だから私は手放せない12月も末になれば、土日など関係ない。
特に私のような職業ならば、尚更だ。
父親が警察官だったから、流れるようにその道に入り、今やそれなりの地位にいるとはいえ、休日返上で業務に当たっていた。
まあ、明日は無理やり休みをいれたので、気力は何とか持ちそうではある。
久し振りに馴染みの喫茶店にでも行こうかと考えを巡らせていた時、部下から声がかけられた。
「鶴見さん。明日の12月25日、お時間を頂けませんか?」
そう言われて、思わずこめかみを押さえる。
「あー…その日は何なのか知っているのか?」
知っているだろう。
そうでなくては、その日を指定したりはしないだろう。
「はい!鶴見さんのお誕生日ですよね!」
「うん」
浅黒く健康的な頬を赤らめて、元気よく話すが、その瞳は不安気味に揺れている。
「鯉登、前も言ったと思うんだが、個人的な誘いなら了承できないよ」
「っ…! そう…ですよね…」
泣きそうに呟く声に、少し胸が痛む。
それを誤魔化すように、執務机の書類に目を落とすフリをした。
目の前の青年…鯉登とは、幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた。
彼には警視総監の父がおり、私は上司との友好的な関係を築く意味合いがあったのだが、すっかり懐かれてしまっていた。
今や彼も立派な大人。しかも私の部下ときている。
そしてこれが一番の問題なのだが……彼の…私への想いにも、とっくの昔に気付いていた。
しかし、いくらなんでもオジサン相手に執心するのはいかがなものか。あの手この手で諦めさせようとしてきたが、どうにも上手くいかなかった。
「…どうしても駄目でしょうか。お時間は取らせませんから…」
「…」
珍しく食い下がる。
「そんなに私の誕生日を祝いたいのか?」
「勿論です!ですが…その…それだけではないのですが…」
頬を染めながら言うんじゃない、この正直者め。
眉目秀麗、品行方正、社会的地位ある。
この若さにして警視。いくら親のコネクションがあったとしても、本人の努力無しではあり得ない地位。
そんな彼が、何もオジサンの私に擦り寄らんでもいいだろうに…
「駄目だ」
「…キェ…」
涙目で訴えてくるその表情に、ため息をついた。
鯉登は知っているのだ。
私には、家に帰っても出迎えてくれる者がいない事を。
かつて私にも家族というものがあったが、今はいない。
詳細は省くが、昔から付き合いがあるために、鯉登はそれを知っている。
彼の家族は何かと家に呼びたがるのだが、それは独り身の私への気づかいなのだろう。
もっとも目の前の男に関しては、それだけでは無いのだろうが。
「…では、せめてこれを…」
そう言って紙袋を持ち上げ、中から白い箱を取りだした。
箱は彼の手には余る大きさで、少し甘い香りがする。
菓子か何かなのだろう。
彼は私の好みを押さえているだけあって、断れないのも分かっている。
「用意周到だな」
苦笑しながら机の上を整え、置くための隙間を作ってやれば、すかさずそこに箱が置かれた。
そっと開かれる箱。
中には白いクリームに包まれたケーキが入っていた。
クリームや飴細工に彩られた美しいケーキ。
「生菓子だな」
「はい」
「お前、明日が断られるだろうと分かっていて、予め用意したな?」
「……はい」
少しシュンとした顔で頷く鯉登。
生菓子なんて、早々に食べなければならない代物だ。
この男は優秀だから、断られることを想定していたのだろう。相手を思いやる優しい男。だから常々思う。
「…もっと強引でも、いいのにな」
「えっ?」
「……っ!あ、いや…そう言う意味では無くて…」
まるで、私と約束を強引にでも取り付けて欲しい、と言ってるみたいに聞こえる。
違う…そうじゃないぞ!
「あー…鯉登は昔からそうだなぁと思ってな。欲しいものがあったら、多少はワガママ言っても……」
「っ…!!は、はい!」
違う違う!私にそれをしろって意味じゃない!!
何故か大いなる誤解が生じている気がする。
鯉登が近づいて、いつものように私の事を凝視している。距離も近い。
誤魔化すように視線をカレンダーに落とせば、そこで己の失態に気付いてしまった。
「あ…!そうか。昨日だったか……近い!顔が近いぞ!」
鯉登が私の様子を不思議に思ったのだろう。
カレンダーを覗き込んで、目を輝かせた。
12月23日、つまりは昨日。
そこには『鯉登 誕生日』と書かれていたのだ。
ここのところ忙しく、鯉登の誕生日を忘れてしまっていた。
「すまん。忘れていたよ」
「いいんです。鶴見さん、お忙しそうだったので」
そう言って笑う顔が、少し寂しげに見えた。
申し訳なさで胸が痛む。
「いや、そうはいってもな…」
チラリと机に置かれたケーキが目に入る。
鯉登は、抜け目のない性格だ。
私の誕生日を祝うためにケーキを用意し、明日の予定も計画しているのだろう…たとえ断られるのだとしても…
そう思うと、更に申し訳なく思ってしまう。
「……何か、して欲しい事は無いか?物でもいい。私に出来ることならなんでも…」
こんな事で埋め合わせになるかは分からないが、何もしないという選択肢は無かった。
「…私の…欲しいものは…」
そっと視線をカレンダーに向ける。
ああ、そうだった。
この男の望みは、もう聞いていた。
『なんでも』と言った手前、仕方の無い事だ。
「…はぁ、分かったよ。明日な」
それを聞いた鯉登は、それは嬉しそうに笑う。
「はい!ありがとうございます!!」
子どもの頃から見ている無邪気な笑顔。
外見はすっかり立派になったのに、こんな時は子どもの様に見える。
そんな鯉登に癒されているのも、確かなのだけれど。
「鯉登」
「はい!なんでしょうか」
目に見えて上機嫌な鯉登に話しかける。
「ケーキが大きすぎるな。1人では食べきれないぞ?」
「っは!す、すみません」
クスクス笑って首を振る。
「謝って欲しいわけじゃない。今日は勤務後、予定は空いているか?」
「えっ?」
目を見開き、マジマジとこちらを見つめてから、何度も首を縦に振る。
「はい!空いてます!」
「それなら何か食べに行こう。なに、持ち込みしても大丈夫な所だから」
トントン、とケーキの箱を指先で叩いて、小さく笑う。
感極まって泣きそうになっている目の前の男を見ながら、己の心に硬く蓋をする。
「…強引に、か」
「どうかしましたか?」
そう、もし…
「いや……さあ、まだ勤務時間内だ。もうひと頑張りしようか」
「はい!」
もし強引に押し切られたら……私は彼を突き放すことはないんだろうな、と妙な確信がある。
元気よく自分の席に向かう彼の後ろ姿を見ながら、軽く首を振って、そんな考えを頭から追い出すのだった。