君を知らずに100年生きるより②「私は田村三木ヱ門だ。これからよろしく、守一郎。」
明朗にそう言った少年の虹彩は、燃える火のように真っ赤だった。そのせいか、それとも初対面の緊張と興奮か、差し出された手を握った時に「熱い」と思ったことを今でも鮮明に覚えている。胸がうるさく音をたてて、聞こえてしまうかも、もしかしたら口からまろび出てしまうかもしれないなんて子供みたいに考えていた。そんな自分の気持ちを知ってか知らずか、三木ヱ門は嬉しそうに笑っていた。
そこからの忍術学園での生活は目まぐるしく、たくさんの出会いや出来事があった。曽祖父と暮らしていたり、ひとりぼっちで籠城していた頃に比べたら信じられないぐらいに騒がしくて、めちゃくちゃで、楽しくて、ずっと前から居たような気もするし、あっという間だった気もした。尊敬する先輩も、かわいい後輩も出来たけれど、やはり「同級生」という存在は特別で、三木ヱ門から聞いた滝夜叉丸と喜八郎の友情関係に憧れを持ったりしていた。
だから、ついうっかり、喜八郎にあんな言葉を漏らしてしまったのである。
風のうわさで聞いたのは、どうやら滝夜叉丸が何か調べているということだった。それはやたら恋愛にまつわる小説やら随筆やららしく、そしてそれに余っ程のめり込み、以前よりは大人しくなっているとのことだった。
「もしかして、恋、してるとか…?」
その一言に悪気は無かった。ただ、噂の的であった滝夜叉丸の同室である彼は何か知っているかもしれないと、ついこぼれてしまった呟きだった。
しかし、顔を赤くし、その熱を冷まそうと頬に触れる自分のそばで、喜八郎はひやりとする程冷たい目をしていた。しかしそれは本当に一瞬の出来事で、すぐに飄々としたいつもの表情に戻っていた。だからその後に三木ヱ門があの二人の様子がおかしいと切り出した時に、身に覚えがあったのだ。
(本当に、恋だったんだ)
滝夜叉丸も、喜八郎も。そう思うとなんだがむず痒くてふわふわしていて、覚束無い感覚に襲われる。初恋なんてしたことなかった、そんな機会がなかったから。まだ自分には、なんて言いそうになるけれど、自分ももう既に齢は13で、忍術学園を卒業したら世帯をもってもおかしくないような年齢なのだ。
「あと2年か。」
まだ、この学園にきたばかりで、まだ、この学園に居たいと思う。もっとしたいことだってあるのに、春も、夏も、秋も、冬も、あと二回ぽっちしか残っていない。
「いいなぁ」
つい、言葉が漏れた。みんなとももっと仲良くなりたいし、もっと色々な景色を見てみたかった。滝夜叉丸と喜八郎が羨ましいと思う。それはその関係性自体でもあるし、それを育てた時間にでもある。
滝夜叉丸と喜八郎は、紆余曲折ありながらも思いを通わせたらしい。なぜ知っているかというと、本人たちが謝罪に来たからである。正しくは、滝夜叉丸が騒動について謝罪をして、喜八郎は空を眺めていた。それがなんだがおかしくて、つい笑ったりして、所謂「恋人」になったのだろうに様子の変わらない様が愉快だった。でももしかしたらそれは、自分が最近の二人しか知らないかもしれない、とも思った。
「喜八郎!」
穴掘りをしていた彼の名前を呼ぶと、顔をあげて「守一郎、どうしたの?」と返事が返ってきた。何を考えているのか、やら、感情が分かりづらい、と言われているらしいが、分かろうが分からまいが、こうやってきちんと返事をしてくれるだけで充分に親切だと感じていたし、守一郎はそういう同級生が好きだった。
「喜八郎に、聞きたいことがあって」
分かりやすく声が小さくなった守一郎に、ちょっと待っててと告げてしばらく穴を掘り進めた彼はその底から「どーぞ」と間延びした招きの言葉を投げかけた。
「秘密を話すなら穴の中でしょ」
「秘密の話だって分かったのか!?」
「そりゃね。でも穴の中だって言ったって、声は大きくしちゃあだめだよ。」
喜八郎の指摘を受けて、守一郎は慌てて口を塞いだ。それから喜八郎は相変わらずマイペースな様子で「それで?」と尋ねた。
「喜八郎はさ、いつから滝夜叉丸のこと好きだって思ったんだ?」
「ん〜…それが、わかんないんだよねぇ」
「わかんない?」
「そう、わかんない。もしかしたら今も好きかもわかんないし。」
「えぇ!?」
また、つい大きな声が出て、口を塞ぐ。しかし、守一郎には理解ができないその言葉に動揺を隠せないままでいた。その向かいでは、喜八郎が「なんと言えば」なんて言いながら踏子を抱きしめて言葉を選んでいた。
「恋とか、あいつはなんか色々言ってたけど、僕はさ、あいつが変わらなきゃいいな〜って思ったぐらいっていうか」
「うん?」
「誰かのためにってより、そのままでいいと思ったし、そのままの方が別に…言いたくないけど魅力的だと思うし。うんざりするけど、その百倍、これでいいって思ったりするし。」
「なるほど」
「でもさ、そういうの、別にずーっと思ってたなって最近気づいたんだ。」
「どういうこと?」
「そのままでそばにいて欲しいって思うのが恋だったんなら、僕は多分、ずーっと滝夜叉丸に恋してたんだと思うよ。」
そう聞いた時に頬が熱を持つのを感じた。静かだけれど、熱を感じて、あの子の瞳の色を思い出した。
「守一郎はさ、なんでそれが知りたかったの?」
「それは…」
「誰かが好きなの?」
「…好きなのかは、分からない。」
恋、という話題が出てから、ずっと頭を巡っていたのは一人の少年のことだった。真っ赤な目をして、真っ直ぐで、一所懸命で、よく暴走したりしているけど素直で、自分を正し研鑽することが出来る。クルクルと表情が変わって、そしていつも守一郎を大切に思ってくれている同室の友人。でも、恋にはまだ幼い気がしていた。
「まだ出会ったばかりだし」
「関係ないと思うけど」
「一緒にいると楽しいけど、まだ楽しいだけだし」
「大事なことだよね」
「仲良くなれてるか、分からないし」
「それは謙遜しすぎじゃない?」
その、生まれそうな気持ちを否定する理由はいくらでもあった。それを喜八郎は逐一やんわりと否定していたけれど、それも間違ってないと思った。自分は逃げようとしてる、それを以前にも委員会の先輩相手にやらかしたこともある。自分の気持ちを受け止めたら、自分がどうなるかが分からなくて、それから逃避してしまいそうになる。でもこの穴の中には逃げ場が無かった。
「あと、二年しかないのに…」
自分に似合わない小さな声だった。そのつぶやきを聞いて、喜八郎はただ何も言わずに守一郎を抱きしめた。少しだけ、涙が出た。
「さて!」
有難いことに、杞憂もするが立ち直りが早いのも自分の長所である。しばらくして穴から出た頃にはスッキリした顔をして「喜八郎ありがとう!」と大きな声で感謝を述べた。言われた本人はたいして気にした様子もなく片手をあげて返していた。今は立て込んでいないと言っていたので、委員会も終わっていることだろうと思い長屋へ急いだ。
「ただいま!」
しん、と音がしそうなほど部屋は静まり返っている。まだ三木ヱ門が帰ってきていないであろう事は戸の前で気づいていた。それから、安心していた。
というのも、守一郎は三木ヱ門に「おかえり」を言うのが好きだからである。
籠城しかり、自分はひとりで待つことは得意だったし、誰もいない冷たい部屋がだんだんと温まっていくのは嫌いじゃなかった。
「ただいま」
「三木ヱ門、おかえり!」
日が傾いてきたから、灯明に油を差して、明日の予習を済ませて、手持ち無沙汰になって南蛮鉤を磨いていると、戸が開いて同室の友人が帰ってきた。
その時に、これだな、と思った。大きな目が嬉しそうに弧を描くのが、声が少し弾むのが、たまには疲れてため息をつきながら無防備に疲労をあらわにするのが、守一郎は大好きだった。
何故なら、ここが三木ヱ門の「帰る場所」なのだとよく分かるから。そしてそこは今の自分の帰る場所でもあるから。冷たい部屋が好きなのは、そこに彼が帰ってくると分かっているからで、委員会や実習で帰ってこない時はずっとひとりでいた時よりも寂しく思えた。
帰ってきた三木ヱ門はやたらと上機嫌で、その姿をみていると、彼はわざとらしく神妙な面持ちで自分の前に座り込んだ。
「守一郎、話がある」
「話?どうしたの、三木ヱ門。」
「守一郎はさっき、恋はどんなものかと尋ねていただろう?」
その瞬間、喜八郎と話していた事を思い出して、上手く三木ヱ門のことを見ることが出来なくなった。茶を濁そうにも、何故か三木ヱ門は引かずに真剣な顔を逸らそうともしない。
「俺、はさ、ほら、三木ヱ門も知ってるように、恋とかする相手に出会う環境じゃなかったから、全く分からないし、初恋とかもまだで。」
「うん、ちゃんと聞いてるぞ。」
もう逃げ場は本当に無いのかもしれない。いよいよ向き合わないといけない。でも待ってよ、そう言いたかった。歯切れの悪い言葉ばかりが口をついて出てくる。
「感覚、というか…さっき三木ヱ門が言ったみたいな難しい話とか急いで恋したい!みたいなことじゃなくてさ、どんな感じなのか知りたかっただけなんだけど……」
「うん…ん?」
きっと、答え合わせがしたい。君のことを、自分がどう思っているのか。それだけの時間が欲しい、そう思った時、自分から揺らがない真っ赤な虹彩が再び目に入った。まるで、出会った時みたいだと、全然関係のないことが過ぎって笑いが出た。
「なんか、俺をみてる三木ヱ門の目がおっきくてこぼれそうだなって思って。」
燃えてるみたいだし、でも飴とか、宝石みたいにも見えるなんて言ったら変だって思われるかも知れないから飲み込んだ。
でもまさか、そこから突飛な展開があるなんて、予想もしていなかった。
矢継ぎ早な三木ヱ門の質問に、守一郎の中には段々と疑問と困惑が増えていく。目が大きいやら、かわいいのはタイプか、やら、まるで三木ヱ門自身の話をされているようで顔の熱はどんどんと増していった。
「そこでだ、守一郎。ちょうどいいとは思わないか?」
「何が?」
「私と付き合おう。恋人ごっこだ、守一郎!」
「はあ!?」
そんなの、冗談にもならない!けれど三木ヱ門にしっかりと手を握られていたせいで、本当にどこにも逃げられなくなってしまっていた。