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    あらた

    @arata00msms

    20↑成人済女性。文字書き。
    現在は原神で活動。
    リオヌヴィ、カピオロ(スラオロ)メイン。
    カプなしSSも書いたりします。

    Xのまとめ中心。ピクシブにも同じ内容か加筆修正したものを公開することがあります。

    参加してるWEBオンリーの開催期間中、該当しない作品は一時的に非公開にしています。

    マシュマロでの感想はコチラ↓
    https://marshmallow-qa.com/ah9ihn2xtso5qih?t=rlk0Ru&utm_medium=url_text&utm_source=promotion

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    あらた

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    テイワットの記憶あり転生現パロのカピオロのX(旧Twitter)でちょっとずつ書いてたのまとめ。
    サイレント誤字修正&加筆修正ありです。
    ピクシブにも同じ内容を上げておりますのでお好きな方で読んでください。
    感想あると喜びます。

    #カピオロ

    今世は頑張らない隊長 まとめ勤めている企業に入社してそれなりの年月が過ぎた。
    ホワイト企業ではないものの残業や休日出勤はちゃんと出る。それらが多くなるのは主に繁忙期や決算がある月、くらいだったのに。
    今では定時で帰れた日は月に数回でほぼ毎日残業。さらには休日出勤も当たり前となってきている。土日祝が休日なはずなのに土曜日はだいたい職場に来ている。
    仕事が出来ないわけではない。自分でいうのもなんだが出来る側だと思う。プロジェクトリーダーも何度か経験し、同僚や部下にも慕われていて出世も近いのでは、という噂があったりもした。
    それ……仕事が出来ることが原因なのか最近トップが変わったせいかのか。大規模な部署移動が行われた結果、職務内容がブラックになった。
    エリートだけが集められた部署、と言われれば羨ましられるが実際の所は他でやると時間のかかる上に重要な案件ばかりが集中する多忙を極めた部署になった。
    ここに配属された者は一部……はっきり言えば形だけの上司を除いて確かに優秀な人材が多くいる。初めのうちは精鋭が集められた部署に配属になったことで皆誇らしげに仕事に打ち込み、残業とは無縁に近かったのだが。あれもこれもと担当する仕事が増えていき今ではこの職場で上位三位には入るレベルのブラックな部署になっていた。
    深夜帰りはまだましな方。終電が無くなる時間を過ぎた頃にその日に終える仕事が片付くことも少なくないので会社に泊まることの方が多い週もある。貴重な休日はほとんど寝て終わるので家事に手が回らない。
    そんな日々が続いていたある平日の深夜。
    パソコンのキーボードを叩く音、書類を捲ったりボールペンで書き込む音。それらがオフィスに響く。
    唐突にガタン、と大きな音を立てて斜め前のデスクにいた男が立ち上がる。
    「ああああもうむり仮眠行ってきます」
    同僚のひとりが力なく呟いて部屋の隅っこへふらふら歩いていくのを横目で見ながら自分の仕事を少しでも多く処理していく。
    仮眠というが実際はそんな場所は無く。キズがあって使えなくなった納品用段ボールの上に寝っ転がりブランケットを被って寝てるだけ。
    「終電ないし、俺もこれ終わったら朝まで寝ますわ」
    「なんでこの部署こんなブラックなんだよ。死ぬわ」
    「知ってるか。ふたつ下の階の部署もクソやべえってよ。あと営業」
    「ソースどこよ」
    「俺っす。前に喫煙ルームで愚痴大会したんで」
    「同士じゃねーか。今度飲み会やるか」
    「飲み会やる時間すらねえけど」
    それなー、と疲れた笑い声が聞こえてくる。
    全員限界が近いな、とスラーインはすっかり冷え切ったブラックコーヒーを一気に飲み干す。
    強い苦味に眉をしかめるが、下手なエナドリよりも目が覚めるのだから仕方ない。
    そういえばあの男はブラックコーヒーを好んでいなかったか。疲れた脳にうっすらと誰の影がよぎる。が、スラーインの知り合いにブラックコーヒーを好んで飲む男の友人はいなかったはずだ。
    「……俺も疲れているのか」
    モニターから視線を外すして眉間を揉みほぐす。眼底の奥が鈍く痛む。
    昔はこの程度は疲れたうちに入らなかったのに。
    戦い続けなければ守れなかった。休んでいる暇などなかった。五百年間ずっと……。
    五百年……? と疑問に思った瞬間。カーンルイアの天柱騎士、ファデュイ執行官、ナタの英雄として戦場を駆け巡った記憶が一気に脳へと流れていく。
    突如襲ってきた膨大な記憶量。その情報の多さに脳が処理仕切れず、とてつもない頭痛にみまわれ思わず頭をおさえて耐え凌ぐ。幸いなことに同僚たちは離れた所で休憩と談笑をしていたので異変に気づく者はいなかった。
    閉じていた目を開けて静かに深呼吸をする。
    過去、いや前世というべきだろうか。かつての記憶を思い出すとあの時と比べればこの程度の仕事量は些事だと思う反面、争いもなく平和で自由な世界でなぜ未だ不自由を強いられているのだ。と考える。
    記憶を思い出したことで違った意味で思考や視界がクリアになる。
    かつての部下も知り合いもいない職場でしかもブラックな部署。居続ける意味が一切見いだせなかった。
    辞めるか。
    そう決断したら行動は早かった。
    残ってる仕事を速攻で片付けて引き継ぎの資料やマニュアルをまとめて部署全員にメールで送りつけた。
    誰かが徹夜のテンションで辞表を書こうとコンビニで買ってきた真っ白な便箋を文房具などがある備品置場から持ってくると一筆したためて、上司の机に置いた。
    「俺はもう帰る。明日以降は有給を申請したので出社はしない。あと退職するから引き継ぎに関するものはメールで送っておいた。各自確認してくれ。今までご苦労だった」
    そう言い切ってオフィスの部屋を足早に出ていく。
    「スラーインさんお疲れ様ですうううって今、なんて!?」
    「ちょ、辞めるってマジっすか!!」
    「上司のデスクにまじで辞表置いてあるんだが!?」
    同僚。元同僚というべきか。阿鼻叫喚の声がエレベーターホールまで聞こえてくる。正気に戻った者が慌ててドアを開いて廊下をかける足音が響く。が一歩遅くエレベーターは無情にもスラーインだけを乗せて下へ降りていく。
    「はあ、自覚したとたん疲労がきついな」
    ふとポケットから振動がする。社用スマホに同僚からの着信とメッセージ通知だ。
    持ち歩くのが癖になっていて置いていくのをすっかり忘れていた。
    スマホの電源を切ると首元のネクタイを緩める。
    明日は一日寝て過ごす。後のことは知らん。
    久しぶりに味わう開放感にスラーインの口角が僅かに上がった。

    カーテン越しの日差しでスラーインは目を覚ます。
    デジタル表示の目覚まし時計を確認すればお昼間近。
    寝過ごしたか、と一瞬焦るがそういえば帰宅前に有給の申請と辞表を上司の机に置いてきたんだったか。
    今頃職場は阿鼻叫喚だろうが知ったことではない、と再び枕に頭を沈める。二度寝特有の微睡みを味わうも、一度覚醒した意識では夢の世界に戻ることはできず。結局二度寝は諦めてもそもそとベッドから起き上がることにした。
    自宅に帰ると着替えるのも億劫だったのでネクタイだけ外して直接ベッドに倒れるように寝ていた。ジャケットは着ないで腕に抱えていたのでそのへんの椅子の背もたれに引っかかっている。
    着ていた服を雑に脱いで洗濯機に突っ込むとスタートボタンを押して浴室へと向かった。
    シャワーを浴びると体もだいぶリフレッシュできたようだった。タオルで適当に拭っただけの黒髪はまだ湿っており毛先から水滴が滴り落ちそうになってるが気にせず大きめのマグカップにいれられたコーヒーを口にする。
    「……静かだな」
    テレビや冷蔵庫の待機音。乾燥機能のついた洗濯機が稼働する音。座っているソファーが僅かに軋む音。飲み物を啜る音。
    ごく僅かな生活音だけがスラーインの耳に届く。
    いつもなら鳴りっぱなしの社用スマホはあれから電源を切っているのでただの板になっている。
    平日の昼間からなにもしなくてよい時間を過ごすというのは大人になってからは前世も今世でも早々なかったかもしれない。
    昔も今も社畜すぎる生き方しかしていないなと自虐の笑いが込み上げてくる。
    『君、やっと気づいたのか』
    と呆れたようにコウモリ耳の男がそう言う光景が思い浮かんでしまった。
    あれはどうしているのだろうか。
    「……俺よりはうまく生きているだろうな」
    気にならない、といえば嘘にはなる。が、あいつの周りにはおそらくかつての家族や友人が傍にいるような気がしていた。俺一人いてもいなくてもあいつの人生には問題ないだろう。
    中身が半分以下になったマグカップをローテーブルに置くと上半身を気怠げに倒してソファーに置かれていたクッションを枕の代わりにする。
    やるべきことはあるが、急ぎ片付ける必要はないだろう。夢と現の狭間を揺蕩うようにそっと瞼を閉じた。


    前世の記憶を思い出してから三週間が過ぎた。
    記憶を思い出した直後は徹夜続きで疲れ切っていた体を休める為に数日間は休息という名の睡眠に費やすと今度は勤めている職場をちゃんと辞めるべく行動することにした。
    とはいえ、職場に赴いたら間違いなく引き留められるのは確実だったので評判の良い退職代行を請け負う会社に依頼を決めた。
    結果、一度もあの職場に行くことなく退職までの手続きが完了した。社員証、社用スマホなどの返却しなくてはいけない物は退職代行の会社を通して返却してもらっている。私物は少しあったものの、わざわざ引き取ってまで回収したい物ではなかったので全部処分してもらった。
    退職金は思っていたよりもあった。ブラックな職場環境への口止め料といったところだろう。俺が黙っていてもいつか然るべき機関に通報されそうなのでもう自分には関係ないことだと目をつぶった。
    同年代ではわりと高めの給料に残業休日出勤代に年二回のボーナス。金を使うような趣味を持っていなかったこともあり貯金はかなりの額になっていた。数年くらい働かなくても余裕で暮らせる程には。
    そして貯金と共に知らない間にたまっていたのが有給だった。辞めるにあたり有給を買い取ってもらうこともできたが退職代行の担当者に有給消化しましょう。前部。と前のめりに提案されて有給を使いきってからの退職が正式に決まった。
    そしてあらためて有給消化期間に入って最初にしたのが何をしたら良いのだろうと考えることだった。
    とりあえずゴミを捨てる、溜まってた洗濯を洗う、といった簡単な家事から。そこから普段雑に掃除をしている場所をキレイにしていく。無心で作業が出来るので時間潰しにはちょうど良かったが、寝るだけの家になっていたので汚れている場所はそこまで多くなく一週間もするとやることが無くなってしまった。
    食事を済ませて洗い物を終わらせると途端にやることがなくなってしまい空虚になる。
    こういう時に趣味でもあればよかったのだがあいにく無趣味。体を鍛えるのは好きだったので家近くのジムに行っていたが、部署移動に伴い激務になってからは行かなくなってしまった。否、行けなくなってしまったのでとっくに退会している。
    再入会も考えたが、また行けなくなる可能性も考えるとやめておいた方がよさそうだと判断するが、少しは体を動かしたい。その代わりという訳ではないがウォーキングをするようになった。暇つぶしともいうが。
    昼過ぎに家を出て、気ままに歩くだけ。特にルートは決めずに始めたが、最近はカフェに立ち寄るようになった。本屋と提携しているらしくマガジンラックには多種多様な本が置いてある。読書をする機会があまりなかったのでいい機会だと一冊手にとってみれば、静かな空間でゆっくりできる時間が思いの外心地よく毎回寄るようになっていた。
    商品を注文すればカフェに置いてある本が読める。続きが読みたい者はそのまま本屋で買うか電子ストアで購入ができる。
    勿論、本の持ち込みも出来る。ただ席が少ないので混んでくる時間帯は相席を推奨している。
    ここを利用する人はそれをわかっているので空いている席を見つけると先に利用している者に一声かける、というのがあたりまえになっていた。
    今日も飲み物を頼んで、話題のコーナーから適当に一冊選ぶとページを開く。
    「すまない。相席してもよいだろうか」
    本を読み出してしばらくした頃。俺がきた時にはまばらだった店内のテーブル席はほとんど埋まっていた。
    相席を希望して先に利用していた俺に声をかけてくる者がいた。
    「ああ、構わない」
    「ありがとう」
    相席の許可をもらった男はいそいそとブラックコーヒーとサンドイッチがのったトレーを机に置くと向かいの椅子に座る。
    パーカーのフードを外すと、紫紺の髪が見えた。
    馴染みのあったコウモリ耳や顔のペイントは無いがオッドアイの瞳はよく知った色をしていた。
    献身の古名を受け継いだミクトランのコウモリ。
    「……人違いならすまん。お前はオロルン、か?」
    「え、なんで僕の名前を知って……ちょっと待ってくれ。その魂……もしかして、隊長?」
    隊長という呼び方に思わず苦笑する。
    そんな呼び方をするのはかつての俺を知っているヤツくらいだろうというのもあったが、最初にそれを呼んだのが記憶を思い出してからずっと頭の片隅にいた男だったこともあった。偶然かそれとも、必然か。どちらでもいいか。
    「ファデュイ執行官第一位『隊長』ならかつての俺を現すものだ。……久しいなオロルン」
    「隊長、久しぶり。君に会えてよかった」
    左右で違う色が会えて嬉しいと輝く。
    記憶を思い出して良かったと、心から思えたような気がした。
    読んでいた本は閉じて机の片隅に置かれた。今はオロルンとの会話を優先したいと思ったから。
    向こうも同じでトレイのサンドイッチや飲み物に手は出すが、他に持ち込んでいたであろう物は出そうとしなかった。
    会話の最中、ふとオロルンの瞳が俺の顔をじっと見ているのに気づく。気の所為にしては視線がずっと此方に向いているのでさすがに声に出した。
    「俺の顔を見ているのは楽しいか」
    ずっと見ていると指摘すればオロルンはすぐに謝った。
    「ゴメン。君の素顔は初めて見たから。あと髪が短いのも変な感じだ」
    「会社勤めをするなら短い方が一般的だろう」
    特にこだわりがあるわけでもなかったので当たり障りのない男性社会人の身なりを維持するようにしていた。前の部署にいた時はもう少し気にかけていたと思ったが退職を決めるまでのここ数カ月は激務すぎて会社と自宅の往復しかしていなかった記憶しかない。襟足の髪が首を隠すくらいには伸びてしまったが、執行官だった時の俺しか知らないオロルンからすれば別人のように見えるのだろう。
    「それも、そうか。今日は休みなのか?」
    「ああ。最近仕事を辞めてな。今は有給消化中だ」
    「辞めたのか。その、怪我とか体調不良で? いや、僕が聞くことじゃないな」
    「構わん。つい最近前世の記憶を思い出したと同時にその時にしていた仕事に嫌気がさして退勤と同時に辞表を出してきた」
    「……君が役目を、自分から投げ捨てたのか」
    「そうなるな」
    なんのツボに入ったのかは不明だが声をなるべく抑えつつも唐突に笑いだすオロルン。
    ひとしきり笑って落ち着いたら俺の瞳を見て謝ってきた。
    「すまない、いきなり笑ってしまって」
    「どこに笑う要素があったのかは知らんが、笑い話になるならそれでいい。俺の前世も報われるだろう」
    前世は前世。今は今と割り切っているつもりではいるが完全に切り放すにはまだ時間がかかるだろう。自虐めいた言い回しになってしまう。
    するとダン、となにかを叩く音がした。オロルンが握った片手をテーブルに叩きつけたものだった。
    「それは違う。隊長はずっと自分の為じゃなくて誰かの為に動いていた。前世だけじゃなくて今の隊長も報われるべきだ」
    笑い顔から一転、辛そうな顔になる。
    「何故お前が泣きそうな顔をする」
    「君が自分を大事にしないからだろ」
    「お前だって自らを犠牲にしようとしただろうに」
    「僕のは……その、未遂だったし。後でばあちゃんにめちゃくちゃ怒られてる。隊長は怒ってくれたり守ってくれる人……僕で言うならばあちゃんや兄弟みたいな人はいないのか」
    「前に慕ってくれていた部下たちや同僚とは今世では会っていない。……そもそも会っていたらこのような状況にはなっていないだろう」
    「あ……ゴメン。隊長」
    「何故謝る? そもそも、前世の記憶なんて曖昧なものを信じる方が稀だ。今日、お前と再会出来たことも奇跡みたいなものだろう。俺としては最初に再会したのがお前で良かったと思っているが」
    オロルンに会えて嬉しい。そうはっきりと告げると左右で違う瞳が困ったように揺れる。コウモリの耳ではなく人の耳が僅かに赤に染まる。
    「隊長の人誑し……」
    半分ほど残っているカフェオレのカップを口に運んでいるとオロルンがなにか小さく呟くがよく聞こえない。
    オロルンはアイスコーヒーではなく、水を一気に飲み干して一息つく。そしてトートバッグから出したのは紫のカバーがついたスマホ。
    「そうだ、せっかく再会できたんだ。よければ連絡先を交換しないか」
    「ああ」
    そう提案されて俺も黒いスマホを取り出す。
    そういえば仕事用とプライベートでスマホを分けて使っていて、主だった連絡先や会話用のアプリは全部仕事のスマホに入れていた。今はそれを返却していたのでプライベートの方は長く使っていたはずなのに中身は新品同様で今度は俺がつい笑ってしまった。
    ここまで私生活に興味が無かったのか、と。
    その場で新しく会話用アプリをインストールするととても驚かれた。が初めて登録されたのが自分だと知るとはにかむような顔になった。
    オロルン、と登録されたスマホに無色だった俺の世界が少し色づいたような感覚になる。
    オロルンも自分のスマホに俺の連絡先などを登録していくが、名前の入力画面で指が止まった。
    「隊長って呼ぶのもなんか変な感じだな。今はなんて名前なんだ? カピターノ、か」
    「いや、今の俺はスラーインだ」
    「スラーイン……そうかそれが君の在るべき名前だったな」
    慣れないうちは隊長って呼びそうだな、と言いながらオロルンは自身のスマホにスラーインと打ち込んでいく。
    別に隊長呼びでもかまわないと言ったら、じゃあ別の場所ではそう呼ぶことにする。と嬉々として言った。
    別の場所とは? と疑問に思うがオロルンが楽しそうだったので聞かないことにした。


    オロルンと再会した数日後。有給期間も終わり、正式に無職となった。
    正式に無職とはなんだとも思うが無職は無職だ。
    とはいえやることがないのは落ち着かない。
    次の職を見つけるかと職業案内所へ手続きにいけば今までの職歴や残業休日出勤の内容を見た職員から「今すぐに新しい職を見つけなくても大丈夫ですのでしばらくお休みしませんか?」と提案された。その際にやっておくといい役所での手続きとか書類を受け取ってその日は帰った。
    それをオロルンに伝えたら「僕も君はゆっくり休むべきだと思う」と同じことを言われてしまった。
    かといって休めと言われても休み方がわからない。
    素直にそう伝えたら少し調べ物をしてくる。と言って通話が終わった。数時間後、オロルンから有名観光地と旅館のURLが送られてくる。
    ピコンピコンと画像が何枚も送られてきたと思ったら今度は通話の知らせ。
    「いきなりなんだ」
    『君やることが無いんだろ? だったら旅行でも行ってきたらいいんじゃないか。こういう機会でもないと行かないだろう』
    「ならお前も一緒に行くか?」
    『……行きたいけど、ゴメン。締切が近くて』
    オロルンはフリーのイラストレーターやデザイナーといったクリエイター的な仕事をしている。俺にそういった知識がないので曖昧な認識なのは仕方ない。他にも副業でなにかしているみたいだが基本、在宅作業なのだそうだ。畑仕事も変わらずやっているらしいがそちらは家庭菜園なので趣味の部類らしい。
    仕事の打ち合わせや買い物の時にこちらへやってくるらしく、あの時再会したときも編集と次の仕事について打ち合わせをした帰りに休憩にとカフェに寄ったのだとか。
    「仕事なら仕方ないだろう。代わりに土産でも……」
    『言っておくが、僕は一人暮らしだ。お土産もらっても配れるのはばあちゃんと兄弟くらいだし甘すぎるのは食べれないからな』
    買うなら少量でできればそんなに甘くないのがいい、と念押しされてから通話を切った。

    一週間後。
    わりと有名な温泉地へと訪れていた。
    日帰りでも良かったのだが、せっかくなら泊まってきたらいいと言われて結局二泊三日で旅館の予約を入れた。
    急に決めた旅行なので予定は特になく、観光名所を回ったり温泉に入ったりと自由気ままなものだが。
    観光シーズンではない時期なのでそこまで混雑していなくゆっくりするにはちょうど良いかもしれない。
    荷物は早々に泊まる旅館に預け、最低限の荷物だけ持って観光に向かう。少し歩いた所に滝があって写真スポットで人気だと教えてもらったのでそこまで向かうことにした。途中にあった甘味屋で休憩も兼ねて団子を注文する。あんこの甘さが程よく、もう二皿くらい食べてもよかったのだが男一人で甘味を食べているのが珍しいのか周り……主に女性からの視線が気になったので食べ終わるとすぐに店を出た。
    こういう店は女性客の方が多いのだし仕方ない。
    ゆっくりとした足取りで進んでいくと水が落ちる音がどんどん大きくなっていく。
    「これは確かにすごいな」
    滝に重なるように木々の枝が伸びている。桜の木らしくすっかり葉っぱになってしまったがそれでも十分見応えがあるだろう。桜が満開になると桃色の滝が見れるらしいが、混雑する時期に行くのは疲れそうだと思った。オロルンもきっと苦手だろう。
    ズボンのポケットからスマホを出して滝の写真を撮る。観光している証拠にちょうどいい。
    出発前に「旅館に引きこもって寝て過ごさないように」と釘を刺された。コウモリの獣人だったオロルンは朝に弱く夜寝付けない体質だった。今の俺と状況は違うが睡眠について悩んでいたことは変わりないので世間話の延長線で今自分がうまく眠れないことを話している。
    安眠グッズやおすすめの眠気覚ましなど色々と教えてもらったが今は割愛しよう。
    オロルン曰く、旅館やホテルの寝具は普段と違う特別感があってずっと寝てられるからちゃんと朝は起きて観光するように。とのことだ。
    おそらく前にシトラリと旅行した時にでもずっと寝ていて雷でも落とされたのだろう。真面目なトーンで言うものだから少し笑ってしまった。
    何枚か撮ると一番綺麗に撮れたと思う画像をオロルンに送る。しばらくして既読とイクトミ仔竜のスタンプが送られてくる。スタンプの絵柄から俺が送った画像を喜んでくれたみたいだ。これならさっき食べた団子の写真も撮ればよかったか、と思うが成人男性が甘味の写真を撮ってるとこなど気持ち悪いだろうと思い止めた。
    代わりに夕食は部屋でとるから、その写真を送るかと思案していると声をかけられた。
    「すいません、写真撮ってもらいたいんですけど良いですか?」
    振り向けばそこそこの人数で観光しているグループがやってきていた。滝の付近にはそのグループと俺しかいなかったので了承してカメラを預かった。
    ありがとうございます! と一礼してグループへと向かっていく。記念写真撮るぞ〜と声をかけていき、滝を背景にすぐ集まっていく。大学のサークルにしては年齢差があるのでどこかの会社の慰安旅行かなにかだろう。
    カメラを頼んできた男が「お願いします!」と叫んだのでグループの方へ近づく。
    どこの軍人か、と思うほど綺麗に整列された姿にかつての部下がいたら同じようになるんだろうか、なんて考えながらカメラを向けようとした時。
    「……もしかして長官、ですか?」
    「は……? お前グスレッド、か? いや、まて。お前らももしかしてカーンルイアとファデュイで俺の部下だった……」
    「隊長おぉぉぉ」
    「長官んんんん」
    ……過去に俺の部下だった奴らが叫びながら飛びかかってくるのは若干怖く、敵の攻撃を避ける要領で全部避けた。背後には勢い余って転んで倒れる元部下の山。
    何人かは前世の関係者ではなかったので突然の同僚? の奇行に驚き、立ちすくんでいた。
    ……無関係とは言わんが、俺は悪くない。
    「隊長 隊長が目の前に」
    「夢じゃない 長官が、長官がいらっしゃる」
    「俺、ずっと上官にお礼が言いたくて…… こんな下っ端にも気遣ってくれて……」
    「……お前たち冷静になれ」
    「申し訳ございません、長官」
    「すいません隊長」
    旅行に行った先でかつての部下たちに会うとは思っていなかった。
    あの後、俺に会ったことで一時的な錯乱状態になっていた部下に昔の癖で命令をしてしまう。
    それを忠実に遂行したはいいが突然現れた男を長官、隊長、上官と呼ぶ謎の状態に前世と無関係な者から奇怪な視線でこちらを見ているのが若干居た堪れなかった。
    前世を知っている者だけならいざ知らず。全くの無関係の者もいる状態で俺を中心に騒ぐのは良くないだろう。
    記憶を取り戻したあの夜ぶりに頭が痛くなった気がして思わず眉間を押さえる。
    「すみません、長官。再会に昂って冷静さを欠いてしまいました」
    いの一番に正気に戻ったのはかつて俺の副官だったグスレッド。
    「いや、気持ちはわからなくはない。が、ここは観光地。騒ぐには適していないし、お前たちと共に来た者の中には俺と無関係の者もいるだろう」
    「そのとおりです。しかし、長官との再会を喜びたい気持ちも本当なのです」
    「……長い戦いを共にしてきたのだ。当然だろう」
    胸に手を当てて一礼をするグスレッド。それにならう正気に戻った部下たち。
    天柱騎士だった時の同志。執行官第一位だった時の部下。今なお変わらず俺を慕い、忠誠してくれるのは有り難いとは思う。が。
    「……流石に場所を考えてくれ」
    何度でも言おう。ここは観光地であってカーンルイアでもナタでもないし一般人もいる。
    前言撤回だ。
    こいつらまだ正気じゃない。絶対。
    とりあえず部下代表でグスレッドと連絡先を交換してその場を去ることにした。
    背後から一応周りに配慮して声量は抑えてはいるが野太い叫び声が聞こえてきたが他人のふりをして急ぎ足で旅館まで戻った。
    その後。温泉と夕食を楽しみ、地酒を少しだけ嗜んで程よい微睡みの中、敷かれていた布団に体躯を沈めた。
    スマホは旅館に戻ってすぐサイレントモードに設定していた。夕飯の後からやってきた大量の通知は見て見ぬふりを決めた。
    グスレッドの気持ちは嬉しいが、今世の前職場で昼夜問わず鳴る社用スマホを思い出してしまう。
    俺はここに休みにきたんだ。起きたらグスレッドには謝罪のメッセージを入れるとしよう。
    明日の予定を脳内に書き込むと、疲れからかすんなりと眠りについた。
    オシカ·ナタの玉座で魂を解放した時の感覚に似た何かをうっすら感じたような気がした。

    『今世もどうか共にいさせてください。長官』
    『隊長様のご命令とあらば何処までも』


    窓の障子から差し込む太陽の眩しさでうっすらと意識が覚醒しだす。
    何時だろうかと寝る前に枕元へ投げ捨てたスマホを手探りで見つけて、まだ眠い目を擦りながら画面を開くとプライベートのスマホでは見たことのない通知の数に寝ぼけていた頭が一瞬で覚醒して昨日の出来事が思い出される。
    「オロルンに続いてグスレッドたちと再会か……」
    記憶を思い出すまでずっと独りだったから、前世を知る者との再会は喜ばしいものだ。
    が、三桁とはいかないものの仕事で使用していた時ですら見たことの通知の数。恐る恐るトーク画面を開いたが内容は至って普通のもので少し安堵する。
    通知、もといメッセージの数が多いのはかつての部下たちが各々メッセージを書いたからだった。
    昨日再会した時がアレだったのでどんな文章が大量にきてるのかと若干不安ではあったが、文字に起こすという工程を挟んでいることと時間を少し置いたおかげで至って普通の文章で安堵したのは内緒にしておこう。
    カーンルイアの騎士だった時からファデュイ執行官の時の部下となるとそれなりの人数にもなる。今日会えなかった者以外ももしかしたらいたのかもしれない。
    そんな彼らからのメッセージを読んでいるとピコン、と新着メッセージの通知音。
    一番下まで読み進めるとグスレッドから数分前の時間でメッセージがきていた。お前何時に起きてるんだ。
    『おはようございます長官。本日のご予定がまだ決まっていないようでしたらお時間を頂いてもよろしいでしょうか?』
    やりたい事といえばオロルンへの土産を探すくらいだろうか。あとは観光らしいことをしていないのでもう少しくらい辺りを散策するのもいいが急ぐような内容でもない。
    『特に予定は決まってない』
    メッセージを送り返すと秒で既読がついた。
    それから簡潔なやりとりをして、今日の午後はかつての部下たちと観光や土産探しをすることに決まった。
    起きて早々、疲れた気もしたがそういえばあいつらとプライベートな時間を共に過ごすというのは殆どなかったことを思い出す。
    鉄錆のにおい。仲間との別れ。ファデュイ執行官になってからは疑惑の眼差しや罵倒も加わった。
    各国を巡ってきたが、どれも殺伐としたものだった。
    終わりの見えない赤黒い道を延々と歩いてきた。己の後をついてくれてきた者が多くいたことは幸いだったのかもしれない。
    長官、隊長、と慕ってくれた部下たちと戦いとは無縁の平和な時間を共に過ごすというのは初めてだ。
    「……悪くない、ものだな」
    合流場所や時間が決まるとスマホの画面を閉じる。
    部屋の時計を見ると朝食の時間にはまだだいぶ早い。
    布団の海に沈めば間違いなく朝食を食べ逃す。
    そういえば早朝ならば大浴場は無理でも露天風呂が入れたのではなかっただろうか。
    確認してみれば露天風呂はすでに解放している時間。思考だけでなく体も起こすのにちょうどいいかと、貴重品とタオルを持って宿泊している部屋を出る。
    朝日の眩しさと献身の屈託のない笑顔がどこか似ているような気がする。なんてまだ完全に覚醒していない頭でわけの分からないことを考えながら旅館の廊下を目的地に向かってゆっくり進む。
    「オロルンへの土産……なににするか」


    波乱万丈すぎる旅行から帰ってきて数日後。
    土産を渡したいとオロルンにメッセージを送れば買い物がしたいからそちらに向かうと返信がくる。
    オロルンが住んでいる地域は俺の住んでいる最寄り駅の路線の終点にあった。工芸の盛んな地域で、織物や陶芸など多種多様。そういえばナタでは鉱石の発掘や加工、ウォーベン、ラクガキの文化があったからその影響でも受けたのだろう。オロルンも絵を生業にしていると言っていたのだからそういう気質なのだろう。
    オロルンの住んでいる場所はそこから更に奥まった場所にあるのだと。不便ではないのかと問いたことがあったが『前も謎煙の主から離れた所に住んでいたし、今はネット環境があるからむしろ快適だ』だと真顔で返された。
    待ち合わせの場所は初めて会ったカフェから少し離れた所にある複合施設。食品、衣料、雑貨など様々な店や休憩エリアがある。……早朝に出て深夜に帰る生活をしていたので近くに住んでいたのにオロルンに教えてもらうまで存在を忘れていたことはさておき。
    テイクアウトのカフェオレを片手に近くのベンチでオロルンが来るのを待つ。
    到着したとメッセージを送れば少し遅れて既読が付く。少し間があいて、もうちょっとで着くとの返信がくる。
    了解、と返すとスマホをジャケットのポケットに仕舞って少し冷めたカフェオレに口をつける。
    珈琲の苦味が思いのほか強くて、僅かに眉をしかめる。飲めないほどではないが砂糖をひとつかふたつ、もらっても良かったかもしれない。
    自分はわりと甘いものが好きだと思う。
    再会したカフェで飲み物をおかわりした時。備え付けのシュガーポットから角砂糖をふたつ入れたらオロルンの目が丸くなっていた。
    普段は見た目の印象からコーヒーはブラックか微糖だろうと思われている。眠気覚ましにはちょうど良いので仕事中は微糖を飲んでいたが個人的好みはミルクや砂糖の入った甘めの方がいい。
    仕事を辞めたことと、記憶を思い出してからはじめて会う知り合いに気が緩んでいたのか。無意識に砂糖を入れていた。
    『君、甘党だったのか? いや、それが悪いわけじゃなくて。その意外だったんだ』
    『そうだろうな。普段はイメージを崩さないようブラックか微糖を選んでいる』
    『隊長は甘いものを口にしない印象がなんとなくあったから。今はいいのか?』
    『お前相手に見栄を張る必要などないだろう』
    そうあっけらかんと言えば今度はアイスコーヒーにむせるオロルン。
    何もおかしなことは言っていないが。と、あの時のやり取りを思い出しながらカフェオレを一口。やはり後味が少し苦い。
    ああ見えてオロルンは前も今もブラックを好んでいるようだったから俺が苦いと感じるこのカフェオレも甘いと感じるのかもしれない。
    そんなことをぼんやり考えていると、待ち人がこちらに向かって歩いていた。
    「なんだそのでっかい紙袋は」
    会って早々にやや不満気味の声。オロルンの視線は俺の足元にある観光地名が書かれている大きな紙袋。
    気持ちはわからなくはないので俺もやや苦笑ぎみになってしまう。
    「俺だけじゃなくて部下……いや元部下か。そいつらでお前にと選んだ結果がこれだ。悪いものではないのは保証する。あいつらの為に受け取ってくれ」
    「そういえば再会できたんだったな。どうだった? 僕の知っている人はいたか」
    「居たからお前に土産を渡してくれと頼まれたんだが」
    「それもそうか。けど、量が多くないか。僕だけじゃ食べ切れないぞ」
    下に置いたままの紙袋を持ち上げて、オロルンへ渡す。
    戸惑いつつも受け取って中を見ると思っていたものと系統の違うものが詰め込まれており、オロルンはきょとんとした顔になる。紙袋の中には日持ちのする食材があれこれと詰められている。酒のつまみになりそうなものも多くある。
    旅行に来るきっかけと行き先を教えてくれたのがオロルンだった。となんとなしに土産を探してる時にグスレッドに言ったらその時行動していた元部下を集めてオロルンに渡す土産を吟味し始めた。
    土産物店の商品を全種類買うんじゃないかという勢いについ口を出してしまったのは黙っておく。
    『部隊の補給物資じゃないんだ。加減をしろ』
    『すみません長官/隊長』
    『もうお前らの長官でも隊長でもないんだが……そんな顔をするな。好きに呼べ。ただし場所は弁えろ』
    修学旅行の引率の先生か俺は。
    あの後、ナタでオロルンと共に行動していた者が中心になってあいつへの土産がようやくまとまった。
    「言っただろう。悪いものではない、と。日持ちする食材が殆どだから急いで食べる必要はない」
    「そういうことならありがたく貰おう。君の選んだお土産もちゃんとあるんだろう」
    どれだろう、と袋の中をガサガサと探すオロルン。
    「俺のは蜂蜜の小瓶だ」
    「蜂蜜?」
    「燃素ミツムシの蜜を使った料理をよく作っていただろう」
    「あ、これだな。……僕のオリジナル料理、覚えててくれてたんだな」
    紙袋の下の方から箱に入った蜂蜜の瓶を見つけ出すオロルン。
    「たまたま覚えていただけだ」
    「それでも嬉しい。ありがとう、スラーイン」
    にこり、と笑うと大事に紙袋の中に蜂蜜の瓶を仕舞う姿を見てよかった、と安堵する自分になぜだろうと疑問が浮かぶ。部下たちからの土産を拒否されなかったことにか。それとも自分が選んだ物を嬉しそうにしている姿にだろうか。考えても答えはでなく僅かにモヤモヤする気持ちを流し込むように手元に残っていたカフェオレを飲み干した。
    無事に土産を渡し、旅行の話をしているとスマホの着信音が響く。自分のは沈黙しているからオロルンのだろう。会う時はいつも持っているトートバッグからスマホをとりだすと、着信相手の名前を見て今出るべきだと判断してオロルンは一言断りを入れると会話に邪魔にならない場所へ移動していった。
    しばらくすると暗い顔をして戻ってくる。コウモリ耳が今もあったならぺしょりと耳が倒れていただろう。
    「なにか問題でもあったのか」
    「問題、といえばそうなるのか。明日、畑仕事をするつもりだったんだけど手伝いにくる予定だった兄弟が行けなくなったって連絡がきて」
    兄弟、というのはオロルンの友人で竜医だった青年。今は獣医をしているのだそうだ。
    オロルンが暮らしている地域の酪農家で雌牛が仔を産んだそうなのだが、産まれるまでだいぶ時間がかかったらしく母牛、仔牛どちらも衰弱していて数日は付きっきりで看病しないといけなくなったそうだ。
    スマホをカバンに仕舞うと、思いついたとばかりに俺の方を見つめる。
    「スラーイン、明日なにか予定はあるだろうか」
    「特にないが」
    「急で申し訳ないんだが僕の畑を手伝ってほしい。僕の仕事が一段落したから、種蒔きや苗の植え替えをしようと思っていたんだ。けど、しばらくの予報はずっと雨で晴れの日が明日だけなんだ。一人で全部の作業を一日で終わらせるのはさすがに無理だからイファに手伝いを頼んでいたんだけど、急患じゃ仕方ないから」
    そういえば今日も天気はあまり良くないな、と雲に覆われた空を一瞬見上げる。雨がいつ振りだしてもおかしくない空模様だ。
    暇を持て余している日々だし、めったにないオロルンからの頼みなら断る理由は特にない、が。
    「素人同然の俺が手伝っても邪魔にならないか」
    家庭菜園とあいつは言うが、前の時も趣味といいながら本格的な畑を作っていたしなんなら燃素ミツムシの養蜂だってしていた。全くの素人が手伝って余計な作業を増やしたくはない。
    「そんなことない。作業自体は簡単なんだ。ただ、少し広いから一人だと僕の体力が持たなくて」
    「……俺で問題がないのであれば手伝おう」
    「ありがとうスラーイン。助かるよ」
    明日の待ち合わせ場所と時間をその場で決めるとオロルンが動きやすくて汚れてもいい服はあるかと聞いてきた。クローゼットの中を思い出すが畑仕事に向いていそうな服は無さそうだった。持っていないと正直に答えるとじゃあ買って行こう。土の汚れは落ちにくいから君の服をダメにしたくない。とオロルンが言いながら複合施設に入っている某洋服店へ引っ張られていった。

    翌日。
    通勤通学ラッシュを過ぎた時間帯の電車に乗ってスラーンはオロルンが住んでいる場所の最寄り駅まで向かった。荷物は貴重品と着替えだけ。昨日買った服は荷物になるからとオロルンが持って帰ったのでわりと軽装といえば軽装なのだが。
    作業が終わる頃にはすっかり日も暮れているだろうし、疲れた身体で帰らせるのは申し訳ないから泊まり前提で明日はうちに来てくれ、と言われていたのでスラーインは先日旅行で使ったカバンと中身を再び使うことになった。
    三十分から四十分ほど電車に揺られ、終点に到着する。ガタンゴトンと電車特有の一定の揺れは眠気を誘いやすい。終点とはいえ寝るわけにはいかないのでミント味のガムを噛んだり電子書籍を見てどうにか乗車時間やりすごした。
    改札を出るとすぐ目の前にある駐車エリアでオロルンが待っていた。
    「待たせてしまっただろうか」
    「ちょうど着いたところだ。ところでそれはお前の車か?」
    オロルンの横には紺色の軽自動車が停まっていた。
    軽でも大容量の荷物が乗せられると宣伝していたわりと人気の車種だったはず。
    「ああ、こっちだと車がある方が買い出しとかでなにかと都合がいいからな。あ、荷物は後ろに置いてくれ」
    「わかった」
    オロルンに言われ、泊まりの荷物を後部座席に置いて自分は助手席に座る。
    出発準備が整うと手慣れたように車の運転するオロルン。普段からよく運転しているようでふらつきもなくスムーズに道路を走っていく。
    「お前の家は駅から遠いのか」
    「そこまで遠いわけじゃないと思うけど、バスの本数が他の行き先と比べると少ないから。ちょっとした移動や送迎だったら車の方が便利なんだ」
    オロルンが運転する車にしばらく揺られていると窓から見える景色が住宅エリアから離れ、山の方に変化していく。車が完全に停止した場所は山奥……まではいかないが山の麓に近く、ご近所と呼べそうな家とはだいぶ離れた場所だった。
    人里から離れている所に住んでいるのは予想通りだった。が、オロルンの家を見て本当にここに住んでいるのか、と目を丸くした。
    オロルンの家は古いながらもしっかりとした一軒家だった。一人暮らしとは聞いていたが持ち家がどう見ても家族向けの広さをもつ一戸建てとは思わないだろう。
    「驚かせたか? 一人暮らししつ畑も出来る物件を探してたら知り合いのじいちゃんが息子さんと同居することになったからってこの家を譲ってくれたんだ。外見は古いけど中は綺麗だから住む分に不自由はないぞ。山はじいちゃんの名義のままだけど時期になったらキノコや山菜とか好きに採っていいって」
    「……そうか」
    「スラーイン? なにかおかしなことでもあっただろうか」
    「お前は今も昔も周りから可愛がられているのだな、と改めて思っただけだ」
    「そうだろうか。ばあちゃんは相変わらず孫の扱いが雑だぞ。僕が車の免許を取って最初に運転したのは酔いつぶれたばあちゃんの迎えだったし」
    過去を思い出して少し渋い顔になるオロルン。
    「それよりも、今日は僕の畑仕事がメインだったな。畑の案内は先に着替えてからにしよう」
    そう言いながらオロルンは玄関のドアを開けて、続いて中へと入った。
    古い佇まいとは裏腹に室内は今風にリノベーションされていた。前の住人が何度かリフォームをしていて、オロルンが新しい住人になるにあたって引き渡す前にリノベーションを済ませたのだろうと予想する。
    本人が知ったら費用を出すと言って聞かないだろうな。
    昨日買ったばかりの白い長袖のシャツと黒いジャージ生地のズボンへ着替えるとオロルンにこっちだ、と家の裏手に案内される。
    リビングの窓からチラリと見えた畑に、ずいぶん本格的だなとは思っていたが改めて全体を見渡して広さに再び驚く。家が一軒、いや二軒は余裕で収まりそうな面積は家庭菜園の規模ではないだろう。
    趣味と言っていたが本業が農家ではないのかと思ってしまう。この広さを一日でとなると手伝いが必要になるわけだ。
    「じゃあ早速始めようか。僕は苗を植えていくからスラーインは種蒔きを頼む」
    野菜の種を受け取ると、すで耕された土に種を蒔いていく。細かい作業は嫌いではないのと初めての土いじりが思いのほか合っていたらしく気がつけば渡された種の半分近くを蒔き終わっていた。

    夕暮れ時になる頃には俺が頼まれた種蒔きもオロルンの苗の植え替えも無事終わった。なんならちょうど実った野菜の収穫まで済ませてしまった。
    すっかり土まみれになった姿を見て昨日オロルンのアドバイス通りに服を買っておいてよかったと思う。
    「よければ着替えついでにシャワーを浴びてきてくれ」
    「お前はいいのか」
    「僕は農具の土汚れをきれいにしてからにする」
    「わかった」
    片付けも手伝おうと考えたが十分手伝ってもらったから、と断られると思ったのでオロルンに言われた通りに教えてもらった風呂場へ向かった。
    汗をシャワーで流し終えると入れ替わりでオロルンが洗面所に入ってきた。
    それなりの広さはあっても上背のある男二人が並ぶといささか窮屈に感じるので私物を持って早々にリビングへと向かった。
    改めて窓から外を眺めると先ほどオロルンと共に種を蒔いたり苗を植えた畑が一望できた。畑は大雑把に三つの区分に分けているらしい。
    一つは今日作業着をした場所。次の季節に実る野菜が植えられた。一つは前の季節に種蒔きや苗を植えていて今が収穫の時期を迎えている場所。作業の終盤に時間に余裕があったのでいつくかの野菜を収穫した所。残り一つは休耕……作物を栽培せず畑を休ませているのだそうだ。
    オロルン一人に大してかなりの面積があったが、作業しながら説明をされればあれ一人でも十分手が回るのだというのが理解できた。
    今回みたいなイレギュラーは少ないし、友人らもたまに手伝ってくれるからそんなに大変じゃないらしい。前世の時はもっと広い畑にミツムシの世話も一人でやっていたからだいぶ楽だ。とオロルンはいうが畑仕事はなかなかに重労働だと思う。
    ジムで身体を鍛えたり、前世での戦闘後とも違う疲労感が身体に残る。
    しかしそれが意外にも悪くないと思うのはなぜだろうか。
    夕焼けに染まる畑を眺めながらぼんやりとしていると、いつのまにかシャワーを浴び終えて夕飯の支度をしていたオロルンに声をかけられた。
    「遅くなってすまない。もうすぐ準備できるから」
    「いや手伝えなくて悪い。今からでもできることはあるか」
    「それなら盛り付けの終わった料理をテーブルに運んでくれ」
    「わかった」
    オロルンの畑で採れた野菜をふんだんに使った夕飯。
    普通の家庭料理だけど、とオロルンは言ったが社会人になってから食事は出来合いの物か携帯栄養食がほとんどだった俺からすれば十分ご馳走と言えるだろう。
    ほどなくしてリビングに置かれたローテーブルの上には二人分の食事が並べられた。
    お疲れ様、と冷えた麦茶が注がれたグラスで乾杯する。そして目の前にある皿の料理を一口頬張る。
    野菜本来の旨味がしっかり感じられる。オロルンが端正込めて育てた成果だろう。
    「うまい」
    率直な感想を言うとオロルンの顔が綻んだ。
    「よかった。旅行先で美味しいものをたくさん食べたあとだから僕の手料理なんかで申し訳ないと思ってたんだ」
    「普段の食事と旅先の食事は別だろう。俺は普段、出来合いの物か携帯食で済ませてばかりだったからな。誰かの手料理はずいぶん久しぶりに食す。お前の作るものは俺の好ましい味だ」
    「君にそう言ってもらえると嬉しいな。おかわりはいるか?」
    「もらおう」
    気がつけば空になっていたご飯茶碗を差し出すとオロルンは先ほどよりも山盛りにして返してきた。
    腹が満たされる頃には胸の奧も温かいなにかで満たされるような感覚があった。
    安らぎ、というのはこの事なのだろうか。なんて心地よい疲労と満たされた胃袋で若干ふわふわの思考でそんな他愛ないことを考えながらオロルンの家で過ごす夜は更けていった。

    雨の降る音で意識が浮上していく。
    目覚めると見知らぬ天井と寝具に一瞬困惑するが、意識がはっきりしていくにつれてオロルンの家に泊まったことを思い出す。
    隣で寝ていた男がいなかったので寝過ごしたか、と急ぎ簡単に身支度を調えて一階に降りればおはよう、の挨拶とともにオロルンがキッチンから顔を覗かせた。
    よく寝ていたから起こさなかったんだ。僕もさっき起きた所だし。と言いながらオロルンはトーストにハムエッグ。畑で収穫したと思われる野菜で作られたサラダとスープをテーブルに並べていった。
    いただきます、と二人声を揃えて言うと用意された食事を口にする。シンプルゆえに素材の味が引き立っていて夕食同様に好きな味だと感じた。
    後片付けだけでも手伝わせてくれ、と頼み二人並んでシンクで洗い物をする。
    元々家族向けの一戸建て物件だからキッチンも広く作られていたので男二人ならんでも十分作業できるスペースがあった。大事に使われている調理用の器具や家電を見つけるとなんとなくオロルンらしいなと思った。
    片付けも早々に終わったのでいつでも帰れるようにと手荷物の整理をしているとふいに雨音が強くなる。
    今日からしばらく雨が続く予報どおりにリビングの窓から見える空は暗い雲でおおわれている。
    昨日体験したからわかることだが、畑仕事は思った以上に重労働だった。雨の中での作業ともなると負担はもっと大きいだろう。いつもなら自分で作業するオロルンが今回誰かに手助けを求める理由も納得できた。
    いつしか荷物整理の手は止まり、窓の景色をぼんやりと眺めながらここでの体験を思い出していた。
    雨粒が屋根や草木にあたる音が水の音色。畑作業のあとに窓から吹き込んだ風。遠くの方からかすかに聞こえる動物や虫の声。室内はともかく外は外灯が少なく夜空に輝く星は自分の住んでいるマンションで見るよりもはっきりと見えた。人工的な音や光は最低限で自然を感じられるオロルンの家。
    「ここは居心地がよいな」
    ここで過ごす時間は記憶を思い出してから今までのなかで心体共に一番リラックス状態になっていて思わず言葉が漏れてしまった。
    「僕の家、気に入ってくれたのなら良かった」
    いつの間にか飲み物を持ったオロルンが隣にきていた。どうやら気配に気付かないくらいに気が緩んでいたようだ。
    「お前がすすめた旅館もよかったが、日常を過ごすならこういった所の方が性に合うようだ」
    張り詰めて糸が緩む感覚がする。前世は騎士として軍人として祖国の為。祖国亡きあともナタの為に戦い続けた。ファデュイ執行官となったあとも女皇陛下の命の元戦い続けた。オシカ・ナタで死の執政に一矢報いることができたが、あの瞬間までずっと精神を張り詰めて生きていた。今も、記憶を思い出す前からもその感覚が抜けてなかったのだろう。
    玉座で眠りについたときの開放感に近しいものをオロルンの家で感じた。
    己の責務もしがらみも。騎士の称号も執行官の序列も忘れて、ただのスラーインになれたのは本当に久しぶりだった。
    帰るのが惜しい、など思うほどに。
    「……君さえよければだが、この家に一緒に住まないか?」
    俺の心を読んだのかのように魅力的な誘いがオロルンから提案される。
    「その提案は好ましく思うが、お前の迷惑になるだろう」
    「むしろ大歓迎だ。締め切りが近くなると引きこもりがちになるからばあちゃんや兄弟が心配するんだ。スラーインが一緒に住んでくれるなら二人の心配も減ると思うんだ。……君が嫌じゃなければ、だけど」
    声がだんだんと小さくなっていくオロルン。ダメだろうか、と左右で違う色の瞳がじっとこちらを見つめている。己の心がこの場所を好ましいと感じている上に家の主が良いというのであれば断る理由はない。
    「……なら、世話になるとしよう」
    「ありがとう、スラーイン」
    「礼を言うのはこちらだ」
    曇天の空から一変して快晴のような笑顔を見せるオロルン。一緒に住む相手を探していたのなら俺はちょうどいい存在といったところだろうか。
    オロルンの意図は不明な所が多いが、少なくとも俺はあいつのテリトリーに立ち入る資格があるようだ。
    一時の間かもしれないが以前とは環境も立場も違う。オロルンと共同生活をおくることが出来ることに少し心が踊ったのは黙っておこう。
    オロルンとの同居の話がまとまると、世帯主で成人しているとはいえ挨拶と報告をすべきだろうとオロルンの保護者であるシトラリに同居の許可をもらいに行った。引っ越しの準備など今後の大まかな予定を決めてからは早かった。久しぶりに慌ただしい日々を過ごしたが、億劫と思うことはなかった。
    手続きなど全部終わると僅かな私物だけを持ってオロルンの家へやってきた。客人ではなく正式に同居人として。
    「今日から世話になる」
    「……そうだけど、違うだろ。ここは今日から君の家でもあるんだから」
    「……ただいま。オロルン」
    「おかえり。スラーイン」

    同居編に続く...?
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    meleng_ggr

    DONE注意事項
    ※ほのぼの謎時空
    ※隊長の仮面が当たり前のように外れている
    ※彼と僕だけの人称でほぼ進む
    ※旅人に関する辺り捏造
    ***
    あなたはめれんげのカピオロで
    【コレがいいんでしょ? / 気のせいじゃない】
    をお題にして140字SSを書いてください。

    でちょいエロのお題を書こうとして見事お題のちょいエロというところから外れた話。
    前回のお題の名誉挽回をしようと思ったのに出来なくて無念。
    特別は、特等席に座っている。 キラキラとして澄んだ魂と出会ったんだ。
     そう伝えた時に気が付けばよかった。
     でもその時の僕は全く気づけなかった。
     そうか、と告げる声音がいつもより少しもたついていたのも、会話の先を促す優しさにためらいが混ざっていたのも。
     あまり会えない彼と楽しかったことを共有したい気持ちが先走って、見えなかったんだ。

     ようやく気づいたのはもっと後。
     柔らかな夜が世界を包む頃。
     僕のベッドの上に座り込んで、まだあまり慣れない『触れ合い』を始めた時だった。
    「……っ…?」
     彼とのキスは好きだ。
     温かさに包まれて深くなっていくのが気持ちいい。
     でも今日のは普段よりも早かった。
     気持ちが昂っていたりするともっと早かったりもするけど、今日のはそういうのじゃない。
    2233

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