芸能パロ石乙 その日の仕事を終えて、石流がスタジオを出ようとすると、外はしとしとと雨が降っていた。
(そーーいや、誰かスタッフが傘持ってるかって聞いてきたっけ。小雨だったら適当に帰ろうと思ったんだが)
雨は土砂降りではなかったが、それでも傘が無ければ数分もしないうちに全身が濡れてしまいそうなほど降ってはいた。戻って誰かに傘を借りるか、売店にでも行って買ってくるか──石流がそんなことを考えていると。
「龍さん?」
不意に呼ばれて振り返れば、乙骨が傘を片手に立っていた。その姿に瞬きをしていれば、乙骨が石流の方に近づいてくる。
「もしかして、傘ないんですか?」
「ああ、まぁ…」
これはもしかして「僕の傘に入ります?」という流れだろうかと石流は期待したのだが、乙骨はあっさりと持っていた傘を石流に差し出した。
「じゃあ、僕の傘、使います?」
「は?オマエはどうするんだ?」
「僕はこれがあるので」
言いながら乙骨は鞄からもう一つ折り畳み傘を出してみせた。それに石流が眉を捻った。
「なんで傘をふたつも持ってんだよ…」
「僕が出かける時はもう雨が降ってたんですよ。そしてこの折り畳みは鞄に入れっぱなしのやつです」
乙骨があっさりとそう言って「ソウカヨ」と思いながら石流は差し出された傘を受け取った。
「オマエらしいというかなんというか…」
「そんなに相合い傘がしたかったんですか?」
そして乙骨が言ったことに思わずブッと吹き出す。そんな石流に乙骨はクスクスと笑って「図星だ」と言って傘を開いた。
それに顔を顰めながらも、石流は「悪いかよ」と言って受け取った傘を開いた。
雨が降る中、各々傘を差しながら歩いて行く。向かう先は近くの駅で、確か乙骨がそのまま自宅に帰るのなら、更に先の他の路線の駅まで行かなければならないはずだ。
(このままお持ち帰り出来ねぇかな)
そんなことを思いながら、斜め前を歩く乙骨に視線を向ける。すると乙骨がこちらに振り返ってきた。
「今日はもうお仕事終わりなんですか?」
「そうだな」
「僕もです。今日は雑誌の撮影だったんですけど、予定より早く終わったんですよね」
そんな感じで他愛のない話をしているうちに、石流が使う路線の駅はもう目の前だった。このままうちに来ねぇかと、石流が乙骨に言おうとすれば、ちょうどそのタイミングで乙骨がスマホを取り出した。
「あ、悟さんだ」
その画面を見て、乙骨があっさりとそう言う。悟というのは、乙骨が一緒に住んでいる相手で、確か芸人をやってる親戚かなんかだったはずだ。
(そいつの許可が下りないから、俺とは住めないとかなんとか……乙骨ももう二十歳すぎてんのに、許可とかなんだよ)
そしてそいつから連絡が来たと言うことは、やはり乙骨はこのまま帰ってしまうのだろうか、自分以外の男が待つ自宅に。
石流は眉を寄せると、思わずスマホを持つ乙骨の腕を掴んでいた。
「…っ、龍さん…?」
「うちに来いよ」
雨で冷えた手をぎゅっと掴み、乙骨の方へ屈み込みながら。
「帰んな」
そう言ってやれば、乙骨は目をパチクリとさせたあと、頬をほんのりと赤く染めた。
それからフフッと笑ってみせる。
「…すみません、悟さんの返事が来たら、僕もそう言おうとしてました」
「は?」
「スタジオを出ようとしたら、龍さんがいるのを見つけて……だから、悟さんに連絡入れてたんです、今日泊まって来ますねって」
そしたら『またあいつ??』って返って来たんですよ、と可笑しそうに乙骨はスマホの画面を見ていた。石流は、すぐには乙骨の言葉の意味が分からず、ポカンとしていたが、少しして自分の早とちりに気付いた。
思わず目元に手を当てて「あーーー…」と呻いた。
「かっこ悪いな俺……」
「そうですか?僕は、帰んなって言われてすごくドキドキしましたけど」
頬を染めて、胸に手を当てながらそんなことを言う乙骨が、ああもうかわいいなと思いながら、再びその手を掴んで、駅の方へ向かっていく。もちろん、石流の自宅に向かう路線の、だ。
乙骨は驚いた顔をしながらも、嬉しそうに微笑んでついてくる。それからぎゅっと石流が掴む手を握り返して来ながら言った。
「…本当は僕も、龍さんと相合い傘したかったんですけど、龍さんの姿を見たらすぐにでも抱きつきたくなっちゃって…相合い傘なんてしたら、家まで我慢できないかもって、思ったんですよね」
石流にしか聞こえないくらい小さな声で、ポツリポツリと乙骨が言った内容は、あまりに衝撃的で、それこそ今すぐその身体を抱き締めたくなったくらいだ。
「……そういうこというのも、家まで我慢しろよ」
「……すみません、相合い傘したそうだった龍さんに申し訳なくて……僕もしたかったんですよ?っていうの、伝えたくて」
「だーもうくそ…」
自宅までの距離がどうしようもなくもどかしい。
「…最寄り駅からうちまでは、一つの傘で帰るからな」
辛うじてそれだけ返せば、乙骨もポツリと「はい」と返してきた。
握りしめた手がまだ冷たくて、早く彼の身体ごと暖めてやりたいと、そう思った。