、出歩いているアドラーにも伝わるし」
ヴィクターなら、良い方法を思いつくかもしれない。そう考えたウィルは、インカムを通じて呼びかけようとした。
だが。
『ウィル! ドクター! 聞こえるか!』
インカムからガストの鋭い声が聞こえた。
「……アドラー!?」
ウィルが呼びかけると、ガストから返答があった。
『サブスタンスが出た!』
「なんだって!?」
『こちらでも反応を確認しました。ガストは今、サブスタンスの近くにいるということですね?』
ヴィクターが質問を投げかける。ウィルはじっとガストの返答を待った。一人で、サブスタンスに遭遇してしまったのか。その状況に、心臓が激しく鳴り始める。
『あぁ。それでドクターの装置を使ったんだけど……正確には、これ、サブスタンスに取り込まれてるって感じがする』
「えぇ!?」
『一人ですか? 他に学生は?』
『俺の他に一人いる。そいつも一緒に――っ』
ガストの声が、不自然に途切れた。それから何も聞こえない。
「おい、アドラー!」
一向に返答はなく、ざっと血の気が引いた。
『ウィル、サブスタンスの出現場所を送ります。装置を使ったガストがサブスタンスに干渉しているいることで少し長く拘束できているようなので、すぐに向かってください』
「わかりました!」
すぐにヴィクターからメッセージで場所が送られてくる。それを確認しながら勢い良く部屋を出て、走りだした。
ガストの無事を、祈りながら。